富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「信仰者が一つとなるためのイエスの祈り」ヨハネによる福音書17章20節~26節

2023-03-26 15:10:42 | キリスト教

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会    週  報

受難節第5主日  2023年3月26日(日)  午後5時~5時50分

ヨハネによる福音書17章20節~26節

                            礼 拝 順 序                    

                司会 邉見 順子姉

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 309(あがないの主に)

交読詩編     22(わたしの神よ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳) ヨハネによる福音書17章20節~26節(新p.203)

説  教 「信仰者が一つとなるためのイエスの祈り」辺見宗邦牧師

祈 祷                                               

讃美歌(21) 517(神の民よ)

献 金  

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

〇オン・ラインで礼拝に参加できます。090-3365-3019

(辺見牧師)に、申し込み下さい。

         次週礼拝 4月2日(日)  午後5時~5時50分

         聖 書 ヨハネによる福音書18章1-14節

         説教題 「十字架への道」  

         讃美歌(21) 299 297 27 交読詩編 62

本日の聖書 ヨハネによる福音書17章20~26節

17:20また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。 17:21父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。 17:22あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。 17:23わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。 17:24父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。 17:25正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。 17:26わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」 

「本日の説教」

 主イエスにとって、地上における最後の夜となる夕食の後、長い別れの説教をなさったことを先週の礼拝でお話しいたしました。締めくくりのお言葉は、「あなたがたにこれらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難ある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(16:33)でした。

 「イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。『父よ、時が来ました。』」(17:1)と、17章では主イエスの長い祈りが記されています。宗教改革時代以来、「大祭司の祈り」と呼ばれてきました。それは、今や、地上を去ろうとしているイエスが、祭司のように、残された弟子たちのために、祈っているからです。この大祭司の祈りは、受難直前に弟子たちのために、また世界全体のために捧げられたとりなしの祈りです。大きく三つのの部分に分けられます。

1 イエス自身に栄光を与えてくださいという祈り(1-5節)

2 後に残す弟子たちを守ってくださいという祈り(6-19節)

3 弟子たちの言葉によって主イエスを信じるすべての人々を一つにしてくださいという祈り (20-26節)

 今日は3の17章20-26節の御言葉を学びます。大祭司の最後を締めくくる祈りです。特に、弟子たちの言葉による信仰者たちが一つになるようにということが、強く打ち出されています。

 「また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。」(17:20)

 20節は明らかに、キリスト教の第二世代を視野においた祈りです。すなわち、地上のイエスの直接の目撃者である弟子たちの宣教によって、イエスを信じる者たちのための祈りがなされています。

 「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。」(17:21) 

 世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるため、キリスト者の第二世代を含めて(すべての世代の信仰者)、<すべての人>が、父と子なる神の一致にあずかって、一つとなることをイエスは祈ります。主イエスと父なる神の間に、お互いがお互いの内におられると言えるほどに一つであられ、交わりがある。それと同じように主イエスを信じる信仰者たち、つまりわたしたちも入れられて、一つとされる。神がキリストにあり、キリストが神にあって、一つであるところの、その一つに、弟子たちも加えられて、三者が一つとなる、ということです。すなわち、神、キリスト、信者の完全な一体化が達成されるように、との祈りです。「すべての人を一つにしてください」とは、人間同志の思いを突き合わせ、対話をして一致点を探ることによって実現するのではないのです。人間の思いをいくら突き合わせても、それで一つになることはできません。教派の一致のことでもありません。教派を超えた一致です。

 「あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。 」(17:22)

 父なる神がイエスに与えた栄光を、イエスは弟子たちに与えたことが語られています。それこそが、世を信仰に導く根源です。栄光は、父と子と弟子たちを一つにします。

 「わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。」(17:23)

 こうして、父と子と弟子たちの一体性が確認され、宣教の対象として世が知るようになります。今度は、父が子なるキリストを派遣したことと、父が子と弟子たちの共同体の愛による一致を、<世が知るように>なり、世の人々をも愛されたことをしらせるためです。イエスがこの世に遣わされた目的は、「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(3:16)という使信を伝えることに尽きていたのです。

 ただし、この「栄光を与える」ということは、いわゆるこの世の人間的幸福を与えることではない、という点に注目しておく必要があります。イエスにおける栄光は、神の愛をあらわすために十字架の恥を忍び、死に至るまで神の御心に従順であることを通して、あらわされました。イエスの与え給う栄光とは、彼の生命そのものにあずかることを許されることにほかなりません。そしてこれは、イエスと苦しみを共にし、したがってまたその愛と勝利にもあずかることです。

 「父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。」(17:24)

 父と子の一致に弟子たちの共同体があずかることは、究極的には、イエスの<いる所に共に>いることによって完成されます。それは現在のことであると同時に未来のことでもあり、聖霊によって現実となっていることでありながら、究極の目標として追い求めていかなければならないことなのです。

 「正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。」(17:25)

 世(コスモス)が再び、その敵対性をあらわにします。世、またユダヤ人は、神を啓示したイエスを拒絶することで、神を知っていると言いながら、その実は、神を知らない不信仰な存在であることを暴露しました。しかし、イエスの陣営に属する者は、そのようなことはない。イエスは父を知り、弟子たちは、イエスこそ神から派遣された子なる神であることを知っているのです。

 「わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」(17:26)

 イエスは、父御自身を、弟子たちに知らせてきましたし、これからも、たゆまず、啓示し続けるでしょう。そうして、イエスに対する神の愛が弟子たちの<内にあり>、イエスも<彼らの内にいるようになる>のです。

 このように、17章の大祭司の祈りは、父と子と弟子たちの一致と愛と栄光の相互付与を物語っています。そのことによって弟子たちは、守られ、聖なる者とされるのです。

 主イエスはこの世の最後の夜、長い説教の最後に、弟子たちのために、そして弟子たちの言葉によって、主イエスを信じる私たちのために祈ってくださいました。主イエスの自分のために栄光を与えてくださいという祈りも、実は私たちのための祈りでした。主イエスが神の子としての栄光を受け、復活することによって、私たちに永遠の命が与えられ、救いが実現するのです。主イエスは天上にあって、私たちを見守り、聖霊を与え、とりなしの祈りをしてくださっています。主の恵みを豊かに受けて信仰の歩みを続けましょう。

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