↑ レンブラント・ファン・レイン イサクの犠牲 1635年頃
(The Angel Stopping Abraham from Sacrificing Isaac to God)
193×133cm | 油彩・画布 | エルミタージュ美術館
981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403
日本キリスト教 富 谷 教 会 週 報
年間標語 『キリストに結ばれて、聖霊によって、日々心を新たにされ、キリストに似た者に造り変えていただこう。』
聖句 「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。これらすべに加えて、愛を身につけなさい。キリストの言葉があなたがたの内に宿るようにしなさい。いつも感謝して心から神をほめたたえなさい。すべて主イエスの名によって行いなさい。」(コロサイ3:13~16の抜粋)
聖霊降臨節第20主日 2017年10月15日(日) 午後5時~5時50分
礼 拝 順 序
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 461(みめぐみゆたけき)
交読詩編 33(主に従う人よ)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
聖 書(新共同訳)ヘブライ人への手紙11章17~22、29~31(p.415)
説 教 「信仰による生涯」 辺見宗邦牧師
祈 祷
讃美歌 411(うたがい迷いの)
聖餐式 72(まごころもて)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 24(たたえよ、主の民)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 10月22日(日) 午後5時~5時50分
聖書 黙示録7章9~17節
説教 「天国に市民権をもつ者」
讃美歌(21)355 230 24 交読詩編36篇
本日の聖書 ヘブライ人への手紙11章17~22、29~31
17信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。 18この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。 19アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。 20信仰によって、イサクは、将来のことについても、ヤコブとエサウのために祝福を祈りました。 21信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、杖の先に寄りかかって神を礼拝しました。 22信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子らの脱出について語り、自分の遺骨について指示を与えました。 ………29信仰によって、人々はまるで陸地を通るように紅海を渡りました。同じように渡ろうとしたエジプト人たちは、おぼれて死にました。 30信仰によって、エリコの城壁は、人々が周りを七日間回った後、崩れ落ちました。 31信仰によって、娼婦ラハブは、様子を探りに来た者たちを穏やかに迎え入れたために、不従順な者たちと一緒に殺されなくて済みました。
本日の説教
次の【 】の部分は、説教では省略してもよい。ヘブライの手紙についての解説です。
【この文書は手紙とされていますが、手紙につきものの最初の挨拶がなく、本書の最後(13・22以下)に手紙のような挨拶の部分はありますが、これは後から特定の教会に送るために付加されたものです。13章22節に、「以上のような勧めの言葉を受け入れてください」とあるので、この文書は手紙というよりも、著者によってなされたいくつかの論説や説教を文書の形にまとめたものと思われます。
ヘブライ人への手紙という名称から、ヘブライ人に宛てられた手紙となっていますが、ヘブライ人とは、ユダヤ人を指す古い呼び名です。しかし必ずしも必ずしもパレスチナのユダヤ人キリスト者たちではなく、13・24の<イタリア出身の人たち>という句からイタリアないしローマの地域のユダヤ人キリスト者を予想させます。迫害に際しての忍耐をすすめている点などから、おそらく離散したユダヤ人キリスト者たちがいるローマの集会に宛てて書かれたものと見る味方が有力です。ローマではユダヤ人信徒と異邦人信徒が混在していました。<ヘブライ人への手紙>という名称は、後になってから、その内容から察してつけられた名です。
この書は、長い間パウロの書簡とされてきましたが、近代の研究では、バルナバ(キプロス島出身のユダヤ人)やアポロ(アレキサンドリア出身のユダヤ人)、プリスキラ(ローマを退去してコリント、そしてエフェスに移住した、アクラの妻で、ポントス(現在のトルコの黒海に近い町)生まれのユダヤ人といった人物を著者とする説が有力ですが、明らかではありません。
著者は旧約聖書に深い理解をもち、教養の高い、ギリシャ語を用いる外国に住むユダヤ人であると思われます。著者はテモテを知っており(13・23)、パウロの信仰を継承しています。執筆年代は、ネロの迫害(64年)の経験が言及されていますし(10・32~34)、しかも新たな迫害[ドミティアヌ帝(在位81~96年)の迫害]が近づき、再臨の希望が失われ、聖霊の働きもあまり見られないところから、一世紀末が考えられ、80~90年頃と推定されます。執筆の場所としては、エフェソあたりが最も可能性が高いとされています。
執筆の事情については、次のようなことが考えられます。宛先の教会の人たちが、信仰に入った初めの頃は<苦しい大きな戦いによく耐えた>(10・32)のですが、その後の信仰生活の中で、彼らの中には、集会から離れ(10・25)、異なった教えに迷わされ(13・9)、みだらな生活に陥る(13・4)者たちも出たので、このような危機的な状況を知った、かつてこの集会の指導者であった著者が、新たな迫害に備えて、この勧告の手紙を書き送ったと推定されます。
ヘブライ人への手紙は、最後の添え書きを別にすると、三つの主要な勧告(説教)から成り立っています。第一部は「神の言葉をめぐっての教理と勧告」(1・1~4・13)、第二部は「信仰告白をしっかり守り、神の恵みの座に近づこうという勧告」(4・14~10・31)、第三部は「信仰による忍耐の必要」(10・32~13.21)、勧告の形で述べられます。】
今日の聖書の箇所は、信仰による忍耐ということが旧約聖書の信仰の英雄の例を通して述べられます。
「信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。」(ヘブライ11・17)
アブラハムはイスラエルの父と言われる族長です。アブラハムの名は、創世記11章26節から現れ、12章1節からアブラハムの召命が始まります。へブライ人の手紙11章17節と18節には、アブラハムが息子イサクを犠牲として神に献げるように言われ、大きな信仰の試練を受けたときのことが記されています。この試練を受ける時までの、経過は次のようになります。
アブラハムの妻サライは不妊の女性で、子供ができなかったので、サライはエジプト人の女奴隷ハガルを、アブラハムの側女(そばめ)としました。ハガルは自分が身ごもったのを知ると、女主人サライを軽んじるようになりました。ハガルが男の子イシュマエルを産んだのは、アブラハムが八十六歳のときでした。
アブラハムが百歳、妻サライが九十歳の時、神はアブラハムに、妻の名前をサラにするようにと言われ、彼女を祝福して、彼女によってあなたに男の子を与えよう。諸民族の王となる者たちが彼女から出る、と約束されたのです。神が約束されたように、サラは男の子を産み、アブラハムはその子をイサクと名付けました。
イサクが幼少のとき、十四歳年上のイシュマエルが、イサクをからかっているのを、母のサラは見て、夫アブラハムにイシュマエルを後継ぎにしないように訴えました。どちらも自分の子であったアブラハムは非常に苦しみました。そのとき、神はアブラハムに、「苦しまなくともよい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる」(創世記21・12)。「イシュマエルも一つの国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」と言われました。
これらのことの後で、神はアブラハムを試そうとされました(創世記22・1)。神はアブラハムに、「あなたの息子、愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行き、命じる山に山に登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい」と命じたのです。この試練を受けたとき、アブラハムは神のお言葉に従い、信仰によってイサクを献げようとしたのです。この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」とアブラハムは神の約束を受けていました。この約束を受けていたアブラハムが、独り子を献げようとしたのです。
「アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。」(11・19)
アブラハムはイサクを縛って祭壇の薪の上に載せ、刃物を取り、息子を屠ろうとしたとき、天から主の御使いが現れ、「その子に手を下すな。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった」と言われたのです。
19節は、アブラハムは、イサクが死んだとしても、神は生き返らすことが出来ると信じて、イサクを献げたという解釈がなされています。そこから、アブラハムが復活の信仰をもっていた、というように思われています。しかし、原典の言葉から推察すると、そうとは言えないのです。「それは死者の中から返してもらったも同然です」という共同訳聖書の訳文ですが、原典には、<死者の中から>という言葉はありません。ヘブライ語原典では、「そこから彼をまた比喩で(たとえのかたちで)受けとったからです」となっています。燔祭にささげ死んだものとして、イサクをまた受け取ったからです、という意味になります。<比喩として>とは、実際には、燔祭に献げられたわけではないが、燔祭に献げて死んたものとして、イサクを、再びアブラハムは受け取った、ということです。生まれそうにないイサクをアブラハムは、かつて受け取ったし、今再び、いったん神に献げ、死んだも同然のイサクをまた受け取ったということです。アブラハムは「永遠の神」(21・33)を信じました。そして神の約束は必ず実現すると信じたのです。イサクを燔祭として献げることは、アブラハムにとって、神が約束された子孫を失うことになります。アブラハムの未来が閉ざされるこの苛酷な試練の中においても、神の約束は必ず実現するとアブラハムは信じたのです。そしてたとえ死んでもイサクは生かされると信じたのです。それがアブラハムの生存中であろう、なかろうと、あるいはまたアブラハムの死後何千年後であろうと。とすると、必ずしもアブラハムは復活信仰を意味していることにはなりません。パウロは、「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ」(ローマ4・17)と言っています。しかしこの復活信仰の理由づけは、創世記のオリジナルな意図を超えていると言えます。
「信仰によって、イサクは、将来のことについても、ヤコブとエサウのために祝福を祈りました。」(20節)
イサクの二人の息子エサウとヤコブへの祝福です。エサウが兄で、ヤコブは弟です。弟のヤコブが父イサクから、長子相続権の祝福を受けるのです。ヤコブが長子エサウをだまし、長子相続権を得たことなどには言及されていません。
ヤコブのための祝福とは、彼の子孫が地上で祝福を受けるのみでなく、その中からメシアが現れ、すべての民がこれに仕えるであろうというものです(創世記27・28~29)。これに対してエサウに対する祝福というのは、その子孫が地上での自然の恵みに浴せず、砂漠に住み、戦争を好む民となり、ヤコブに支配された後、解放されるというものでした(創世記27・39~40)。エサウの場合は、祝福とは言い難く、将来のことをアブラハムは言ったのです。ヤコブの祝福は、神の自由な選びによるものでした。
「信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、杖の先に寄りかかって神を礼拝しました。」(21節)
ヨセフは、ヤコブの12人の男の子達の11番目の息子です。父ヤコブはヨセフをかわいがったので、兄たちの嫉妬をかい、兄達によってエジプトに行く隊商に奴隷として売られてしまいました。しかしヨセフはエジプトで成功し高官の地位を得ました。父や兄弟たちが住んでいる地が、飢饉で食料が尽きたとき、父ヤコブ一家は、ヨセフを頼ってエジプトに移住しました(創世記46章)。紀元前1720~1550年の頃です。
21節は創世記48章によっています。ここで言われている<ヨセフの息子たち>とは、エジプト生まれのマナセとエフライムのことです。ヤコブはその両手を交差した、右手を弟のエフライムにおき、左手を長男のマナセにおくという不自然な仕方において祝福したのです。ここでも弟マナセの方が右の手によって祝福されています(創世記48・13~15)。神の不思議な摂理、自由な選びが記されています。
<杖の先に寄りかかって神を礼拝しました>は、七十人訳の創世記47章31節によったものです。<床にかしらで礼拝した>という訳がヘブライ語原典の訳です。これを共同訳では<寝台の枕もとで礼拝した>と意訳しています。<杖の先に寄りかかって>は、ヘブライ語聖書からギリシャ語聖書に訳した七十人訳によるもので、訳者が発音の似ている杖と床とを入れ替えたものと思われます。これは、ヤコブの身体の弱さのしるしではなく、信仰的祈りの表現のようです。
「信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子らの脱出について語り、自分の遺骨について指示を与えました。」(22節)
族長たちの信仰の最後は、ヨセフの信仰についてです。ヨセフも信仰において未来を見ていました。22節は、ヨセフの死に際しての言葉(創世記50・24~25)を採用しています。ヨセフの言葉は、神がイスラエルをエジプトから導き出す、<脱出>、いわゆる出エジプトの出来事に言及しています。
ヨセフはエジプトで成功し高官の地位を得ましたが、そのことに満足することが出来ず、神がアブラハムに与えられた約束の地カナンをいつも望み見ていました。それゆえ死に臨んで、その子らにやがて約束の地に向かって出発すべき時の来ることを語り、その際自分の遺骨を携行すべきことを指示しました。モーセはヨセフの遺骨を荒れ野の旅で携え、その遺骨は、モーセの後継者ヨシュアの死後、イスラエルの人々によってシケムに埋葬されました(ヨシュア記24・32)。
「信仰によって、人々はまるで陸地を通るように紅海を渡りました。同じように渡ろうとしたエジプト人たちは、おぼれて死にました。」(29節)
29節は、出エジプト記14章1~31節によると、葦の海での奇跡的な神による救出が伝えられています。モーセの指導のもと、イスラエルの民がエジプト脱出のした時代は紀元前1280~1230年の頃です。<紅海>を渡るに際して、モーセの信仰は彼の率いる全イスラエルの信仰となりました。イスラエルの民が絶対絶命の危急に立たされたとき、神が救いの業をなされ、エジプトからの解放をなしとげられたのです。ここで起こった奇跡は彼らの<信仰による>ものであったと言われます。イスラエルはモーセを通して神の命令を受け、それに全く信頼したのです。
「信仰によって、エリコの城壁は、人々が周りを七日間回った後、崩れ落ちました。」(30節)
エリコの占領については、ヨシュア記6・1~20に記されています。イスラエルの民はモーセに率いられて、神の約束の地、カナン(現在のパレスチナ)を目指し、シナイ半島の荒れ野を40年かけて旅を続け、やっと目的地の目前のヨルダン川近くまでたどり着きました。そこからは、モーセの後継者ヨシュアに率いられて、カナンに入りました。紀元前1250年頃のことです。
最初に遭遇したのはエリコの先住民と戦いでした。エリコはイスラエルの人々の攻撃に備えて城門を堅く閉ざしていました。主はヨシュアに、「見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、鬨(とき)の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい」と言われました。ヨシュアは祭司たちた、民に、神に言われたように命じました。イスラエルには不可能としか思えなかった<エリコの城壁>が<崩れ落ち>たのは、ヨシュアと彼に従ったイスラエルの民が神の命令を聞き、その通りに行動した<信仰>のゆえでした。
「信仰によって、娼婦ラハブは、様子を探りに来た者たちを穏やかに迎え入れたために、不従順な者たちと一緒に殺されなくて済みました。」(31節)
<娼婦ラハブ>については、ヨシュア記2章1~24に記されています。ヨシュアの命により派遣され、エリコの<様子を探りに来た者たち>、すなわちイスラエルの二人の斥候を、ラハブは親切に、<迎え入れ>ました。そして、エリコの王が遣わした追手から、二人をかくまい、命を助けたのです。このことはラハブが斥候に対して、「主がこの土地をあなたたちに与えられた」と言っていることから、ラハブが「イスラエルの神が真の天地の主であられることを告白したことと解されています。新約聖書のヤコブ書では、彼女がその行いにのゆえに、<義とされた>と述べています(ヤコブ書2・25)。それに応えて、ヨシュアはエリコを占領したとき、遊女ラハブとその一族を避難させ、救い出したのです(ヨシュア記6・22~25)。
今日の聖書の箇所には、神の民とされたイスラエルの最初の族長時代に登場した、①アブラハム、②イサク、③ヤコブ、④ヨセフ、⑤モーセ、⑥ヨシュアの物語の一部が記されています。信仰生活を全うした旧約聖書の人物たちです。信仰の歴史を教えて、いっそうの励ましを与えるためであり、その模範に倣うように勧めています。これらの信仰の先達たちは、その信仰のゆえに、神に認められたのです。
ヘブライ人への手紙を受け取った教会の人たちは、福音を受け入れて信仰の闘いに良く耐えた時を一度は持っていますが、その後信仰の成長がほとんど見られず、信仰の危機という新しい困難な状況にありました。著者は近づいてくる迫害を念頭において、忍耐して信仰の歩みにかたく立つことを勧めています。神が語られた約束の言葉を受け入れ、その実現に信頼して希望を失わず、信仰の歩みを続けた旧約聖書の先人たちの姿は、この手紙を受け取る人々に求めらえている信仰の姿と共通し、この旅人の信仰という点において深くつながっています。最後に、著者はイエス・キリストによって与えられ実現された救いの完成を信じて励む課題の重要さを強く説いています。ここに「すでに」と「まだ」との間におかれつつ、今ここにおける神の救いの業を受け入れ、自らの足をもって新しく踏み出す責任が指し示されるのです。わたしたちの信仰生活は、キリストによる神の恵みを、聖霊の導きによって体験的に理解して行く歩みと言えます。