富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「モーセの誕生と神の御手」出エジプト記2章1~10節

2015-11-13 14:15:13 | 説教

                  ↑  世界遺産・ルクソールの「アブシンベル神殿」の四体のラムセス二世像 

981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

日本キリスト教 富 谷 教 会

      週    報

年間標語 『いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝しましょう。』

聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(フィリピ4:6)

 降誕前第6主日    2015年11月15日(日)      5時~5時50分 

          礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉 

讃美歌(21)  33(主に従う人よ、主によって喜び歌え) 

交読詩篇   84(万軍の主よ、あなたのいますところは)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書   出エジプト記2章1~10節(旧p.95)

説  教    「モーセの誕生と神の御手」    辺見宗邦牧師

祈 祷

讃美歌(21) 458(信仰こそ旅路を)

聖餐式    78(わが主よ、ここに集い)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷              

後 奏  

                                                      次週礼拝 11月22日(日)午後5時~5時50分

                                                          聖書  エレミヤ記23章1~6節説教  

                                                          説教   「王の職務」

                                                          賛美歌(21)149 97 24  交読詩篇 

本日の聖書 出エジプト記2章1~10節

  1レビの家の出のある男が同じレビ人の娘をめとった。 2彼女は身ごもり、男の子を産んだが、その子がかわいかったのを見て、三か月の間隠しておいた。3しかし、もはや隠しきれなくなったので、パピルスの籠を用意し、アスファルトとピッチで防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた。

     4その子の姉が遠くに立って、どうなることかと様子を見ていると、5そこへ、ファラオの王女が水浴びをしようと川に下りて来た。その間侍女たちは川岸を行き来していた。王女は、葦の茂みの間に籠を見つけたので、仕え女をやって取って来させた。6開けてみると赤ん坊がおり、しかも男の子で、泣いていた。王女はふびんに思い、「これは、きっと、ヘブライ人の子です」と言った。7そのとき、その子の姉がファラオの王女に申し出た。「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか。」

     8「そうしておくれ」と、王女が頼んだので、娘は早速その子の母を連れて来た。9王女が、「この子を連れて行って、わたしに代わって乳を飲ませておやり。手当てはわたしが出しますから」と言ったので、母親はその子を引き取って乳を飲ませ、10その子が大きくなると、王女のもとへ連れて行った。その子はこうして、王女の子となった。王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。」

               本日の説教

    創世記はヨセフ物語(37章~50章)で終わります。アブラハムの子はイサク、イサクの子はヤコブです。ヨセフはヤコブの息子です。ヨセフは兄達に奴隷として売られてエジプトへ行きますが、ファラオ(エジプト王)の夢を解いたことから出世し、エジプトの宰相になります。カナンの地が激しい飢饉に襲われたとき、ヨセフの父ヤコブと兄弟たち十一人の一族が、ヨセフを頼ってエジプトに移住し、ヨセフの庇護のもと、ゴシェンの地に定住しました。そこでヤコブは死に、ヨセフも長寿を全うして死にます。

 創世記の族長物語(アブラハム・イサク・ヤコブ)が大家族の歴史物語であったのに対し、出エジプト記からは民族の歴史の叙述になります。この橋渡しをしたのがヨセフ物語でした。

 イスラエルの人達は、ヨセフの時代は祭司並みの特権階級でした。これに対して、出(しゅつ)エジプト物語になると、イスラエル人は被抑圧階級、迫害を受けるものとなります。創世記と出エジプト記の間には、実に四百年という時間が流れているのです。イスラエル人はエジプトで外国人労働者として厳しい労働に組み込まれ、奴隷という身分ではないが、激しい労働に従事させられました。イスラエル人はファラオのために貯蔵の町、ピトムとラメセスを建てました。ラメセス二世(紀元前1290~1224年)の頃でした。

    メンフィスにあるラムセス二世の巨大寝像

    ラメセス二世は権力を誇示するために、エジプト各地に記念物を造営させています。アブ・シンベル神殿に残された高さ20mもの座像4基もその一つです。

 出エジプト記1章は、イスラエル人のエジプトでの公の事業のために、一定期間課せられ重労働の苦しみと、ヘブライ人の勢力を弱めるために、ファラオは助産婦に男児殺しを命じた話が記されています。そんな中でモーセが生まれたのです。

  <ヘブライ人>とは、イスラエル人の古代名です。<ヘブライ>はヘブライ語の<イブリー>に由来し、「越えゆく」「渡り歩く」の意があり、ヘブライ人は、「(ユーフラテス川の向こうから)渡って来た者」を意味し、川を渡ってきた遊牧民族をさしたものです。旧約聖書ではイスラエル人を外国人(エジプト人など)と対比させるときに用いられています。

  イスラエルのレビ族の夫婦に一人の男の子が生まれました。6章20節(民数記26・59)によると、アムラムとその妻ヨケベドの夫婦です。母はその子がかわいかったのを見て3ケ月の間エジプト人の目から隠していましたが、もう隠しきれなくなり、その赤子をパピルス(ナイル河畔に生える水草)で編んだ籠を用意し、アスファルトとピッチ(黒色で粘弾性のある樹脂)で防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置きました。

  籠は、ヘブライ語では<テヴァーハ>ですが、ノアの箱舟の「箱舟」と同じ語です。神の保護を約束された容器を意味します。聖書はモーセがノアと同じように特別の導きがあったことを暗示しています。

  その子の姉がどうなるかと様子を、遠くに立って見ていると、そこへ、水浴びをしようと川に下りてきたファラオの王女がその籠を見つけ、仕え女をやって取って来させました。開けてみると男の赤ん坊が泣いていました。

                                          

                  フェルメールのモーセ発見   1670年アイルランド・ナショナル・ギャラリー所蔵

     王女はふびんに思い、「これは、きっと、ヘブライ人の子です」と言いました。そのとき、その子の姉が走り寄って「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りしょうか。」と言いました。「そうしておくれと王女が頼んだので、娘は早速その子の母を連れて来ました。

   王女が、「この子を連れて行って、わたしに代わって乳を飲ませておやり。手当てはわたしが出しますから』と言ったので、母親はその子を引き取って乳を飲ませ、その子が大きくなると、王女のもとへ連れて行きました。その子はこうして、王女の子となりました。

 王女は彼をモーセと名付けて、「水の中からからわたしが引き上げた(マーシャー)のですから」と言いました。「モーセ」はヘブル語では「モーシェ」、「引き上げる」は「マーシャー」です。

   エジプト王が助産婦に命じたのは、ヘブライ人の女の出産を助けるとき、男の子なら殺せという命令でした。助産婦は神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにしまかったので、ファラオは全国民に「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め」と命じたのです。しかし、すべてはむだでした。一人の男の子が網から逃れ出て、その民の救出者となったのです。

   モーセの両親がモーセを隠したのは信仰によるものであるとヘブライ人への手紙11・22で語っています。「信仰によって、モーセは生まれてから三か月間、両親によって隠されました。その子の美しさを見、王の命令を恐れなかったからです。」両親が完全に防水したパピルスの籠の赤子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間においたときも、神の守りと助けを信じて手放したと思われます。両親がこの子の運命を神様に委ねたのです。姉がどうなるかと遠くから見守っていたのは、母の言いつけに従ったのでないかと思われます。また赤子の弟のことを心配し思いやる行為の表れでした。なんのためらいも、恐れももなく、赤子を抱き上げた王女にとっさに駆け寄って乳母としての母を紹介すします。この姉はミリアムと思われます。神様に委ねた子が、再び神様によって母に託されたのです。こうしてモーセは実母のもとに戻り、実母に育てられ、イスラエル人としの自覚を持つことになります。

   王女は赤ん坊が父親の下した殺害命令の対象であることを十分知りながら、自分の子供として養う決意をしました。これは大きな罪を犯すことに他なりません。それどころか、エジプト王女は継母として少年を「モーセ」と名付け、王室に養子として迎えたことを公式に表明したのです。

  仕方なく捨てられた捨て子が不思議にもファラオの王女に助けられ、守られるこの物語には、神は直接現れてはいません。モーセの誕生は、たとえ目には見えなくとも、神の御手の導きがあったことを思わせられます。

  「主は高い天から御手を遣わしてわたしをとらえ、大水の中から引き上げてくださる。敵は力があり、わたしを憎む者は勝ち誇っているが、なお、主はわたしを救い出される」(詩編18・17,18)。

  このことばは、モーセの出生のとき救われた神の御手にも通じることばです。

  このモーセこそ、やがて強制労働の苦しみの中にいたイスラエルの民をエジプトの地から救い出す偉大な民族的、宗教的指導者となるのです。モーセを生み出し、世に送り出すために、母の必死な努力、姉の気転、王女の勇気と不憫に思い養子として育てた慈愛があったこと、更にまた神の御手と導きがあったことを忘れてはなりません。後に、モーセはホレブの山(シナイ山)で主なる神の声を聞きます。

  「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫びを聞き、その痛みを知った。…わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルをエジプトから連れ出すのだ。」(3・7~10)神がすべての有様を見ておられたと言っています。

  「主は天から見渡し、人の子らをひとりひとり御覧になり御座を置かれた所から、地に住むすべての人に目を留められる。人の心をすべて造られた主は、彼らの業をことごとく見分けられる。」(詩編33・13~15)

 「主は国々の計らいを砕き、諸国の民の企てを挫かれる。主の企てはとこしえに立ち、御心の計らいは代々に続く。」(詩編33・10,11)

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする