富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「神の箱の前で跳ね踊るダビデ王」 サムエル記下6章12~23節

2014-04-06 21:13:53 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富 谷 教 会

受難節節第五主日       2014年4月6日(日)   5時~5時50分 

礼    拝 

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌   273B(わがたましいを)

交読詩編   96(新しい歌を主に向かって歌え) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  サムエル記下6章12~23節

説 教 「神の箱の前で跳ね躍るダビデ王」  辺見宗邦牧師

賛美歌    526(主よわが主よ)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

次週礼拝 4月6日(日)午後5時~5時50分

 説教 「ソロモン王の神殿奉献の祈り」

 聖書  列王記8章22~5

本日の聖書 サムエル記下6章12~23節

  1ダビデは更にイスラエルの精鋭三万をことごとく集めた。2ダビデは彼に従うすべての兵士と共にバアレ・ユダから出発した。それは、ケルビムの上に座す万軍の主の御名によってその名を呼ばれる神の箱をそこから運び上げるためであった。3彼らは神の箱を新しい車に載せ、丘の上のアビナダブの家から運び出した。アビナダブの子ウザとアフヨがその新しい車を御していた。4彼らは丘の上のアビナダブの家から神の箱を載せた車を運び出し、アフヨは箱の前を進んだ。5ダビデとイスラエルの家は皆、主の御前で糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でた。

 6一行がナコンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめいたので、ウザは神の箱の方に手を伸ばし、箱を押さえた。7ウザに対して主は怒りを発し、この過失のゆえに神はその場で彼を打たれた。ウザは神の箱の傍らで死んだ。8ダビデも怒った。主がウザを打ち砕かれたためである。その場所をペレツ・ウザ(ウザを砕く)と呼んで今日に至っている。9その日、ダビデは主を恐れ、「どうして主の箱をわたしのもとに迎えることができようか」と言って、10ダビデの町、自分のもとに主の箱を移すことを望まなかった。ダビデは箱をガト人オベド・エドムの家に向かわせた。11三か月の間、主の箱はガト人オベド・エドムの家にあった。主はオベド・エドムとその家の者一同を祝福された。

 12神の箱のゆえに、オベド・エドムの一家とその財産のすべてを主は祝福しておられる、とダビデ王に告げる者があった。王は直ちに出かけ、喜び祝って神の箱をオベド・エドムの家からダビデの町に運び上げた。13主の箱を担ぐ者が六歩進んだとき、ダビデは肥えた雄牛をいけにえとしてささげた。14主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。15ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた。16主の箱がダビデの町に着いたとき、サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、主の御前で跳ね踊るダビデ王を見て、心の内にさげすんだ。17人々が主の箱を運び入れ、ダビデの張った天幕の中に安置すると、ダビデは主の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた。18焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ終わると、ダビデは万軍の主の御名によって民を祝福し、19兵士全員、イスラエルの群衆のすべてに、男にも女にも、輪形のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を一つずつ分け与えた。民は皆、自分の家に帰って行った。

 20ダビデが家の者に祝福を与えようと戻って来ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えて言った。「今日のイスラエル王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。空っぽの男が恥ずかしげもなく裸になるように。」21ダビデはミカルに言った。「そうだ。お前の父やその家のだれでもなく、このわたしを選んで、主の民イスラエルの指導者として立ててくださった主の御前で、その主の御前でわたしは踊ったのだ。22わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろう。しかし、お前の言うはしためたちからは、敬われるだろう。」23サウルの娘ミカルは、子を持つことのないまま、死の日を迎えた。

本日の説教 

  ダビデはユダのベツレヘムで、エッサイの八番目の末子として生まれました。彼は血色良く、目は美しく、姿も立派でした。預言者サムエルからサウル王の後継者として油を注がれていました(サムエル記上16章)。預言者から頭に油を注がれることは、神に王として聖別されることであり、神から特別の霊の賜物と加護を受けることを象徴していました。

 ダビデは羊を飼う若者でした。竪琴を巧みに演奏し、勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、言葉にも分別があり、主が共におられる、主に祝福された人でした。若者ダビデは、サウル王に仕え、ぺリシテ人の巨人ゴリアテを倒し、武将として数々の武勲を挙げました(17章)。あまりの有能さと人望のゆえに、サウル王の嫉妬を受け、命まで狙われます。ダビデが逃亡すると、サウルは執拗に追いました。ダビデはサウル王の息子ヨナタンの友情や預言者たちによって助けられました(18~31章)。結局ダビデはペリシテ人の地に亡命し、10年間にも及ぶ逃亡生活を強いられたのです。この危機の中で歌ったダビデの預言的な詩が詩編22篇であり、キリストが受難の際にこの詩編を用いています。

サウルはぺリシテ人との決戦で自害して果てました。サウル王の死後(31章)、ダビデはヘブロンで出身部族ユダ族の王となり、七年六か月、ヘブロンにとどまりました(サムエル記下2章1~11節)。

イスラエルの王位を継いだサウルの息子イシュ・ポシェトとの間で内戦となるが、イシュ・ポシェトが暗殺されたため、ダビデがイスラエル王を兼務する形で、ヘブロンで全イスラエルの王に就任しました。サウル王は南部を統一できずに終わったが、ダビデは三十歳でイスラエルとユダの王となり、統一王国を完成しました。

 ダビデは南北統一のために、地理的にも歴史的にも、両部族から中立で、要害に地であるエルサレムをエブス人から奪い、エルサレムに首都に定め、ヘブロンからエルサレムに移りました。

 エルサレムはカナン系の先住民エブス人の町であり、異教の町だったので、ダビデはイスラエルの神の臨在の象徴であった神の箱をこの新都に持ち込むことにしました。

 ダビデは神の箱を運び入れるために、イスラエルの兵士3万人を集め、バアレ・ユダへと向いました(サムエル記下6:1)。この大勢の兵士は警護のためでもあり、盛大な一大行事のためでもありました。

 神の箱は、キルヤト・エアリムのアビナダブの家に安置されていました(サムエル記上4-6章)。最初に主の箱を守るつとめについたのは、アビナダブの息子エルアザルでした(サムエル記上7:2)。それ以後アビアナダブの子孫が神の箱を守り、サムエルの時代を経て(上7:2節)、70年の歳月が過ぎていました。「アビナダブの子ウザとアフヨ」が神の箱を守っていました(サムエル記下6章3節)。

 キルヤト・エアリムはエルサレムの西約12キロの所にあります。バアレ・ユダはキルヤト・エアリムの別名です。この町の丘の上にあるアビナダブの家に神の箱はありました。ダビデは、その子孫であるウザとアフヨに命じ、神の箱を新しい荷車の台にのせ牛に引かせて運ばせました。アフヨは箱の前を進みました。主の御前で竪琴や太鼓、鈴、シンバルなどいろいろの楽器を奏で、喜び祝いました。

 しかし、神の箱を運んだ一行がナコンの麦打ち場に差し掛かった時、牛がよろめいたため、ウザが神の箱に手を伸ばして箱を押さえました。その行為が「主の怒り」に触れ、ウザは神に打たれてその場に死んでしまいました。

「ケルビムの上に座しておられる万軍の主の御名によってその名を呼ばれる神の箱です(2節)」。神の箱は、契約の民イスラエルに神が臨在する象徴です。その中には主の律法が記された二枚の石の板が収められていて、「わたしは掟の箱の上の一対のケルビムの間、すなわち贖いの座の上からあなたに臨み、わたしがイスラエルの人々に命じることをことごとくあなたに語る。」(出エ25:22)といわれていました。「箱を担ぐために、アカシヤ材で棒を作り、それを金で覆い、箱の両側に付けた環に通す」(出エ25:13-14)ように命じられ、担ぎ棒をつくって、資格ある者の肩で担いで運ぶべきことが述べられています。こうして運べば、神の箱がひっくり返ることもなく、従って人の手で支えて倒れるのを防ぐようなこともせずにすんだはずです。牛車に乗せる方法はペリシテ人が取る方法です。

 ウザの行為は善意にもとずくものであったが、人が不用意に聖なるものに触れることは許されないのです(レビ記16:2)。ウザが打たれた場所を、ペレツ・ウザ(「ウザを砕く」)と人々は呼びました。ダビデは怒りました。主がウザを打ち砕かれたからです。ダビデは、このとき、神の箱を運ぼうとする自分の思いを貫きたかったのです。

  この主による災いは自分勝手に契約の箱を扱い、運ぼうとする者たちすべてへの警告でした。この神の箱を王の町エルサレムに置くことによって、エルサレムはイスラエルの政治的中心であるのみならず、宗教的、精神的な中心ともなる。そのようにして、自分の王国に安定をもたらすことができるとダビデは考え、ダビデは神の箱を政治的な目的のために利用しようとしたのです。

 ウザが主に打ち砕かれたことにより、ダビデは「主を恐れ」(9節)、主の箱をこのままで自分のもとへ運びこむことができないと判断し、このウザの災いがイスラエルに及ばないように,一時、神の箱をガト人オベド・エドムの家に預けることにしました。このガト人は、ダビデの臣下であったペリシテ人と思われています。

 3か月間、神の箱はオベド・エドムの家にありました。その家に神の箱が置いてあることにより、主はその家の者一同と、その財産のすべてを祝福されました。その噂はエルサレムのダビデの下にも届きました。

 ダビデは、エルサレムに宮殿を造り、神の箱の場所を整え、天幕を張りました。ダビデはレビ族の祭司たちを集めて言いました。「最初のときにはあなたたちがいなかったので、わたしたちの神、主はわたしたちを打ち砕かれた。わたしたちが法(神の掟)に従って主を求めなかったからである(歴代誌上15:13)。」と告げました。ウザだけでなく、主はわたしたちを打ち砕かれた、と悔いています。

 歴代誌上15:2の記録によると、今度は、イスラエルの長老と千人隊長と共に行き、祭司とレビ人たちが竿を肩に当てて神の箱を担ぎました。「主の箱を担ぐ者」が六歩進んだとき、神が担ぐ者を助けてくださったので、ダビデは肥えた雄牛をいけにえとしたささげました。ダビデは祭司の装束である「亜麻布のエフォドを上着まとい」、力の限り踊りました。サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、喜び踊るダビデを見て、心のうちにさげすみました。

 

  「ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして」、神の箱をエルサレムに迎え入れました。ダビデは主の箱を自分の張った天幕に安置すると、主の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ、万軍の主の御名によって民を祝福し、兵士や群衆のすべてに喜びの記念の品として、菓子やパンなどを分け与え、民を家に帰しました。

 ダビデが家の者に祝福を与えようと戻って来ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えて言いました。ミカルは、皮肉たっぷりに、「今日のイスラエル王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。空っぽの男が恥ずかしげもなく裸になるように。」と言ったのです。

  神の僕であるよりも、人民のうえに権力者として君臨することを欲したサウル王の娘として、ミカルは王としての威厳を失ったダビデの姿に嫌悪を覚えたのです。カナン風の陶酔的な祭儀は、彼女にとって異質なものに見えました。神の前で興奮して踊るうちにエフォドが脱げ、裸身をさらして踊るダビデの姿は彼女にとって、いやらしい、はずかしく、みにくい姿に映ったのです。

  ミカルをダビデの妻としてではなく、「サウルの娘ミカル」(16節)と記されています。かつてミカルはダビデを愛していました(下18:20)。ダビデの妻となったミカルは、父がダビデを殺そうとして送った使者から、ダビデを助けました(上19:12)。ダビデは、10年間の逃亡生活の間に、他に二人の妻を持ちました。一方、サウル王はダビデから娘ミカルをとりあげ、パルティエルに与えました(上25:44)。後に、ダビデはパルティエルからミカルを、むりやり取り返しました(下3:15)。このような経緯のなかで、かつての二人の間の愛はすっかり冷えていました。ミカルは「サウルの娘」として、ダビデに辛辣な言動をするようになっていたのです。

 ミカルのこの蔑みの言葉に対してダビデは、「そうだ。お前の父やその家のだれでもなく、このわたしを選んで、主の民イスラエルの指導者として立ててくださった主の御前で、その主の御前でわたしは踊ったのだ。わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろう。しかし、お前の言うはしためたちからは、敬われるだろう。(21~22節)」と答えたのです。

  ダビデは、自分を神の御前に、サウルやミカルのように自分を高くして、人からの敬意を求めるのでなく、自分を「卑しめ」「低い者」とすることにより、むしろ、「はしため」のような存在から「敬われる」ようになることを望んでいると言い返したのです。

  ミルカは神の箱による祝福を悟ることができず、神の箱の帰還を喜ぶダビデと共に喜ぶことができませんでした。ミカルは、王の子を懐妊することはなく、神の祝福のないままに、死の日を迎えました。

  今日の聖書の箇所を再現している映像が見られます。「主の前でおどった。David danced before the Lord with all his might.」で、ネット検索してみてください。     You Tube 画像が見られます。

 紀元586年、バビロニヤ帝国によって、エルサレムは陥落し、それ以来神の箱は失われました。イスラエルはバビロン捕囚のあと、カナンの地に帰還し、516年に、エルサレム(シオン)に第ニ神殿を再建しました。預言者エレミヤは、次のように預言しました。

 「わたしはあなたたちを連れてシオンに行こう。・・あなあたちがこの地(シオン)で大いに増えるとき、その日には、と主は言われる。人々はもはや、主の契約の箱について語らず、心に浮かべることも、思い起こすこともない。求めることも、作ることももはやない。その時、エルサレムは主の王座と呼ばれ、諸国の民は皆、そこに向かい、主の御名のもとにエルサレムに集まる。(エレミヤ3:14-17)。」 神の箱に代わって、神殿の置かれたエルサレムがその役目を果たすと、エレミヤは預言したのです。

 イエス・キリストが私たちの救い主となられて以来、主の「教会がキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場」(エフェソ1:23)となりました。また、

神殿はキリストの霊を宿すわたしたちの体とされたのです。

「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分の内に住んでいることを知らないのですか(コリント一、3:16)。」

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