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富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「ガリラヤ湖畔で弟子たちに朝食を与えた復活の主」 ヨハネによる福音書21章1~14節

2016-04-09 01:22:28 | 説教

    キリスト教のシンボル:魚

                    

    魚のギリシア語:ΙΧΘΥΣ = ἰχθύς 発音・イクスス

      魚は、「イエス、キリスト、神の、子、救い主」の五つの語の頭文字

       Ι ΙΗΣΟΥΣ (Ιησουσ) イエスス   イエス

         Χ ΧΡΙΣΤΟΣ(Χριστοσ) クリストス  キリスト

         Θ ΘΕΟΥ(Θεου)    セオー    神の

          Υ ΥΙΟΣ(Υιοσ)     フィオス   

          Σ ΣΩΤΗΡ(Σωτηρ)   ソーテール  救い主 

    981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

            日本キリスト教 富 谷 教 会

                       週    報

 年間標語 『日々聖霊を豊かに受けて神の栄光を表す人になろう。』

聖句「神は、わたしたしの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊を豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」(テトスへの手紙3:6~7)

 復活節第3主日  2016年4月10日(日)      午後5時~5時50分

       礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉 

讃美歌(21) 206(七日の旅路)

交読詩篇  145(わたしの王、神よ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書 ヨハネによる福音書21章1~14節(新p.211)

説  教   「ガリラヤ湖畔で弟子たちに朝食を与えた復活の主」 辺見宗邦牧師

祈 祷

讃美歌(21) 327(すべての民よ、よろこべ)

聖餐式    78(わが主よ、ここに集い)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏 

       次週礼拝 4月17日(日)  午後5時~5時50分

      聖書 ヨハネによる福音書21章15~25節

      説教 「あなたはこの人たち以上にわたしを愛しているか」

      賛美歌(21) 320 481 24  交読詩編 116篇

   本日の聖書 ヨハネによる福音書21章1~14節

  1その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。2シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。3シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。4既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。5イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。6イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。7イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。8ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。9さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。10イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。11シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。12イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。13イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。14イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。 

          本日の説教

    ヨハネによる福音書は、20章の30、31節で、この福音書が書かれた目的を記し、締めくくりの言葉としています。この書は、20章でいったん終わったことになります。21章は、後になってから追加された文書です。

     21章が追加された理由は、復活のイエスが、ユダヤのエルサレムだけでなく、弟子たちの出身地であるガリラヤでも現れたことを記すためでした。マタイによる福音書の28章10節で、復活の主イエスはマグダラのマリアたちに「わたしの兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」と言われました。マルコによる福音書16章7節にも同様の言葉があります。弟子たちは主イエスからガリラヤで会うと言われたので、ガリラヤに帰りました。

     21章の2節以下に、ペトロを筆頭とする七人の弟子たちが、ガリラヤ湖で魚を獲る漁師の仕事をしていることが書かれています。20章で、復活のイエスは弟子たちに現れて、弟子たちを伝道に派遣しており、聖霊を与えています。イエスが二度目に現れたときには、トマスは「わたしの主よ、わたしの神よ」と信仰の告白をしています。その弟子たちが、故郷に帰って漁師の仕事を始めたことについて弟子たちが召命以前の状態に戻ってしまたからだと解釈する説が、意外に多いのです。舟を捨て、漁師の生活を捨ててイエスに従った彼らが再び漁師に戻ったのは、復活の信仰が本当に弟子たちのゆるがない信仰となるためには、相当の時間を要したからであり、そのために主は何度も弟子たちに現れたのだと解するのです。弟子たちはガリラヤで再び復活の主と出会うことによって信仰を回復し、使徒の使命を与えられた、というのです。

    弟子たちが漁師となったのは、生計を立てるためです。主イエスに従っていた三年間は、自分の持ち物を出し合って、イエスの一行へ奉仕する多くの婦人たちもおり、金持ちの徴税人ザアカイのようなイエスによって救われた協力者もいたので、弟子たちは生活には不自由しませんでした。だが、イエスを失った後、自活しなければなりません。弟子たちが漁を始めたのは、パウロがテント作りをして生計を立てたように、自活するために必要だったのではないでしょうか。弟子たちは、キリストによって派遣された使命に背を向けて漁師の生活をしていたのではないと私は思うのです。

     21章1節は、次のような言葉で始まります。「その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。」

     <ティベリアス湖>とは、ガリラヤ湖の別名です。紀元18年頃にヘロデ大王の子、ヘロデ・アンティパスによってガリラヤ湖畔の西岸中央部にティベリアスという町が建てられました。このティベリアスという名は、当時のローマ皇帝ティベリアスにちなんで付けられ、ギリシア風都市として建てられました。この町はガリラヤ地方の首都になりました。ガリラヤ湖がティベリアス湖と呼ばれるようになったのは、この町の名に由来しています。

     シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいました。ゼベダイの子たちとは、ヤコブとその兄弟ヨセフです(マタイ4・21)。七人の内、五人の名は分かります。他の二人は、ペトロの兄弟アンデレと、ペトロと同じベッサイダ出身のフィリポが思い浮かびます。

     ペトロ、ヤコブ、ヨセフは明らかにガリラヤ湖の漁師でした。シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言いました。場所は記されていませんが、イエスのガリラヤ伝道の本拠地であったカファルナウムか、ペトロやヨセフの出身地のベッサイダと思われます。

   彼らは出て行って、舟に乗り込みました。しかし、その夜は、弟子たちは夜通し漁をしたのに、一匹の魚も獲れませんでした。徒労感で、心身疲れ切って岸に向かって帰ってきたのです。

   既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられました。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分かりませんでした。舟が岸に近づいたときでしょう、イエスが、「子たちよ、何か食べる物(プロスファギオン「副食物、ここでは魚の意」)があるのか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えました。イエスの質問は、食べる魚を欲しくて言ったのではなく、「何も食べるものを獲れなかっただろう」という思いやりの質問でした。

   イエスは、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」と言われました。おそらく少し沖へ出たのでしょう、言われた通り網を打ってみると、魚(イクスオン「イクススの複数形」)があまり多くて、もはや網を引き上げることができませんでした。

   イエスとペトロたちの最初の出会いの時も、これと同じような大漁の奇跡がありました(ルカ5・1~11)。夜通し漁をして何もとれなかったペトロに、主イエスは人々に話をするので舟を出してくれるよう頼みました。主イエスは舟から人々に教え、話が終わると、ペトロに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。」と言われました。「夜通し苦労しても何もとれなかったのです。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」と答えてペトロが網を降ろしてみると、おびただしい魚で網が破れそうになりました。ペトロは「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです。」と言いました。とれた魚にペトロも一緒にいたヨハネも驚いたからです。するとイエスはペトロに向かって、「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」と言われました。そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従いました。

   この時も、同じようなことが起こったのです。ペトロやヨハネは主イエスと最初にお会いして召し出された時の事を思い起こしたに違いありません。「イエスの愛しておられたあの弟子」のヨハネがペトロに「主だ」と言いました。ヨハネは復活の主を感知することはペトロに先んじています。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着(漁師の服)をまとって湖に飛び込みました。上着をまとったのは、主の前に裸で出るのは畏れ多かったからでしょう。飛び込んだのは、主の身許に少しでも早く泳いで近づくためだったと思われます。ペトロの愛すべき性急さ行動力が表れたユーモラスな光景です。

   ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来ました。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのです。<二百ペキス>とは、90メートルの距離です。

   さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてありました。その上に一匹の魚(オプサリオン「食べる魚の意、単数形」)がのせてあり、一個のパン(アルトン「単数形」)もありました。主イエスが弟子たちのために朝食を用意しておられたのです。

   イエスが、「今とった魚(オプサリオン「複数形」)を何匹か持って来なさい」と言われました。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚(イクスオン)でいっぱいでした。それほど多くとれたのに、網は破れていませんでした。

   <百五十三匹>という数字は何を象徴しているのかにつては、古来種々の説があり確定することはできません。分かりやすい有力な説は、ヒエロニムス(340?~420年、アンティオキア教会の教父、神学者)の説で、当時の地中海に棲む魚の種類を表す数であったとし、世界のすべての人々が伝道の網に一杯に満たされるということの象徴であるとする説です。

      <網は破れなかった>は、「天国は、網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める網にたとえられる」(マタイ13・47)とイエスが教えらえているので、網は教会を指すものと想定され、多種多様な人々から成り立っていても、主にあって一つであり、分裂しない、ということを表していると解されます。

   イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われました。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしませんでした。主であることを知っていたからです。イエスは来て、パン(アルトン「単数形」)を取って弟子たちに与えられました。魚(オプサリオン「単数形」)も同じようにされました。主イエスは生きるために必要な食卓を弟子たちのために用意してくださったのです。

   この場面は、二匹の魚と五つのパンで五千人の人々を満腹させた、6章に記されている奇跡を想起させます。主イエスがパンを裂いて弟子たちに与えられ、魚も同じように弟子たちに分けられた時、弟子たちも、あの時のことを思い起こしていたに違いありません。あの時主が与えた食事は過越祭が近いことから主の晩餐(聖餐)を先取りする食事でした。しかし、この度主から与えられた朝食は日毎の糧としての食事でした。主と食事を共にするのは最後の晩餐の時以来のことであり、この日毎の糧としてのパンをいただいた弟子たちは、「わたしが命のパンである」(6・50)と言われた主のことばも思い起したでしょう。

   ペトロがこの時の食事について、コルネリウスの家では話したことが、使徒言行録に記されています。「神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。」と話しています。この食事は、復活のイエスの顕現が幻影や幻想でもなく、霊や幽霊の顕現でもなく、死の支配に勝利されて復活した生けるキリストとの交わりを体験したことが語られています。

    七人の弟子たちが、生計を立てるために漁師の仕事をしていたのは、宣教に遣わされた者として、信仰にふさわしくない行為だったのでしょうか。決してそうではないと思います。イエスは「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」と漁を続けるように言われており、また「今とった魚を何匹か持って来なさい」とまで言われています。ペトロたちの仕事を認めておられるのです。そうでなければ、ペトロたちの獲った魚は無くとも、イエスの用意した一匹の魚でも十分であったはずです。

    弟子たちが宣教していく時、自活するために仕事をしなければならないこともあります。その場合にも生活を支えてくださるのは主であることが、この出来事の中に示されています。弟子たちが夜通し漁をしても不漁であったことを知っておられた主は、空腹の弟子たちが岸に帰るのを待った、朝食を準備し、既に夜が明けたころから、イエスは岸に立って弟子たちを待っておられたのです。私たちを豊かな命の糧でもてなしてくださる御方は、また私たちの日常生活の中においても、豊かな命にあずからせてくださる御方であることが示されています。同時に宣教の業も使徒たちの人間的努力だけでは遂行不可能であって、主イエスの命令と助けによってはじめて可能であることが示されています。岸での主イエスと共に過ごした朝食のひと時は、弟子たちが宣教活動を続けていくうえで、大切な意味をもっていました。

 私達の日常の糧まで配慮して、備えてくださる復活の主を信じて、自活のためにも働き、託されている宣教の業に励みたいと思います。

                        

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 「トマスに現れた復活のイエス」  ヨハネによる福音書20章19~31節

2016-04-03 14:23:22 | 説教

           ↑   レンブラント 「聖トマスの懐疑」 1634年 53×51㎝ プーシキン美術館 モスクワ

981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

    日本キリスト教 富 谷 教 会

          週    報

年間標語 『日々聖霊を豊かに受けて神の栄光を表す人になろう。』

聖句「神は、わたしたしの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊を豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」(テトスへの手紙3:6~7)

    復活節第2主日     2016年4月3(日)   午後5時~5時50分

   礼 拝 順 

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉 

讃美歌(21) 302(暗いゲッセマネ)

交読詩篇  118(恵み深い主に感謝せよ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書 ヨハネによる福音書20章19~31節(新p.210)

説  教   「トマスに現れた復活のイエス」    辺見宗邦牧師

祈 祷

讃美歌(21) 481(救いの主イェスの)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏 

          次週礼拝 4月10日(日)午後5時~5時50分

         聖書 ヨハネによる福音書21章1~14節

         説教 「ガリラヤ湖畔で現れた復活のイエス」

         賛美歌(21) 206 327 24  交読詩編145篇

 本日の聖書 ヨハネによる福音書20章19~31節

  19その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。20そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。21イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」22そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

  24十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。25そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」26さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。27それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」28トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。29イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

  30このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。31これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

    本日の説教

 週の初めの日、朝早く、マグダラのマリアが墓に行った時の出来事は、20章の1節から18節までに記されていました。マリアから、主が墓から取り去られたという知らせを聞いたペトロとヨハネは墓に走って行き、イエスが葬られた墓穴が空虚であることを確認して帰りました。墓に居残ったマグダラのマリアに復活されたイエスが姿を現されました。このマリアが弟子たちとところへ行って、「わたしは主イエスを見ました」と証言し、主から託された伝言を弟子たちに伝えました。

 その日の夕方です。マグダラのマリアから主が復活したという知らせを聞いていた弟子たちでしたが、依然として三日前に起こったイエスの十字架の死による衝撃を消えず、失意のうちにありました。また、ローマの官憲と結託して、主イエスを十字架刑につけたユダヤの当局者たちの弾圧と迫害を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていました。一緒に集まっていた弟子たちのところへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和(平安)があるように」と言われました。イエスの与える平安は、日常的な挨拶の言葉としての平安ではなく、「わたしが与える平安は、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな。またおじけるな」(14・27)と言われたように、神が共にいてくださることによって与えられる特別な平安です。主イエスの与えるこの平安は、最後の晩餐の席での訣別(告別)説教で、「わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る」(14・28)と言われた約束が、ここで実現したことになります。

 「平安があるように」と言って、イエスは弟子たちに、手とわき腹とをお見せになりました。手には釘の跡があり、わき腹には槍で刺された傷跡がありました。十字架の上で人々の罪のために身代わりとなって死んでくださったイエスが復活されて現れたのです。弟子たちは、復活されたイエスの「手とわき」の傷跡を見て、自分たちの罪をも赦すためになされたキリストの贖いの業を直感しました。弟子たちはイエスが新しい復活の命をもって彼らの前に現れたことを見て喜びました。

  訣別の説教でイエスが、「このように、あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあながたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去る者はいない」(16・23)と約束された言葉が実現しました。

   イエスは重ねて言われました。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」主は弟子たちに、この世への宣教の派遣を命ぜられました。父なる神が、御子イエス・キリストに託された宣教の業が、今度は、復活の主によって弟子たちに、そして後の教会に託されたのです。

  そう言ってから、イエスは彼らに息を吹きかけて言われました。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。

 ここにおいても、「わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊(みたま)が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう」(5・26)という訣別の説教での御霊の派遣の約束が成就するのです。「息を吹きかけた」という言葉は、創世記での人間創造の記事(2・7以下)で、「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた」という言葉を想起させます。イエスの弟子たちは、復活の主イエスにより、聖霊が与えられることを通して、弟子たちは罪と死の支配から解放され、神の子である身分と永遠の命に生きる新しい人間に再創造されたのです。

   イエスは弟子たちに聖霊によって執行される罪の赦しの権威を与えます。聖霊の導きと、聖霊の力により弟子たちは、確信をもって、罪の赦しを告げ知らせ福音を宣べ伝えなければなりません。十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいませんでした

   <ディディモ>とは双子のことです。彼が双子の兄弟の一人であることから呼ばれた通称です。トマスは、イエスが病気で死んだと思われるラザロのところへ行こうと言ったとき、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」(11・16)と言った人物です。また、イエスの訣別の説教の時、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません」(14・5)と言いています。トマスは師イエスと共に死ぬ覚悟であり、死がすべての終わりであるという人生観を持っていたようです。

  ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言いました。

  復活の主イエスが弟子たちに現れた時、トマスは弟子たちと一緒にいませんでした。トマスは弟子たちの証言にもかかわらずイエスが現れたことを信ずることが出来ませんでした。イエスが弟子たちに現れたとき、イエスは手とわき腹とをお見せになったことを聞いたからでしょうか、トマスは自分の目でイエスの手に釘の跡を見、わき腹に槍の跡を見て、自分の指をその跡に入れてみなければ決して信じない、と言ったのです。このトマスの態度と言葉から、疑い深いトマスとか、不信のトマスと非難する呼び名が生まれました。しかし、直接自分の目で見て、確かめなければ信じられない、というトマスの態度を、一概に懐疑的とすることはできないのではないでしょうか。しかもトマスは死がすべての終わりだという考えを持っていとすれば、なおさらイエスの復活を信じることができなかったはずです。

  この八日の後、ちょうど一週間後の日曜日、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいました。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て、弟子たちの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われました。最初に甦りの主が弟子たちに姿を現した時、トマスは弟子たちの交わりの中にいませんでしたが、今回は一緒にいました。トマスは復活されたイエスを信じられない心のまま、弟子たちの群れの中にとどまっていました。そこに復活された主イエスは、まさにトマスを目指しておいでになりました。それから、トマスに「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と呼びかけられました。

 釘跡に手を入れてみなければ信じられないと語ったトマスの要求をそのまま主イエスは容認されました。イエスは手の釘跡とわき腹の槍跡をトマスに見せ、あなたの指を当て、指を入れなさい、と言われました。マグダラのマリアの場合は、生前のイエスのような思いでイエスにすがりとくとしたので、「すがりつくのはよしなさい」と主は拒否されたのですが、トマスの場合は復活されたイエスであることを、トマスに示そうとされたのです。

 この主イエスの言葉を聞いてトマスは手を伸ばして、イエスのわき腹の槍跡に指を入れたでしょうか。この場面を、画家のカラヴァッジョは描いています。

  「聖トマスの不信」 1601-02 107 x 146cm フィレンツェ、ウフィツィ美術館

 この絵では、トマスがイエスのわき腹の傷跡に指を入れています。しかしトマスは、イエスの十字架に付けられた手とわき腹を見よと言われたとき、もはや見る必要なかったと思われます。そう言われたイエスの言葉を聞くだけで十分であったと思われます。

  レンブラントの絵では、イエスの前でトマスが驚いています。自分の前に立たれるイエスの臨在にトマスは圧倒されたのです。トマスは、自分のために現れてくださった復活のイエスを見て、この方は神だと直感したと思います。復活を信じられなかった自分のために、主が現れてくださっただけで感動したと思われます。トマスの聞いた主の言葉は、復活のキリストの言葉であり、また十字架に付けられたあのイエスの言葉でした。トマスはこの主のお言葉を聞いて、イエスの手に釘跡や胸の槍跡をつけたのは、自分の罪のためでもあったと気付いたのです。トマスは、最初自分は師であるイエスのために死ぬことのできる人間でありたいと志していました。ところが、その師が十字架に付けられた時、師を捨てて逃げた人間であり、そのような罪深い自分のために、主の十字架は、自分の罪の赦しであることに気付いたのです。

  トマスは、「わたしの主、わたしの神よ」と告白する以外にはなかったのです。トマスはイエスの復活を信じただけではなく、もっと深く、イエスが神であることを信じ、告白したのです。

  イエスはトマスに「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と言われました。イエスの弟子であったトマスは、復活されたイエスが現れてくださったことによって、イエスに対する信仰を告白することができました。しかし、彼以後の人々は、イエスの弟子たちの証言を通して、宣教の言葉を通して信じなければなりません。イエスは、そういう人々こそ、トマス以上に幸いなのだと、祝福を約束されたのです。信仰とは、語りかけてくる神のことばに耳を開いて聞くことであります。そして今も生きておられる主イエスに、「わが主よ、わが神よ」と呼びかける関係に入ることです。

  このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていません。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためなのです、と執筆の目的が書かれています。<イエスの名により命を受けるため>とは、わたしたちの罪の赦しのためのイエスの十字架の贖いの死をけ入れ、イエスを神と等しい者、神と信じて永遠の命を得るたであると勧めています。

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受難週ヴィア・ドロローサ 「十字架への道」 ヨハネによる福音書18章1~14節

2016-03-20 21:30:44 | 説教

                              ↑ イエスの時代のエルサレム

  ①イエスはベタニアの家を出てエルサレムに向かう。 ②食事の準備が整えられた2階の広間に行く。                              ③食事の途中でユダが部屋を去り、当局に通報するため、おそらく近くのカィヤファの家に行く。 ④食事を終えたイエスは弟子たちと、ケデロンの谷を通って、ゲッセマネの園に向かう。 ゲッセマネの園でイエスは捕らえられる。 

   

             ↑ 現在のエルサレム旧市街 ヴィア・ドロローサ(苦難の道)                   

981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

              日本キリスト教 富 谷 教 会

                        週    報

年間標語 『日々聖霊を豊かに受けて神の栄光を表す人になろう。』

聖句「神は、わたしたしの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊を豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」(テトスへの手紙3:6~7)

 

受難節第6主日     2016年3月20日(日)     午後5時~5時50分

            礼 拝 順 

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉 

讃美歌(21) 299(うつりゆく世にも)

交読詩篇   62(わたしの魂は沈黙して)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書    ヨハネによる福音書18章1~14節(新p.)

説  教     「十字架への道」          辺見宗邦牧師

祈 祷

讃美歌(21) 297(栄えの主イエスの)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏 

 

                                                  次週礼拝 3月27日(日)午後5時~5時50分

                                                      イースター礼拝

                                                                 聖書 ヨハネによる福音書20章1~18節

                                                                 説教   「キリストの復活」

                                                                 賛美歌(21) 325 327 24  交読詩篇 30 

             本日の聖書 

  1こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。2イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。3それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。4イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。 5彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。6イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。7そこで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。8すると、イエスは言われた。「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」9それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。10シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。11イエスはペトロに言われた。「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」12そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、13まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。14一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった。

           本日の説教

   2月10日水曜日から始まった受難節も、いよいよ今日から最後の一週間の受難週に入ります。今日の主の日は、棕櫚の日曜日と言われ、主イエスがろばの子に乗り、柔和な平和の王としてエルサレムに入場した日です。ヨハネによる福音書では12章12節以下に、イエスが群衆にホサナと叫ばれて迎えられたことが記されています。ホサナは「今、救い給え」の意味が転じて歓迎の叫びになった言葉です。

   ヨハネによる福音書では13章から過越祭の前の日に入り、イエスは弟子たち最後の夕食の時を過ごします。夕食の時、イエスは食事の席から立ち上がって弟子たちの足を洗い、再び席に着かれました。ユダの裏切りの予告をします。ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行きました。イエスは弟子たちに、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも、互いに愛し合いなさい」という新しい掟を与えました。また、「主よ、あなたのためなら命を捨てます」と言ったペトロに、「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うでだろう」とペトロの裏切りを予告しました。

 14章から弟子たちと別れる訣別の説教が始まります。イエスは「父に至る道」を話し、「聖霊を与える約束」をします。そして、31節で「さあ、立て。ここから出かけよう。」と弟子たちに声をかけます。しかし、15章、16章には弟子たちと別れる前の訣別の説教が続きます。15章では「イエスがまことのぶどうの木」であることを話したあと、「迫害に遭われることを予告」します。16章では「聖霊の働き」を話し、「悲しみが喜びに変わる」ことを予告します。そして「イエスは既に世に勝っている」ことを宣言します。17章ではイエスの大祭司としての祈りが記されています。そして今日の18章に入ります。

  今日の聖書の箇所はイエスが逮捕される場面です。この場面については、四つの福音書がそれぞれ伝えていますが、ヨハネによる福音書だけが伝える記事があります。

     イエスは弟子たちと一緒にキドロンの谷の向こうへ出て行かれました。キドロン(濁り水の色からか、「黒い」の意味)の谷は、エルサレムの町とオリーブ山の間にあり、冬の雨季にだけ水が流れる峡谷です。その向こう側に園があり、イエスは弟子たちとその中に入られました。その園をマタイとマルコ福音書は、ゲッセマネ(「オリーブの油絞り」の意)と呼んでいます。

  イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていました。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからです。野宿の場所だったと思われています。イエスは、わざわざ、発見されやすい場所に赴いたことになります。イエスが受難を自ら引き受けようとしている姿が強調されています。そこで、ユダが一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来ました。松明やともし火や武器を手にしていました。「一隊の兵士」とはローマの兵士たちです。そのことを他の福音書は報告していません。エルサレム神殿の北西隅に接するアントニアの塔(要塞)にローマ兵が常駐しており、特に祝祭の時は、治安維持のためにカイサリアから援助の部隊が来ていました。「一隊」とは600人の部隊を指す語ですが、時には三分の一の1200人の編成をも意味したようです。ここではどの程度の兵士かは定かではありませんが、かなり多い兵士をが派遣されたことを表しています。

   主イエスの前に、政治的、軍事的力と宗教的力とが結束して向かってきたのです。主イエスは最後の晩餐の席においてこう語られました。「もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼はわたしをどうすることもできない」(14:30)。イエスは御自分に起こることを何もかも知っておられたのです。

 イエスは逮捕者の一団の前に進み出て、「だれを捜しているのか」と言われました。イエスは捕らえられることを承知で、自分から進んで、語りかけたのです。イエスが捕えられるのは自発的なことであることが強調されています。このことはすでに10章18節で、あらかじめ暗示されています。「だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる」と主イエスは言われています。

   逮捕者の一団が「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と名乗りました。この<わたしである>というこの言葉は、「わたしは主なる神である」という宣言に等しい言葉なのです。「わたしである」という言葉は、神がモーセに「わたしはある。わたしはあるという者だ」(出エジプト記3・14)と語った言葉に由来している聖なる神の名を表す言葉です。

   6章には弟子たちがガリラヤ湖の上で嵐に遭った時、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいてきたという不思議な話があります(6:16以下)。その時、風の波に翻弄されていた弟子たちに、「わたしだ(わたしである)。恐れることはない」(6:20)と主イエスは言われました。この時も、イエスは「わたしである」という神名を使っています。

 主イエスは裏切られ、逮捕されるという絶対絶命の状況にありながら、自らを神として現すのです。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいました。この場面では、他の福音書のようにユダはイエスに口づけし、捕まえる人を教える必要はありません。イエスが「わたしである」と言われたとき、イエスを逮捕するためにやって来た一団は、後ずさりして、地に倒れました。イエスの神としての権威の前にひるんだのです。それは、イエスの逮捕ということも、人間には何の力もないことを暗示しています。もし、イエスが進んで逮捕を受け入れなければ、どのような企ても無力なのです。逮捕という受難物語の最初から、イエスは主導権を握っておられるのです。そのことは、ヨハネ福音書では終わりまで、一貫して変わることがありません。それはこの世の力に対するキリストの勝利を指し示す象徴的な出来事として記されているのです。

  そこで、もう一度イエスは「だれを捜しているのか」と逮捕のために向かって来た者たちに尋ねました。彼らは「ナザレのイエスだ」と言いました。すると、イエスは「わたしである」と言ったではないか、と逮捕されるために進み出て、「わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい」と共にいた弟子たちを去らせ、御自分ひとりが受難を引き受けようとされました。それはこの福音書を書いた記者ヨハネによると、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」(6章30節)と言われたイエスの言葉が実現するためでした。

  シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落としました。手下の名はマルコスでした。この出来事は他の福音書にも報じられているが、ただ人物の名をペトロとマルコスに特定しているのは、ヨハネ福音書だけです。そのような行動に打って出たペトロをいさめるように、イエスは「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか」と言われました。イエスは父なる神の意志に従う決意をペトロに伝えました。ぺトロは、主イエスを守ろうとして抵抗する必要はなかったのです。公務執行妨害を犯し、危害を加えたペトロをイエスが守ったのか、ペトロは逮捕されませんでした。

 ヨハネによる福音書には、ゲッセマネの園で「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」というイエスの苦悶の祈りはありません。12章27節から29節にかけて、「今、わたしは心騒ぐ」で始まる似た祈りは記されていますが、ゲッセマネの園の場面では省略されています。その意図は、やはり、積極的にイエスが受難を受け入れようする点にあります。ヨハネ福音書ではどこまでも、受難に心騒ぐイエスではなく、受難にしっかりと立ち向かう栄光と権威に満ちたイエスを描いています。その故に、ゲッセマネでは「父がお与えになった杯は、飲むべきではないか」という前向きのことばになって記されています。明らかに、他の福音書のゲッセマネの祈りを反映していることばです、「杯」とは、神の定めた苦難を表すユダヤ的用語です。イエスは、今進んでその苦い杯を飲もうとしているのです。

   この場面において力ある御方として立っているのは主イエスだけです。宗教的な権力や国家権力による世の力も、主イエスに対して無力です。主イエス様は弟子たちを、いわば体を張ってこの世の力から守られたのです。

   なぜイエスはこのような十字架の死への道を自分の道として選ばれたのでしょうか。「人の子がこの世にきたのは、多くの人の贖いとして、自分の命を与えるためである」(マルコ10・45)と言っておられます。神から離れている人間の罪の身代わりなり、永遠の命を与えるために十字架の道を取られたのです。

  「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16・33)と言われる天上におられる主イエス、わたしたちに聖霊を送って共にいてくださる主イエスと共に、勇気を与えられてこの世の旅路を歩むことができる幸いを感謝しようではありませんか。

 

 

 

 

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「自分の命を失う者と永遠の命に至る人」  ヨハネによる福音書12章20~28節

2016-03-13 01:11:37 | 説教

981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

   日本キリスト教 富 谷 教 会

             週    報

年間標語 『日々聖霊を豊かに受けて神の栄光を表す人になろう。』

聖句「神は、わたしたしの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊を豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」(テトスへの手紙3:6~7)

          受難節第5主日        2016年3月13日(日)  午後5時~5時50分

                       礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉 

讃美歌(21) 225(すべてのものらよ)

交読詩篇   22(わたしの神よ、わたしの神よ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書 ヨハネによる福音書12章20~28節(新p.192)

説  教   「自分の命を失う者と永遠の命に至る者」  辺見宗邦牧師

祈 祷

讃美歌(21) 502(光のある間に)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏 

 

                                                   次週礼拝 3月20日(日)午後5時~5時50分

                                                   聖書 ヨハネによる福音書18章1~14節

                                                   説教   「十字架への道」

                                                   賛美歌(21)299 297 24  交読詩篇 64 

    本日の聖書 ヨハネによる福音書12章20~36節

  20さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。21彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。22フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。23イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。24はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。25自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。26わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」

    27「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。28父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」

                      本日の説教

   過越祭の六日前の土曜日に、ベタニアに住むマリアがイエスに高価なナルドの香油を塗る出来事がありました。

   その翌日、過越祭の五日前の日曜日に、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出ました。そして、「ホサナ。主の名によって来られる方に祝福があるように、イスラエルの王に」と叫び続けました。ホサナとは、「どうぞお助けください」という意味でしたが、その意味が薄れて喜びの感動を表す歓声に転化していました。群衆はイエスを凱旋する王のようにして迎えたのです。イエスのなされた奇跡を聞いた群衆は、イエスを政治的解放者として、今こそ救いの時が到来したと信じ歓呼してイエスを迎えたのです。イエスはロバの子を見つけてお乗りになりました。それはゼカリヤ書9・9に描かれている、すべての武器を廃棄して争いをやめる平和の王、柔和なメシアを象徴する姿でした。群衆の期待とイエスの意図とは大きく隔たっていました。政治的な力を持つメシアを期待した群衆は、十字架への道を歩むイエスにつまずき、この後、結局イエスを拒み、イエスを十字架につけよと叫ぶようになるのです。

   この「棕櫚(しゅろ)の日曜日」から、いよいよイエスが十字架への道を歩む最後の一週間の記事に入ります。ギリシア人がイエスに会いに来たのは、その翌日の月曜日か火曜日の出来事になります。おそらく場所は神殿の異邦人の庭と思われます。

    過越祭の一週間、多くのユダヤ人たちがエルサレムに上って来ました。同様にギリシア人たちも、この祭りのために来ました。異邦人の中にはユダヤ教へ改宗した巡礼者や、割礼は受けてはいないが、ユダヤ教を信奉する神を畏れる人々がいました。イエスに会いに来た何人かのギリシア人はおそらく後者の人々と思われます。

    ギリシア人たちは直接イエスのところへ行かないで、「リラヤのベトサイダ出身のフィリポ」に「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と仲介を頼みました。フィリポに頼んだのは彼の名がギリシア名だったので、話しかけやすかったからかも知れません。フィリポもアンデレに話し、アンデレとフィリポが連れ立ってイエスのもとに行き、イエスに伝えました。

   すると、この異邦人を含む祭りに来ていた群衆にイエスは語り始めました。今や福音はユダヤ民族の壁を破って、広くギリシア世界にまで伝えられる時がきたのです。

   人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」

    栄光という言葉は、神が神であられることが分かり、神の御姿が栄光に満ちることです。イエス自身の姿もまた神に等しい者であり、栄光に輝くということです。ここで言われている「栄光をうける」とは、イエスが十字架で死ぬことを意味し、その十字架の死を通してイエスが再び天のみ座につくことを意味しています。17章1節のイエスの祈りは、「父よ時が来ました、あなたの子があなたの栄光を現すように、子に栄光を与えてください」と祈っています。「時が来た」とは十字架で死ぬ時です。これまで何回か「私の時はまだ来ていない」と繰り返され語られてきました(2・4、7・6、7・30、8・20)。しかし、今その時が来た、イエスは言われました。

   はっきり言っておく、イエスは言葉を続けます。一粒の麦は、そのまま、とって置かれたなら一粒のままにとどまる。しかしこれが蒔かれて地に落ちると、この一粒の麦自体は死ぬが、ここから芽が出て多くの実を結ぶようになる。ここではイエスが十字架について死ぬことによって多くの者たちが永遠の命を与えられ生かされるという逆説的真理が語られています。農耕生活を営み、特に小麦の栽培をしていたパレスチナ地方の人々には非常に分かりやすいたとえでした。しかしそこにイエスの死の深い意味がたとえの形で宣言されています。

   自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。

   「自分の命を愛する者」という時の「いのち」は、生まれながらの自然的生命です。そしてこの生命によってのみ生きようとする者は、その生命を失うことになる、というのです

    これは、この世に生かされている命を愛し、感謝することを否定している教えではありません。ここで言われている<自分の命を愛する者>とは、神様からいただいている命、神様から頂いているすべての恵みや賜物を私物化し、神様から離れて、自己中心の生き方をする者のことです。この世の価値だけを追い求め、そこに人生の意味や充実を追い求める生き方です。それは快楽や名誉などだけではなく、教養や芸術など内面的・精神的価値をも含みます。そのような価値に自分の命の充実を求める者は、死によってすべてを失います。

   「永遠の命に至る」という時の「永遠のいのち」は、神の国の生命であり、霊的生命です。<この世で自分の命を憎む者>とは、神様から離れて自己中心に生きようとする罪から離れて、イエスに仕え、イエスに従う者のことです。

   主イエスは自己中心の生き方から、神に仕え、神に従う神中心の生き方へと転換することを要求しておられるのです。しかしながら、人は誰でもあくまで自己を主張してやまない自己中心の心があり、地上的な自分の生活への執着があります。神中心の生き方へ転換しようとすれば、そこに内的な葛藤が始まります。それは自分の意志や努力では解決できません。イエスに従っていた弟子たちも、イエスの十字架の死のとき、皆イエスを捨てて逃げました。復活のイエスに出会い、聖霊の降臨を受けて再び立ち上がったのです。

   人間はより大きな神の恵みを受けることによってのみ、神中心の生きかたができるのです。主イエスの場合は父なる神と密接な愛で結ばれ、祈りの対話があり、必ず復活させてくださるという全能の神への信頼がありました。私達の場合は活ける主イエスとの「生命の交わり」に入れられ、聖霊の力をいただくことによってのみ、罪の自分を憎み、罪に打ち勝ち、イエスに従うことを喜ぶことができるのです。「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなた(父なる神)と、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです(ヨハネ17・3)」というイエスの祈りのことばがあります。イエスを受け入れたときから、死と罪の支配からの解放が始まり、永遠の命の歩みが始まり、最後に永遠の命に至るのです。<自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る>ということは、ただイエスの十字架と復活、そして昇天によって明らかにされた真理です。

  自分の命を犠牲にする自爆テロリストたちは、その犠牲的死によって英雄として天に迎えられるというあやまった信仰を抱いています。それは自暴自棄的行為を正当化した信仰です。人を憎み、無差別に人間を殺傷する行為は自己満足の自殺行為以外の何ものでもありません。

 わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。

  「わたしのいるところ」とは、イエスが復活し、間もなく昇る天にある栄光の座のことです。イエスに仕えようとする者は、イエスに従いなさい。そうすればイエスのいる栄光の座に、イエスに仕えた者もいることになる。父なる神がイエスを尊重されたように、イエスに従い仕える者を父なる神は大切にし、尊重してくださるという約束がなされています。

  今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください。

  この27―36節はヨハネ福音書のゲッセマネの園と言われる箇所です。「今、わたしは心騒ぐ。」イエスも人の子として、心の葛藤を経験されたことが、ここに示されています。死の時を直前にした人の子イエスの叫びです。<自分の命を愛する>心と、神にみ心に従おうとする心の葛藤で、イエスの心は動揺したのです。イエスは今父なる神との祈りを通し、霊的交りを経てて、自ら十字架の道を決断するのです。

  父よ>という呼びかけはイエス御自身の口から神に対してなされています。イエスの神との親密な父子関係が現わされています。「何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか」と死を避けたい思いがありました。<この時>とは十字架の死の苦しみの時です。「しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ」という自覚と決意が生まれます。<このことのために>とは、人間の罪の身代わりとなって十字架の死を遂げることです。神のみ旨がそこにあるなら私は喜んで父の意に従い、十字架を負おう、とイエスはついに決断したのです。<父よ、御名の栄光を現してください>とは、神の偉大さ、すばらしさを現してくだい、という祈りです。ヨハネ福音書17・1でイエスは次のような祈りをしています。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。

  すると、天から声が聞こえました。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。

  イエスの業を通して神の栄光が既に明らかにされた。これからイエスの十字架の業によって再び栄光を現そう。このことによってイエスが神から遣わされた救い主であることを明らかにする、と言われました。イエスにたいする父なる神の声は、大きな励ましをイエスに与えました。このような励ましに支えられてイエスは使命を果たされたのです。

  主イエスに従うわたしたちも、主イエスの祈りに学び、絶えず神に祈りつ、聖霊の励ましと力をいただき、神のみ栄えを現しましょう。

 何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。」(ヨハネの手紙一、5・14)

 

 

 

 

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「イエスに香油を注いだマリアの信仰」 ヨハネによる福音書12章1~8節

2016-03-06 00:05:28 | 説教

             ↑  イエスに香油を注ぐベタニアのマリア

  981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

             日本キリスト教 富 谷 教 会

              週    報

年間標語 『日々聖霊を豊かに受けて神の栄光を表す人になろう。』

聖句「神は、わたしたしの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊を豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」(テトスへの手紙3:6~7)

    受難節第4主日   2016年3月6日(日)  午後5時~5時50分

     礼 拝 順 

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉 

讃美歌(21) 543(とびらの外に)

交読詩篇    2(なにゆえ国々は騒ぎ立ち)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  ヨハネによる福音書12章1~8節(新p.191)

説  教   「イエスに香油を注いだマリアの信仰」    辺見宗邦牧師

祈 祷

讃美歌(21) 567(ナルドの香油)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏 

                     次週礼拝 3月13日(日)午後5時~5時50分

                     聖書 ヨハネによる福音書12章20~36節

                     説教   「十字架の勝利」

                     賛美歌(21)225 502 24  交読詩篇 22

 本日の聖書 ヨハネによる福音書12章1~8節

  1過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。2イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。3そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。4弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。5「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」6彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。 7イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。8貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」

  本日の説教

  今日の聖書の箇所は、十一章との関連で書かれています。十一章には、ベタニア村に住むマリアとその姉妹マルタの兄弟ラザロが病気になり死んだとき、このラザロをイエスがよみがえせた事が記されています。ラザロのよみがえりの出来事は、主イエスが復活であり、命であることを示された最後のしるしでした。イエスがラザロをよみがえらせたことは大きな波紋を巻き起こしました。このままでは皆がこの男を信じてしまう。そう思った大祭司と祭司長たちはイエスを殺そうとたくらみました。そこでイエスと弟子たちは、一時ベタニアを去り、荒れ野に近い地方のエフライムの町に滞在していました。

  過越祭が近づいた頃、イエスはエルサレムに行くことを決意され、またベタニアに行かれました。ベタニアは、エルサレム近郊の村で、オリーブ山の東南の麓にあり、エルサレムまでは3㎞の距離にあります。ベタニアにはイエスが愛したラザロとその姉妹マルタとマリアの他に、イエスが癒した重い皮膚病だったシモンの家がありました(マルコ14・3)。ベタニアはイエスが地上での最後の日々、夜を過ごした村でした(マルコ11・11~12)。

  イエスがベタニアに行かれたのは過越祭の六日前です。イエスにとって最後の過越祭です。<過越祭>はかつてエジプトにおいて奴隷状態であったイスラエルが、神の導きによって脱出したことを記念する祭りです。神がエジプト人の初子を殺したとき,仔羊の血を鴨居と入口の二本の柱に塗ったユダヤ人の家だけは過ぎ越したという出来事にちなむ祭です。新約時代には過越祭の行事はユダヤ歴ニサン月(三月~四月)の十四日の午後、神殿での羊の屠りで始まります。この日は、エルサレムの住民が各家庭で過越祭を祝って食する羊をほふるため、神殿に羊を連れて来るので、神殿境内は人と羊であふれます。当時エルサレムの人口は約三万人ですが、神殿境内にはおよそ六四〇〇人が神殿につめかけたと推定されています。夕方までに祭司とレビ人による屠りと奉献の儀式があり、 祭司の手によって羊の血が祭壇に注がれます。その儀式を終えてから、日没後各家庭でこの肉を食します。例年、過越祭には外地から十万を超える巡礼者が訪れたと言われています。

  イエスは六日後の過越祭の初日、神殿で羊の屠りが行われる時に十字架の死を遂げることになるのです。そのような差し迫った状況の中で、イエスはベタニアに行かれました。そこにはイエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいました。イエスのために夕食が用意され、マルタは給仕をしていました。ラザロはイエスと共に食事の席についた人々に中にいました。

 そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐいました。

  <一リトラ>は約326gです。缶ジュース一本ぐらいの量です。<ナルドの香油>とは、インドやネパールが原産で、ヒマラヤの高地に自生する高さ15~30㎝位の植物の根茎から抽出する精油で、英名はスパイクナード、別名ナルデと言い、主に鎮静作用があり、皮膚の保湿効果もがあります。当時は、ギリシア、ローマ世界で珍重された高価な香油です。ソロモン王の栄華を伝えるために雅歌にも出てきます(4・13)。

         ナルド、おみなえし科の植物

  同じ、香油注ぎの話(平行記事)が、マルコ福音書14・3~9、マタイ福音書26・6~13にあります。また似た話がルカ福音書7・36~49にあります。ルカ福音書では、イエスのガリラヤ伝道の時に、ファリサイ派の人の家で「一人の罪深い女」がイエスの足を涙でぬらし、髪の毛でぬぐい、接吻して香油を塗った話になっています。この女がマグダラのマリア(ルカ8・2)の同一視されるようになったのは、後世の教会伝承によるもので、聖書にはその根拠はありません。

 マリアはイエスの足に香油を塗っていますが、それは当時饗応の食事の場合は、身を横にして、左手で頬杖をつき、右手で食事をするという姿勢だったので、足が後ろの方にあうので、容易に足に塗ることができたのです。

 マリアが高価な香油を惜しみなくイエスの足に塗り、<自分の髪でその足をぬぐった>行為は、普通では誰も思いつかない奇抜な行為でした。香油の香りで家はいっぱいになりました。

 その場にいた人たちは、マリアの振舞いを理解できなかったと思います。イエスの弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」と彼女の無駄と思える浪費をとがめました。

  <三百デナリオン>とは、労働者のおよそ三百日分の収入に相当します。それだけの費用があれば、貧しい多くの人を助けることが出来ると、ユダは言ったのです。しかし、ユダがこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではありません。「彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである」と、福音書記者の説明があります。ユダは金銭への執着がありました。ユダは人間的な欲望のために、やがて悪魔の誘惑に陥りました。過越しの食事の後、ユダは祭司長たちから銀貨三十枚をもらってイエスを売り渡し、裏切りました(マタイ27・3、4)。

 ユダの非難を聞いたイエスは言われました。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」

  マリアのイエスに対する振舞いは、兄弟のラザロをよみがえらせてくださったイエスへの深い感謝と、自分たち家族を愛してくださるイエスへの尊敬と謙遜と愛を表す素直な思い切った行動でした。イエスはそれをお認めになり、お喜びになられたのです。

  マリアがイエスの死を予感し、その準備のために香油を貯えていたのかどうかはわかりません。また、イエスの死の備えをするために香油を注いだのかどうかも分かりません。しかし、主イエスはその日のマリアの振舞いをご自分の死への準備とし、死体への塗油の先取りとして受けとられたのです。ユダヤでは遺体を埋葬するとき、遺体に香油を塗り、布で包んで墓に納めました。それが「葬りの備え」です。イエスはマリアの香油の塗油をご自分の埋葬の準備としてお受けになったのです。

  イエスは言われます。「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」

  ここで主イエスが言っていることは、いつでもできる事と、今しか出来ない事というものがあるということです。「わたしはいつも一緒にいるわけでなはない」と言われて、人々の罪の贖いとなって十字架の死に向かわれる方に、マリアはおそらく意識しないまま、その時彼女ができる最善のことをしたのだと思います。彼女の振る舞いは、この六日後には十字架上で死に、ゴルゴダの墓に葬られる死者イエスの塗油の先取りであり、一回限りの最終的表現でした。

 日本には、「一期一会」という言葉があります。人と人との出会いは、常に人生で一度きりのものと心得て、相手に対して精一杯の誠意を尽くさなければならない、という意味で用いられる茶の湯の教えの言葉です。マリアは意識していたわけではなかったと思いますが、これから自分にかわって十字架にかかってくださるイエス様に、私の救いのために命を捨ててくださるイエス様に、せめて自分の大切な宝、出来る限りの最高の贈り物をしようとした香油注ぎは、時に適う一期一会の行為でした。

  ベタニアのマリアのイエスへの香油注ぎは、信仰によるものでした。マリアはなぜか無口です。イエスの一行がベタニアの村に最初行かれたとき、マルタはイエスを迎え入れました。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていました。信仰は主のみことばを聞くことにより始まるのです(ローマ10・17)

  その後、兄弟のラザロが死んで墓に葬られたとき、イエスが来られ、マリアを呼んでいるとマルタから聞いたマリアは急に立ち上がって出て行き、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言っています。マリアが口に出して行った言葉は、この一言だけです。しかし、マリアはイエスがラザロを生き返らせたことを目撃しました。イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じました。

 姉のマルタは、「わたしは復活であり、命である。…このことを信じるか」とイエスに問われたとき、「主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであると信じております」と告白しています。ラザロを生き返らせた奇跡を目撃したマリアも、イエスを神の子、メシアと信じたに違いありません。

 貧しい者を助け、隣人を愛することも大切ですが、神を愛することはさらに大切です。しかし、人はパンを与えることはできますが、命のパンを与えることはできません。命のパンを与えてくださるのは神であり、神の子イエスだけです。マリアのイエスへの香油注ぎは、神の子イエスへの礼拝行為なのです。あのイエスの前に座ってイエスの言葉を聞いていたマリアは、聞くだけの人ではなく、聞いたあと、思い切った行動をする信仰の人でもありました。

  マリアはイエスの足もとにひざまずき、罪人をも愛してお救い下さる、永遠の命を与えてくださるイエス、復活される永遠の命であるイエスを信じ、彼女もてる宝を捧げつくし、献身のしるしとしたのです。家中にいっぱいになったナルドの香油の香りは、彼女のかぐわしい信仰の香りでした。イエス様は「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるであろう(マルコ14・8~9)」と言って称賛されました。

  イエスに対するマリアのこの香油注ぎを、わたしたちも称賛しようではありませんか。いや、称賛するだけではなく、マリアの主イエスを愛する信仰を学び、「増させたまえ、主を愛する愛を」(讃美歌21,483番)と、わたしたちもひたすら祈り求めたいと思います。

 

 

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