黒斎さんからもらったメールを転載します。
自分に起こったこと(脳梗塞)が、許せなくて、悔しくて。
なんで私がこんな目にあわなくちゃならないのかと
黒斎さんに質問をぶつけてみた、八つ当たりのようなメールへの返事です。
日々たくさんのメールが届くであろう方なのだから。
お返事などないだろうと思っていたところへ、思いがけず届いた返事でした。
読みながら涙があふれて、とまらなくて。
こどものように声をあげて泣いていました。
いただいたメールは私の宝もの、これを忘れないで生きようと思います。
ご返信遅くなり申し訳ございません。
雲 黒斎です。
いただきましたメール、拝読させていただきました。
このメールは、僕の事を信頼してくれてのことと思います。
ありがとうございます。
どこまでご理解いただけるかはわかりませんが、僕のできる範囲内でお話させていただきます。
ご自身の身に起きたことの意味がわからないとのこと、当然のことだと思います。
僕も、自分の身に記憶障害というハプニングが訪れた時は、同じ気持ちでおりました。
でも、今は、その受け入れがたいハプニングが、僕にとって、とても必要なものであった事が実感できています。
痛みや苦しみは、何かの罰や、何かの呪い、神の意地悪などではありません。
苦しみは、「気づき」をもたらしてくれる「道しるべ」。
神様が用意してくれた、自分を目覚めさせるための「目覚ましのベル」です。
それ以外の意味はありません。
では、神様はその苦しみを通じて、何を伝えようとしているのでしょう。
それは、自分が 「何に意識を向けて生きているかに気づきなさい」 という事です。
人間は、ひとりの例外もなく「自分が意識を向けたものを現象化させる」という能力を持っています。
ただ、この能力を自分が持っていると認識できている人は、ほとんどいません。
それゆえ、自分の望まないものすらも現象化してしまう、ということに出くわしてしまうのです。
人が、幸せに意識を向けていると、もっと幸せになっていきます。
人が、苦しみに意識を向けていると、もっと苦しくなっていきます。
ただ、それだけのことなんです。
ですから、どうぞ、苦しみにフォーカスしないように意識してみてください。
・なぜこのような苦しみを受けなければならないのか。
・この出来事のせいで、○○ができなくなった。
・この苦しみのせいで、屈辱的な気持ちを味わうはめになった。
・この苦しみを改善させなければ。病気と闘わなければ。
これらはすべて「苦しみ」にフォーカスしたもののとらえ方です。
通じますでしょうか。上記のすべては、「主語」が「苦しみ」になっているんです。
この考え方から、いかに 「幸せにフォーカスすることができるか」 が、苦しみの連鎖から抜け出る唯一の道です。
苦しみにフォーカスしがちな自分の癖に気づき、幸せにフォーカスする練習です。
>このことで何かを学ぶ必要があって、起きたことなのか。
>私のなにが悪くて起きたのか。
>今のままで良いのではなかったのかと。
>この程度ですんで、まだましではないかとは思うのですが。
こう考えてみてはいかがでしょう。
「この程度ですんで、まだまし」 どころではなく、「とても恵まれていた」 のだと。
>3週間の入院で、先日退院してきましたが、まだ元通りとはいかず、
>パソコンもやっとゆっくりなら打てる状態。
僕の義父は、ある日突然発作が出て、そのまま亡くなってしまいました。
脳梗塞になって、たった3週間で退院でき、しかも、もうパソコンが打てるなんて、すごい事じゃないですか!
>日常生活はなんとかこなせる状態ですが、事務をしていた職場にはまだ戻れないでいます。
お仕事をしているとき、「ゆっくり休みたいなぁ」 と思ったことはありませんか?
僕はいつも思ってました(笑)。
治療中なんですもの。胸をはって、堂々とお休みできるチャンス到来です。
せっかくですもの、その時の思いを、ここで実現させましょう。
>私が入院してる間、私のことは市内に嫁いでいる娘夫婦が、世話してくれて。
>姑のことは近所の親戚のおばさんが食事の面倒をみててくれました。
>大阪在住の息子が一日休みをとって戻ってきてくれて
とっても優しい方々に囲まれている証拠じゃないですか。
あなたが、愛されている証拠じゃないですか。
嫌われていたら、そんなことしてもらえませんって。
大阪から、わざわざきてくれたんですよ、息子さん。
皆さんのご厚意を「申し訳ない」と取るのではなく、「ありがとう」と感謝に変えて接してください。
みんな、「ごめんなさい」と謝られるより、「ありがとう」と、感謝される方がうれしいですから。
>30日の いまここ塾広島にも申し込んでいましたが、行けませんでした。
>まだ車に乗れませんし、坂道の上なので歩くにも、まだ自信がありません。
できないことにフォーカスするのではなく、いま感じられる幸せを探してみてください。
今ないものではなく、今あるものにフォーカスしてみてください。
奪われたものではなく、与えられているものにフォーカスしてみてください。
どれだけ自分を支えてくれるものがあるのかを、実感してみてください。
それらに気づいていくたび、幸せへの流れが大きくなっていきます。
老いも、病も、死も。
すべて、人間誰しもが通る道です。
誰もが皆、老いもするし、病気にもなるし、死にもします。
誰一人、例外はありません。
残念だと思えても、そっちの方が「自然」な流れなんです。
それなのに、人は皆、それらを拒むのです。
なぜ私が老いなければならないのか。
なぜ私が病に倒れなければならないのか。
なぜ私が死なねばならないのか。
そうやって、自然の流れに逆らうからこそ、苦しみが生まれます。
老いることは「悪いこと」ではありません。「悲しいこと」でもありません。
病は「悪いこと」ではありません。「不幸なこと」でもありません。
死は「悪いこと」ではありません。「忌まわしいこと」でもありません。
目の前にある状況は、本当は「いいこと」でも「わるいこと」でもないんです。
ただ、そのように起きているだけなんです。
苦しみの中では、なかなかそのようには思えないかもしれません。
僕もそうでしたから。ずっと苦しみを選択し続けていました。
でも、きっとこの事の意味を、ご自身の理解として気づける時がやってきます。必ずきます。
貴方様が、大きな気づきに出会えることを、微力ながら応援しております。
どうぞ、お大事にしてください。
雲 黒斎
http://ameblo.jp/2010nanatunoko/entry-10531372516.html
自分に起こったこと(脳梗塞)が、許せなくて、悔しくて。
なんで私がこんな目にあわなくちゃならないのかと
黒斎さんに質問をぶつけてみた、八つ当たりのようなメールへの返事です。
日々たくさんのメールが届くであろう方なのだから。
お返事などないだろうと思っていたところへ、思いがけず届いた返事でした。
読みながら涙があふれて、とまらなくて。
こどものように声をあげて泣いていました。
いただいたメールは私の宝もの、これを忘れないで生きようと思います。
ご返信遅くなり申し訳ございません。
雲 黒斎です。
いただきましたメール、拝読させていただきました。
このメールは、僕の事を信頼してくれてのことと思います。
ありがとうございます。
どこまでご理解いただけるかはわかりませんが、僕のできる範囲内でお話させていただきます。
ご自身の身に起きたことの意味がわからないとのこと、当然のことだと思います。
僕も、自分の身に記憶障害というハプニングが訪れた時は、同じ気持ちでおりました。
でも、今は、その受け入れがたいハプニングが、僕にとって、とても必要なものであった事が実感できています。
痛みや苦しみは、何かの罰や、何かの呪い、神の意地悪などではありません。
苦しみは、「気づき」をもたらしてくれる「道しるべ」。
神様が用意してくれた、自分を目覚めさせるための「目覚ましのベル」です。
それ以外の意味はありません。
では、神様はその苦しみを通じて、何を伝えようとしているのでしょう。
それは、自分が 「何に意識を向けて生きているかに気づきなさい」 という事です。
人間は、ひとりの例外もなく「自分が意識を向けたものを現象化させる」という能力を持っています。
ただ、この能力を自分が持っていると認識できている人は、ほとんどいません。
それゆえ、自分の望まないものすらも現象化してしまう、ということに出くわしてしまうのです。
人が、幸せに意識を向けていると、もっと幸せになっていきます。
人が、苦しみに意識を向けていると、もっと苦しくなっていきます。
ただ、それだけのことなんです。
ですから、どうぞ、苦しみにフォーカスしないように意識してみてください。
・なぜこのような苦しみを受けなければならないのか。
・この出来事のせいで、○○ができなくなった。
・この苦しみのせいで、屈辱的な気持ちを味わうはめになった。
・この苦しみを改善させなければ。病気と闘わなければ。
これらはすべて「苦しみ」にフォーカスしたもののとらえ方です。
通じますでしょうか。上記のすべては、「主語」が「苦しみ」になっているんです。
この考え方から、いかに 「幸せにフォーカスすることができるか」 が、苦しみの連鎖から抜け出る唯一の道です。
苦しみにフォーカスしがちな自分の癖に気づき、幸せにフォーカスする練習です。
>このことで何かを学ぶ必要があって、起きたことなのか。
>私のなにが悪くて起きたのか。
>今のままで良いのではなかったのかと。
>この程度ですんで、まだましではないかとは思うのですが。
こう考えてみてはいかがでしょう。
「この程度ですんで、まだまし」 どころではなく、「とても恵まれていた」 のだと。
>3週間の入院で、先日退院してきましたが、まだ元通りとはいかず、
>パソコンもやっとゆっくりなら打てる状態。
僕の義父は、ある日突然発作が出て、そのまま亡くなってしまいました。
脳梗塞になって、たった3週間で退院でき、しかも、もうパソコンが打てるなんて、すごい事じゃないですか!
>日常生活はなんとかこなせる状態ですが、事務をしていた職場にはまだ戻れないでいます。
お仕事をしているとき、「ゆっくり休みたいなぁ」 と思ったことはありませんか?
僕はいつも思ってました(笑)。
治療中なんですもの。胸をはって、堂々とお休みできるチャンス到来です。
せっかくですもの、その時の思いを、ここで実現させましょう。
>私が入院してる間、私のことは市内に嫁いでいる娘夫婦が、世話してくれて。
>姑のことは近所の親戚のおばさんが食事の面倒をみててくれました。
>大阪在住の息子が一日休みをとって戻ってきてくれて
とっても優しい方々に囲まれている証拠じゃないですか。
あなたが、愛されている証拠じゃないですか。
嫌われていたら、そんなことしてもらえませんって。
大阪から、わざわざきてくれたんですよ、息子さん。
皆さんのご厚意を「申し訳ない」と取るのではなく、「ありがとう」と感謝に変えて接してください。
みんな、「ごめんなさい」と謝られるより、「ありがとう」と、感謝される方がうれしいですから。
>30日の いまここ塾広島にも申し込んでいましたが、行けませんでした。
>まだ車に乗れませんし、坂道の上なので歩くにも、まだ自信がありません。
できないことにフォーカスするのではなく、いま感じられる幸せを探してみてください。
今ないものではなく、今あるものにフォーカスしてみてください。
奪われたものではなく、与えられているものにフォーカスしてみてください。
どれだけ自分を支えてくれるものがあるのかを、実感してみてください。
それらに気づいていくたび、幸せへの流れが大きくなっていきます。
老いも、病も、死も。
すべて、人間誰しもが通る道です。
誰もが皆、老いもするし、病気にもなるし、死にもします。
誰一人、例外はありません。
残念だと思えても、そっちの方が「自然」な流れなんです。
それなのに、人は皆、それらを拒むのです。
なぜ私が老いなければならないのか。
なぜ私が病に倒れなければならないのか。
なぜ私が死なねばならないのか。
そうやって、自然の流れに逆らうからこそ、苦しみが生まれます。
老いることは「悪いこと」ではありません。「悲しいこと」でもありません。
病は「悪いこと」ではありません。「不幸なこと」でもありません。
死は「悪いこと」ではありません。「忌まわしいこと」でもありません。
目の前にある状況は、本当は「いいこと」でも「わるいこと」でもないんです。
ただ、そのように起きているだけなんです。
苦しみの中では、なかなかそのようには思えないかもしれません。
僕もそうでしたから。ずっと苦しみを選択し続けていました。
でも、きっとこの事の意味を、ご自身の理解として気づける時がやってきます。必ずきます。
貴方様が、大きな気づきに出会えることを、微力ながら応援しております。
どうぞ、お大事にしてください。
雲 黒斎
http://ameblo.jp/2010nanatunoko/entry-10531372516.html
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