ネットでも反響 フォックスさん病状隠さずCM出演 

2006年10月28日 00時29分10秒 | Weblog
【ロサンゼルス=松尾理也】映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などで知られ、パーキンソン病を患って一線から退いている米俳優、マイケル・J・フォックスさんが、難病治療につながるとして注目されているヒト胚(はい)性幹細胞(ES細胞)研究支持の民主党候補への支持を訴えるCMに、全身をけいれんさせるなどの症状をあらわにして出演し、終盤にさしかかった中間選挙の選挙戦で大きな反響を呼んでいる。
 
 フォックスさんはミズーリ州上院議員選の民主党候補を応援するCMで、自らの意思で制御できない震えに見舞われるパーキンソン病の症状そのままに、体や頭を上下左右に動かしながら、「政治はローカルなものだといわれるが、あなたのミズーリでの行動は、(難病に苦しむ)私のような多くの米国人を救うのです」と語る。
 
 CMはメリーランド州やウィスコンシン州でも流された。インターネットの投稿動画サイト「ユーチューブ」などでも視聴できることから、フォックスさんの訴えは全米的な話題となっている。
 
 一方、生命倫理の点からES細胞研究に反対している保守派は「自分の症状を売り物にしている」などと批判している。

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フォックス氏の勇気に感動しました。
自分ならできないかも知れない。
だけど、
人はどこまで人間を治療することが出来るのか?
遺伝子を変更することも出来るのか?
先天性の病気の遺伝子の発現を押さえることも
可能なのか?
人間は生まれる前に自分の人生の設計をしてから
生まれると言う。
そうなら、設計通りの人生を歩むために
遺伝子すらも選んでいるのではないか。

↓フォックス氏のCMはこちら
http://www.youtube.com/watch?v=QMliHkTDHaE&mode=related&search=

アナタの「聴き上手」度チェック (ゲンダイネット)

2006年10月16日 02時46分52秒 | Weblog
「オレの、オレの話を聞けぇ~」と歌ったのは、横山剣率いるクレイジーケンバンドだが、実際、人の話に耳を傾けるのはなかなか難しい。ただ、会社にひとりくらいは、いわゆる“聴き上手”がいる。人あたりがいいというか、周囲からも頼りにされる。なぜか、上司とは限らない。仕事の話ばかりか、ときには個人的な相談も持ちかけたくなるタイプだ。果たしてアナタはどうだろう。別表のチェックテストにチャレンジしてほしい。人の話をジックリ聴く力が一発で分かるはずだ。

 先ごろ発売になった「本音力」の著者で、東京メンタルヘルスアカデミーの武藤清栄所長が言う。

「我々は単に話の内容を“聞く”ことと、気持ちや感情を理解しながら“聴く”ことを区別しています。組織でも家族でも相手の本音を引き出すには、ジックリ話を聴くことが出来る後者の力が大事になってきます」

 人は信頼の置けない相手に対して、決して本音を語ることはない。逆に、聴き上手になれれば、頼りにされるし、自然にコミュニケーションも円滑になってくるのだ。“聴き上手”になるコツを武藤所長に聞いた。

●先入観を捨てる

「話を聴く前に相手の先入観をいったん捨てます。たとえば、こいつはミスが多い男だと思っていると、特に仕事の相談などでは、その感情に流されてしまい『だからダメなんだよ』などと言ってしまうのです」

●オウム返しに言う

「つらいに対して『へー、そりゃつらかったろうな』とか、仕事が合わないなら『合わないのか』とオウム返しするのもひとつの手。相手が話しやすくなります」

●相手の立場に立って共感する

「『おまえの立場だったら、オレもそうしたろうなぁ』と、相手の立場に立って内面を理解すると、悩む相手に栄養を与えることになります」

 うなずいたり、同情しながら耳を傾けるわけだ。

●自分自身で決断させる

「じゃあ、こうすればいい」とか「オレだったらこうするよ」などとすぐ自説を説くのも考えものだ。

「聴き上手は結論を急ぎません。むしろ、相手の話を理解したうえで『じゃあ、どうすればいいと思う?』と、自己決定が出来るように雰囲気をつくるのです」

★YESかNOか!“聴き上手”判定テスト

(1)悩み事を相談されたとき「君なら大丈夫」「がんばれよ」と励ましてあげることが多い

(2)話し手の表情や態度、言い方よりも、話す内容が肝心だと思う

(3)相手が話してくれたことに対して、必ず自分の意見を言う

(4)相手が取り越し苦労をしているときは「気にするな」「思い過ごしだよ」と言ってやる

(5)相手の話の調子に合わせて、時には作り話をしたり、嘘をついて盛り上げることもある

(6)相手が落ち込んでいるときはこちらから明るい話をして元気づけてあげる

(7)「でもね」「それよりさ」「っていうか」「こうしたほうがいい」「オレなんかもっと……」を使う方だ

(8)相手が暗い話をしたら、話題を変えたり、ジョークでかわすことが多い

(9)だらだらと前置きが長い話を聴くと、「何が言いたいんだ」と怒りたくなる

(10)会話が途切れると、黙っていられないタイプだ

【判定】YESが8個以上の人は聴くことが不得意な人。5~7個の人は少しは聴くことが出来る人。4個以下の人は、とても聴く力がある人です(作成・武藤清栄氏)

【2006年10月4日掲載記事】
http://news.www.infoseek.co.jp/gendainet/society/story/07gendainet05017323/

夫は私の財産目当てだった?

2006年10月12日 02時28分41秒 | Weblog
 70代の主婦。結婚61年目を迎えます。3人の子どもたちはやさしく、友人たちもいい人で、夫婦共々健康にも恵まれています。感謝しながら暮らしているのですが、夫のことですっかり気落ちしています。

 夫は80代の立派な人で、文句を言っては申し訳ないと思います。しかし、今になってよく考えると、夫は私の家の財力を目当てに、美人でもない私の婿養子に来たのではないかと思うのです。私は夫婦になったのだからと、両親に立ち向かっても、夫に尽くしてきたつもりです。でも夫は、自分の身内ばかりを大事にし、私をかばってくれることはありませんでした。

 私がため息まじりに、これまでの不満めいたことをつぶやくと、夫は「何もそんなに一生懸命やることはなかったじゃないか」と言いました。私の今までしたことは何だったんでしょうか。むなしい気持ちになるこの私を救ってくださいませ。(茨城・T子)



 結婚61年目。3人のお子さんをきちんと育てられ、ご夫婦共々健康に過ごされている。でも、あなたは、人生を振り返り「夫は家の財力目当てで婿養子に入ったにすぎない」との思いに駆られ、むなしさを覚えているのですね。

 そのむなしさは、夫が「キミのおかげだ、ありがとう」と言ってくれさえしたら、消えてしまうでしょうに。

 でも、ちょっと考えを変えてみてはどうでしょう。

 実は、最近、私も気がついたのですが、自分は「親のため、子どものためにこんなに頑張った」と思っていたけれど、私は私の生き方を貫こうとしただけ。そして、それができた自分は幸福だった、と。

 あなたもあなたの生き方を美しくまっとうされたからこそ、今の平穏を得たのではないでしょうか。

 夫とは、過去の愚痴や恨みではなく、楽しかったこと、幸福だったことを語りあってはいかがでしょう。

 晩年になって、ああ、そうだったのか、とはじめて知る夫婦の気づきもきっとあるはず。私は一人なので、うらやましいです。

 (久田 恵・作家)

(2006年10月1日 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/kinsen/20061001sy51.htm

中村天風師の教え

2006年10月06日 02時00分22秒 | Weblog

・宗教との違い
天風教義(中村天風師の教えをこのように呼びます)の特徴はその客観性にあります。

例えばキリスト教ではイエスの存在がその教えの前提となります。仏教ではお釈迦様です。

天風教義ではその様なシンボルを必要としません。

あなた自身、あなたの身体と心そのもの、更に我らを取り巻く自然、宇宙それらのあるがままの姿を

あるがままに捉えるところから教えが展開されます。

天風教義が宗教と違い、しかも宗教以上の理解を我々に与えるのはこの点です。

中村天風師は師自らその思想を「天風哲学」と呼ばれております。

しかし、一般の哲学書に師の思想を認めた記述を 私は知りません。

客観性という見方からすれば師の思想は公認の有無を別にして宗教よりは哲学という範疇に入るものといえると

私は思います。

・天風教義の目的は人間本来の生命力の発現、
人間が力強く生きるのは特別なことではなくて当然なことである、

人間は本来強い生命力で生き生きとその人生を全うするように出来ているのです。あなたも、私も。

何故そう言い切れるのか考えてみましょう。

例えば、花です。人が花を育てるときに出来るだけ燦々と日の当たる、栄養も水も十分な土に植えるでしょう。

そうすることでその花の持つ生命力を十分に遺憾なく発揮してくれることを知っているからです。

人間と花は違うとお考えですか。人間も花も自然の一部に過ぎません。自然の掟を離れては人間も存在し得ません。


正しい生き方についての真理を知りその真理に従った生き方をする

どんなことにも基本があります。基本に忠実にプレーする事が野球選手として良いプレーをするためには必要です。

花を育てるのに基本があるように人生を生きる上でも基本があるはずです。

その基本を知り、それに忠実な生き方がおろそかに出来ない大切な心構えです。

それでは、その基本とは何でしょう。

天風師はその講演テープ(心身統一法)の中で次の様に語っておられます。

「生き甲斐のある生涯を完全に生きたければ心と身体を一つにして生きなければいけない。

私も昔はどうしても目に見える肉体だけを考えて目には見えない心をあまり考えずに生きてきた。

病や運命に何らかの形で問題のある人はこれが原因である。

生き方の問題だ。大切なのは人間としてあるべき生き方をしているか。

本当の人間としての生き方をしているかどうかだ。

好き勝手に感情のおもむくままに生きたのでは満足な生き方が出来るわけがない。

心を正しくするという事は、この辺の消息を正しく把握して生きることである。

一見、健康に関係のない、このような心のあり方が健康をはじめ、その人の人生に大きく影響する。

長生きについても、薬や食物で長生きできるというのも間違いである。

病になれば薬を飲むのが文化人だと思っている人がいる。ところが薬の効かない病人がいる。

その前に根本的に人間らしい生き方をしていないと効く薬も効かない。

どんなに栄養のある食事をしても生き方に間違いがあると身に付かない。

底の抜けた樽に水を入れているようなもので、どんなに良い薬や栄養のある食事をしても吸収されない。

自分の考え方の間違いに気付かないで、体質だと思っている人がいる。

自分では少しも間違っていないと思っている。こんな人が多い。

心と身体を一つにまとめる生き方をしていると、生きる力がどんどん増して来て、私のように生きられる。

この生きている瞬間瞬間を現実に生かさなければならない。」

生き甲斐のあるのが人生なのだから、その様に生きればいい

その様に出来ている生命をその通りに生き切るのが人間としての自然な姿なのです。

天風教義の目的はその実現にあり、そのための HOW TO DO を示唆しているのです。

天風師はその講演テープの中で

「生き甲斐ある人生を生きるのではない、生き甲斐のあるのが人生なんだから、その様に生きればいいんだ!」と、

まさに他の人では言えないような素晴らしい表現で人生の機微をお話しされておられます。

先日ある青年が、この先生のお言葉について「先生もたまには言い間違えることがあるのですね、

あれは生き甲斐のない人生を生きるのではない、生き甲斐のある人生なんだから、その様に生きればいいんだ、

と仰るのをお間違えになられたのですね」と話しているのを聞きびっくりしました。

何故なら、今発売されている先生に関する御本には先生の御講演から文書化されたものがかなりあります。

その文書化の際に先程の青年のような間違いを間違いと知らずに修正して文書化してしまった場合、

大切なメッセージが伝わらないおそれがあるのです。

果たして、今我々が読むことの出来る御本についてその様な検証は出来ているのでしょうか。

私が御講演テープを直接聴く事をお薦めするのにはこのような背景もあるのです。

話がそれましたが、この先生のお言葉は決して言い間違いではありません。あなたならお判り頂けるでしょう。

あなたが、あなたの人生をあなたに与えられた力をフルに発揮して今日から、今から生きられることを念じてやみません。

そうしてはじめて「よりよく生き」ることが可能になり、「生き甲斐のある人生」を獲得することが可能になるのです。

正しい生き方;それは誰にでもわかりやすい生き方
正しい生き方をするのに何か難しいことを勉強しなければ出来ないはずがありません。

何年も難しい理屈を勉強して理解しなければ正しい生き方が出来ないというのではおかしいと私は思います。

正しい生き方は誰にでもわかりやすい方法であるはずです。

積極的な行動

天風師はその講演テープ(思考作用の誦句)の中で

「生きている以上、その刹那、刹那生き甲斐のある人生に生きようとするのが、

より価値高く生きようとするのが自然なのである。

その達成のためには生きている刹那の瞬間、瞬間の心の働きをどんなことがあっても消極的にしてはいけない。

悲しい時は悲しむ、問題が眼前に現れたら悩むのが当たり前だと思うだろうが、それは当たり前ではないのだ。

そんな場合でも、どんな場合でも心を積極的にする生活を実行すると、現実において健康も運命もよい方向に働く。

何故そうなるかは心と神経系統の働きを理解すれば「あっ、そうか」と納得できるはずだ。」と説明されておられます。

積極的な発言

言葉と態度についても天風師はその講演テープ(自己陶冶)の中で「言葉に注意すること。

「俺は酒に弱い」なんて言う言葉も良くない。「強くない」と言えばいいのだ。

私はどんな場合でもマイナスな言葉は使わない。

言葉はどんなに気を付けても気を付け過ぎることは無い。

そして同時に必要なのは態度。

芝居ひとつ見ても判る。心中に行く奴がお祭りに行くような態度をとったら芝居になるかい。

同様に祭りに行く奴が心中しに行くような態度をするかい。

態度はそのまま心に映る鏡のようなものだ。」と説かれておられます。

講演テープ(観念要素の更改)の中で

「できるだけ明るく朗らかに、生き生きとして勇ましく生きることが大切。

それには言葉に注意しなさい。消極的な言葉は使わなくても生きられる。痛い時でも「痛い」と言うな。

言葉というのは気無しで使っても潜在意識に影響を与える。

口から出す言葉、特に不平不満は決して口にしないこと。

何でも感謝し、何でも喜んで生きるようにしなさい。

それだけ心がけて生きるだけでどれだけ心が変わるか知れない。」 と説かれておられます。

本心良心

ところでその様な積極的な行動をとる場合の基準は何でしょう。

理性でしょうか、感情では流されてしまうことは判ります。しかし、これだけが人間の心だと思っている人がほとんどです。

実は、もう一つあるのです。本心良心といわれる心です。

それは、理性心だという人もおられるし、素直な心から出る感情だという人もおられます。

良く見つめてみると判りますが、理性でもなければ感情でもありません。

何故なら、人は理性で本心良心をごまかすこともしますし、感情のままに本心良心を無視した行動をすることがあります。

私には良くあります。

あなたは如何ですか。

この本心良心に背かない心の使い方が心を使う上で大切なことです。

そして勿論、本心良心に反しない思考、行動が積極的な行動なのです。

それは、難しいとお思いですか、実はこれが一番簡単なことなのです。

正しい生き方:それは効果を実感できる生き方
正しい生き方はその様に生きることでその様に生きていない時との差がすぐに実感できるはずです。

何年も修行をしてはじめてその効果が現れるというのでは何かおかしいと私は思います。

理解して行動するのではない、行動することで理解できるのだ

天風師は「幸福への自覚」という御講演の中で次の様に語られておられます。

「原因から結果を導き出すというのでなく先に結果を作りそこから原因を導き出すという方法だ。

正確には、観念を確立して後、実績を残すのでなく、先に実績を作りそれによって観念を形作るという方法である。」

とてもユニークがアプローチだと思いませんか。

ですから、天風教義の実践は効果が先に実感できるのです。

前項で、天風教義の生き方は正しい生き方でありその生き方は誰にでもわかりやすい生き方であると説明いたしました。

その通りに実行するだけですぐに効果が顕れるのです。

本当にそうだろうかという確認など必要ないのです。実際に実行してみると理解が出来るのです。

とてもシンプルです。大好きです。

理論を展開することが苦手な私の様な人間にはこの方法が唯一の理解の方法なのです。


正しい生き方;それは楽しい生き方
どんなに正しい生き方でもそれを実践することが大変な努力を必要とし、しかもその過程はつらい、

というのはおかしいと私は思います。

正しい生き方が人間本来の生き方であれば、決してつらいとか苦しいといったものであるはずがありません。

和の気持ちと共に生きる

天風師はその講演テープ(和について)の中で

「個人の生活に於いて和の心を持った貴い心で、精神的にも高い境地で毎日を生きることが大切だ。

この事は、それ自体が貴いことなのだが、心身に様々な好影響を考える時、ますます おろそかに出来ないことが分かる。

そればかりか、人生成功の秘訣も実は和の気持ち、即ち穏やかに、親しみ、解け合う気持ちと

密接な関係にあることに気づいていない人が多い。

論より証拠で、現実に成功し人の周囲を見ると、その周辺の人との関係が非常に理想的であることを発見するであろう。

第一に、和の気持ちを持った時と、争った気持ちを持った時とどちらの気持ちを持った時が気分がいいか

思い出して見たらすぐに分かるはずである。

これが分かったら、常に和の気持ち即ち穏やかに、親しみ、解け合う気持ちを豊かに持って日々行動して下さい。

このように生きる生き方こそ、完璧な意味の正しい生き方であり、人のためになる生き方であり、

当然心身にとっても 理想的な生き方である。つまり、100点満点の生き方といえる」と説明されておられます。

人生賛歌

天風師はその講演テープ(天風式人生観)の中で

「人生が最期まで平穏に過ごせるのならともかく、そうはいかないのが人生なのだから、

いい加減な人生観で自分を納得させても、ごまかし通せるものではない。

これならといえる人生観を持って生きなければいざという時に役に立たない。

私も若い時は人生観なんて学者や宗教家の考えることで自分には関係ないと思っていた。

その日、その日のことだけを考えていた。怖いもの無しの人生だった。

それが大病を患ってから、人生を真剣に考えるようになった。

とにかくそれで私は求道心が心に湧いてきた。片っ端からいろいろな人に質問をした。

しかし、答えが得られず求めて外国にまで尋ね歩いた。そして、ヒマラヤで3年の修行をすることとなった。

ついに、誰にも教わることなく自分の人生観を作り得た。

不思議な運命と戦い抜いて、それらを乗り越えさせてくれた私の心が与えてくれた人生観である。

その正否の判断は君たちに任せる。」という話の運びです。

あらためて、天風師の自信の強さを感じます。

そして「私の人生観はこうだ。

人生の目的は、出来るだけ歓びに満ちた時間を少しでも多く持って生きること、これに尽きる。

出来るだけ歓びの時を多く 自己の人生に味あわせることが人生の目的。

喜びのないところには本当の人生はない。

自分の命に歓びを与えるもの以外は、どんなに他の面で価値があるように見えても真実なものではない。

私の心が喜ばない事はどんなに金をもらってもしない。

私の心を喜ばせない事はしない。理屈ではない。

人間は欲望の実現のために働いている。その欲望は様々だろう。

しかし、全ては自分が喜びたいからだ。喜びを感じた時に本当の幸福感を感じる。

人生を理論的に考えて苦しむよりは出来るだけ 喜びの時間を多く持って生きるべきである。」

何という明快さでしょうか。

そして、ここからが最も重要なところなのですが、

どんな状況下でも喜びに生きる人生の極意が心に在ると仰ります。

「この境地になるとたとえ今病気であってもその事を忘れてそれを超えた所の人間としての歓びの境地になる。

無心の時は事があろうと無かろうと本然の心は喜んでいる。

肉体に病があってもそれを忘れているということは病の無いのと同じである。

心は苦しまなければ喜んでいるんだ。

病や運命から心が離れたときその人は自分では感じなくても幸福になっている。

逆に何もなくとも、心が気にしていたら病になっているのと同じである。

要は苦しまなければよい。余計な霧を晴らした時、そこにあるのは人間としての本来の歓びしかない。

本来の人間の姿なのだ。

喜んで生きるというのは何か喜びを見つけて生きることではなくて、

余計な不必要なものを取り去った時にもともとそこにあったものを見つける様なものだ。」

そして、「大体、人間の心に苦しいという心と楽しいという心の2つの心が同居する事は出来ない。

楽しいと思えば苦しみは消え去り、苦しいと感じれば楽しみは無くなる。

どんな苦しい状態であっても、それを苦しいと感じたら一分ももたないのが人間だ。

どんな状況下でも、そこに楽しさを見つけ出す事によって日常のあらゆる事に耐えてやっていけるのだ。」

と結ばれます。 本当にあなたもきっと勇気づけられるはずです。一番好きな講演になるはずです。  http://www5b.biglobe.ne.jp/~matsui/tempuu.htm#%90l%90%B6%8E^%89%CC

ゴルフの神髄は飛ばしだけではない

2006年10月03日 06時07分56秒 | Weblog
まずもって、プレーヤーは自分自身で毎日20分から30分にわたって、ストレッチ運動をすることを決意しなければならない。年を取つてきても、飛距離を落としたくないと思うのなら、体の柔軟性をキープして、体が回転しやすい状態を保つことが大切といえる。

 ほとんどの人は、年を取つてくると体が若いころのようには動かなくなり、体の柔軟性が失われてくる。しかし、このストレッチ運動をすることによつて柔軟性をキープすることはできる。これはだれのためでもない、自分自身で決意するだけで実行することができるのだ。

 2つ目のアドバイスは、リラックスして肩の力を抜いて、ゆつたりとフリーにクラブを振ったほうがより飛距離が出る、ということを理解することである。力を入れることが、距離を伸ばすことではないのだ。力が入れば入るほど、クラブへッドは走らない。

 そして3つ目のアドバイスは、世界一のティーチングプロといわれるポール・ラニアン(1938年の全米プロチャンピオン)が私にいったことである。それは、彼が13歳のときに自分で気がついたという真実のことだ。

 「他のプレーヤーは、(ドライバーで)60ヤードも私より先にいく。だが、自分はそんなことは気にしないで、自分のスタイルとしてショートゲームに専念するのだ」

 彼の身長は160センチちょっと。恵まれた体格とはいえなかったが、世界一のショートゲームプレーヤーといわれるようになった。また同時に、素晴らしいトーナメントプレーヤーでもあった。
 38年の全米プロ(マッチプレー)では、サム・スニードを下して優勝したものである。

 現在86歳でカリフォルニアに住んでいる彼は、今でも70台前半でラウンドしている。フィル・ロジャースをはじめ、今、ショートゲームのティーチングプロのほとんどは、彼の教えを引き継いでいるものといえる。

 その彼自身、13歳にしてゴルフの神髄を発見したのだ。すなわち、ウェッジとパターの重要性である。年を取つたあなたが、今そのことに目を向けることは決して遅くはない。

http://www.naturalgolf.co.jp/rutero/50.html