──新年は、新しく生まれ変わった自分と歩みたいと人は思う。
かなわぬ恋に冷めた愛。決着させるなら今年中?
でもせつなすぎて離れられない。だから悩む。そして苦しい。──
12月が近づくと、会社員のユタカさん(42)はそわそわする。イブにクリスマスにお正月。どうして1年間の重要なイベントがこうも集中するのか。
妻(40)もいるが、サユリ(28)もいる。その絶妙なバランスの上で自分は息をしている。だから余計に気を使う。
「ユウタ(8)のプレゼント、何にする?」
妻に昨日聞かれて思わず、
「ごめん。イブ残業が入っちゃってさ」
墓穴を掘った気がし、耳まで赤くなった。逆に恋人からは、
「イブはどこに泊まる?」
と聞かれている。もちろん悪い気はしない。
付き合い始めて3年目。サユリはそろそろ、結婚を考える年齢だろう。責任もちょっとは感じる。でも年末は家族を連れて俺の実家に帰るから、とでも言おうものなら、
「私、新潟の両親からお見合いを勧められているの」
殺し文句のように毎回言われる。サユリを失うことは、考えられない。
「家族と一緒でいいわね」
そう言われるたびに、
「じゃ、君は新しい年も僕と付き合ってくれるのか」
と聞きたいが、言えない。
昨年末、NHKの「ゆく年くる年」を実家で見ながら、こっそりサユリにメールを打った。
「今年最後のメールは、君だよ」
3日間返信がなくて焦った。家族を置いて1日早く帰京し、サユリの部屋に行った。
彼女の笑顔を見たらホッとした。いつか、除夜の鐘をすっきりした気持ちで聞きたい。でもそんな年末は来るのだろうか。
■京都の改札口でギュッ
ユタカさんだけではない。年末年始になると、「恋愛リセット」を考える人は多いのだろう。
周りの男たちが眠りにつくころ、商社勤務のエリカさん(32)は新幹線の窓に自分の顔を映す。京都まであと5分。そろそろ薄くグロスを塗る時間だ。
また、年末が来る。1年前を思い出した。
彼(48)に言われた。
「クリスマスも年末年始も家族と過ごすんだ。しばらく会えないけど、ごめん」
思わずエリカさんは言い返した。
「それなら12月の最初の週に、一緒に旅行に行って」
それで、2人は京都を旅した。改札口を出たところで、彼にぎゅっと抱きしめられたっけ──。
彼との付き合いが始まったのは、旅行の前の年から。社内の新プロジェクトチームで出会った。すぐに好意を抱いたが、妻子がいることは聞いていた。
残業をしていたある日、
「ご飯でも食べにいきますか」
声をかけられ、和食屋に入った。いつもより酔いが回った。気がつくと、
「好きです」
と告白していた。彼も、
「ありがとう。嬉しいよ」
と言ってくれた。その日キスした。会社では厳しい顔をしているのに、2人きりのときには甘えん坊になる。そこが好きだった。
■左薬指にはめる指輪
初めてのクリスマスに指輪をプレゼントされた。年末年始に、家族で過ごす彼を想像すると、胸が苦しくなった。そんなとき、左手の薬指にその指輪をはめると、少し落ち着いた。
彼との恋愛は2年で終わった。
「次のクリスマスは一緒にいて」
そう言ったのが原因なのかもしれない。偶然、社内の行事で彼の息子を見てしまい、そのパパぶりに焼きもちを焼いたのも原因かもしれない。
社内のプロジェクトが解散したころ、彼が突然、「いい機会かもしれない」と言った。
「機会って何? どうしたいの」
叫びにも似た声を張り上げた。何度も会って話した。私の何が悪いのか? 直すから言ってほしい。そう言っても、彼は黙っていた。最後に彼は言った。
「俺のことより、仕事のことを考えたほうがいい」
でも、あきらめられない。
電話もしたし、メールもした。返信は減っていった。
フロアに彼の声が聞こえると、思わず机の下に隠れた。頭をぶつけて、余計に目につき、
「何をやっているんですか?」 後輩にそう言われて苦笑いした。彼と目が合った。視線を先に外したのは、彼だった。
──もう終わったんだ。
彼の全身からそうメッセージが発せられているように感じた。その後、風の噂で聞いた。
「20代の愛人がいるんだって。モテるよね」
■財布から落ちた手紙
新しい女ができたのか……。でもそれから半年以上、涙を流した。強制終了を何度もしようと思ったし、指輪も捨てようとした。でも、できなかった。彼と時間が共有できないかと思うと、気が狂いそうだった。
今年の10月、突然の転勤を命じられた。場所は大阪。
「行かせていただきます」
すぐに返事をした。着任は来年1月。彼の顔を見なくて済む。そう思うと、涙は出なかった。
先日、住む家を探すため大阪に行った。時間が残ったので京都に立ち寄った。彼との思い出を今年中に清算したかった。
ああ、ここで手をつないだ、微笑みあった。木の陰でキスをした。互いに甘えられる相手だった。それでよかったではないか、そう思ったら感謝の気持ちがあふれた。
新しい年だから、新しい自分になれる。そんな気がする。だから、男女は年末が近づくと、恋愛を清算しようとするのかもしれない。
朝の階段は冷たい。つま先立ちで自宅の階段を下りながら、パート勤務のアサコさん(49)は思った。リビングのドアを開けると、テーブルの上に、食べ散らかしたコンビニのおにぎりがあった。今朝も夫の顔を見なかった。
結婚して22年。どちらかというと、仲のよい夫婦だった。子ども2人にも恵まれた。長男は今年大学生になる。昨年の末までは幸せだった。
2009年の新年、冷蔵庫のドアを開けて夫(48)が言った。
「正月なんだから、発泡酒じゃないのにしてよ」
それなら、あなたの財布から出してよと、軽く言った。
酒屋でお金を払うときに、夫の財布から手紙が落ちた。
「この前の旅行、楽しかった」
そう書いてあった。軽くめまいがして、店員に支えられた。
「すみません。ちょっと飲みすぎたみたいで」
新年のせいにしてごまかした。自分がみじめでならなかった。公園で時間をつぶし、夕方帰宅した。夫は酔って寝ていた。
■子どもについた嘘
顔を踏みつけたい──そんな思いも浮かんだが、そうはしなかった。子ども2人を養い、自宅の家賃を払うことは、自分一人ではできない。黙認した。
2月になって、夫に500万円の借金があることがわかった。夫に問い詰めても何に使ったのか、言わなかった。愛どころか信頼もなくなった。会社員の夫は、借金返済のために、土日にレストランの皿洗いのバイトに出かけるようになった。おかげで最近、顔も見なくなった。それから約10カ月。一言も口をきいていない。
息子が異変に気がついた。
「パパ、土日の仕事が増えたね」
そう言われて思わず、
「あなたたちの学費のためよ」 いい嘘をついた。
私は夫を愛しているのだろうか。
■年越しそばで結論
夏、夫の誕生日がきた。自分の中の答えを聞きたくて、手巻き寿司を作った。子どもも全員そろい、あとは夫だけ。二男に呼びかけにいってもらった。
すると、二男は言った。
「パパ、自分の部屋で寝てた。声を掛けても反応しないよ」
夫も家族というものを拒否しているんだ。架けようとした橋が落ちた。
12月を迎え、答えを出したいとすごく思うようになった。
やり直すのか別れるのか。
昨年の年越しは、家族でそばを打って食べた。今年もそうしようと思っている。年末年始の行事は、夫も無視できないだろう。根拠はないが、そう思う。どんな答えが出るのか、わからない。もし、それも拒否されたら……。怖い。でもすっきりしたい。心の中の澱は、今年中に捨てていきたい。
清算。そう一口に言っても、別れの決断は美しいばかりではない。
家庭裁判所の被告人席の椅子って、座り心地がいいんだな。緊張する場面なのにリラックスしている自分を感じ、会社員のシンヤさん(31)は驚いた。
「電車が遅れているため、原告はのちほど到着します」
弁護士から言われた。妻(31)が来るまでの間、猶予がもらえた気がした。
妻は同じ高校の同級生だった。当時は単なる友だちだったが、同窓会で再会し、自然と付き合うようになった。
妻は、何事もシロかクロかをはっきりさせるタイプ。何度もグレーを選んできた自分には、刺激的に映った。
旅行先で道に迷ったときも、
「絶対こっちよ」
と自分を引っ張っていく。理由はないという。でも、きちんと目的地に着く。そこに惚れた。
05年12月に入籍。結婚式は挙げなかった。妻が2度目の結婚だったというのが理由だ。でも自分は何の不満もなかった。近所からは、夫婦仲はいい感じに見えていただろう。とても大好きで大切な人だった。
だから一緒に住んで3年後、いきなり妻が出ていったときも、理由はわからなかった。テーブルに置かれた1枚の置き手紙にはこうあった。
「離婚したい。さようなら」
すぐに携帯電話に連絡した。通じない。妻の実家に電話した。義母が出て、妻がいることは認めたが、
「娘が決めたことだから」
話をさせてもらえなかった。
■妻が1回も来ない調停
最初は、放っておいた。子どもの家出みたいなものだと自分に言い聞かせた。曲げたへそも、時間が経てば元に戻る。実家にいるなら逆に安心だ。そう思っていた。
今年の夏に、封書が届いた。差出人は家庭裁判所。中の書類には、「申立人と相手方は離婚する」に何重にも○がしてあった。「申立人の実情」という記述欄にはびっしり自分の欠点が書いてあり、欄外にまではみ出していた。
彼女の筆跡だった。その筆致に、彼女の決意を感じた気がして、怖くなった。
その後、家事調停に4回通った。なぜか、妻は毎回欠席した。調停のたびに、「自分は離婚したくない。何も悪いことをしていない」と訴えた。
待合室には、調停を起こされた男女だけが集まる。その部屋に、子どもを抱いて泣いている女性がいて、自分のことよりも心配になった。
11月に離婚裁判の訴状が届いた。どうしてここまで放置していたのかと、友人には言われた。わからない。でも、
「これは、誤解とすれ違いから生まれたこと。1個ずつレンガをずらせば元の夫婦に戻れる」
そう確信していた。新年から夫婦の道が始まると豪語した。 大きな椅子に座ったまま、訴状が読み上げられていく。妻はまだ来ない。「被告から何かありますか?」と裁判官に聞かれて、
「妻が来てから話します」
小さな声で言った。
するとすぐに裁判官は、
「離婚裁判は、妻も夫も出てこないことが多い。そういうものですよ」
と言った。
■部屋で吸ったたばこ
そのとき、燃料もなく海に漂う1隻の船が脳裏に浮かんだ。対岸にたどりつけないまま、出航した港にも戻れない。
一気に徒労感が襲った。今日のために徹夜で書いた妻への手紙も、小さいものに見えた。裁判をすぐに終わらせたくなった。
離婚はすぐに成立するだろう。来年の年賀はがきに「独身に戻りました」と書こうかと迷う。自分の両親に相談する時間もなかった。
伝えると、
「今年は久しぶりに、家族だけの年越しね」
なぜか、涙がこぼれた。
妻の荷物だけが残った部屋は、やけに広く見える。そう思いながら、たばこに火をつけた。そういえば、訴状の中に、「たばこを吸うのが許せない」とあった。これからは、堂々と吸えるのか。そう思った瞬間、
──何のために生きている?
どこかから声が聞こえて、思わず身震いした。妻との恋をたばこの火に消して、鍵を閉めた。
(文中カタカナ名は仮名)
(12月28日号)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20091221-00000001-aera-soci
かなわぬ恋に冷めた愛。決着させるなら今年中?
でもせつなすぎて離れられない。だから悩む。そして苦しい。──
12月が近づくと、会社員のユタカさん(42)はそわそわする。イブにクリスマスにお正月。どうして1年間の重要なイベントがこうも集中するのか。
妻(40)もいるが、サユリ(28)もいる。その絶妙なバランスの上で自分は息をしている。だから余計に気を使う。
「ユウタ(8)のプレゼント、何にする?」
妻に昨日聞かれて思わず、
「ごめん。イブ残業が入っちゃってさ」
墓穴を掘った気がし、耳まで赤くなった。逆に恋人からは、
「イブはどこに泊まる?」
と聞かれている。もちろん悪い気はしない。
付き合い始めて3年目。サユリはそろそろ、結婚を考える年齢だろう。責任もちょっとは感じる。でも年末は家族を連れて俺の実家に帰るから、とでも言おうものなら、
「私、新潟の両親からお見合いを勧められているの」
殺し文句のように毎回言われる。サユリを失うことは、考えられない。
「家族と一緒でいいわね」
そう言われるたびに、
「じゃ、君は新しい年も僕と付き合ってくれるのか」
と聞きたいが、言えない。
昨年末、NHKの「ゆく年くる年」を実家で見ながら、こっそりサユリにメールを打った。
「今年最後のメールは、君だよ」
3日間返信がなくて焦った。家族を置いて1日早く帰京し、サユリの部屋に行った。
彼女の笑顔を見たらホッとした。いつか、除夜の鐘をすっきりした気持ちで聞きたい。でもそんな年末は来るのだろうか。
■京都の改札口でギュッ
ユタカさんだけではない。年末年始になると、「恋愛リセット」を考える人は多いのだろう。
周りの男たちが眠りにつくころ、商社勤務のエリカさん(32)は新幹線の窓に自分の顔を映す。京都まであと5分。そろそろ薄くグロスを塗る時間だ。
また、年末が来る。1年前を思い出した。
彼(48)に言われた。
「クリスマスも年末年始も家族と過ごすんだ。しばらく会えないけど、ごめん」
思わずエリカさんは言い返した。
「それなら12月の最初の週に、一緒に旅行に行って」
それで、2人は京都を旅した。改札口を出たところで、彼にぎゅっと抱きしめられたっけ──。
彼との付き合いが始まったのは、旅行の前の年から。社内の新プロジェクトチームで出会った。すぐに好意を抱いたが、妻子がいることは聞いていた。
残業をしていたある日、
「ご飯でも食べにいきますか」
声をかけられ、和食屋に入った。いつもより酔いが回った。気がつくと、
「好きです」
と告白していた。彼も、
「ありがとう。嬉しいよ」
と言ってくれた。その日キスした。会社では厳しい顔をしているのに、2人きりのときには甘えん坊になる。そこが好きだった。
■左薬指にはめる指輪
初めてのクリスマスに指輪をプレゼントされた。年末年始に、家族で過ごす彼を想像すると、胸が苦しくなった。そんなとき、左手の薬指にその指輪をはめると、少し落ち着いた。
彼との恋愛は2年で終わった。
「次のクリスマスは一緒にいて」
そう言ったのが原因なのかもしれない。偶然、社内の行事で彼の息子を見てしまい、そのパパぶりに焼きもちを焼いたのも原因かもしれない。
社内のプロジェクトが解散したころ、彼が突然、「いい機会かもしれない」と言った。
「機会って何? どうしたいの」
叫びにも似た声を張り上げた。何度も会って話した。私の何が悪いのか? 直すから言ってほしい。そう言っても、彼は黙っていた。最後に彼は言った。
「俺のことより、仕事のことを考えたほうがいい」
でも、あきらめられない。
電話もしたし、メールもした。返信は減っていった。
フロアに彼の声が聞こえると、思わず机の下に隠れた。頭をぶつけて、余計に目につき、
「何をやっているんですか?」 後輩にそう言われて苦笑いした。彼と目が合った。視線を先に外したのは、彼だった。
──もう終わったんだ。
彼の全身からそうメッセージが発せられているように感じた。その後、風の噂で聞いた。
「20代の愛人がいるんだって。モテるよね」
■財布から落ちた手紙
新しい女ができたのか……。でもそれから半年以上、涙を流した。強制終了を何度もしようと思ったし、指輪も捨てようとした。でも、できなかった。彼と時間が共有できないかと思うと、気が狂いそうだった。
今年の10月、突然の転勤を命じられた。場所は大阪。
「行かせていただきます」
すぐに返事をした。着任は来年1月。彼の顔を見なくて済む。そう思うと、涙は出なかった。
先日、住む家を探すため大阪に行った。時間が残ったので京都に立ち寄った。彼との思い出を今年中に清算したかった。
ああ、ここで手をつないだ、微笑みあった。木の陰でキスをした。互いに甘えられる相手だった。それでよかったではないか、そう思ったら感謝の気持ちがあふれた。
新しい年だから、新しい自分になれる。そんな気がする。だから、男女は年末が近づくと、恋愛を清算しようとするのかもしれない。
朝の階段は冷たい。つま先立ちで自宅の階段を下りながら、パート勤務のアサコさん(49)は思った。リビングのドアを開けると、テーブルの上に、食べ散らかしたコンビニのおにぎりがあった。今朝も夫の顔を見なかった。
結婚して22年。どちらかというと、仲のよい夫婦だった。子ども2人にも恵まれた。長男は今年大学生になる。昨年の末までは幸せだった。
2009年の新年、冷蔵庫のドアを開けて夫(48)が言った。
「正月なんだから、発泡酒じゃないのにしてよ」
それなら、あなたの財布から出してよと、軽く言った。
酒屋でお金を払うときに、夫の財布から手紙が落ちた。
「この前の旅行、楽しかった」
そう書いてあった。軽くめまいがして、店員に支えられた。
「すみません。ちょっと飲みすぎたみたいで」
新年のせいにしてごまかした。自分がみじめでならなかった。公園で時間をつぶし、夕方帰宅した。夫は酔って寝ていた。
■子どもについた嘘
顔を踏みつけたい──そんな思いも浮かんだが、そうはしなかった。子ども2人を養い、自宅の家賃を払うことは、自分一人ではできない。黙認した。
2月になって、夫に500万円の借金があることがわかった。夫に問い詰めても何に使ったのか、言わなかった。愛どころか信頼もなくなった。会社員の夫は、借金返済のために、土日にレストランの皿洗いのバイトに出かけるようになった。おかげで最近、顔も見なくなった。それから約10カ月。一言も口をきいていない。
息子が異変に気がついた。
「パパ、土日の仕事が増えたね」
そう言われて思わず、
「あなたたちの学費のためよ」 いい嘘をついた。
私は夫を愛しているのだろうか。
■年越しそばで結論
夏、夫の誕生日がきた。自分の中の答えを聞きたくて、手巻き寿司を作った。子どもも全員そろい、あとは夫だけ。二男に呼びかけにいってもらった。
すると、二男は言った。
「パパ、自分の部屋で寝てた。声を掛けても反応しないよ」
夫も家族というものを拒否しているんだ。架けようとした橋が落ちた。
12月を迎え、答えを出したいとすごく思うようになった。
やり直すのか別れるのか。
昨年の年越しは、家族でそばを打って食べた。今年もそうしようと思っている。年末年始の行事は、夫も無視できないだろう。根拠はないが、そう思う。どんな答えが出るのか、わからない。もし、それも拒否されたら……。怖い。でもすっきりしたい。心の中の澱は、今年中に捨てていきたい。
清算。そう一口に言っても、別れの決断は美しいばかりではない。
家庭裁判所の被告人席の椅子って、座り心地がいいんだな。緊張する場面なのにリラックスしている自分を感じ、会社員のシンヤさん(31)は驚いた。
「電車が遅れているため、原告はのちほど到着します」
弁護士から言われた。妻(31)が来るまでの間、猶予がもらえた気がした。
妻は同じ高校の同級生だった。当時は単なる友だちだったが、同窓会で再会し、自然と付き合うようになった。
妻は、何事もシロかクロかをはっきりさせるタイプ。何度もグレーを選んできた自分には、刺激的に映った。
旅行先で道に迷ったときも、
「絶対こっちよ」
と自分を引っ張っていく。理由はないという。でも、きちんと目的地に着く。そこに惚れた。
05年12月に入籍。結婚式は挙げなかった。妻が2度目の結婚だったというのが理由だ。でも自分は何の不満もなかった。近所からは、夫婦仲はいい感じに見えていただろう。とても大好きで大切な人だった。
だから一緒に住んで3年後、いきなり妻が出ていったときも、理由はわからなかった。テーブルに置かれた1枚の置き手紙にはこうあった。
「離婚したい。さようなら」
すぐに携帯電話に連絡した。通じない。妻の実家に電話した。義母が出て、妻がいることは認めたが、
「娘が決めたことだから」
話をさせてもらえなかった。
■妻が1回も来ない調停
最初は、放っておいた。子どもの家出みたいなものだと自分に言い聞かせた。曲げたへそも、時間が経てば元に戻る。実家にいるなら逆に安心だ。そう思っていた。
今年の夏に、封書が届いた。差出人は家庭裁判所。中の書類には、「申立人と相手方は離婚する」に何重にも○がしてあった。「申立人の実情」という記述欄にはびっしり自分の欠点が書いてあり、欄外にまではみ出していた。
彼女の筆跡だった。その筆致に、彼女の決意を感じた気がして、怖くなった。
その後、家事調停に4回通った。なぜか、妻は毎回欠席した。調停のたびに、「自分は離婚したくない。何も悪いことをしていない」と訴えた。
待合室には、調停を起こされた男女だけが集まる。その部屋に、子どもを抱いて泣いている女性がいて、自分のことよりも心配になった。
11月に離婚裁判の訴状が届いた。どうしてここまで放置していたのかと、友人には言われた。わからない。でも、
「これは、誤解とすれ違いから生まれたこと。1個ずつレンガをずらせば元の夫婦に戻れる」
そう確信していた。新年から夫婦の道が始まると豪語した。 大きな椅子に座ったまま、訴状が読み上げられていく。妻はまだ来ない。「被告から何かありますか?」と裁判官に聞かれて、
「妻が来てから話します」
小さな声で言った。
するとすぐに裁判官は、
「離婚裁判は、妻も夫も出てこないことが多い。そういうものですよ」
と言った。
■部屋で吸ったたばこ
そのとき、燃料もなく海に漂う1隻の船が脳裏に浮かんだ。対岸にたどりつけないまま、出航した港にも戻れない。
一気に徒労感が襲った。今日のために徹夜で書いた妻への手紙も、小さいものに見えた。裁判をすぐに終わらせたくなった。
離婚はすぐに成立するだろう。来年の年賀はがきに「独身に戻りました」と書こうかと迷う。自分の両親に相談する時間もなかった。
伝えると、
「今年は久しぶりに、家族だけの年越しね」
なぜか、涙がこぼれた。
妻の荷物だけが残った部屋は、やけに広く見える。そう思いながら、たばこに火をつけた。そういえば、訴状の中に、「たばこを吸うのが許せない」とあった。これからは、堂々と吸えるのか。そう思った瞬間、
──何のために生きている?
どこかから声が聞こえて、思わず身震いした。妻との恋をたばこの火に消して、鍵を閉めた。
(文中カタカナ名は仮名)
(12月28日号)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20091221-00000001-aera-soci