驚くほど効く「心のギアチェンジ」~前向きな脳をつくる「かもの法則」

2010年04月30日 15時42分28秒 | Weblog
■「かも」を変えれば未来は変わる

「リストラされるかも」「給料が減るかも」……不況の中、そんな不吉な予感が頭をかすめる、という人も多いのではないでしょうか。
 こうした否定的な「かも」に囚われると、人はどんどん悲観的になってしまいます。そして、自分の仕事がうまくいかないことを、自分以外の誰かや環境のせいにしてしまう。「小泉改革のせいだ」「無能な上司のせいだ」などと責任を転嫁して、自分を守ろうとするのです。
 そんな「他責」の思考習慣が、現状を変革できないビジネスマンの特徴といえるでしょう。
 恐ろしいことに、誰かを責めることで自分を守っていると、不安や不満などのマイナスの感情に脳が支配され、前向きな努力を放棄してしまう。そして、悪い予感が現実のものになってしまうのです。

 その一方で、「こういうときこそ、自分が活躍できるチャンスかも」と、悪条件を肯定的に捉えようとする人もいます。
 そういう人は、「ダメかも」「うまくいかないかも」ではなく、「成功するかも」「できるかも」という肯定的な「かも」によって自分をコントロールして、幸せをつかむ。
 要するに、「かも」の違いで未来は変わるということ。それを私は、「かもの法則」と名付けています。

 人間は、自分の将来について「肯定的な錯覚をしている人」「否定的な錯覚をしている人」に二分されます。肯定的な錯覚をする人は、言うまでもなく、肯定的な「かも」で発想するタイプです。
 長年にわたって、経営者やビジネスマンの能力開発に携わってきた経験から言うと、一代で上場企業をつくったような成功者は、ほぼ例外なく肯定的な錯覚をしています。
 常識的に考えれば無理だと思うようなことも、「俺ならできる」と思い込んで、本当に実現してしまう。失敗を失敗と思わない、言い換えれば、ただの“アホ”ですが、こういう人に責任転嫁という発想はありません。
 ですが、そんな成功者はほんの一握り。世の99%の人は「他責」の思考習慣や否定的な錯覚に陥って、結果的にイメージした通りの自分になってしまう。つまり能力開発とは、いかにして肯定的錯覚、肯定的な「かも」を脳に植えつけるか、に尽きるのです。


■“感情脳”が人を動かす

 従来の能力開発理論は、イメージと思考を中心に組み立てられてきました。イメージや思考を司るのは「大脳新皮質」にある右脳と左脳ですが、私はその内側にある「大脳辺縁系」、いわゆる“感情脳”に着目したアプローチを行っています。
 イメージや思考という理屈だけでは心をコントロールできない。より深いところにある“感情脳”が人を動かすのです。
 肯定的錯覚を続けるためには、常に前向きの予感、肯定的な「かも」で心を満たして、“感情脳”を傷つけないこと。感情脳が「快」の状態なら、自然とプラス思考ができるようになるのです。
 近年、うつ病のビジネスマンや自殺者が増えていますが、否定的な思考習慣に縛られている人は、肯定的な錯覚ができるよう、頭を切り替えてほしいと思います。

 でも、どうしてもマイナス思考から抜け出せない、他人を責めることでしか自分を守れないという人もいるかもしれません。
 そういう人は、とりあえずマイナス思考はそのままにして、プラスのイメージ、プラスの感情を持つよう心がけてください。そうすれば、プラス思考はあとからついてくるはずです。
 たとえば、毎日遅くまで飲み歩いている私に対し、妻は烈火のごとく怒ります。まさに鬼のような形相なのですが、「うるさいな、この鬼ババア!」というマイナスの感情を持つと、「どうしてこんな女と結婚したんだ」とマイナス思考に陥ってしまう。でも、「亭主の健康をこんなに心配してくれるなんてありがたいなぁ」と感謝すれば、「妻はとてもいい人だ」という肯定的錯覚が生まれるのです(笑)。
 否定的なことを考えたり、口に出したときは、肯定的な記憶データに塗り替えておくことも重要です。
 危機的な状況に置かれても、誰かを責めるのではなく、「これは私を強くするチャンス。神様からのプレゼントかも」と肯定的に捉える。すると、“感情脳”が「不快」から「快」へと切り替わるのです。眠っている間に、否定的な記憶が脳に固定化されないよう、寝る前に「記憶の塗り替え」を行うことをお勧めします。

 また、肯定的な自己暗示をかける方法もあります。
 嫌なことがあったときに「なし!」と言ってパチンと指を鳴らす、「俺は人とは違う。だからこんなことでは腹を立てない」と口に出す──そんな決めごとをつくっておいて、マイナスの感情を忘れるきっかけにする。
 私は、毎朝、目覚めたときに、「俺はツイてる!」と言うようにしています。根拠なんてなくても大丈夫。言葉にすることで、“感情脳”を「快」の状態にすることが重要なのです。
 苦手な人と接するとき、自分の好きなものを重ねてイメージする方法も、意外なほど効果があります。
 私も、会社勤めをしていた頃、大嫌いな上司の頭の上に、好物の松茸が生えている姿をイメージして、「松茸上司」と心の中でおもしろがっていました。そうすれば、「嫌だなぁ」というマイナスの感情が消える。「そんなバカな!」と思う人は一度試してみてください。


■金メダルをつかんだ「他喜力」の強さとは

 ここまで、責任転嫁をしないために、物事を肯定的に捉える方法について説明してきましたが、もうひとつ大事なことがあります。
 それは、いつも「他人の幸せを考える」こと。
 肯定的な思考習慣が身についている人は、「会社のため、家族のためにがんばる」といった「使命感」を持っています。そして、周囲への感謝の気持ちを忘れません。
 他人を幸せにする、人を喜ばせようとする能力を、私は「他喜力」と呼んでいます。
 自分を幸せにするためだけの努力は燃え尽きますが、他人を幸せにするためなら、いくらでもがんばれる。「かもの法則」で言えば、家族や同僚の喜ぶ顔をイメージすることが「できるかも」につながり、人生にツキをもたらすのです。

 企業には、「(1)言われたこともしない人」「(2)言われたことをする人」「(3)言われたこと以上のことをする人」の3種類の人間がいます。まず、「(1)言われたこともしない人」は、言い訳をして自己防衛をする。そして間違いなく「他責」の思考をします。「(2)言われたことをする人」も、悪く言うと言われたことしかしない。なので環境が悪くなったり、追い込まれたりすると、自分を正当化するために責任転嫁をしてしまいます。
 ですが、「(3)言われたこと以上のことをする人」は、他人に責任を転嫁しません。指示されていないことまでやるのは「他喜力」であり、積極的自己犠牲です。
 会社の前に落ちているゴミを拾うとか、そんな些細なことで十分です。「周囲の人を幸せにしたい」と思うからこそ、自己犠牲が負担にならず、それを楽しいと思えるのです。

 この「他喜力」は、特にチームプレーで力を発揮します。私はスポーツ選手のメンタルトレーニングも担当していますが、北京オリンピックで金メダルを獲得した女子ソフトボールチームにも、「他喜力」を植えつけるためのトレーニングをしてもらいました。
 その方法は、恩人を訪ねて感謝の気持ちを伝えること。上野選手は、お亡くなりになった高校時代の恩師のお宅を訪ね、仏壇に手を合わせたそうです。
 釈迦の教えを基にした手法ですが、脳科学的に考えても非常に理に適っている。脳は入力と出力で成り立っているので、単に「ありがたい」と思うだけではなく、行動という形で出力しなければ強化されないのです。

 一見、人のための行動のようですが、実は自分のためになる。周囲の人によって自分が生かされていることに気づくことで、すべてに感謝する気持ちが生まれ、積極的な自己犠牲ができるようになる。それが自分を信じる強さにつながり、あなたを成功へと導くのです。


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西田文郎
1949年生まれ、サンリ能力開発研究所代表。ビジネス界、スポーツ界におけるイメージトレーニングの第一人者。北京オリンピックでは女子ソフトボールの金メダル獲得をサポートした。

梶山寿子=構成

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100404-00000001-president-bus_all

嫌な相手と付き合うには、“悪い面”の裏側を探すことがポイント!

2010年04月30日 13時20分07秒 | Weblog


あの嫌な上司とうまく付き合うにはどうしたら?
職場や取引相手などで「嫌だな」「付き合いにくいな」と感じる人、1人ぐらいはいるのでは? 特にそれが先輩や上司だったりすると、会社に行くこと自体がストレスになってしまいそう。そうならないためにも、嫌な上司との上手な付き合い方を心得てみて。

「人は誰でも“いい面”と“悪い面”がありますが、それは裏表の関係であることも多いのです。ある人は『自慢話が多くて苦手』と感じても、別の人から見たときは『知識が豊富でいろいろ教えてくれるからありがたい』と取れる場合も。自分が嫌だなと感じている面の裏側にある“いい面”を探そうとする意識が大切です」

と話すのは、女性の生き方や働き方について研究している作家・写真家の有川真由美さん。相手の“いい面”を見つけることができれば、その人は自分にとって“いい人”になる。“いい人”と思ってその人と接すると、相手にも「この人は自分をいい人だと思っている」ということが自然と伝わるので、いい関係が築きやすくなるのだそう。
さらに有川さんによると、嫌な上司とうまく付き合うためには次のようなポイントも押さえておくといいみたい。

◎挨拶やホウレンソウは先手必勝!
挨拶やホウレンソウ(報告・連絡・相談)は必ずしなければならないこと。それなら上司に言われるまでしないより、先にしてしまうほうが好印象。積極性をアピールすることもできる。

◎リスペクトを言葉で伝えよう
上司の“悪い面”の裏側にある“いい面”を見つけ、敬意を言葉で表してみて。例えば口うるさく注意してくる上司に、なにかの連絡のついでに「いつもためになるアドバイスをいただき感謝しています」とひと言添えると、次第に優しく注意してくれるようになる。

◎上司の価値観をしっかり理解する
上司からの評価とは、上司自身の価値観に準じている。礼儀が大事か、合理性が大事か、協調性が大事なのか…など、上司自身の仕事を観察すると価値観がわかるので、そのポイントに気をつけるようにすれば評価もアップ!

嫌な上司を“嫌な存在”のままにせず、自分から態度を変えて対処しようとする姿は、「コミュニケーションが上手な人」と、仲間からの信頼を集められるというメリットも。一石三鳥にも四鳥にもなることだから、さっそく取り入れて!【オズモール】


【映画】『アイ・アム・レジェンド』に関する衝撃の事実

2010年04月19日 18時39分30秒 | Weblog
この文章はウィル・スミス主演のSFサスペンス『アイ・アム・レジェンド』のラストに関する話である。未見の方は基本的に読まない方が良いと思うが、それなりに興味深い内容なので、今後特に見る予定がないのであれば、読んでも構わないのではないかと思う。


昨日、たまたま『アイ・アム・レジェンド』にもう一つのエンディングというものがあることを知り、その映像をYouTubeで実際に見て愕然とした。

これ、いくら何でも違いすぎだろう。

エンディングに2つのヴァージョンがある映画はさほど珍しいわけではない。たとえば『アイ・アム・レジェンド』とよく似た作品である『28日後…』にも2つのエンディングがあって、僕が見たときは、最初に公式のエンディングが流され、エンドロールの後にアナザー・エンディングが流されるという上映形態が取られていた。しかしその2つはハッピーエンドとアンハッピーエンドの違いこそあるものの、決して作品のテーマや世界観を覆すようなものではなかった。

ところが『アイ・アム・レジェンド』の2つのエンディングは、作品のテーマを根本から引っ繰り返してしまう、ありえないほど違うものなのだ。


映画のあらすじは、ウイルス感染によって人類のほとんどがダークシーカーズ(ゾンビと吸血鬼の合いの子のようなもの)に変化。何故か免疫を持っていたウィル・スミスは、ダークシーカーズの襲撃をかわして、ニューヨークでただ一人サヴァイヴァルを続ける。科学者である彼は、ダークシーカーズを人間に戻す血清を研究しながら、他の生き残りに連絡を取ろうとするが…というものだ。

そして劇場公開版のラストは、ウィル・スミスがついに血清を開発したものの、隠れ家をダークシーカーズに襲われ絶体絶命。途中で知り合った女性と子供に血清を託し、自らは二人を逃がすためにダークシーカーズを道連れに自爆。血清は無事生き残った人間たちの手に渡り、ウィル・スミスは「人類を救った伝説の男」になりました…というものだ。


ところが、これは本来のエンディングではなく、公開1か月前のモニターテストの結果、急遽追加撮影されて差し替えられたヴァージョンだというのだ。


本来のエンディングは、それまでの物語を180度覆すような内容だ。ウィル・スミスが血清開発用の実験台として捕えてきた女ダークシーカーは、実はダークシーカーズのボスらしき男の恋人(またはそれに類する存在)だった。ボスは、自分たち新人類を別の生き物に改造しようとするウィル・スミスの魔の手から恋人を取り戻すため、罠を仕掛けたりして、スミスを執拗に付け狙っていたのだ。ようやくそれに気づいたスミスは、女をボスのもとに返し、解毒注射(?)を打つ。そして一言「I'm sorry.」

つまり本来の『アイ・アム・レジェンド』において、ウィル・スミスは「人類を救った伝説の男」などではなく、いわば新人類であるダークシーカー側から見て「人々を何人も殺害し、挙げ句の果てには自分たちを別の生き物に改造しようとした伝説の悪鬼」だったのだ。


お〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い、それはいくら何でも違いすぎだろう! !


確かに劇場で見たときも、終盤が妙に早急で、広げた風呂敷を大急ぎで畳んだような感じは受けた。そしてタイトルにもかすかな違和感を覚えた。あのラストなら、タイトルは『ヒー・イズ・レジェンド』ではないのか、それが何故『アイ・アム・レジェンド』なのか?と思ったのだ。この本来のラストを知って、その謎が氷解した。ウィル・スミスは生きているのだから『アイ・アム・レジェンド』でいいのだ。しかもそれは決して「俺様は世界を救った男」などという晴れがましい代物ではなく、前述のような苦々しさに満ちた言葉だったのだ。

劇場で見た『アイ・アム・レジェンド』は、ゾンビものの変形、化け物相手のサバイバルサスペンスとして、予想以上に面白い映画だった。しかしあくまでも娯楽作品としてなかなか面白かったというレヴェルで、それ以上の感動が残ったわけではない。
しかしこのラストなら、話はまるで違ってくる。本来の『アイ・アム・レジェンド』において、人類を救うはずのヒーローは、実は新しい世界の秩序を乱し、新人類の愛を奪い去る邪悪な存在だったのだ。
SFであれアクションであれ、2001年以降にアメリカで作られる「都市崩壊映画」は、どうあがいたところで確実に911の影を背負うことになる。その状況下でこのラストを提示することは、アメリカ人に対して「そもそも我々は、911を初めとするテロ戦争において本当に被害者だったのか?」という、最も触れられたくない疑問を突きつけるのに等しい。ダークシーカーズを無知蒙昧な人種と決めつけ、罪の意識など一片も持たぬまま実験動物として使用。怒り狂って仲間を取り戻しに来たダークシーカーズに「君たちは病気なんだ。僕なら助けることが出来る。君たちみんなを救うことが出来るんだ」と繰り返し叫ぶウィル・スミスの姿は、自由と民主主義の名の下に、諸外国に軍事介入を続けるアメリカの姿そのものではないか。

だからこそ、このラストは却下されてしまったのだろう。


しかし…それにしても…そこまで変えるか? いくら何でも変えて良いものと悪いものがあるだろう。ハリウッド映画の世界で、作品のメッセージが20度や30度変わるのは仕方ない。しかしこれでは20度や30度ではなく180度、まったくの正反対ではないか。


調べたところ、リチャード・マシスンの原作小説は、まさしく価値観の逆転をテーマにしたものだそうだ。ラストで主人公は吸血鬼たちに捕まって処刑されるが、その時初めて、自分が吸血鬼たちから伝説の悪魔として恐れられていたことを知る…という内容らしい。
しかし以前にチャールトン・ヘストン主演で映画化された『地球最後の男 オメガマン』は、こちらの劇場版と同じく、主人公が血清を開発した後、伝説の男として英雄的に死んでいくという脚色がなされているらしい。『アイ・アム・レジェンド』は、テーマ的にはマシスンの原作に近いものを作ろうとしたものの、最終的にはスタジオの圧力で『地球最後の男 オメガマン』の方に引き戻されてしまったということだ。


この一件で、映画というのがいかにいい加減な芸術であるかを、あらためて思い知らされた。そして、少なくともハリウッド映画においては、ある程度製作の舞台裏を知らないと、その作品が本当は何を描こうとしたのかも、ろくに分からないのではないかという気さえしてきた。最近のDVDに本編を凌ぐほど長い特典映像やオーディオコメンタリーが付いているのには、ビジネス上の理由だけでなく、芸術上の免罪符的な意味もあるのではなかろうか。ちなみにこのアナザー・エンディングは、『アイ・アム・レジェンド』のDVDに特典映像として収録されているそうだ。


現在DVDで見られる様々な映画のヴァージョン違いを検証し、その変更はどのような事情で行われたのか、その結果映画のメッセージはどのように変化したのかなどを、『ハリウッド 免罪符の歴史』とでもいう本にまとめたら、さぞかし面白いことだろう。それでも『アイ・アム・レジェンド』ほど極端な改変は少ないと思うが。


(2008年8月)

http://www.bonobono.cocolog-nifty.com/badlands/2008/08/post_dbbd.html

際限なき時代に巣食う「心の過労」

2010年04月14日 15時22分29秒 | Weblog
AERA4月12日(月) 12時57分配信 / 国内 - 社会
──じっくり、心を込めて、仕事をすることが難しくなっている。
効率的に、極限の仕事量をさばくのが日常となりつつある。
あるコラムをきっかけに、いま働く人たちが抱える心の問題を巡った。──

 雨の月曜日は普段にも増してイライラ感が募っている。
 湿気が充満した満員電車の車内。乗客は下を向き携帯電話をいじっている。急ブレーキがかかり傘が隣の人に倒れかかる。舌打ちするだけで謝らない。
 改札の外には、宣伝文句をがなり立てながらビラを配る人。傘を広げようとするサラリーマンは、ビラに目もくれず迷惑そうに過ぎていく。落ちたビラが雨に濡れてぐちゃぐちゃに踏みつけられている。誰も自分以外のことには関心がない。
「剥がしても剥がしても張りついてくる薄い寂しさのようなものを、私たちは今抱えている気がする」
 一橋大教授で精神科医でもある宮地尚子さんは、3月17日の朝日新聞夕刊にこんなコラムを寄せた。読んで心が激しく共振した。殺伐とした砂漠のような社会で働く、一人の労働者として。

■尊厳守る最低ライン

「デフレで物の値段が下がる。物を作り、運び、売る人たちの価値が値切られる」
「肉体は動きを止めれば休養できるが、頭や心は職場を出てもすぐにスイッチを切れない」
「不安の時代」と言われるが、宮地さんは「不安」ではなく、「寂しさ」と書いた。いま労働者が直面する日常の救いようのなさは、寂しいという感情になってまとわりつく。
 最近私が取材した、従業員80人ほどの印刷会社で働く男性(31)は、こんなことをボソリとつぶやいた。
「際限がなくなっている気がするんですよね。これまで安心や安全やクオリティーのために、暗黙の了解で守られてきた一線が破られていく感じがします」
 昨年末に取引先から、「印刷代20%カット」を要求された。どんな不況期でも、「1メートル当たり1.6円」を死守してきた。それは「労働者の尊厳を守る最低線」でもあった。デフレや不況の前にはその最低ラインさえ存在しないかのような、値切り交渉を持ちかけられる。
 一方でここ数年、品質への要求水準がどんどん高まっている。目を凝らさなければ気づかない印刷のズレ、ごくわずかな発色の違い、本質的な機能には関係ない微細な部分まで完璧を求められ、その分仕事は増えていく。少しでも基準からずれれば、作り直しを命じられ、納期前は終電帰りの日が続く。「労働量の際限のなさ」を感じる。
 そんな究極の状態で、彼はあるとき年上のベテラン作業員が連発した単純ミスに、苛立ちに任せて怒鳴ってしまった。
「なんでこんなこともできないんだよ」
 ぶちまけたらスッキリするどころか、なぜあんな言い方になったのか、家に帰っても自問自答した。タイミングを見計らって、失礼な態度を謝った。
 胃炎、過敏性大腸症。体調を崩して病院に行くと、原因はストレスと診断されたという。
 穏やかな口調で話す大手メーカー勤務の女性(32)も、同じような経験を口にした。ある時、職場で自分が発した大声に驚いたことがあるという。
「そんなこと言ったってしょうがないでしょ」
 クライアントから急遽、変更要求が入ったからやり直してほしいと、上司から指示された。チームのメンバーは彼女だけが正社員で、ほかはほぼ年上の派遣や契約社員。彼女は気を使いながら、言葉を丁寧に選び、メンバーにやり直しを伝えた。だがメンバーからは、なんで余計な仕事をしなくちゃならないの?と、文句がこぼれた。どうにもならず、叫ぶしかなかったのだ。
「イライラしてすみません」
 次の日、彼女は饅頭を配って謝った。
 矛盾する要求の板挟み、終電まで働いてもさばききれない仕事量、いびつな社員構成……。職場で心を蝕むものを挙げればキリがない。でも誰も責めることはできない。理不尽な指示を出す上司だってパンパンだし、派遣社員たちにだって言い分があるのはわかっている。
 宮地さんのコラムには、こう書いてある。
「優秀だからこそ『よい人』でありたいと思う人も多いが、人の痛みへの共感は、自分をも傷つけかねない」

■善意や思いやりが凶器

 今の職場では、善意や思いやりさえも自分への凶器となって跳ね返る。気を使い、心を砕くことよりも、悩みもしないで効率的にこなすことの方が賢いとされてしまう。
「一番ひずみがたまっている現場かもしれません」
 そう言って、話を聞かせてくれたのは神奈川県の公立小で教員をする女性(34)。
 個々の児童に合わせた教育が求められ、会議や報告書の作成量が以前に比べ格段に増えた。親からは、クラス運営やクラス替えのメンバーについて細かい要求が入る。かつては「ちょっと個性的でやんちゃ」だった子どもに、病名が付けられ特別対応を迫られる。
 もともとは、子どもたちのために少しでもよい教育をしたいという学校や親たちの思いだ。でも、それは教師という個人のキャパシティーを超え、本末転倒な結果を生む。子どもから、
「先生、話があるんだけど」
 と言われても、忙しさのあまり後回しにしてしまったことがある。新人の教員たちの相談にもゆっくり耳を傾けたいが、余裕はない。
 そのひずみは彼女自身の子育てにものしかかる。今7歳の娘がアトピーやぜんそくに苦しんだ時期があった。病院でお母さんの忙しさが原因では、と言われた。どうしようもなかった。
 後輩の女性教員たちからは、
「そんなふうに仕事も子育てもするなんて絶対ムリ」
 と言われる。ここまで必死に働いて、後輩から目指されない存在でしかないって、何なんだろうと感じる。

■ゆっくり味わいたい

 確かなのは、そんなふうに働くことや生きることを誰も望んでいないということだ。それなのに、殺伐とした日常に私たちは搦めとられている。
 どうしたら抜け出せるのか、手がかりを教えてもらいたくて、宮地さんに会いに行った。
「私も答えを持ち合わせていません」
 宮地さんはそう前置きし、自分自身もストップできない日常に巻き込まれていると語った。ただ、ほんのちょっとした意識の大事さを教えてくれた。
「目には見えないけれど、脳や心にもキリがあることを意識すること。だれも万能ではないのだから、疲れたら少しでいいから肩から荷をおろすこと。『できる人』と自他ともに認める人やトップに立つ人ほど、『できない』と言う勇気をもつこと。みんなが少しずつ降りることを実践すること。そんなことしかないんじゃないでしょうか」
 小さなことから始めてみる。メールを見ない時間を作る。返信が少しぐらい遅れても割り切る。電車の中でまで寸暇を惜しんで情報をかき集めたり勉強したりしない。待つ時間や何もしない時間の豊かさを感じる……。そんなことで「心の過労」は少しずつ癒されていくのではないだろうか。
 前出の印刷会社で働く男性は、意識的に歩くことを心がけた。歩くために、少し早めに仕事を切り上げるようになった。歩く間は自然と頭が切り替わる。心が随分解放されたという。
 宮地さんの近著『傷を愛せるか』にはこんな一節がある。
「味わいたい。ゆっくり味わいたい。そう心が叫ぶ」
 忙しさから逃れてたどりつきたい境地は、丁寧に、心を込めて、ただ仕事を味わうことだ。
編集部 木村恵子
(4月19日号)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100419-00000001-aera-soci

父は毎日決まった時間に帰宅していたが、今の父親たちは夜遅くなることが多いのだと思う。

これって家族のキズナが薄くなる原因にもなるのだろう。

本当に仕事=修行になっている現在はつらい。
だが、目の前に仕事を丹念にやるしかない。

女性の言う「イイ男」ってどんなやつ?

2010年04月12日 13時52分47秒 | Weblog
イイ男ってよーわからん いよいよ桜も咲き、またいろいろモワッと来る季節になってきました。子供だってオヤジだってそわそわし出すこんな時期。適齢期の結婚前提戦士の皆さんは、冬場に鍛えた新技や道具を使ってみたくてうずうずしてることでしょう。あ、これじゃ春を迎えたゴルフオヤジですね。

 そんなハイシーズンに突入なのですが、近頃どうにも言われ出してるのが、男子と女子のすれ違い。それも、互いの価値観が多少違うならまだしも、そもそもいい男ってのがずれてる様子。確かに昭和の終わりに男子選びのベンチマークといえば、身長・収入・学歴の3高だったのが、いまや価値観と金銭感覚と雇用の安定で3Kだとか。

 じゃ、今どきのいいオトコってどー云うコトよ、って男子の皆さんが訝るのも無理ありません。てことで、ご意見を募ってみました。ご参考にしていただければ幸いです。

■金払いの良い奴

>あ、いいよオレ払うから

 この言葉。非常にシンプルですが、ナンの外連味もなくさらりと口から発するのは、意外と熟練を要します。というのも、おごったりおごられたり割り勘にしたりとか、一緒にいるメンツや状況によって毎回違うじゃないですか。また仕事が少し関わってたりするとものすごく応用問題だし、ましてや近所づきあいで前回ちょっとした借りがあったり、親戚でお祝いをきちんとしてなかったりとか、ケースを並べるだけでも発狂しそうです。

 それだけお金に関わることなので、いろんなココロの駆け引きが出てきてしまいそうなのに、まったくなにも無理なく払っちゃう。見栄張るわけでもなく、お金には拘泥されない武士のような佇まいで。まずは、これがよろしいようです。ややこしくなりがちなトコだけにそつなくってところですかね。たしかにそこいらが嫌みなくスマートだと同姓からも好かれます。

■細かいことにグダグダ言わない奴

>つーかさあ、こないだも言ったじゃん、そう言うこと人前でするなって。だいたいヒトの話聞いてんのかよ?いっつもオレのせいにして、こないだの飲み会の帰りだって話したのに学習しねーし。うちの親の前でも気つかわねーし……

 ブチブチつい言い続けるのも分かります。こっちは毎回ブツブツ言ってることを引き出しに整理して取ってあるわけですから、いざ同じケースが発生するとその引き出しを開けて中身を全部並べながら、ほら同じじゃんつってブチブチやるんですよね。

 コレ、残念ながらいい男じゃないらしいです。男子としてはなんとか改善して欲しくて、同じケースが出る度に効果を狙って前例を引き出すのですが、女子にはそれが了見が狭く感じるらしく、しつこいと。しまいにゃうっとうしいと。だったら別れてオヤジと付き合ってやるみたいな。確かにオヤジはもうオヤジだし、家庭とかあったりするんでそうやって突き詰める意味はなくひたすらエピキュラスな感じ。あー、いいよいいよ、なんて。

 なので、オヤジみたいにとは云わないまでも、ディティールよりは全体をゆっくり見渡す余裕でもって、細かいことにグダグダ言わないヒトがイイ男らしいです。なかなか難しいですけど、確かにそらそうですよね。

■自分の価値観を知ってる奴

 稼いでるヒトも魅力だけど、そうでなくとも自分の価値観をちゃんと知ってるヒトが魅力的(35才・独身・女性・外資系コスメメーカー勤務)

 深いですね。そして今日的な香りがします。というのも前述の、現代の3高的な表現に、雇用の安定、というのがありましたがまさにその部分に通じます。無理せず背伸びせず、上昇目指しながらもまずは安心と安定から。こうしないと現代では稼ぎを確保するのが難しくなってるようですよね。そしてそれを生み出すのには、適正な選択ってのがつきまとうわけですから、将来オレ起業がしたいんですよなんか、っていう一時期の暴走気味の感覚値とは真逆な様子になります。

こんなコト書いてる自分が一番自分の価値観分かってませんが、そんな奴はきっとイイ男なのでしょう。

■健全な奴

 チャラチャラするヒトも稼ぐヒトも良いけど、最後は健全なヒト(37才・独身・女性・ウエディングプランナー)

 そう、たどり着くのはそのようです。健康で、思いやりがあって、やさしく、ウソつかず。そんな健全なヒトが、イイ男だそうです。ハイ、間違いないです。満場一致でそうだと思います。むしろ、こういいう当たり前の良さみたいなことは、メディアにも乗りにくく、ある意味普通なわけですから、埋没しがちですが、実体経済的な恋愛現場では、相変わらずの高値なはず。結婚すると、多重恋愛時代のアクロバティックな日々みたいなことはなくなるわけですから、健全さはとても大切なことなのでしょう。

 やや、反省気味の文章になってきたので、気を取り直してその他のご意見も並べておきます。新たな論点になれば。

・粋な人、ココロは海のように広く健康で骨の強そうな漁師
(34才・独身・女性・外資系コスメメーカーマネージャー)

・凹まない奴隷
(28才・バツイチ・女性・キャットファイター系ライター)

・何に対しても一生懸命なヒト
(22才・独身・女性・WEBデザイナー志望学生)

・真面目でもなくチャラ男でもなく、誠実なヒト
(34才・独身・女性・ヘアメイク会社マネージャー)
http://allabout.co.jp/relationship/mensmarriage/closeup/CU20100326A/

このミステリーがスゴい!ベスト・オブ・ベスト20

2010年04月08日 20時27分49秒 | Weblog

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■  国内編ベスト10 と 海外編ベスト10
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 以下のとおり、古いメンツばかりなんだが、どれも鉄板のオモシロさを保証する。そういや、最近ミステリミステリしたやつを読んでいないかも。

■ 国内編

火車(宮部みゆき)

ホワイトアウト(真保裕一)

半落ち(横山秀夫)

屍鬼(小野不由美)

煙か土か食い物(舞城王太郎)

不夜城(馳星周)

ハサミ男(殊能将之)

白夜行(東野圭吾)

黒い家(貴志祐介)

アラビアの夜の種族(古川日出男)

■ 海外編

極大射程(ステーヴン・ハンター)

推定無罪(スコット・トゥロー)

ポップ1280(ジム・トムプソン)

ダ・ヴィンチ・コード(ダン・ブラウン)

北壁の死闘(ボブ・ラングレー)

薔薇の名前(ウンベルト・エーコ)

フリッカー、あるいは映画の魔(セオドア・ローザック)

ミザリー(スティーヴン・キング)

シンプル・プラン(スコット・スミス)

Mr.クイン(シェイマス・スミス)

http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2008/03/20_bea3.html

聞き上手には程遠い! 聞き下手な人の特徴

2010年04月06日 15時55分21秒 | Weblog
■聞き上手かどうかは他人が判断するもの!

 多くの恋愛本には「聞き上手はモテる!」と書いてありますが、聞き上手なのか聞き下手なのかは、第三者が判断すること。「自分は聞き上手だ!」と思っていても、周りはそうは思っていないかも…!?

 聞き下手な人の特徴をまとめてみました。自分に当てはまるところがないかチェックしてみましょう。

■「でも」「だって」で話を否定

 自分と違う意見の人がいたら、話の途中でも「でも」や「だって」で割り込んで、自分の意見を述べ始めますが……。

●聞き下手例
A「うちは目玉焼きは醤油派で」
B「でも普通塩こしょうじゃない? 大体醤油もソースもありえないし!」
A「……」

 否定的な意見は、相手をシュリンクさせます。自分と違う意見にも、どこかに良いポイントがあるかもしれません。それを探して投げ返せるのが聞き上手です。

■要約してオチまで言う

 話し下手な人は、途中で自分が何を言いたいのかわからなくなり、会話迷子になります。頭の良い人は一度聞いた話や想像できる内容なら結論までわかるので、つい簡潔にまとめて結論まで話しますが……。

●聞き下手例
A「昨日上司がオールアバウトってサイトを、あ、その上司っていうのはインターネットを始めたばかりで、その上司ってムカつく奴なんだけど、えっと」
B「上司がオールアバウトって知ってるか? って自慢した話でしょ」
A「そうだけど……」

 話し下手な人にも、話したい欲求はあります。うまく伝えられずに困っているとき以外は、イライラするかもしれませんが、聞き役に徹してあげてください。

■キーワードに飛びつく

 自分が興味を持っている話題や、造詣が深い話題のキーワードが出ると、つい自分もその話に乗っかりたいと思いますが……。

●聞き下手例
A「昨日テレビでやってたダイエットの」
B「あー! 見た見た! すごかったよね。あのダイエットってさ、本当に効くのかな。あ~痩せたい! 知ってる? ダイエットってさ」
A「えっと……、テレビの話を続けてもいい?」

 自分が話したい話題のキーワードで拾った途端、テンションが上がって、マシンガントーク。せめて話に「。」が付くまでは待ちましょう。

■反応が薄い

 嬉しかった話や辛かった話など、話し手が感情を込めて話していますが、相づちは打つものの、正直なところ興味がなくて……。

●聞き下手例
A「実は子どものころ、ずっと苛められてて」
B「ふーん……」
A「仕返しする勇気もないから、じっと耐えてたんだけど」
B「へぇ……」
A「話聞いてる?」

 感情が強く出ている会話では、相手は共感を求めて話をしています。相手が辛そうな表情をしていたら辛そうな表情で、嬉しそうな表情なら嬉しそうな表情で聞くと、話に共感してながら聞いているように見えるでしょう。

■相づちが過剰

 恋愛本に「聞き上手になるためには相づちを打つ」と書いてあるのを読んで、とにかく実践してみよう思ったのですが……。

●聞き下手例
A「今日すごいことがあって」
B「うん!うん!」
A「朝の占いが」
B「うん!うん!」
A「1位で」
B「うん!うん!」
A「……やっぱいい」

 話にかぶるほど相づちを打つと、相手は会話テンポを崩されて不愉快に。また、相づちが小刻み過ぎると軽く聞こえるので、話を受け止めていないように見えます。相づちは適度なテンポと頻度で打つように心がけてください。

■人には話したい欲求がある!

 話し上手は、場を楽しませることができて人気者になれますが、その話術を身につけるのは難しいですよね。でも、聞き上手には小難しいテクニックは必要ありません。相手が気持ちよく話ができるよう、心配りをするだけ。

 人間には、話をしたいという基本的な欲求があるので、聞き上手のニーズは高いです。「誰かに求められたい」と思うなら、まずは聞き下手ポイントを直し、話させ上手を目指してみましょう。

 あなたの周りにも「この人と話すと饒舌になるんだよなぁ」と感じる話させ上手がいるはず。その人がどんなテンポで相づちを打っているのか、どんな表情をしているのか、どこで自分の意見を出すのか観察してみてください。きっと、聞き上手になるテクニックが隠されていますよ。

http://news.livedoor.com/article/detail/4702277/

驚くほど効く「心のギアチェンジ法」~就寝前の「3つのよいこと」メモ習慣

2010年04月02日 18時14分48秒 | Weblog
書きとめることによって、こんなに変わる。
■1週間で自分を生き返らせる方法

「ツレがうつになりまして」というテレビドラマがあった。旦那がうつになった若夫婦の生活をコメディタッチで描いたものだった。うつはいまやホームドラマに登場するほど、普通の社会現象になっている。雇用不安、人減らしによる過重労働、成果主義による職場の締め付けなどが背景にあると思われるが、そのためにうつになった人にとってはコメディどころではない。

 アメリカの心理学者セリグマン博士(ペンシルバニア大学教授、前アメリカ心理学会会長)は、うつの改善に役立ち、しかも驚くほど簡単なプログラムを提唱している。それはthree good thingsといわれるもので「まいにち、就寝前に、その日にあった『よいこと』を三つ書き出し、これを1週間続ける」というものである。この簡単な方法がうつの改善に驚異的な効果を発揮するのである。
 図(1)は、このプログラムの効果を調べるために、セリグマン博士が、約60人の実験参加者に、プログラム実施前後に行った「うつ症候」テストと「幸福感」テストの結果である。驚くべきことには、たった1週間で、うつスコアが約14(プレテスト)から10(ポストテスト)に激減し、それが6カ月後まで続いている。また幸福度スコアは、56(プレテスト)から57(ポストテスト)へ、さらに58、59へと日を追って確実に増え続けている。これらの結果は、1週間のこのプログラムが、参加者にとってきわめて大きなインパクトがあったことを示している。

 NHKの生活科学番組「ためしてガッテン」では、家庭介護者(主として主婦)のストレス緩和に役立つ、簡単なプログラムを紹介している。ハッピーノートと呼ばれるこのプログラムは介護者に、介護中に感じた嬉しかったことを、どんな小さなものでも日記帳(ハッピーノート)に書きとめることを1週間続けてもらう、というものである。
 図(2)は、実験に参加した10人の介護者のプログラム開始直前(日記記入前)と終了直後(記入後)の気分をくらべたものである。記入前の六角形(青)にくらべて記入後の六角形(赤)はかなり縮小しており、ストレスが緩和されていることがわかるが、とくに不安、落ち込み、怒り、疲労が減っている。

 三つのよいことを書いたり、嬉しかったことを書くだけで、人間がこんなに変わるということが本当にありうるのだろうか。
 部分と全体の間には面白い関係がある。それは、部分が変わると全体が一変することがある、ということだ。


■いやなでき事に対する認知を変える

 図(3)はどう見えているだろうか? スカーフをかぶった美女の横顔? では美女の顎を鼻、耳を目と思って見直すとどうなるだろうか。美女は一瞬にして獅子鼻の老女に化けてしまったであろう。逆に、老女の大きな鼻を顎、目を耳と思って見直すと、一瞬にして老女は美女に変身したであろう。このように、同じものでも、一部の見方が変わると、全体の見え方が一変してしまうことがある。
 Three good thingsの参加者は、それまで漫然と過ごしていた1日の中に、何かよいことを三つ探し出し、それを軸に1日を見直している。またハッピーノートの参加者は、いやで仕方がなかった介護の中に嬉しかったことを探し出し、それを軸に介護を見直している。このようにこれまで思ってもいなかった「よいこと」や「嬉しかったこと」をあらたに見出し、それによって見直した世界が、それまでとはまったく違ったものに見えても不思議ではない。それは美女の絵を、顎を鼻として見直すと、美女が老女に変わったのと同じである。

 プログラムの参加者は、よいと思ったことや嬉しかったことを書きとめている。ただ思ったり感じただけでは、すぐ消えてしまうが、書きとめると客観化されて心にしっかり残り、また振り返ってみて、自分の変化や進歩に気づくことができる。
 Three good thingsとハッピーノートの手法は簡単だが、それらは、うつや不安などの不快感情の生起のメカニズムについての最近の考え方の重要な変化から生まれている。
 いやなことがあれば、それが直接、不快感情を起こさせる、つまり「出来事→感情」と長らく信じられてきた。だが認知療法の創始者ベック(Beck, A. T.)によれば、いやな出来事そのものが不快感情を起こさせるのではなく、その出来事の認知──その出来事の受け取り方──が不快感情を起こさせる。したがって不快感情を解消するには、いやな出来事に対する認知を変えればよい。三つのよいことを書いたり、介護中で嬉しかったことを書くのは、日常生活や介護に対する認知を変えるためである。

 人を変えるのは、three good thingsやハッピーノートだけではない。たまたま読んだ本の1行が人生を変えることもあるし、上司のひとことが部下を一変させることもある。
 ある地方都市で、入社5年目でBMWの新車を年間122台売って日本一になったセールスマンがいた(朝日新聞の「凄腕つとめにん」)。その彼も入社1年目にはたった7台しか売れなかった。「田舎では新車は売れない。会社をやめよう」と思ったそのとき、支店長が言った。「ここで一花咲かせてみろ。今やめたらどこに行っても同じことの繰り返しだぞ!」。
 このひとことが彼の迷いを吹き飛ばした。平凡なセールスマンが凄腕セールスマンに変身した一瞬であった。人は成長するには時間がかかる。だが変化するには一瞬で足りるのである。

 今日のようにストレスの多い社会では、「自分の存在が無意味で、生きているのがつらい」と感じ、死んでしまいたくなることもあるだろう。このようなときにこそ、three good thingsやハッピーノートを自分で実行してみてはいかがであろうか。お金も、特別な道具も、相手もいらない。ただ就寝前に、その日にあった「よいこと」や「嬉しかったこと」を書きとめ、それを1週間続けさえすればよい。あなたは自分が無意味な存在どころか、大いに意味がある存在だったことに気づき、あらたな悦びと生きる意欲を見出すに違いない。


参考文献
(1)Seligman,M.E.P., Steen, T.A.,Park,N., & Peterson, C. (2005). Positive psychology progress : Empirical validation of interventions. American Psychologists, 60, p410 - 421.
(2)渡辺俊之(2009).「介護者における日記効果 調査結果」NHKより提供された資料による。
(3)Beck,A.T., & Others(1979) Cognitive therapy of depression. New York : Guildford.


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立教大学名誉教授
松井賚夫
東京大学文学部卒業。人事院を経て、明治、立教、駿河台大学などで心理学、産業・心理学を講ずる。リーダーシップ

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100402-00000001-president-bus_all