日本語はなぜ「日本の共通語」なのか? ― 地形で解く日本史の謎

2014年07月23日 21時48分46秒 | Weblog
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日本語はなぜ「日本の共通語」なのか? ― 地形で解く日本史の謎
2014年07月11日 公開

Share on Tumblr 竹村公太郎(リバーフロント研究所研究参与)

《PHP文庫『日本史の謎は「地形」で解ける〔環境・民族編〕』より》



地勢から見て驚くべき「日本語の単一性」
 言語は地方ごとに細分化し、共同体ごとに細分化する宿命を持つ。

 その言語の宿命を克服して、1億2000万の日本人は21世紀まで同一の日本語を存続させた。

 先述したように、日本列島は細長く、北緯45度から25度まで3500kmもある。ヨーロッパならイタリアとフランスの国境からエジプトの南端まであり、アメリカ大陸ではカナダ国境からメキシコまである。

 日本列島の地形と気象の差は著しい。亜寒帯から亜熱帯まであり、さらに列島の中央には脊梁山脈が走っている。そのため、同じ緯度でも日本海側と太平洋側の気候はがらりと異なる。

 冬、豪雪の金沢から飛行機に乗れば1時間でほぼ同じ緯度の羽田に着く。飛行機から降りた瞬間、改めて東京の暖かさに驚かされる。金沢から見れば、東京はまさに外国である。

 地形と気象が異なれば人々の産業、生活、文化、風俗は異なる。日本列島の生活様式を色で表わせば、まるで「パッチワーク」のようだ。

 地形と気象で分断された人々は排他的な共同体を形成し、独特の話し言葉と文字を持つようになる。しかし、日本列島の人々は同じ言葉で話し、同じ文字を書いている。

 これは、地形と気象から見て驚くべきことだ。



○日本語は「方言」で踏み止まった
 細長い日本列島の1億2000万人もの日本人が、同じ日本語で話し、同じ日本文字で読み書きしている。これは決して当たり前ではなく、世界的にも珍しい。

 図は、国境を取り払った世界の第一言語の人口割合を表している。日本人は自身の言語を低く評価しがちだが、思っている以上に世界の中では存在感のある言語であることが分かる。



 奈良時代、大和ことばは中国の漢字を文字として利用した。そしていつの間にか、ひらがなとカタカナを併用した巧妙な日本語が形成されていった。

 貴族、武将、商人などが残した各地の文書を見ると、古くから日本文字は全国共通だったことが分かる。しかし、文字が共通でも、会話が共通だったかどうかは別である。文字が同じでも、発音がまったく違う中国語と日本語の例もある。

 日本には発音が異なる津軽弁や薩摩弁など、多くの方言があった。それらの人々の発音の相違は、加速していく運命にあったはずだ。各地の発音が一地方の方言で踏み止まり、「異なる言語」へ進化しなかった理由は何だったのか?

 日本語が共通の話し言葉として、束ねられた力は何か?

 日本列島の会ったこともない遠くの人々が、同じ言語を話す。それには強い意志と力が必要となる。

 意志とはコミュニケーションへの強い思いであり、力とは人々の言語をばらばらに散らさないで束ねる力である。



○今と昔の「日本語を束ねる力」
 現代の日本語を束ねている力は、明らかである。それはテレビである。

 現在の日本人は生まれて気がついたときには、テレビの前に座っている。毎日アニメを観て、ドラマを観て、出来事を知り、スポーツを観戦している。

 東京から発する強烈な情報エネルギーは、3500kmの長さの列島に住む人々に日本語を受け入れさせている。暴力的とも思われるテレビの束ねる力に、誰も抵抗できない。

 では、テレビやラジオが登場する以前、日本語を束ねた力は何だったのか?

 近代の明治になったとき、日本人は当然のように日本語を話していた。全国各地から東京に集まった日本人は、憲法を作り、国会を開設し、国民国家の体裁をあっという間に整えた。

 このとき、人々の間に通訳はいなかった。言語が障害になることはなかった。

 近代日本になる以前、すでに日本語は確立していた。日本人を日本語で束ねたのはいつ? どのような力だったのか?


 平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代を見ても、青森から九州まで全国の日本人を束ねた大きな力の形跡はない。残されたのは江戸時代である。

 やはり、それは江戸時代にあった。

 江戸時代、江戸からの強烈な情報発信システムが存在した。それは強権を伴う力ではなく、あくまでソフトシステムであった。

 書籍、言葉、絵画、芝居、服装、流行と、あらゆる情報が江戸から発信されるソフトシステムであった。日本列島の人々は、そのソフトの情報システムを受け入れていった。




○参勤交代は「情報発信システム」
 その情報システムとは「参勤交代」であった。

 参勤交代は、前田利長が家康に対して叛意がない証に、母親(芳春院)を江戸に住まわせたことから始まった。諸大名もそれを真似て、家族を江戸に住まわせた。人質とは呼ばなかったが、実質上の人質であった。

 その後、家光が武家諸法度で明文化し、諸大名の江戸と自領を往復する制度が確立した。

 この参勤交代は、次第に諸大名の単身赴任の習慣をつくっていった。江戸へ単身赴任をするのではない。「自分の領地へ単身赴任」するのである。

 つまり妻子は江戸に住まわせ、大名だけが自領へ2年に1度行くのだ。

 諸大名たちは2、3代目になると、ほとんどが江戸生まれになっていた。なにしろ、母親が江戸に住んでいるのだから。大名が帰属する土地は自分の領地である。しかし、江戸生まれで、江戸育ちの大名たちの心の帰属先、つまりアイデンティティは「江戸」にあったのだ。

 諸大名のアイデンティティが江戸だった物的証拠はない。アイデンティティは心の問題であり、物的証拠を示すのは不可能だ。しかし、傍証は挙げられる。

 それは、明治政府の首都が東京になったことである。

 当時、大久保利通が大阪遷都を主張したが、明治政府の首都を「京都」にしようと真剣に論議された形跡はない。本来、明治政府の首都は「京都」になるべきであった。1867年、徳川慶喜は統治権限を天皇へ奉還した。大政奉還の儀式は京都の二条城で行なわれた。文字通りの天皇への大政奉還なら、政治の中枢拠点はそのまま京都になるべきだった。

 しかし、諸大名たちは東京に集まってしまった。

 さらに驚くべきことに、京都の天皇までが東京へ御東幸してしまった。



大名のアイデンティティは「同じ江戸」
 江戸時代、徳川幕府と諸大名の間には奇妙な関係があった。諸大名は領地を拠点に、徳川幕府と潜在的に対峙していた。しかし、「アイデンティティは同じ江戸」という奇妙な関係であった。

 江戸の260年間、参勤交代は江戸の情報を全国津々浦々へもたらした。全国各地の人々は、領主が持ち帰る江戸の文化を吸収し、真似た。

 山と海と川で分断された土地に生きる日本人たちは、もともと情報好きだった。江戸からの最高級の情報は圧倒的な力を持ち、人々は江戸の文化に染まっていった。もちろん、話し言葉もだ。

 津軽弁や薩摩弁など各地の方言は一方言に止まり、江戸から独立した言葉へ進化しなかった。なにしろ、領主様が江戸の言葉で話すのだから。

 江戸の引力は、その影響から逃れられないほど強かった。

 1871(明治4)年、廃藩置県で混乱なく藩は廃止された。諸大名のアイデンティティが「東京」なので混乱などあるわけがなかった。



1つの言語で話す民の強さ
 明治近代化で世界史でも稀に見る権威、権力、情報の一極集中が形成された。全国から人々が東京に集まり、同じ日本語で話した。分散していた知恵と富が東京に集中し、その総力が日本を封建社会から、国民国家へと変身させた。

 当時、日本は世界の帝国列強に包囲されていた。その日本は東京一極集中の国民国家へと変身することで、紙一重の差で植民地にならず、最後の帝国国家へと滑り込むこととなった。

 日本語という1つの言語で話す日本人たちは強かった。およそ半世紀後の1941年、世界の列強と戦い、武力で負けると、その約20年後の1968年には米国に次ぐ世界第2位の経済大国へとのしあがった。

 神は「バベルの塔」を造った1つの言語で話す人たちを恐れた。やはり、1つの言語で話す日本人は途方もないことを成し遂げてしまったのだ。



<書籍紹介>

日本史の謎は「地形」で解ける【環境・民族篇】

竹村公太郎 著


なぜ信長は「安土の小島」の湿地帯に壮大な城を築いたか? 「地形」をヒントに、日本史の謎を解くベストセラーシリーズ待望の第3弾!



<著者紹介>

竹村公太郎(たけむら・こうたろう)

1945年生まれ。横浜市出身。1970年、東北大学工学部土木工学科修士課程修了。同年、建設省入省。以来、主にダム・河川事業を担当し、近畿地方建設局長、河川局長などを歴任。2002年、国土交通省退官。現在、リバーフロント研究所研究参与及び日本水フォーラム代表理事。社会資本整備の論客として活躍する一方、地形・気象・下部構造(インフラ)の視点から日本と世界の文明を論じ、注目を集める。
著書に、『日本文明の謎を解く』(清流出版)、『土地の文明』『幸運な文明』(以上、PHP研究所)、『本質を見抜くカ――環境・食料・エネルギー』(養老孟司氏との共著/PHP新書)などがある。


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2016年、米軍撤退でアジアの大混乱が始まる―日高義樹のワシントン情報

2014年07月23日 21時48分01秒 | Weblog
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2016年、米軍撤退でアジアの大混乱が始まる―日高義樹のワシントン情報
2014年03月12日 公開

日高義樹(ハドソン研究所首席研究員)

《『アメリカの大変化を知らない日本人』より》



石油が日本に来なくなる


 アメリカは2014年以降、本格的にアジアから引きあげる。すでに述べたように、沖縄からグアム島に海兵隊が移動し、日本にアメリカの基地はあっても、アメリカ軍がまったくいない状況になる。

 アメリカ第七艦隊が横須賀や沖縄に基地を持っているが、海軍というのは、孤立主義の象徴と言ってもよく、基本的にはアメリカ本土から出撃する体制をとる。海軍力の日本における存在は軍事的には無視される。

 2016年、アメリカ陸軍部隊は完全に韓国から撤兵する。アメリカ軍はアジアからすべて引きあげることになるのである。アジアを取り巻く西太平洋、日本海から南シナ海、インド洋からペルシャ湾に至る広大な海域は、アメリカの戦力地域からはずされることになる。その結果、アジアにおいて、これまで予想しなかったような大動乱が起きると予測される。

 この大動乱についてはのちほど詳しく述べるが、日本にとって最も懸念されるのは、いくつかの戦争と、インドネシアのイスラム勢力による反米の動きが、中近東から日本への石油の流れを阻害する結果、日本に石油危機が到来することである。

 そうした戦争をもたらす要因として、中国、ロシア、インドなどにおける地殻変動的な政治的変革を挙げることができる。まずこの変動について述べてみよう。

 アメリカ国防総省の推定によると、中国国内の政治情勢は2013年現在、きわめて不安定になっている。アメリカ国防総省の中国専門家は次のように指摘している。

 「習近平政権は軍部の圧力のもとにあり、中国の地方は完全に無政府状態になっている。軍部の力がなければ中国の統一は不可能な状態になっている」

 この国防総省の分析に、アメリカのCIAなども同意している。習近平政権の誕生は、実質的には軍部による政権収奪であったと見ている。

 アジアの3番目の勢力であるロシアは、プーチン大統領が全体的な情勢を把握してはいるものの、極東および中央アジアにおける政治力が極端に低下しているだけでなく、国防力も弱まっている。

 アジアにおける4番目の大国インドは、経済がうまくいっていない。このため、経済的に影響力を失いつつある。インドは2002年から2011年まで、年間の国内総生産を7.7パーセントまで拡大し、中国に追いつきつつあった。ところが2012年に入ると急速に経済の開発が縮小し、通貨ルピーが安くなる一方では、インフレがひどくなり、財政赤字が止まらなくなっている。

 インド経済がつまずいたのは2004年に登場した現在の政権が経済政策を誤ったからであり、アメリカのオバマ大統領と同じように経済の構造改革ができず、一方で社会福祉の経費を増やしすぎてしまったからである。

 「中国の国内が混乱して軍部が権力を掌握している。インドの経済開発が失敗し、当面、国際的な地位が縮小し続けている。そして日本は相変わらず日和見主義を続けている」

 アメリカ国防総省やCIAはアジアの情勢についてこう見ている。このため、アジアが大混乱するのは避けられないと分析しているのである。

 アメリカ国防総省がまとめた「2025年後の世界」という予測の中では、アメリカ軍が東シナ海、西太平洋、南シナ海、そしてインド洋から、兵力を引きあげるため、大きな軍事的変動が起きると予測している。

 アメリカ陸軍やCIAの推定によれば、2016年以降、南北朝鮮合併の動きが強くなる。政治的に見ればこの合併は不可能だと思われるが、中国の影響力と日本に対する戦略的な目的から、統一・合併の動きが強まると見る分析官が多くなっている。国防総省の専門家は韓国と北朝鮮が合併すれば、核兵器を背景に日本に対する戦略的な脅しを強め、極東アジアが一挙に緊張すると見ている。

 続く大きな問題は、ロシアと中国の国境および中央アジアの情勢で、今後急速に緊張が高まり、各地で混乱が起きると予想される。アメリカ国防総省は中国がエネルギー不足から、周辺に対する戦略行動を強化し、向こう1、2年以内にシベリアやカザフスタンなどに対する侵略を開始すると分析している。

 この中国の動きに対してロシア側は核兵器による報復の脅しをかけるとともに、軍事行動の準備に入る。極東ロシアや、中央アジアに油田を持つ世界の巨大石油企業は、アメリカに介入を求めるが、アメリカ議会は簡単には動かないと予想される。

 第三の紛争地域は台湾である。中国は台湾を合併する欲望を捨てていない。香港方式の合併を求め、アメリカが軍事力を後退させるとともに、露骨な動きに出てくる。これに対して台湾側は、核兵器の開発を含め、中国に対する対立的な態度を変えないと思われる。しかし、ここでもアメリカが積極的に軍事力を使って介入する見通しはあまりない。

 アジア4番目の衝突はインドネシアである。インドネシアのイスラム勢力が暴動を起こし、マラッカ海峡や、スマトラとジャワ島の間のスンダ海峡、バリ島とロンボク島を隔てるロンボク海峡の閉鎖を行い、世界の海上輸送に大混乱を生じさせる。

 インドネシアのイスラム勢力が行動を起こすのは、次のアメリカ大統領選挙戦の最中である2016年になると思われる。大統領選挙が終わったあと、アメリカ国内では、アメリカ海軍をインドネシアに送るかどうかという問題が論議されると思われるが、アメリカ国民は賛成しないだろう。一方、中国とインドは積極的に介入し、インド海軍はマラッカ海峡までを制圧すると思われる。

 こうした変動の結果、石油の値段が一時的に上がったり、周辺が大混乱したりするが、アメリカの世論はアメリカ海軍が再びアジアへ戻っていくことには反対すると思われる。

 インドネシアの暴動などの結果、シーレーンの確保に中国とインドが重大な役割を果たすことが明確になるとともに、インドと中国の海軍力の同盟体制が確立することになる。アメリカ海軍がアジアに戻らないことが明らかになるとともに、アジアにおける新しい軍事バランスが確立することになる。

 2020年から25年にかけて、アメリカの核拡散防止政策が力を失い、世界各国が核兵器を競ってつくるようになると見られる。この結果、日本がアメリカの核の傘の下に居るために同盟体制を取り続けるのか、あるいは独立した軍事力を持つようになるのか、さらには中国との軍事同盟体制をとるのか、重大な選択に迫られると、国防総省関係者は見ている。

 アメリカ国防総省をはじめ専門家が最も注目しているのは、日本の核装備と日本の軍事力強化である。それと同時に、インド、中国、インドネシア、台湾が日本との戦略的な話し合いに力を入れてくると見ている。CIAも10年後には、日本、インド、中国、ロシア、それに台湾との戦略的な話し合いがきわめて重要になってくると見ている。

 こうしたアジアにおける新しい戦略体制の話し合いは、アジアの国々が、アメリカ抜きで、石油などの海上輸送路の安全を確保する体制を考え始めていることを示している。2016年以降は、世界の石油の需給体制が混乱し、アジア全体が動揺するが、それと並行して中東において再び混迷が始まる。

 アメリカはシェールガスとシェールオイルの増産が確実なこと、カナダやメキシコからふんだんに石油や天然ガスを得られることから、中東への関心をなくしつつある。とくに外交問題を軽視するオバマ政権は、イラク、アフガニスタンを見捨てるだけでなく、イランとの関わりをも放棄しようとしている。

 オバマ大統領はイランに対する経済制裁をやめることで、イランに核兵器開発を諦めさせようとしているが、この外交戦略がうまくいくはずがない。イランは核兵器開発の道を突き進むだろう。

 イランの核開発は中東情勢だけではなく、アジア太平洋の軍事情勢を混乱させる。いま中東で懸念されているのは、過激派の攻勢によってパキスタンが国家としての機能を失い、崩壊することだ。

 中国はパキスタンにテコ入れをしようとしているが、インドがそれを許さないとアメリカの情報関係者は見ている。またインドとイランは、アフガニスタンを分割するための話し合いを始めるとともに、軍事的な占領体制を強めてくると見られている。

 アメリカの専門家は、中東情勢がどのような形で安定するか見極めかねている。最悪のシナリオは、アメリカがアフガニスタンとの間でアメリカ軍を駐留させるための地位協定を結ぶことができず、アメリカ軍が完全に撤退したあと、アルカイダ系の部族の首脳が大統領に就任することだ。

 イラクとアメリカの関係もうまくいっていない。このため、中国が経済的な影響力を急速に強めてきている。中国、インド、イランが軍事的な協力体制を強化し、中東情勢を安定させた場合、日本の立場は苦しくなる。

 日本はインド、中国との関係を強化して、石油の安定供給を図ろうとすれば、アジア、西太平洋において、アメリカとの関係を断ち切っていかなければならなくなる。日本とアメリカの関係が弱くなれば、中国の強い影響のもとに置かれることになる。アジア極東における日本の立場は急速に悪くなる。

 向こう10年、東南アジアが混乱すると同時に、その混乱が中央アジアや中東にも及べば、日本の石油戦略に大きな影響が出てくるのは避けられない。その場合、アメリカのシェールガスや天然ガスにどこまで頼ることができるかが、日本の政治的、そして軍事的な立場を決めることになる。中国をとるか、アメリカをとるか、日本の存在を賭けた選択を日本は避けることができない。




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<書籍紹介>

アメリカの大変化を知らない日本人
日米関係は新しい時代に入る

日高義樹 著


「米中通貨財政同盟」成立は何を意味するのか? 首相の靖国参拝に「失望」した理由とは? ワシントン情報から読み解く日本の命運。

<著者紹介>

日高義樹

(ひだか・よしき)

1935年、名古屋市生まれ。東京大学英文科卒。1959年、NHKに入局。ワシントン特派員をかわきりに、ニューヨーク支局長、ワシントン支局長を歴任。その後NHKエンタープライズ・アメリカ代表を経て、理事待遇アメリカ総局長。審議委員を最後に、1992年退職。その後、ハーバード大学客員教授、ケネディスクール・タウブマン・センター諮問委員、ハドソン研究所首席研究員として、日米関係の将来に関する調査・研究の責任者を務める。1995年よりテレビ東京で「日高義樹のワシントンレポート」「ワシントンの日高義樹です」を合わせて199本制作。

主な著書に、『世界の変化を知らない日本人』『アメリカの歴史的危機で円・ドルはどうなる』(以上、徳間書店)、『私の第七艦隊』(集英社インターナショナル)、『資源世界大戦が始まった』『2020年 石油超大国になるアメリカ』(以上、ダイヤモンド社)、『いまアメリカで起きている本当のこと』『帝国の終焉』『なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか』『アメリカの新・中国戦略を知らない日本人』(以上、PHP研究所)など。

東大首席弁護士・山口真由がやっている「7回読み勉強法」とは

2014年07月23日 21時47分18秒 | Weblog
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東大首席弁護士・山口真由がやっている「7回読み勉強法」とは
2014年07月15日 公開

山口真由(弁護士)

シンプルで効果的!「7回読み勉強法」 



「頭のいい人」になれる最良の手段は、
「勉強法」を身につけること
◆「頭がいい」人、「勉強ができる」人

 「頭がいい人」という言葉に、皆さんはどんなイメージを抱かれるでしょうか。

 そのイメージは、おそらく一様ではないでしょう。同じ頭のよさでも、その特徴や表れ方は多種多様だからです。

 この中で、もっとも憧れられる存在といえば、いわゆる「天才」です。なんの努力も必要とせずに、即座に正解にたどり着ける、真の才能の持ち主です。

 しかし実のところ、私は今までの人生で、「この人は本当に天才だな」と、心から感服してしまうような存在には出会ったことはありません。学生時代を過ごした東大、卒業後に在職した財務省、そして現在携わっている弁護士の世界--それぞれの場所で優秀な方々とは多く出会ってきましたが、その方々も皆、何らかの形で努力と試行錯誤を重ねています。生まれついての真の天才というのは、たとえ存在したとしても、極めて少数ではないでしょうか。

 では、私たちが日常で出会う「頭のよい人」とはどんな人たちかを考えてみましょう。

 頭の回転がすさまじく速い人、「論理的思考」に優れた人、問題が発生したときに柔軟な発想で解決する人、その場その場で求められる行動を適切にとれる(=空気を読め

る)人……などなど、これまた、様々な人物像が浮かんできますね。

 その中で、もっとも単純でわかりやすい基準といえば――。

 実は、「勉強ができる」という評価ではないでしょうか。

 「勉強ができる」は「頭がいい」と完全にイコールではありませんが、大きな要素のひとつです。

 そして同時に、非常に「得やすい」評価でもあります。

 意外に感じられるでしょうか。では、少し補足してみましょう。

 シャープな論理力や発想力、空気を読む力などによって「頭がよい」という評価を受けようとすると、簡単に壁にぶつかります。なぜならそれには、瞬発力、センス、コミュニケーション力といった能力が問われており、これらの能力は先天的な要素を多く含んでいるからです。さらにいえば、瞬発力やセンス、コミュニケーションカについては、客観的な基準がないのです。したがって、いくら自分はコミュニケーションカに優れた人間だと思っても、それを誰にも疑いようのない方法で証明し、他人からの評価を得るのは非常に難しいことなのです。

 しかし「勉強」は違います。どんな人であっても、ひとつの方法でじっくり積み重ねていけば、知識はかならず頭に入り、成績へと反映されていきます。簡単にいうと、勉強によって得られる知識は「誰でも必ず身につく」ものなのです。

◆「理解と認知の最短距離」=勉強法を身につけよ!


 では、「勉強のできる人」になるには、何が必要でしょうか。

 それは、「自分の勉強法」を確立することです。

 そもそも勉強とは、新たな知識に触れ、それを理解していくプロセスのこと。このプロセスをいかに短時間で確実に行えるか。勉強法とは、その方法論です。

 つまり知識を自分のものにするための最短距離を心得ていて、それを実践している人が、すなわち「勉強のできる人」ということになります。

 勉強法が確立できていると、ある意味とても「楽」です。自分の勉強法というレールに乗るだけで、他のことは考えなくてもゴールにたどり着けるからです。

 もし、このレールがなかったらどうでしょう。

 この参考書を選んで正解だったろうか? ほかの参考書のほうがよかったのでは? いや、そもそもただ参考書を読んでいるだけでいいのだろうか? 無駄なやり方をしているのでは? 自分は要領が悪いのでは? ――といった疑念が必ず頭をよぎるはずです。そして、そういうちらりとした疑念は、頭の中でどんどん大きくなっていき、徹底的に検証しなければ気が済まなくなります。別の参考書を何冊も買い込んだり、ほかの人のやり方を真似ては「やっぱり合わない」と引き返したり、勉強を進めるという本論ではなく、疑念の解消に時間を使い、回り道を重ねてしまいます。「無駄なやり方をしているかも」と心が揺らいで、さらに無駄を重ねてしまう、なんとも皮肉な展開になってしまいがちなのです。

 勉強法というレールさえ敷いてあれば、そうした迂回の一切をシャットアウトできます。

 私の場合、偶然かつ幸運なことにこのレールをかなり早い段階で敷くことができました。

 それはどういうことか。私は、小さいころから活字に触れる機会が多かったのです。両親が様々な絵本を読み聞かせてくれたこと、身の回りに多くの本があったこと、それを好んで読みふけっていたこと……こうした経験は、後年、「読むこと」を中心とした勉強法を確立させていく基盤となりました。

 そしてこの勉強法の確立こそが、決して天才ではない私を、「東大首席」にまで押し上げてくれたのだと思うのです。つまり、これまで得たものはすべて、「読む」ことに特化した、自分に合った勉強法を確立できたこと、そしてその勉強法をひたすら繰り返し続けてきたことの成果だと思うのです。

<POINT> 「勉強法」というレールを敷けば、知識は身についていく。


○「読む」には3つの方法がある
◆調べ物をするなら、「リサーチ読み」が一番

 ここからは、「読む勉強法」について、より深く掘り下げていきましょう。

 効果的な勉強法としての「7回読み」についてはこれまでも何度か触れてきましたが、私が日ごろ行っている読書の方法は、実は3つあります。

 ひとつ目は、「平読み」。いわゆる普通の読み方です。流し読みでも精読でもなく、普通のスピードで文字を追う方法です。小説や雑誌、新聞記事などを読むときはこの方法をとります。

 2つ目は「リサーチ読み」。調べものをするときに役立つ読み方です。

 学生の方が課題のレポートを書くときや、ビジネスマンが情報収集を行うときにはこの方法がおすすめです。

 「リサーチ読み」は、たくさんの本に目を通すのが特徴です。

 ここで強い味方となるのが図書館。まずは検索機に調べたいテーマやキーワードを打ち込み、関連のありそうな本がどこにあるか確認します。その棚に行けば、検索結果に出た書籍以外にも役立ちそうな本が目に付くので、それらも含めてすべて棚から出し、それぞれに目を通します。

 きちんと読んでいると時間がかかるので、サラサラと目を通すのがコツ。目次を見てどこに何が書かれているかをチェックし、流し読みしながら関連性の高い部分を探します。このときの読み方のコツは、文章を読むのではなく、文章の中にあるキーワードを見つけることだけを意識して読むこと。関係がありそうな文献はあとから「平読み」するのですから、この「リサーチ読み」は、文章の意味がとれなくても全く気にする必要はありません。

 それが終わったら、役立ちそうな本以外は元に戻します。1冊の中の数ページだけが役立つ、という場合は該当箇所をコピーして、棚に戻します。

 あとは、このコピーと残りの本の関連部分を熟読します。これでかなりの量をカバーしつつ、質的にも充実した情報を得られるでしょう。

 なお、「リサーチ読み」のサポートとして役立つのがインターネットです。

 調べる事項に関して予備知識がないときは、まず「ウィキペディア」などで簡単にアウトラインをつかんでおくと、「どんな本に有用な情報が載っているか」という見当がつけやすくなります。

◆「7回読み」誕生秘話!? 総長賞の選考で……

 そして3つ目が、「7回読み」。試験勉強はもちろん、知識を身につけたいとき全般に役立つ方法です。

 「7回読み」という言葉をはじめて口にしたのは、東大を卒業する際のことでした。

 成績優秀者として「東京大学総長賞」をいただいたのですが、その選考時に「どんな勉強をすれば、ここまで『優』を多く取れるのか」と聞かれ、「7回読めばだいたい覚えるもので……」と答えたのが、そもそものきっかけです。

 実はそれまで、自分の勉強法を客観的に考えたことはありませんでした。「7回読み」の勉強法しかしたことがなかった私にとって、この勉強法はまさに王道。ごくごく普通の勉強法。

 「それ以外に勉強法なんてあるの?」

 むしろそういう気持ちだったわけです。

 しかし、選考委員の方々からは、意外にも少し驚いた反応。そのときに、はじめて、この方法はちょっと特殊なのかもしれないと意識しました。

 それ以降は、「7回読み」という自分の方法を明確に意識するようになりました。そして、飛び抜けて要領がいいわけでも、頭の回転が速いわけでもない私が、東大で首席を取ることができたのは、この方法に助けられたのではないかと思うに至ったのです。

 この方法の特徴は3つあります。

 (1)「読むこと」の負荷が小さいこと。

 7回読みは、1回1回が流し読みです。しっかり読んで理解しなくては、と思いながら本に向かう集中力とは無縁です。

 (2)情報をインプットするスピードが速いこと。

 同じ文章を、「読む・書く・話す・聞く」で速度を比べたら、言うまでもなく、もっとも速いのは「読む」でしょう。まとめノートを書いたり、講義を聞いたりするよりも短時間で大量の情報をインプットできます。

 (3)いつでも、どこでもできること。

 本が1冊あれば、時と場所を選ばずに勉強できます。多忙なビジネスマンが通勤時間やスキマ時間に行えるので、時間が無駄になりません。短期集中型の勉強にも適しているといえます。

 なお、「7回」という数にこだわる必要はありません。7回でわからない難しい内容は、さらに何回か読み足すのが、私の方法です。

<POINT> 調べ物なら「リサーチ読み」。知識を深めるには「7回読み」を活用しよう。


○サラサラ読んで数を打つ!必勝の読書法「7回読み」
◆「認知」から「理解」への道筋を作るには

 様々な分野の知識や情報に触れるとき、いつも感じることがあります。

 それは「知らないことは、理解できない」ということ。

 こう言うと、不思議に思われるでしょうか。

 「知らないことを知るのが、理解するってことでしょう?」「知らないことを理解できなければ、どんなに勉強しても知識なんて得られないってこと?」と。

 では、次の文を読んでみてください。

 「太郎が花子に花を贈った」

 簡単に理解できる内容ですよね。太郎という男の子が、花子という女の子にお花を贈っている場面が目に浮かびますよね。

 でも、もし「太郎」がこの手の文に使われる典型的な男の子の名前で、「花子」が女の子の名前だという前提知識がなければどうでしょう。さらに言えば、女性は花を好むというやや古典的ではあるものの、共通化された前提知識がなければ?

 ある文章を理解するときには、必ずそれについて何らかの予備知識を前提にしているのです。たとえ、明確に意識していなくとも。

 ということは、こうも言えます。

 「理解する前には、まず『認知』というプロセスが必要である」

 「認知」と「理解」とは、似て非なるものです。

 たとえばある文章を見て、「こんな言葉が書いてある」と視覚的に感じ取るのが「認知」。それに対して、イメージを汲み取り、意味を読み取り、メッセージを把握するのが「理解」です。

 これは、知らない人同士がはじめて会うときの状態とも似ています。

 初対面の人と挨拶を交わして、いきなりその人を理解するのは至難の業です。

 「理解しよう」と思って本を読みはじめる人は、いきなり初対面の相手と親友同士になろうとしているようなものです。当然、「難しい」と感じて、投げ出してしまいたくなるでしょう。

 大抵の人間同士は、いきなり親友にはなれません。最初は単なる「知り合い」です。

 「認知」は、この「知り合い」の状態を作ることを意味します。少しずつ頭に情報をすり込んで、書かれていることと「知り合い」になっていくのです。

 それを何度も繰り返すと、文章との間に親密さが出てきます。難しい言葉もすでに1回目で目にしているので、「ああ、さっきのあれだな」と思えます。回数を重ねるごとにその頻度が増えて、知り合いはだんだん慣れ親しんだ「友人」、そして信頼に足る「親友」へと近づいていきます。

 7回読みは、そのための作業です。まず「認知」し、それを「理解」へとつなげていく道筋を作ることが大切なのです。

◆「30分の流し読み」を7回繰り返そう

 「7回読み」の1回あたりの速度は、非常に速いものです。

 私の場合、300ページ程度の本を、1回30分程度で読んでしまいます。これは決して速読ではありません。特別な技能をもってして、速く読んでいるわけでもありません。正直、単なる流し読みです。だからこそ、この程度の時間で済んでしまうのです。

 7回読みの各回の間は、それほど時間を置かずに読むのがおすすめ。記憶が薄れないうちに次の回を読めば、定着も早まります。私も学生時代の試験勉強では、できるだけ時間を空けないで読むようにしていました。「1日以内」に読めれば理想的です。

 社会人になるとまとまった時間は取りにくいもの。でも、「サラサラ読み」の場合には、各回30分から1時間ですから、まとまった時間を取りにくい忙しい人でも、1冊を途中で切らずに読み切ることができます。まとまった時間を取れない中で、ゆっくり1回読む場合には、途中まで読んでやめて、また本を読み直してということをしなければならず、前の記憶を呼び覚ますために、すでに読んだページに戻ったりして時間を使ってしまいます。しかし、「7回読み」の場合には、1回ずつにかける時間が少ないので、そういった心配がありません。

 各回30分から1時間、1日1回のペースで7回読むことができれば、ちょうど1週間で読み終わることになります。

 「300ページの本を1週間で読み終わる」とすると、トータルの所要時間は「平読み」で1回読む普通の方法とほぼ同じか、もしかしたらやや短いくらいでしょう。それでいて、「7回読み」は何度も通読しているので、平読み1回よりも記憶への定着度が断然強

いのです。

 また。読むときは[気負わない]ことも大切です。

 短い時間で読むなら、神経を集中して読むべきではないのか、と思われるかもしれませんが、実際はその反対です。

 集中しなくてはいけないと思うと、それがかえって雑念になります。「本を開いてページをめくっているなら、読んでいるということだ」と思って、気楽に読み流しましょう。特に1回目に読むときは、文章を追っていくのが疲れるということもあります。わからないところは、次に読めばいいのだから、意味が取れなくても気にすることはありません。そのときは、見出しだけを目で追う「助走の1回」を加えるとよいでしょう。

<POINT> 書かれていることを「理解」する前に、まず「知り合い」になっていく。

「心身脱落」「只管打座」 ~ 道元のたどりついた悟りとは

2014年07月23日 21時46分37秒 | Weblog
http://shuchi.php.co.jp/article/1535

「心身脱落」「只管打座」 ~ 道元のたどりついた悟りとは
2013年07月18日 公開
ひろさちや

《『新訳 正法眼蔵』より》


○道元の開悟


 『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』は道元の主著です。そして未完の大著です。

 彼は、自分のライフ・ワークとして、全百巻の『正法眼蔵』を制作するつもりでいました。建長5年(1353)に道元が執筆した「八大人覚」の巻の奥書に、その構想が明かされています。だが、その構想は残念ながら実現しません。なぜなら、彼はその年の8月に、54歳で示寂しているからです。

 彼の死によって、『正法眼蔵』はどうなったのでしょうか? しかし、それを語る前に、われわれは道元の生涯を瞥見しておきましょう。

 道元は、正治2年(1200)1月、京都の貴族の名門に生まれました。近年は異説も出されていますが、従来の説によるなら、父は内大臣久我通観、母は関白太政大臣藤原基房の娘伊子で、彼は3歳にして父を、8歳にして母を失いました。

 たぶんそのことも理由になるのでしょう、道元は14歳で比叡山に上り、出家しました。貴族すなわち政治の世界から、宗教の世界へと身を転じたのです。

 だが、比叡山に入ってすぐに、彼は1つの疑問に逢着します。

 仏教においては、

 「人間はもともと仏性(仏の性質)を持ち、そのままで仏である」

 と教えているはずだ。それなのに、われわれはなぜ仏になるための修行をせねばならないのか?

 そのような疑問です。

 彼はこの疑問を比叡山の学僧たちにぶつけますが、誰も満足な答えを与えてくれません。そこで彼は比叡山を下りて、諸方の寺々に師を訪ねて歩きます。それでも求める答えが得られないので、ついに彼は宋に渡ります。貞応2年(1223)、道元が24歳のときでした。

 けれども、宋においても、なかなかこれといった師に出会えかった。道元は諦めかけて日本に帰ろうとしますが、そのとき、天童山に新たに如浄禅師が人住されたことを聞き、天童山を再訪します。じつは道元は、中国に来て最初に天童山に行ったのですが、そのときは良師に巡り合えなかったのです。

 如浄禅師に会った道元は、

 〈この人こそ、自分が求めていた師である〉

 と直感し、如浄の下で参禅し、豁然大悟しました。宝慶元年(1225)、彼が26歳のときでした。ただし、宝慶元年は中国の元号です。道元が大悟するきっかけは、大勢の憎が早暁坐禅をしているとき、1人の雲水が居眠りをしていたのを如浄が、

 「参禅はすべからく身心脱落なるべし。只管に打睡していん恁麼(いんも)を為すに堪えんや」

 と叱ったことでした。何のために坐禅をするかといえは、身心脱落のためだ。それを、おまえはひたすら(只管)居眠りばかりしている。そういうことで、どうなるというのだ!? そういう意味の叱声です。そして如浄は、その僧に警策を加えました。

 その瞬間、道元は悟りを得たのです。自分に向かって言われたのではない言葉、他の雲水を叱るために如浄禅師が発した言葉が触媒になって、道元に悟りが開けたのてす。

 おもしろいといえばおもしろい、皮肉といえばすごい皮肉ですよね。



○「身心脱落」


 ともあれ、道元が悟りを開いたきっかけは、彼が聞いた、

 -身心脱落-

 という言葉てす。そして、まちがいなくこの言葉が、道元思想のキイ・ワードになります。ある意味で、この言葉さえ分かれば、道元の思想が理解できるのです。

 では、「身心脱落」とは、どういうことでしょうか……?

 これは、簡単にいえば、

 -あらゆる自我意識を捨ててしまうことだ-

 と思えばいいでしょう。われわれはみんな、〈俺が、俺が……〉といった意識を持っています。〈わたしは立派な人間だ〉〈わたしは品行方正である〉と思うのが自我意識です。一方で、〈わたしなんて、つまらない人間です〉というのだって自我意識。自我意識があるから、自分と他人をくらべて、優越感を抱いたり、劣等感にさいなまれたりします。そういう自我意識を全部捨ててしまえ! というのが「身心脱落」です。もちろん、意識ばかりでなしに、自分の肉体だって捨ててしまうのです。

 わたしは、自我意識というものを角砂糖に譬えます。わたしというのは角砂糖です。そして他人も角砂糖。わたしと他人との接触は、角砂糖どうしのぶつかり合いです。それで角砂糖が傷つき、ボロボロに崩れます。修復不可能なまでに崩れることもありますが、普段は崩れた角砂糖をなんとか修復して、それて「自我」を保っているのてす。

 道元の身心脱落は、そんな修復なんかせず、角砂糖を湯の中に放り込めばいいじゃないか、というアドヴァイスです。

 湯の中というのは、悟りの世界です。

 わたしという全存在を、悟りの世界に投げ込んでしまう。それが身心脱落てす。そうすれば、わたしたちには迷いもなくなり、苦しみもなくなります。

 いや、そういう言い方はおかしい。迷いがなくなり、苦しみがなくなるのではなしに、わたしたちは大きな悟りの世界の中でしっかりと迷い、どっぷりと苦しめばいいのです。迷いや苦しみをなくそうとするから、かえってわたしたちは迷いに迷い、苦しみに苦しむのです。そんな馬鹿なことを考えず、迷っているときはただ迷う、苦しいときはただ苦しむ。それこそが身心脱落にほかなりません。

 けれとも身心脱落は自己の消滅ではありません。角砂糖が湯の中に溶け込んだとき、角砂糖が消滅したのではないのです。ただ角砂糖という状態 - それが〈俺が、俺が……〉といった自我意識です - でなくなったたけです。砂糖は湯の中に溶け込んでいるように、自己は悟りの世界に溶け込んでいるのです。身心脱落とはそういうことです。

 だとすれば、道元が悟りを開いた - といった表現はちょっとよくない。道元は身心脱落して、悟りの世界に溶け込んだのです。道元の悟りというものがそういうものだということを、読者は忘れないでください。



○仏が修行をしておられる


 そして、ここのところに、若き日に道元が抱いた疑問に対する解答があります。

 われわれは、仏教の修行者は悟りを求めて修行すると思っています。若き日の道元もそう考え、われわれに仏性があるのに、なぜ悟りを求めてわざわざ修行しないといけないのか、と疑問に思ったのです。

 だが、道元が達した結諭からいえば、それは逆なんです。「悟り」は求めて得られるものではなく、「悟り」を求めている自己のほうを消滅させるのです。身心脱落させるのです。そして、悟りの世界に溶け込む。それがほかならぬ「悟り」です。道元は、如浄の下でそういう悟りに達したのです。

 だから、わたしたちは、悟りを得るために修行するのではありません。

 わたしたちは悟りの世界に溶け込み、その悟りの世界の中で修行します。悟りを開くために修行するのではなく、悟りの世界の中にいるから修行できるのです。「悟り」の中にいる人間を仏とすれば、仏になるための修行ではなく、仏だから修行できる。それが道元の結論です。

 わたしたちはついつい、これはいけないことだと知っていながら、でもこれぐらいのことはしてもいいだろう……と思ってしまいます。それは自分を甘やかしているのです。その背後には、自分は仏ではなしに凡夫なんだという気持ちがあります。しかし、自分が仏だと自覚すればどうでしょうか? もちろん、仏といっても、悟りの世界に飛び込んだばかりの新参の仏、赤ん坊の仏です。しかし、仏だという自覚があれば、〈自分は仏なんだから、こういうことはしてはいけない〉と考えて、悪から遠ざかることができます。それが、仏になるための修行ではなく、仏だからできる修行です。

 道元はそういう結論に達したのです。

 そして彼は、その結論を、

  - 修証一等・修証不二・修証一如・本証妙修 -

 と表現しました。修行と悟り(証)が一つであって別のものではない。“本証”とは、われわれが本来悟っていることであり、その悟りの上で修行するのが “妙修”です。

 そうだとすれば、坐禅というものは、悟りを求める修行であってはならないのです。いや、そもそもわたしたちが何のために仏教を学ぶかといえば、

  - 仏らしく生きるため -

 です。その意味では、悟りを楽しみつつ人生を生きる。それがわれわれの仏教を学ぶ目的です。

 ですから、坐禅が、禅堂に坐ることだけをいうのであれば、道元はそんなものは必要ないと言うでしょう。道元にとっては、行住坐臥(歩き・止まり・坐り・臥す)のすべてが坐禅でなければならないのです。日常生活そのものが坐禅です。食べるのも坐禅。眠るのも坐禅。いわば仏が食事をし、仏が眠るのが坐禅です。そのことを道元は、

  - 只管打坐(あるいは祇管打坐とも表記されます)-

 と呼んでいます。“只管”“祇管”とは宋代の口語で、「ひたすらに」といった意味。ただひたすらに坐り抜く、眠り抜き、歩き抜く、その姿こそが仏なのです。仏になるための修行ではなしに、仏が修行しておられるのです。道元がたどり着いた結論はそのようなものでした。



ひろさちや
(ひろ・さちや)

1936年、大阪府生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒業。同大学院人文科学研究科印度哲学専攻博士課程修了。1965年から85年まで気象大学校教授を務める。膨大で難解な仏教思想を、逆説やユーモアを駆使してわかりやすく説く語り口は、年齢・性別を超えて幅広い人気を得ている。
著書に『釈迦とイエス』『釈迦物語』(以上、新潮社)、『ひろさちやの「維摩教」講話』(春秋社)、『がんばらない、がんばらない』『「がんばらない」お稽古』(以上、PHP研究所)など多数。


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<書籍紹介>
[新訳]正法眼蔵
迷いのなかに悟りがあり、悟りのなかに迷いがある

道元 著
ひろさちや 編訳
本体価格 950円


曹洞宗の開祖・道元が、長い年月をかけ、多くの人々に仏教を正しく読み取るための智慧(眼)をまとめた書。

【質問】 (略)小学3年生の息子が水泳教室に週1回通っていますが、辞めたがっています。

2014年07月23日 21時45分43秒 | Weblog
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39725

【質問】 (略)小学3年生の息子が水泳教室に週1回通っていますが、辞めたがっています。(略)
その水泳教室は20級くらいの階層に分かれており、1級に合格すれば卒業で、現在6級です。この段階でクロール、平泳ぎ、背泳を修得しており、泳ぎ方を覚えるという意味では十分と思っています。よって今の級に合格すれば、辞めることも有りだと思っています。 他方、本人が今は嫌だと思っていても、1級に合格し卒業出来れば、本人にとって自信になるのではないか…と思い、それであれば少々強引にでも続けさせるという考えも持っています。

本人は泳いでいる時は楽しそうに見えるし、昇級試験に合格した時は嬉しそうなのですが、水泳教室は自由に遊ぶのとは異なり、ある程度厳しく指導されることや練習をさせられるという状況が面白くないそうです。
私は、水泳教室は、体力づくりや運動面で得意なことを修得し、自信をつけるということを目的としているつもりなので、基本的には無理に続けさせようとは思っていません。 ただ、卒業したほうが、達成感や自信につながるのではないか、と言う気持ちもあり、子供にってはどちらが良いのか、分かりません。佐藤先生のご意見を頂けますでしょうか?

――佐藤優さんの回答: 息子さんの意思を尊重して、水泳教室を直ちにやめることをお勧めします。息子さんは既に泳ぐことができるのですから、水泳教室に通った目的は達成されています。

私は、小学1~3年までバイオリンを習っていました。先生は日本フィルの優秀な先生でしたが、「自由に遊ぶのとは異なり、ある程度厳しく指導されることや練習をさせられるという状況が面白くないので、やめさせてくれ」と親に頼み込みました。両親(特に父親)は、「せっかく楽器に馴染んできたところで、もったいない」と言っていましたが、最終的には私の意向を尊重してくれました。私はこの経験があるせいか、その後、楽器には一切関心を持たなくなりました。子どもの個性にもよりますが、嫌がることを強要しても、決してよい結果は出ません。

親としては、心配と思いますが、息子さんは、別の事柄(恐らく勉強になる可能性が高い)に関心を向けるようになります。水泳教室での訓練も、人生をトータルに見た場合、決して無駄にはなりません。

ポテトチップスを食べる人はお金が貯まらない

2014年07月23日 21時44分56秒 | Weblog
http://news.livedoor.com/article/detail/9048982/
ポテトチップスを食べる人はお金が貯まらない



ポテトチップスをやめると、ダイエット効果もあがり、浪費が防げる!?  貯蓄ができないと言うけれど、貯蓄というのは、入ってきたお金より出て行くお金が多いときに出来るものであり、入ってきたお金より出て行くお金が多い時や同じ時には出来ないものです。

考え方によって貯蓄を『出て行くお金』と捉えて、最初から引いてしまうことも可能ですが、どちらにしても収入が支出を上回る、もしくは同等でなければ出来ないということです。

しかし、不思議なもので溜め込むことが出来るものがあります。それがカロリー。

貯蓄とダイエットというモノは、理屈の上では非常に似ていると思えます。

摂取カロリーが消費カロリーを上回れば、プクプクと肥えていきます。逆に摂取カロリーが消費カロリーを下回れば、痩せていきダイエットになります。

ダイエットをしたいのならば、やることは二者択一でしょう。消費カロリーを変えないのならば摂取カロリーを減らす。摂取カロリーを減らしたくないのならば、消費カロリーを増やす。常に『摂取カロリー<消費カロリー』の状態でなければダイエットは出来ず。

貯蓄がしたいのならば、やはり二者択一となります。収入が変わらないのならば、支出を減らす。支出を変えないのならば、収入を増やす。常に『収入>支出』の状態を保てれば、貯蓄が可能となるのでしょう。

ポテトチップスをバリバリ食べ、コーラをガブガブ飲み、ダイエット本をゴロゴロしながら読んでも、ダイエットなど出来ないように、貯蓄、貯蓄と言いながら、浪費を繰り返していたのでは、なかなか貯蓄も難しいのかも知れません。

ポテトチップスをやめると、ダイエット効果もあがり、浪費が防げるのかも知れません。貯蓄に回る分のお金が、あなたの腹回りに溜まっているのかも?(笑)

目的に向かった行動が取れたときに、目的が達成されやすくなるのでしょう。

(中村 毅)

感動必至! ダウンタウン浜ちゃんの心あたたまる子育て

2014年07月23日 21時24分20秒 | Weblog
http://ddnavi.com/news/172817/
感動必至! ダウンタウン浜ちゃんの心あたたまる子育て


.2013.11.29 .

お笑いコンビ・ダウンタウンのツッコミ役、浜田雅功。 どつく、キレる、そんなイメージが強いかもしれないが、“後輩思いの芸人”としても名が高い。テレビスタッフや仲間に対する心配りも忘れず、美術や照明の助手さんたちの名前まで覚えるという。

 そして、もうひとつの顔「良き父親」としての浜田雅功がいる。

 妻は、タレント・小川菜摘、長男は、ロックバンド・OKAMOTO’Sのベーシスト、ハマ・オカモトして活躍。日本人初の米国フェンダー社とエンドースメント契約を結ぶ実力の持ち主。次男は米国に留学中だとか。この一家に理想の家族像を見る人も少なくないだろう。

 そんな浜田家の日常を垣間見ることができる貴重な本が、妻・小川菜摘著『浜田雅功ファミリーのできるまで』(扶桑社より1996年に刊行)と『浜田家式お約束 エッ!そうくるかあ~』(扶桑社より2000年に刊行)の2冊だ。

 それは2人のなりそめから始まる。「おもろい」「気が合う」「一緒にいても疲れない」の3要素で結ばれ、1989年に2人は結婚。婚約指輪は0.28カラットと小ぶり。ウエディングドレスは7万のレンタル、ウエディングケーキは友人たちの手作り。新婚旅行はアメリカ西海岸と一般庶民の私たちは親近感を覚える。

 結婚後1年ぐらいは2人っきりの生活を楽しもうと決めた浜田夫妻。「おかえりっ!」と笑顔で迎えるのが鉄則。夕食は、週5回は菜摘さんの手料理を食べるそう(当時)で、「お腹がすいたと思うとパッと出てくる料理が最高や」の信条で手の込んだ料理は必要なし。夜12時までに帰宅できる日は、お腹がすいても食べないで帰ってくるという浜ちゃんの愛妻家ぶりが伺える。

 その後、計画通りの妊娠となったが、菜摘さんは日々変化していく自分の体型に悲しみが増していく。そんな妻をみて、「産んだら元の体に戻るやん。そんなん、いまだけやから、大丈夫やって」と浜ちゃん。

 長男・次男2人の出産に立ち会い、「ヒッヒーフー」と一緒になって出産を経験する。つらそうな奥さんにあえておどけた言葉をかける浜ちゃん。加えて、事前に分娩室での位置関係まで決めていたという徹底ぶり。最後に、「先生、どうもありがとうございました」と泣きながら、お礼を言い、その後はいつもと変わらぬ顔で『笑っていいとも!』に出演し、笑いをとったそう。

 そして…。生まれたばかりの長男に心臓病の疑いがあると医師にいわれ愕然とする妻に「たとえ、どんな病気だったとしても、オレとオマエがついているやんか。一生懸命育ててやるしかないやろ」と励ます。2人目が生まれる前には、「郁未(長男)にとって、両親の愛情を一人占めにできる最後のチャンスを作ってやろう。仕事があるから一泊しかできへんけど、連れてってやろうな…」と旅行につれていく。学校での子供同士のいさかいに対し、「相手の立場とか気持ちがわからん人間には、友だちができない――そいでやなあ、友だちのいない人生ほど、不幸な人生はないで」と諭す。子どもを怒ったときは、自分が悪いと思ったこと、これからどうしたらいいかを、子供自身で考えさせ、自分の言葉でお父さんに話すようお母さんが促す。

 浜田家には「仕事の3大ルール」がある。
(1)家庭を最優先にする
(2)泊まりの仕事は極力避ける
(3)夫の休みの日には妻の仕事は絶対に入れないようにする

 休みが1日だけの日は、忙しいお父さんを労わって菜摘さんは子ども達に「お父さん、たくさん寝かせてあげようね」と声をかける。しかし子ども達とできる限り一緒にいたい遊びたいという浜ちゃんの性格もあって、お昼すぎたあたりでじっとしていられず、子ども達を遊びに誘う。

 行くのは、「コンビニ」「本屋」。子ども達にとっては、お父さんと一緒に歩けたら十分だそう。何やらこそこそと「おとこ同士の約束な!」と3人で話しながらでかける姿を見送るのが菜摘さんは大好きだったとか。そしてプリンやヨーグルトを山ほど買って帰ってくるのがお決まり。

 浜田家のようにお父さんの仕事が忙しくて、子どもとの接点がない家庭では、お母さんの演出の腕が見せどころ。「ちゃんと見てくれている」「褒めてくれてたよ」。子どもがやったことに対し、間接的でもそんな言葉の積み重ねが父親という存在への尊敬や共感に繋がるという。「人間性の部分」と「仕事人としての部分」の両面で尊敬できれば、最終的なところでのたがははずれないと。

 家のこまごまとしたことはお母さん、大きな決定や判断はお父さんが担当。そんな『浜田家式お約束』には、「菜摘の悩み相談室」という形で、子育てママたちのさまざまな相談に菜摘さんが答えている。「あとがき」には、夫・浜田雅功が妻・小川菜摘に贈った言葉が綴られ、「ほんまにごくろうさん」という言葉がやけに響いた。浜田家は家訓「おもしろくなきゃダメ」通り、笑いの絶えない暖かい浜田家であり続けるんだろうなと思わせてくれると同時に、浜田家の活躍ぶりに合点が行く。

 幸せをお裾分けしてもらったような、ずいぶん満たされた気持ちで本を閉じた。

文=中川寛子

スアレスは、なぜ噛み付くのか やってはいけない「子どもの心を荒らす」子育て

2014年07月23日 21時22分31秒 | Weblog
http://ddnavi.com/news/200885/
スアレスは、なぜ噛み付くのか やってはいけない「子どもの心を荒らす」子育て


.2014.7.16 .

約1カ月に渡って、熱い闘いが繰り広げられた 2014 FIFA W杯ブラジル大会が遂に終了した。開催中には思わぬニュースも飛び込んできたが、ひときわ目をひいたのはウルグアイ代表のエース・スアレス選手の「噛み付き事件」だ。

 1次リーグイタリア戦の後半35分、スアレスはイタリアDFと接触。その際、相手選手の肩に噛み付いたとされ、スアレスは罰金などのほか公式戦9試合の出場停止を課せられた。実はスアレスは所属クラブでの噛み付き事件により、過去2回ほど出場停止処分を受けている。

 スポーツ心理学の専門家である、サルフォード大学のトム・フォーセット博士によれば、スアレスの噛み付きグセは恵まれない幼少時代の経験に根ざしている可能性があるという。「発育期の体験は人格形成に確かな影響を与える。スアレスは貧しい家庭に7人兄弟として生まれ育った。厳しい環境であり、生き残るには闘わなければならなかったのではないか」と推測している。(6月26日AFP BBNewsより)

 幼少時代の経験、とりわけ親子関係が子どもの心に与える影響の大きさについては、発達心理学の観点からもさまざまな報告がなされている。また、ネット上の相談サイトに寄せられた悩みをみても、子どもの「噛み付きぐせ」について悩む母親は、決して少なくないようだ。

 そこでその答えを求めて、『子どもの心を“荒らす親”・“整える親” 感情コントロールができる子に育てる』(河井英子/PHP研究所)の著者である、河井英子氏にお話をうかがった。

■なぜ、子どもは噛み付くのか

「1~2歳くらいの幼児は、まだ自分の意志を言葉で伝えることができません。そのため、噛み付くことで、なんらかの意思表示をする場合もあるのです。そんなときはいきなり叱らずに、何が不快で何を訴えたいのかを的確にとらえ、シンプルなフレーズで“噛んではだめよ”と、優しくさとすとよいでしょう。
 ところが、3歳すぎのお子さんの場合は、少し状況が異なります。子どもの心は行動と直結しており、幼いなりに繊細で傷つきやすいため、心になんらかのストレスが加えられると傷ついた心が“荒れ”を引き起こし、それが行動に出てしまうのです。たとえば、自分がお母さんに受け入れられていないなと感じてしまうとき。子どもの心は不安になり、イライラから友達とケンカをしたり、人に噛み付くことがあるのです。もし、お子さんが幼稚園のお友達とケンカをして、噛み付いて帰ってきたら、まずは冷静に“人を噛んではだめでしょう。○○ちゃんがどんなに痛かったのか、わかる?”と、相手の気持ちを考えさせるように言い聞かせてみてください」

■親自身のストレスが子どもの心を荒らしていた

「スアレス選手の場合は環境的にみても、親御さんの育児負担はかなり大きかったのではないかと思われます。南米の文化やしつけの習慣は日本とは異なるので、いちがいに比較することはできませんが、幼少時代の親子関係は、実はとても大切です。
 というのも、子どもは、親の感情に対してものすごく敏感だからです。たとえば、現代の日本の親世代の生活はとても多忙で、親と一緒に生活している子どもも、当然その影響を受けざるを得ません。働く母親の“仕事で忙しくて子どもの世話が大変だ”というイライラ感や、あるいは専業主婦の“一日中子どもと一緒にいるのはしんどい”というストレス感は、そのままダイレクトに子どもに伝わってしまいます。子育て中は親御さん自身も自分の生活に追われたり、あるいは初めての子育てにとまどって気持ちがいっぱいいっぱいになってしまい、お子さんに感情であたってしまう場面も少なくないことでしょう。しかし、親のストレスを感じるストレスや、自分は親に愛されていないのではないかという不安感から、子どもの心は少しずつ荒れてしまうのです」

■子どもにしてはいけないのは、暴言や人格否定

「そのような流れから、子どもが自分の言うことを聞いてくれなくなったり、いい子でいてほしいのに行動が荒れてしまうと、子育てに自信がなくなってしまうかもしれません。でも忘れてはならないのは、子どもはもともと自分とは別の人格をもつ、異なる存在であること、親の思い通りにはならない“ままならない”存在であるということです。ちゃんと独立した人格として尊重すること、子ども扱いしないことを基本的なスタンスとしてください。
 なにより大切なのは、子どもの心を荒らすような原因を親自身がつくらないことです。子どもにとっていちばん大切なのは、誰でもない自分の親。子どもは思った以上に母親の顔色を見ていますし、言われた言葉を忘れません。間違っても“あなたみたいな子どもは、いらない!”というような、不用意な言葉を言ってしまってはだめなんです。子どもが悪いことをしたら、行為は叱っても、人格は否定しないこと。“ダメな子ね”とは言わない。叱り過ぎたと思ったら“あなたのこと、本当にかわいくて大切に思っているのよ”と、愛あるフォローをするのです。
 近年は、ママ友同士の人間関係も徐々に複雑化し、なにかとギスギスしがちです。ただでさえ、仕事や家事で精神的な負担が大きいのですから、お母さん自身も、心穏やかに生活することを心がけることも大切なのではないでしょうか」

 河井氏の著書によれば、最終的には「親はあくまで、子どものカウンセラー」であるべきだという。親の目から見れば遅々として進まない子どもの発達はじれったく、また子どもは言葉にできないことも多いもの。だからこそ、親はカウンセラーのような「無条件の受容と共感」をもち、子どもの心を敏感に感じ取る感受性を養っていくことが必要になってくる。

 そのためには親自身も、自分の心を荒らさず整える努力が必要なのかもしれない。本書には幼稚園入園前から児童期まで、子どもの心の発達段階に応じた子育てについても詳しく解説されているので、ぜひ参考にしてほしい。

取材・文=タニハタマユミ

幸せな人はやっていない、今すぐやめた方がいい12のこと

2014年07月23日 21時19分46秒 | Weblog
http://news.livedoor.com/article/detail/9062829/

「やるべきことリスト」を作り、それをきちんと守っていれば、生産性が上がったり、人間関係がうまくいったり、自分自身が幸せになったり、といった大きな見返りを手にすることができます。今回は、やるべきことリストというより、「やるべきでないことリスト」に加えるといい13のことをご紹介します。これをするのをやめたら、毎日も人生もさらに輝くこと間違いなしです。

1. 何事においても他人を責めない

社員がミスをする、宅配業者が時間通りに配達に来ない、あと一歩のところで顧客がYESと言わないなど、一言言いたくなるような問題はいくらでもあります。時には、非難することもあるでしょう。しかし、それはあなたが十分な研修をさせていなかったり、十分な余裕を持っていなかったり、続けざまにたくさんのことを言い過ぎたりしているからかもしれません。何か悪いことが起こったら、誰かを責めるのではなく、その責任は自分にあると考えてみましょう。それから、事態を好転させるには、次に失敗しないためにはどうすればいいのかだけに意識を注ぎます。うまくできるようになったり、二度と失敗を繰り返さなければ、今よりも幸せになります。




2. 誰かと話している時は携帯をチェックしない


携帯やスマホに目を移し、「このメールに返信するから、ちょっと待って」というようなことを言ったことはあるでしょう。もしくは、詳しい説明すらせずに「待って」としか言っていないかもしれません。話すのをやめ、相手の顔も見ず、そんなことをします。話しているのが大事な相手なら、誰かと話している時はスマホをチェックするのはやめましょう。相手はあなたにもっと好感を持つようになり、そのことであなた自身の気持ちも良くなります。




3. 会議中は他のことをしない


会議室の中でもっとも賢い人になる簡単な方法は、一番真剣に会議に参加する人物になることです。会議中に他のことをするのをやめて、発言者や会議の内容に注目すると、会議の議題と参加者の両方がよく分かるようになって驚くでしょう。隠れた意図が見えてきたり、理解できるようになったり、何を準備すればいいのか見当がつくようになります。また、会社にとって代わりのいない人間になる方法も分かるようになります。




4. 人の話に口を挟まない


人が話しているのに口を挟むのは失礼なだけでなく、「あなたの言いたいことは分かるから、あなたの話は聞きません」と言っているようなものです。そんなことをされるのが好きな人なんているでしょうか? まずは相手の言うことに耳を傾けてください。そして、相手の言っていることを理解できていることを示すために質問をします。そうすると相手は喜び、自分も気分が良くなります。




5. 重要ではない人のために時間を使わない


「TMZ.com」(ゴシップサイト)に登場する有名人たちは、あなた無しでも間違いなくうまくやっていきます。しかし、家族や友人、社員などは、あなた無しでやっていけるでしょうか? 本当に大切な人たちのために時間を使いましょう。それに値する人たちです。




6. たくさんの通知で気を散らさない


メール、SMS、ツイート、いいね、などが付いたところで、それをすぐに知る必要はありません。やらなければならない重要なことがあるならば、邪魔されずにそれをやることが重要です。自分のやっていることに集中しましょう。またスケジュールは受け身にせず、自分で決めます。他人の動向は気になるかもしれませんが、自分のやっていることに集中することはとても大切なことです。




7. 恨みや泣き言を言わない


言霊という言葉があるように、言葉には力があります。何か問題が起こった時に、それに対して泣き言や恨み事を言っていても、気分が悪くなるだけで、決して良くはなりません。問題が起こっても、不満を言うような時間の無駄遣いはやめましょう。少しでも状況が良くなるように力を尽くす方がいいです。どんなに恨みつらみを言ったところで、最終的にはそれをやらなければならないのです。だったら、言うだけ時間の無駄ですよね? 今すぐ取り掛かりましょう。嫌なことについて話すのもやめます。たとえ独り言でも、自分の気分が良くなることを話しましょう。




8. 過去に未来を変えさせない


失敗は、そこから学ぶことができる、価値あるものです。学んだら、後は手放しましょう。言うは易し行うは難しかもしれませんが、意識を変えるだけです。何か失敗した時は、自分が知らなかったこと(特に自分に関すること)を学ぶ機会を得たと思いましょう。他の人が失敗をしたら、慈悲深さ、許すこと、思いやりなどを学ぶ機会だと思いましょう。過去はただの教材です。過去は間違いなく何かを伝えていますが、それが何かを定義するのは、他でもないあなた自身です。




9. 成功できると信じられるまで待たない


何か新しいことをやっている時に、成功できると確信することはありません。しかし、全力を尽くそうと心に決めることはできます。また、失敗してもまた挑戦すればいいと心に誓うこともできます。待つのはやめましょう。得られるはずのものを、思っている以上にたくさん失うことになります。




10. 陰口を叩かない


人の噂話や悪口ばかりのゴシップ人間になりたいなら別ですが、そうでなければ陰口はやめましょう。あの人はこんなことしたんだってと、本人以外との方が多く話している場合は、本人とそれについて話した方が建設的ですよね? 本人には話せないという場合は、おそらくその人について話すべきではないのでしょう。もっと生産的な会話に時間を使ってください。その方がもっと多くのことができ、より尊敬されるようになります。




11. 本当は「ノー」という時に「イエス」と言わない


同僚やお客さん、友だちなどから何かを頼まれた時は、断るのが本当に大変です。しかし、きちんと断らないと、予想以上に酷いことになります。断っても、ほとんどの人は理解してくれると思いますが、もし理解してもらえなかったら、相手のことをそこまで気にかける必要があるでしょうか? 「ノー」と言う時は、少なくともその瞬間は嫌な気分になります。しかし、本当はやりたくないのに「イエス」と言ってしまった時は、もっと長い間、嫌な気分になるはずです。




12. 恐れない


これからどうなるのか分からないこと、自力では変えられないこと、自分にはどうしようもないこと、他の人にどう思われているかなどは、誰でも怖いです。だから、すぐに躊躇してしまいます。しかし、少し時間をかけて考えてみたり、もっと詳しく調べてみたり、他の方法はないか考えてみたりしてみましょう。そうやって、数日、数週間、数ヶ月、数年が経てば、それは夢に向かっているのと同じです。

何かやってみたいことや夢見ていることがあるなら、今すぐに始めましょう。恐れる気持ちは横に置いて、とにかく何かやってみること。何でもいいからやってみること。明日が来たら、今日は二度と取り戻せません。今日という日はもっとも貴重な財産なのです。本当に恐れるべきは、その貴重なものを失うことではないでしょうか。


10 Daily Habits of Exceptionally Happy People|Inc.

アルフレッド・アドラー人生に革命が起きる16/100の言葉

2014年07月14日 23時31分44秒 | Weblog
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ogurahiroshi/20140402-00034176/
アルフレッド・アドラー人生に革命が起きる16/100の言葉
小倉 広 | ビジネス書作家、組織人事コンサルタント、心理カウンセラー
2014年4月2日 17時26分

ユング、フロイトと並び称される心理学の巨人であり、自己啓発の源流であるアルフレッド・アドラー。彼の影響は至る所に見て取れる。

デール・カーネギーの「人を動かす」「道は開ける」(創元社)やスティーブン・R・コヴィーの「7つの習慣」(キングベアー出版)、

さらにはコミュニケーションの技術として広く知られているコーチングやNLPの多くにも、アドラー心理学の影響が見られるだろう

本日は、拙著の発売を記念して、本作から厳選した16の言葉をお贈りしたいと思う。本著にはそれぞれにていねいな解説がつけてある。理解を深めるために解説を読みたい、残りの84個の言葉を読みたい、という方は拙著をお求めいただきたい。

【1】それが「あなたの課題」ならば、たとえ親に反対されても従う必要はない。自分の課題に足を踏み込ませてはいけないのだ。
【2】「暗い」のではなく「優しい」のだ。「のろま」ではなく「ていねい」なのだ。「失敗ばかり」ではなく「たくさんのチャレンジをしている」のだ。
【3】ほめてはいけない。ほめることは「あなたは私よりも下の存在だ」「どうせあなたにはできっこない」と相手に伝えることに等しいからだ
【4】「信用」するのではなく「信頼」するのだ。「信頼」とは裏付けも担保もなく相手を信じること。裏切られる可能性があっても相手を信じるのである。
【5】自分の不完全さを認め、受け容れなさい。相手の不完全さを認め、許しなさい。
【6】苦しみから抜け出す方法はたった一つ。他の人を喜ばせることだ。「自分に何ができるか」を考え、それを実行すればよい。
【7】仕事で敗北しませんでした。働かなかったからです。人間関係で失敗しませんでした。人の輪に入らなかったからです。彼の人生は完全で、そして最悪だった。
【8】誰かが始めなくてはならない。見返りが一切なくても、誰も認めてくれなくても、「あなたから」始めるのだ。
【9】「この子は言葉を覚えるのが遅いので・・・・・・」と母親が子どもの通訳を買って出る。すると子どもは、自分で話す必要がなくなり、本当に言葉が遅くなるだろう。
【10】罰を与えるのではない。結末を体験させるのだ。子どもが食事の時間になっても帰ってこなければ、一切叱らずに食事を出さなければよい。
【11】問題行動に注目すると人はその問題行動を繰り返す。叱ることは、悪い習慣を身につけさせる最高のトレーニングなのだ。
【12】叱られたり、ほめられたりして育った人は、叱られたりほめられたりしないと行動をしなくなる。そして、評価してくれない相手を敵だと思うようになるのだ。
【13】あなたのために他人がいるわけではない。「〇〇してくれない」という悩みは、自分のことしか考えていない何よりの証拠である
【14】すべての悩みは対人関係の課題である。仙人のような世捨て人でさえも、実は他人の目を気にしているのだ。
【15】自ら変わりたいと思い努力をすれば、ライフスタイル(性格)を変えることは十分に可能だ。性格は死ぬ1~2日前まで変えられる。
【16】ライフスタイル(性格)とは人生の設計図であり、人生という舞台の脚本である。ライフスタイルが変われば、人生がガラリと変わるだろう。
●「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」(ダイヤモンド社)

こちら

小倉 広
ビジネス書作家、組織人事コンサルタント、心理カウンセラー

「人間力を高める」一般社団法人 人間塾代表理事。「対立から合意へ」一般社団法人日本コンセンサスビルディング協会代表理事。「自分で考え自分で動く人を育てる」株式会社小倉広事務所代表取締役。大学卒業後リクルート入社。組織人事コンサルティング室課長からベンチャー企業役員、コンサル会社社長を経て現職。リーダーシップ開発の専門家および、悩める30代を救う生き方のメンターとしても知られる。著書『アルフレッド・アドラー人生に革命が起きる100の言葉』(ダイヤモンド社)『任せる技術』(日本経済新聞出版)『33歳からのルール』(明日香出版社)など30冊以上。10冊以上が翻訳され海外で発売されている。

働かないオジサンになる人、ならない人

2014年07月14日 23時28分55秒 | Weblog
http://toyokeizai.net/articles/-/40823
働かないオジサンになる人、ならない人
人事のプロが教える、3つの分岐点

還暦を迎えてしまった
いきなり私事になるが、この原稿を書いている今、大きな区切りの日を迎えた。還暦なのだ。若い頃は、60歳、還暦というと、どんなに思慮分別がついたオジサンかと思っていた。しかし実際には、オジサンという感覚も薄く、気分だけでいえば若い頃とほとんど変わらない。

会社員生活を振り返ると、「こうすればもっとうまくいっていたのに」と思うこともあれば、「なかなか頑張ってきたじゃないか」と自分を褒めてやりたい気持ちもないわけではない。

私は約35年間、同じ会社に勤めてきたが、年代によって会社の風景は大きく変わった。右も左もわからない新入社員時代、初めて部下を持った30代、働く意味に悩み、家族の重荷も感じる40代、定年後の生活にも思いを馳せる50代などである。年代によって仕事への悩みはさまざまであり、ひとつの段階を最も優秀な成績で超えられた人が、次の段階であっさりと転んでしまう事例も数多く見てきた。

本連載の第7回「何割の人が『働かないオジサン』になるのか」でも述べたように、若い頃どんなに優秀でも、8割は働かないオジサンになる。一方で、少数ではあっても、イキイキと働くオジサンがいるのも事実である。

「働かないオジサンになる人、ならない人」は、やはり年の取り方に深くかかわっている。それでは、働かないオジサンになる人とならない人では、どこが違うのだろうか。



○働かないオジサンを生み出す構造的な原因
本題に入る前に、この連載で述べた働かないオジサンになる構造的な3つの原因について、簡単におさらいをしておきたい。

ひとつは、会社のピラミッド型の組織構造である(連載第4回「『就活』が、働かないオジサンを生む!?」参照)。仕事に懸命に取り組もうと思っても、組織の構造はピラミッド型になっているので、多くの社員が、いずれ中軸の仕事から外れざるをえなくなる。また昨今の組織のスリム化やポスト削減によって、管理職に就けない社員も増えている。中軸の仕事から外れたオジサンは、往々にして働く意欲を失いやすい。

2つ目は、サラリーマンは、社会的な要請と直接インターフェイスを持っていないことである(連載第10回「働かないオジサンの定年後は、寂しい」参照)。個人事業主と違って、サラリーマンは会社を通して、社会的な要請(顧客など)に間接的に接しているので、どうしても働く実感を得にくい。社内の仕事は分業制であり、どんな仕事をするかは配属によって決められる。社内の仕事で働く実感を得られる人は、極めて幸運だと言えそうだ。

3つ目は、20歳過ぎから60歳までの会社人生を、一気に走り切ることは難しいということだ(連載第6回「『働かないオジサン』がいない会社の工夫」参照)。年齢を経る中で、求められる通過儀礼も異なる。40歳までの前半戦の通過儀礼は、組織の中で一緒に働く仲間や顧客に役立つ自分を、どう作り上げていくかということだ。一方、40歳以降の後半戦の通過儀礼は、老いることや死ぬことを意識して、どのような働き方をするのかという難題である。働かないオジサンは、この後半戦の通過儀礼でつまづいている人が少なくない。

これらの原因は、すべての人に平等に訪れる。それでも、働かないオジサンになってしまう人もいれば、意欲を失わずに働き続けられる人もいる。両者を分ける要因は、いったい何なのだろうか。人が働かないオジサンになるかならないかの分岐点として、以下の3つが考えられる。

○1.仕事を面白くするために工夫しているか
サッカーの三浦知良選手が、新聞のコラムで、ラスベガスで出会った荷物を運ぶホテルのポーターを紹介していた。単調と思われるポーターの仕事だが、その彼は、クルクル踊りながらキャリケースをはじき飛ばし、ムーンウオークで滑り寄っては、ピピピと笛を鳴らして車を誘導する。マイケル・ジャクソンそのものだったという。三浦氏は、こういう姿勢が大事で、周囲も楽しませていると評価している。


会社からのあてがいぶちの仕事では意味がないと思っているサラリーマンは少なくない。しかし、何でも自由に好きなことをやれと言われると、かえって難しいものである。会社を離れて自分の得意なものを探すという選択肢は、多くの人の場合、現実的ではないだろう。

とはいえ、40年間の会社生活の間、会社がずっと面白い仕事を与えてくれると考えるのは期待しすぎである。まずは、今、取り組んでいる仕事から、何かできないかと発想するほうが明らかに生産的だ。

私が出会ったイキイキ働くサラリーマンは、皆、足元の仕事を大事にしている。3度の飯よりも人に会うのが好きな営業マンや、寝食を忘れて研究に没頭できる技術者、人の成長を見るのが何より好きだという研修役も、自分の仕事に、いろいろな工夫や努力を惜しんでいない。中には、役員に「この部署に異動させてほしい」と頼んだり、次に働きたい職場の部長に自ら直談判にいく社員もいた。

働かないオジサンになるか、ならないかを分ける第1の分岐点は、足元の仕事を大切にしているかどうかだ。イキイキと働いているオジサンは、若い頃には会社人間だった人が多い。質の高い仕事を目指して、いろいろ努力、工夫することは、人生の後半戦になって、選択肢を増やすことにつながることも間違いない。

○2.複数の自分を抱え込めるか
足元の仕事に注力することは大事であるが、強くコミットしすぎると、自分の生活や家族をないがしろにする場合も少なくない。

自分の生活や家族を切り捨てた仕事中心のスタイルは、表面的には力強いように見えても平板で変化に乏しい。また脆弱でもろいものになりがちである。結果として、変化に対応できずに、働かないオジサンになるリスクも高まることになる。

仕事に注力する自分、仕事以外に関心あることに取り組む自分、家族や昔の友人を大切にする自分を、自らの中に同時に抱え込んでおくことが重要である。仕事と生活について言えば、両者を区分するのではなく、相互の良循環をどのようにして生み出すかがポイントなのである。

資産運用では、リスク軽減の観点から、分散投資する手法は常識なのに、仕事になるとそう考えないサラリーマンが少なくない。「仕事本位でなければならない」「本業はひとつしかない」と思い込んでいるのである。どちらかがうまくいかなくても自分を保てるように、複数の自分を抱え込むことは、極めて重要なのである。加えて私は、この複数の自分の中に、過去の自分と未来の自分も入れて考えるべきだと思っている。


組織の中では、全員が同じ現実を共有して、時間や空間も均一だという前提なので、「他人との比較、違い」でしか自分の位置づけを確認できなくなりがちだ。しかし、これでは自らの個性を見失いがちになる。

本当に大切なのは、過去の自分に比べてどれだけ成長できたのか、どれだけ思いやることのできる人間になれたかである。また、未来の自分を描くことによってエネルギーを得ることもあるだろう。過去と未来の自分を、しっかりと自らの中に抱え込むことで、自分は他人とは取り替えの利かない存在であること、かけがえのない存在であることが確認できるのである。

○3.挫折に正面から向き合えるか
入社から30年もすれば、いろいろなことが生じる。いいこともあれば、「なんで自分だけがこうなるのか」「あのことさえなかったら」と、どうにもできない不条理に納得のいかないこともあるだろう。

私は、人生の後半戦において、新たな働き方を見いだした多くの会社員を取材してきた。彼らの多くは、会社員人生から見れば「挫折」と思えるようなことを経験して、そこからイキイキとした働き方を見つけ出していた。

取材では、病気を経験している人が多いことに驚いた。また、リストラ、合併、左遷、思いもよらない出向などの会社側の事情によって大きく揺れる人、子どもの不登校、家族の介護、妻の病、家庭内暴力をきっかけに働き方を変えた人もいた。友人や家族の死、阪神・淡路大震災がきっかけとなった人も多いのである。

おそらく重い病気を患うと、気持ちの中で「死」と直面するので、無意識のレベルに押し込んでいた死に対する恐怖心が、意識レベルに上がってくるのだろう。その体験が、意識を変化させることにつながっている。阪神・淡路大震災の体験が転身のきっかけになった人が多かったのも、同じ理由であろう。

後半の通過儀礼をうまく突破した人の多くは、こういった挫折に正面から向き合うことで、「自己中心から、他者へのまなざし」「自己への執着から、他者への関心へ」という価値観の転換を果たしていた。そうすると、「あのことさえなかったら」と言っていた人が、「病気のおかげで」「会社がもっと早く破綻してくれればよかった」と発言が変化するのである。

会社員生活で、一度も挫折を経験しない人は、むしろまれである。いつか訪れる挫折に対して、心構えをしておくことで、働かないオジサンになるリスクを格段に減らすことができる。



○これは、「働かないオジサン」なのか?
最後に、私が最近受けた相談をご紹介しよう。喫茶店で会ったA君は、社内の2人の「働かないオジサン」について、非常に強い不満を持っているようだった。皆さんは、このA君の会社の2人のオジサンを、どう思われるだろうか?

 A君は、入社7年目の30歳。不動産販売会社の営業所で、主に、住宅地の新築・中古物件の売買を担当している。担当はエリア制で、私鉄の4駅の沿線が主な担当である。

 A君の職場には、50代半ばのオジサンが2人いる。

1.ひとりは、A君と同じ課にいるBさんだ。実は一昨年まで、A君の直接の上司だったが、役職定年になって、昨年から一営業員として隣のエリアを担当している。近隣の地域で物件を探している顧客が多いので、営業担当者同士の連携が必要なのだが、Bさんは、役職を外れてから意欲を失ったようで、必要な連絡がなかったりタイミングが遅れたりして、成約するチャンスを逃してしまうこともある。
 成績によってボーナスの査定にも影響が出るので何とかしたい。A君はほかの担当者とは特に問題はない。上司である課長もBさんの状況は知っているが、今は特に注意もしていない。

2.もうひとりは、総務担当のCさんだ。Cさんは、親会社である大手不動産会社から出向してきて、総務担当部長をしている。契約書管理、信用力の調査、コンプライアンス、税理士相談の手配などを担当している。
特に若い担当者に対しては、契約書やコンプライアンス面の不備を厳しく指摘する。言うことは間違っていないのだが、Cさんの上から目線の話し方に、A君はいつも反発したくなる。またCさんはバブル期に営業を経験しているので、現在の顧客の厳しい状況も理解していない。A君たちは、顧客の都合で毎日遅くまで仕事をしているのに、Cさんは、定時になると、すぐに帰ってしまうのも納得がいかない点だ。事務職の女性陣からは、すでに販売会社に転籍しているのに、親会社のほうばかり向いているという批判も聞いている。

 A君は、このBさん、Cさんが自分よりも高い給与をもらっていると考えると、腹が立ってくるという。
さて、このA君の考え方は、もっともなのだろうか? それとも、A君にも改善すべき点があるのだろうか? また、A君がもう少しモチベーションを上げるための方策はあるのだろうか? あなたのご意見を教えてほしい。

ヨガ人口1500万人の米で「是非論争」

2014年07月14日 23時27分47秒 | Weblog
2013/01/09-16:00 在米ジャーナリスト 高濱 賛


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■公立小学校での授業導入に違憲論争
■宗教要素排除で普及拡大
■教育ヒアリングで賛成、反対両派が対立
■憲法上宗教の定義なく裁判所は判断下せず?

  ◇公立小学校での授業導入に違憲論争

 ヨガ愛好者が1500万人に上るアメリカで今、「ヨガは宗教か否か」をめぐる論争が起こっている。カリフォルニア州サンディエゴ近郊のエンシニタス市の統一学区教育委員会が、1月からヨガを正式授業に取り入れることを決めたことが発端だ。一部キリスト教の父母から「ヨガはヒンズー教から生まれたれっきとした宗教。それを児童に教えるのは憲法違反だ」と猛反発が出た。反対派の中には弁護士もおり、教育委員長らを違憲で告訴するとの発言も飛び出し、行方が注目を集めている。
 アメリカの公立学校で、特定の宗教を教えることは米憲法修正第1条(「信教の自由」)で禁じられている。このため、公立校でクリスマスを祝うことすら禁じられている。公立校では「クリスマス休暇」とは呼ばずに、「ウインターブレーク」(冬休み)と言っているくらいだ。
 震源地となったエンシニタス市は、太平洋に面しており、人口約6万人。9つの小学校があり、生徒数は5520人だ。市民の78.8%は白人で、平均年収8万1907ドル(州平均年収5万8931ドル)の富裕層、中間所得層が住む。海に面した住宅地はリベラルな壮年層、海を見下ろす高地には保守的な中高年層が住む。「高台族」の中にはキリスト教保守派、エバンジェリカルズ(福音派)も住んでおり、今回の論争の根底には町を二分するイデオロギー論争があるとの指摘もある。

  ◇宗教要素排除で普及拡大

 アメリカにヨガが入ってきたのは18世紀の終わりごろだが、本格的に市民の間に浸透し始めたのは1960年代と言われる。ベトナム反戦運動が広がる中で物質文明に背を向けた若者たちの間に起こったヒッピー・ムーブメントの「神器」としてヨガが普及。69年のニューヨーク・ウッドストックでの野外ロックコンサートでは、ヨガの導師がステージに上がり、集団瞑想(めいそう)を促す一幕もあった。その後ハリウッドスターらがヨガを実践したこともヨガブームをいやが上にももり立てた。
東洋宗教にも詳しいディクソン・ヤギ神学博士によれば、ヨガがこれほど普及した理由の一つは、「ヒンズーの宗教的要素を一切取り除き、単なるメディテーション〈瞑想)に徹し、教える側もそのことを明確に打ち出した」ことにあるという。この点については同様にはやっている座禅についても言えるという。
 ヨガ人口1500万人の内訳を見ると、女性は72%、男性は28%。年齢別では、18歳から34歳が40.6%、35歳から54歳が41%。55歳以上が18%と、若・壮年層が圧倒的だ。学歴別では大卒以上が71.4%。年収7万5000ドル以上が44%、10万ドル以上が24%となっている。ヨガ関連ビジネスが生み出す収益は年間270億ドルにまで上っている。(出典:「Yoga Journal」)
 ヨガ教室は全米各地にあり、なかにはWMCA(キリスト教青年会)やチャータースクール(達成目標契約により公立校として認可された学校)などでは、授業の一環として導入されてきている。ただ今回のエンシニタス統一学区のように、公立学校が正規の授業として取り入れるのを決めたのは全米でも初めてだ。

  ◇教育委ヒアリングで賛成、反対両派が対立

 今回、告訴騒ぎまで起こしているヨガ導入反対の急先鋒(せんぽう)は、同統一学区内にある「ポール・エック・セントラル小学校」の一部父母。インターネットを通じて反対の署名運動を繰り広げる一方、導入直前に開かれた教育委員会主催のヒアリングでも強硬に反対した。反対派父母を代表するディーン・ボロイエス弁護士は「教育委員会や学校当局がヨガ導入を強行するのであれば、私たちは法的措置を取らざるを得ない。特に、この学校が導入するというアシュタンガ・ヨガはヒンズー教そのもの。まさに公共の教育の場で宗教教育を行うに等しい」と怪気炎を上げた。
 これに対してヨガ導入を決めた同学区のティム・ベアード教育委員長は、淡々とした口調でヨガ導入の根拠を説明する。子弟を公立校に通わせる父母の大半がヨガ導入に賛成していることから自信ありげだ。
 「ヨガは体を動かしつつ精神的な鍛錬をするという一石二鳥の保健体育。ヨガはもともとヒンズー教に端を発しているが、現在キリスト教国家を含め世界中で精神統一、健康促進の手段として普及している。正式導入までに試験的に実施し、児童に与える効果についてサンディエゴ大学に科学的に調査してもらっている。中間報告でもヨガをやっている生徒たちは精神的にも安定し、授業態度も改善されている」─。
 もっとも反対派を勢いづけさせている背景にはもう一つの側面がある。地元のヨガ教室を経営している「ジョイス財団」が今回の開講に53万3720ドルを提供しているからだ。「ヨガ普及のため」という名目とはいえ、自らの営利目的が全くないとは言えない。
 今回のケースに限らず、アメリカの教育機関は民間からの寄付や献金は喜んで受け取る。大学ではその講座開設資金を出した個人名や企業名が公表される。極端な例で言えば、学部や大学院そのものに寄付した人の名前が公表される。その意味では今回のヨガ講座も別に特別ということではない。

  ◇憲法上宗教の定義なく裁判所は判断下せず?

 憲法学者たちはこのヨガ論争をどう見ているか。ニューヨーク大学法科大学院のアダム・サマハ教授はこう指摘する。
 「裁判所は憲法上、宗教とは何かを明確に定義付けていない。ヨガを宗教だとして告訴することは可能かもしれないが、裁判所が判決を下すのはかなり困難だろう。ただ1979年、ニュージャージー州の公立学校が授業にトランセンデンタル・メディテーション(TM=超越瞑想法)を導入しようとした際、連邦裁はこれを禁じた判決が出ている。口をつぐんで真言を唱えることで心身の清浄する行為は宗教とみなしたからだ。しかしこれだけ普及しているヨガを宗教とみるには無理がある」─。
 結局、教育委員会は、「ヨガの授業を受けたくない生徒の欠席を認める」など例外を認めた上で、予定通り1月3日からヨガ導入に踏み切った。が、騒動はこれで収まりそうもない。今後反対派がどういった法的措置を取るのか、波乱含みのスタートだ。


高濱 賛(たかはま・たとう)
在米ジャーナリスト。
米カリフォルニア大学バークリー校卒業。1967年読売新聞に入社。ワシントン特派員、首相官邸キャップ、政治部デスク、主任研究員を経て、95年から母校ジャーナリズム大学院ティーチング・フェロー。米パシフィック・リサーチ・インスティチュート所長。『中曽根外政論』『捏造と盗作』『アメリカの教科書が教える日本の戦争』など著書多数。カリフォルニア州在住。

頭に来てもアホとは戦うな! 孫子の兵法とマキャベリの君主論を現代版に翻訳

2014年07月14日 23時26分35秒 | Weblog
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39713
頭に来てもアホとは戦うな! 孫子の兵法とマキャベリの君主論を現代版に翻訳!?
2014年07月01日(火)
田村耕太郎「知のグローバル競争 最前線から」

○アホと戦ってきたアホだから書ける本
最新刊『頭に来てもアホとは戦うな! 人間関係を思いどおりにし、最高のパフォーマンスを実現する方法』を7月8日に上梓する。この本にはかなりの自信を持っている。それは私自身が「アホと戦う最低のアホ」だったからである。アホと戦うことの虚しさと無駄を心と身体で実感しているのだ。

恥ずかしながら、まだ一部はアホのままであるかもしれない。そう言ってしまうと本を書く資格が問われるが、なかなか人間の性質は変わらないもので、課題を自覚して苦しみながら改善している最中だからこそ、より多くの人に学びを共有できるのだと思う。

大げさに言えば、私の人生における二大バイブルである『孫子』と『君主論』を現代の日本社会に合わせて焼き直したものだという自負もある。孫子のエッセンスである「非戦論」と、君主論のシニカルなまでの「人間観察術と権力闘争処世術」をいいとこどりしたような内容と言いたいところだが、言い過ぎだろうか。

この本は「頭に来てもアホとは戦うな」という私のツイートから始まった。まさにこの本のタイトルである。このツイートを見て「本にしませんか」と声をかけてくれたのが、この本の編集者・大坂温子さんである。

当時の私は、シンガポールへの引越しの準備と外国企業の戦略顧問の仕事とで手いっぱいで、本を書く余裕も意欲もなかった。これまで何冊か本を書いてきたが、私のような素人にとって一冊の本を書くということは、"命を削る"と言えば大げさだが、それくらいとてつもなく辛い作業なのだ。にもかかわらず、なぜ書いてしまったのか? それは、編集者の"日本へ一石を投じてみたい"という熱意にあった。

○「倍返し」は最高のアホ!
このツイートをしたのは2013年10月9日。その約2週間前の9月22日に「倍返し」で一世を風靡した連続ドラマ「半沢直樹」が最終回を迎え、平成の民放ドラマの歴代最高視聴率を叩き出していた。私はこのドラマを見たときに「これはいかん」と思っていたため、最終回を迎えてホッとしていたのだが、その余韻は「倍返しブーム」を増幅させるばかりであった。そこで、思わず世の中に向かってあのツイートを投げかけてみたのだ。

「何がいかんのか?」と問われれば、「アホと戦うことがいかんのだ!」と答えるしかない。倍返しをする、いや、しなくても、イライラしているのはナイーブな(英語本来の「子供っぽい」という悪い意味で)日本人くらいだ。世界でもリベンジがないわけではないが、大半はもっと大人である。

世界の多くの人たちは、世の中はそもそも不条理であり、力を持つ者の大半は卑怯なアホであり、それが許せなくても、そんな奴と戦う"バカな"ことはしないのだ。卑怯なアホと戦っても、勝てる確率が低く、負けたら憎まれて、それこそ”倍返し”をくらうのだ。議論や口げんかで勝ったと思っても、やがて権力だけはあるアホの逆襲によりボコボコにされてしまうだろう。「倍返し」というのは、日本を含めて世界中で成功しないからこそ、ドラマのネタになるのだ。

実行しないまでも、倍返しの妄想を抱き、悶々とし、心を患い、後にそれが本当の病気になってしまう人もいるかもしれない。しかし、そんな無駄なことにエネルギーと時間を使っていては、一度きりしかない大事な人生を謳歌することはできない。残念ながら、時間もエネルギーも有限であり、古代ローマの哲学者であり政治家でもあるセネカが言うように「長い人生もアホな時間の使い方をしているとあっという間に終わる」のだ。

○アホは戦うのではなく利用する相手
人生は不条理なものである。アホが権力の座に君臨するのもよくあることで、勝てないけんかはそもそもするものではない。そうではなく、アホを自分のために利用すればいいのだ。

ハイパーコネクテッドな現代社会では、何事もやってみるものである。私が約6万人のフォロワーに対して「アホと戦うな」と言っても蟷螂の斧みたいなものだろうと思っていたが、その一言がひとりの編集者の琴線に触れた。そして、彼女の情熱は尋常ではなく、「私こそがアホと戦わないスキルを学びたいのです」と一歩も引かなかった。

語弊があるかもしれないが、私にはまるで彼女がアホに囲まれて苦しんでいるように見えてしまった。でもそれは、「私の周りにもアホと戦ってしまい、疲弊している友人がたくさんいるんです」ということだった。

この本は、アホと戦うアホだった自分の経験を伝えるだけにとどまらない。人生の達人たちから学んだ「非戦能力」と「人間観察力」と「処世術」も伝えている。私は、ありがたいことに、人生の達人たちと出会う機会が多い。たいした才能があるわけでもない私だが、人生の出会いを活かす才能はあるかもしれない。人生の達人に出会ったその瞬間の学びは少ないが、時を経て、失敗を重ねながら、自分と達人との違いに気づき、そこから多くのことを学ぶのだ。

特に、田舎者である私が大いに悩み苦しんだ永田町での日々は何にも代えがたい経験だった。政治家が苦しむのは、政策でも議論でもない。オブラードに包まれることも、正面から激突することもある、権力闘争の真っただ中に身を置いて、物事を自分なりに決断することだ。"清濁併せ飲む"とはよく言ったものだが、「濁」を飲むのは、私のような度量の小さい人間には非常に辛いことであった。

しかし今となっては、政治家に限らず、人生を謳歌するためには、時として「濁」を飲むことも必要だということがわかる。「清」ばかりを追求して、一度しかない人生の幅を狭めてしまい、本当の楽しみを追求しないことは大きな損失だと思う。清も濁も、宝物のような人生を前にしたら、単なるスパイスのような存在にすぎないのだ。

○無駄に戦うことなく人生を大事にせよ
非戦の書であり、シニカルな処世術の書でもあるこの本でいちばん訴えたかったのは、「自分の人生を何より大事にしよう」ということだ。たった一度のかけがえのない人生を謳歌するためには、アホをアホだと思ったり、アホと戦うために時間やエネルギーを費やしたりしていてはもったいない。頭に来てもアホとは戦うな!

アホと戦うのをやめたら、人生が楽になり、その余力で本来の人生の目的を楽しむことができる! さらに一歩進んで、アホの力を利用して、自分の人生を謳歌することができれば、何倍も楽しくなる!



著者: 田村耕太郎
『頭に来てもアホとは戦うな! 人間関係を思い通りにし、最高のパフォーマンスを実践する方法』
(朝日新聞出版、税込み1,404円)
苦手なヤツほど徹底的に利用せよ! 著者が自らの失敗と経験から生み出した、目標がみるみる叶う、最強の人の動かし方。

小林りん×岩瀬大輔【後編】「子供がゲームに熱中するのは、親が褒めてあげないから」

2014年07月14日 23時22分55秒 | Weblog
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39639

○いま足りていない、多様な価値観や個性を伸ばすということ

質問者C: 親としてではなくて、教育機関で今後求められる人物像についてお聞きしたいです。また、ライフネット生命もISAKも一人では絶対に設立できなかったと思うんですが、仲間をどうやって集められたかというのを教えていただければと思います。

小林: 教える側に今いちばん足りていないなと思うのは、一つは多様な価値観や多様な考え方、一人ひとりの個性を伸ばしていくという気持ちだと思います。

2つ目に子供に対して「既存の路線を踏襲するだけではなく自ら新しいものを発見したり、問題提起をできる人になってほしい」と思うのであれば、大人もそうなっていなければいけないというのが私たちの意見です。

3つ目にリスクテイカーということを挙げています。これは教育機関の対極にある言葉のように聞こえるんですが、新しいものを生み出す人たちを輩出する学校では、大人がロールモデルでなければいけないと思います。

お子さんたちは敏感なので、私たちが「リスクをとりましょう」と口だけで言っていても、「大人はリスクとってないじゃん」ということがわかるんです。ですから、それは自分たちの背中で示していくということがいちばん大事だと思っています。

岩瀬: 2点目の仲間作りという質問にお答えします。谷家さんというわれわれ2人を拾ってくれた投資家の方に「岩瀬君のいちばんの強みは何かというと、相手のことを凄く好きになれることだ」と言われたんですね。「君が相手のことを好きになるから、自分も力を貸すんだ」と言われたので、いろいろな人を巻き込む際に、実はそれが大事なんじゃないのかな、と思います。

ちょうど『仕事でいちばん大切な 人を好きになる力』という本を出しました。これはりんちゃんもそうですが、仲間が多い人、たとえば100人友達がいる人は、その100人のことを好きになるんです。だから相手も好きになってくれるんですね。

だから、いろいろな人を巻き込むときには、相手のことを好きになるということが大事なことで、相手の良いところを見つけ出すということだと考えています。僕らはベンチャーなので、大勢の人に助けてもらって今があります。将来大人になって良い仕事をしていける人は、助けてくれる人がたくさんいる人だと思うんですよ。一人でできることなんて高が知れているので、そういう人間に育つといいんじゃないかな、と思ったりします。

○教育というのは一気通貫で変わらないと意味がない

質問者D: 今8歳になる娘がいます。日本は少子高齢化で厳しい世の中になっていくという中で、いかにして娘がグローバルな社会でも生き残っていけるか、自分でいろいろな選択肢を見出せる人間になれればというところも考えています。今、自分も子供に対して授業ができないかということで、大学院で勉強したりしています。

日本では高校も大学もストレートで浪人せずに入らなければいけないということがあって、大学に入ると今度は就職のことを考えてなかなか学業に専念できない。多様性のある社会と言うか、ストレートに学校に行くのではなく、「ちょっと留学してくる」と気軽に言えるような世の中になるためには、どうしたらいいでしょうか?

小林: 私もまったく同じような問題意識を持っていて、3つほど仕事をしています。1つは昨年から軽井沢で「エデュケーターズ・ワークショップ」という形で、教育者のワークショップを開催しているんです。

同じような問題意識を持っている日本の中学高校の先生方や経営者の方も実はたくさんいらっしゃるんだな、ということを感じています。その方たちが各校で孤独な闘いをするのではなく、一緒になってムーブメントを起こしていこうということで、何十校も集まっていただいてみんなで流れを変えていこうということを現場レベルでやっています。

2つ目に、文科省さんも今は問題意識を持っていらっしゃり、この間スーパーグローバルハイスクールという構想が発表されました。まさにグローバルに活躍する日本人を育てるには、杓子定規に今までと同じようなことをやっていてはダメだという問題意識で、1年目が54校、来年に向けて合計100校について、カリキュラムを柔軟化させて、自由度を持たせるという施策が始まっています。そういうことを文科省さんと一緒に話合いをしたり、提案をさせていただいています。

3つ目に、いま経済財政諮問会議の下にある「選択する未来委員会」というものが、中央教育審議会会長の三村明夫さんを会長として始まりました。こちらの「人の活躍ワーキンググループ」というところのメンバーとして参加させていただいています。

直近の5年10年の制度設計も大事ですが、もっと長期の10年後30年後の日本を生きる人たちにとってどういう社会がいいのか、どういうふうに活躍する時代がくるのかということも、もう少し長期的にとらえて、それを逆算して構想できないか。どういうふうに変えていくことが必要かというのを提言していきます。

そういった形でいろいろやってはいるんですが、本当に今は教育業界が変わろうとしているのを感じます。下村文科相以下、本当に文科省さんも本気です。現場もその風を感じている。何よりも教育というのは一気通貫で変わらないと意味がないと思うんですね。初等教育だけ変わっても、大学入試だけ変わっても意味がない。全体的に変わっていこうとしているという、数十年に一度の転換期にきていると現場ではみんなが感じています。

質問者E: 私は社会人1年目になりまして、将来自分も学校を作りたいと思っています。その目標のために次はどうしていこうかと考えているんです。お二方とも転職や留学生活をされるなかで、その時々に決断があったと思うんです。人生の次のステップに向けて決断の仕方や判断の基準というのがあると思うので、それを教えていただきたいと思います。

岩瀬: 3つあります。1つは、何をやるかよりも誰とやるかということ。この人たちと仕事していきたいと思う相手であるかどうか。2つ目は、自分にしかできない仕事に挑戦したいと思っています。冒頭に申し上げた、みんなと違うことをやりたいということです。3つ目は何か社会に足跡が残るような仕事をしたいということです。

後から振り返ると、これまで選んできた道はその3つのポイントをクリアしていることなんだなと思います。

小林: 私はけっこう迷いながらの転職だったんですが、やりたいことと働き方がずっと一致しなかったんですね。その間ずっと揺れていました。20代でもいろいろ悩んだ末に、大学でも開発経済を勉強して、私は開発援助をするんだと思っていたんですが、OG訪問とかするとことごとく「こういう機関は君には向かない、役所には来ないほうがいい」とか言われました(笑)。

「私は役所に入るために東京大学に入ったのに・・・」と思ってお先真っ暗になってしまい、悩み続けました。結果的に20代で外資系金融に行き、ベンチャーに行ったのは、もうやりたいことを一旦忘れよう、という気持ちでした。自分が若いときにいちばん優秀な人からいちばん学べるところ、いちばん早く成長できるところはどこだろう、という基準だけで20代は仕事を選びました。

30代になったとき、私は29歳でスタンフォード大学の教育学部に入り直したんです。そこから私の教育ジャーニーが始まったんです。そこから自分のやりたいことをやろうと思ったら、国連にしても国際協力銀行にしても、公的機関なので仕事のペースが速くないんですね。組織にしても決してフラットではない。

それで「私はこういう働き方はちょっと違うな」と思ってしまったところで、ようやく今回のプロジェクトでそれが初めて合致しました。フラットな組織のなかですごいスピード感でガンガンやりたいことができる仕事に、34歳で初めて巡り会ったんです。だから、本当に悩みながらそのときの自分なりの軸を決めてやっていけば、いつかはたどり着くのかな、と思います。

岩瀬: りんちゃんがいかに公的機関と合わなかったという一口話があります。彼女は国際協力銀行というところにいましたが、当時の名刺には「RIN(LIN)KOBAYASHI」と書いてあった。彼女としては「LIN KOBAYASHI」なんですが、公的機関だから勝手に綴りを「L」にしても認められないと言われて「RIN(LIN)」にしたということで、今は周りの人にたくさん助けてもらいながらベンチャーをやっていますね。


○子供の好きなものをとにかく追求させてあげること

質問者F: 私はいま0歳児の息子がいるんですが、先ほどの多様性と選択肢の話で、私も主人も、「多様な選択肢があることが本当の豊かさじゃないか」と思っていろいろな経験をこれから息子にさせたいなと思っています。

お二方がお子さんに対して「どうしてもこういう経験だけはさせてあげたいな」と思うこと、もしくは自分が子供のときに受けてすごく良かったという経験がありましたら教えてください。

小林: うちは上の子と下の子で随分性格が違いますので、これだけは両方の子供にというよりは、本当にそれぞれの好きそうなものをとにかく追求させてあげることかな、と思っています。

岩瀬: 僕も親があんまり肩肘張らないほうがいいのでは、と思っています。なぜかというと、僕ら姉弟は海外で育ったことで、すごく良い経験をしました。ロンドンに行ったり、ヨーロッパを旅行したり、美術館に連れて行ってもらったり、コンサートに行ったり。親に感謝しています。

でも僕ら姉弟は今、それぞれ別の生き方をしていて、姉は埼玉で専業主婦、弟は今は都立高校の先生をしています。

みんな同じように海外で育っても受け止め方も違うし、関係ない生き方だってします。だから、あんまり親が決めてこれをやれというより、自然体で育ててあげて愛してあげて「それでいいんだよ」と言ってあげることに尽きます。

さっきのりんちゃんの旦那さんみたいにずっと田舎の普通の公立で育って、でも外資系で大活躍するような人もいれば、海外で育ってもそんなことをまったく活かさない生き方もある。自然体でいいんじゃないかな、と思います。

質問者G: 今、政府が日本の教育を変えていこうとしているというお話がありました。親の側の意識も変わっていかなければいけないんじゃないかな、と思っています。ママたちで日本の教育を変えていこうという活動をしていたりするんですが、そのなかで日本の女子ってすごく難しいな、と思うんですね。

先ほどご家庭の話もありましたが、女子って割と社会的な部分で、育てられる間に受け身な部分がある。同じ可能性があっても、親のほうから女の子だからフリーにはしてもらえない部分があっても、アドミッションを受けられていて、女子のほうがアピールが弱いといった部分を感じられたりしませんでしょうか?

小林: 実はサマースクールは毎年女子の参加者が多いです。私は実はISAKだけではなくて、自分の出身のユナイテッド・ワールド・カレッジの選考過程にも携わっているんですが、そちらも毎年女子が多いんですよ。

もちろん留学をするということは違うところに飛び込むということで、リスクがあるから女子が多いのかもしれません。だから女子のほうがむしろ自由だと思いますし、私が現場で見る限り女子のほうが少ないという感じはしないですね。

岩瀬: ぼくが思うのは、やっぱり本当はすごいポテンシャルのある女性の方でも、子育てをしながら仕事をされていると、「私はこれくらいでいいんじゃないのかな」と思っているところがある人もいます。そういう人には「もっとできるから」と言ってあげるとどんどん伸びるんですよね。

だから、女性の管理職が少ないのは、ロールモデルになる人が少ないからかもしれない。ロールモデルがいなかったから目指していないという人も社会のなかにたくさんいるように思いますね。ですから、そういう人が一人ひとり立ち上がっていくことで、日本の社会全体は変わっていくのではないでしょうか。

○ネットを通じていろいろな世界を見せてあげられる良い時代

質問者H: 私はインターネットのベンチャー企業を経営して10年くらいになります。先ほど昨年サマースクールに参加させていただいたという話をしたのは私の妻なんですが(笑)、保護者会に出ておりましたら、お話の半分くらいがインターネットの使い方とアプリについてという話でした。

去年サマースクールに参加した子供は、その後Facebookを通じて世界中の友達から声を掛けてもらったり、入学が決まった一つ先輩の方から「おまえも来いよ」と声を掛けてもらったりすることがあり、インターネットのメディアの可能性を感じています。その一方で、下の3歳の息子はiPadが大好きで、ずっとiPadを触っているんですが、先日おしっこを漏らしているのにまだiPadを離さないということがあったんですね(笑)。

私はインターネットというものがなければ自分の人生が全然前に進まなかったと思っているので、デジタルデバイスというものについてはすべてオープンであるべきだと考えています。常に新しいものに触れているべきだという意識で子供を育てているつもりではあったんですが、少し今は自分の仕事も含めて揺れる部分もあります。

そこで、これからの子供はどう育っていくかということについて、お二方のほうで、教育とデジタルデバイスということについて何か思われているところがあればお伺いしたいと思います。

岩瀬: ちょっと話がズレますが、最近「あるゲーム開発者の告白」という、ゲームを開発された方がご両親の前でお話をされた内容がネットで話題となりました。「子供たちがゲーム中毒になって離さないことについて、なぜそうなるのかを私が披露しましょう」という話です。

「今日みなさんはお子さんを何回褒めましたか? ゲームは結局、プレイヤーを褒めることなんです。上手くいくと結果が出る。僕らはそうやって1秒間に何回もプレイヤーを褒めてあげたいと思ってゲームを作っているんです。なんで子供たちがあれだけゲームにハマるかというと、承認欲求というようなものを意識して作り込んでいるからなんです。

でも簡単すぎるとダメなので、時折叱ったりもしながら、気持ち好く褒められる経験をしている。だからゲームに子供たちをとられているのは、皆さんの褒め方が足りないからです」

そのカラクリに「なるほどな」と僕は思ったんですね。

それから、グラミン銀行を作ったムハマド・ユマスという方が仰っていたのですが、「今の若者たちは歴史上かつてないくらい力を手にしている」と。情報や知識のことです。

たしかに、われわれが子供のころはインターネットなんてものはありませんでした。だけど、今の子供たちはインターネットを通じていろいろなことが学べる。それはチャンスでもあり、いろいろなリスクも当然ある。すごく良い時代だと僕は思っています。

たとえばiPadで子供にYouTubeにアップされているマーク・ザッカーバーグの講演を見せられるわけです。本当は一緒に旅行をして、手を引いて連れて行ってあげるのがいいのですが、その代わりにネットを通じていろいろな世界を見せてあげられるというのは絶対プラスにはなりますね。

でも、当然子供は自己管理ができない。放っておけば永遠にやり続けるということはあるので、ある程度コントロールしてあげなければいけないと考えます。

小林: これは難しい問題だなと思います。中高生について言うと幾つかあるんですが、一つはICTリテラシーって今や不可欠なもので、英語と同じくらいの重要なツールになっていることを認めざるを得ないですね。

だから、それを学校で教えないということはあり得ないと思っています。今までだったら試験も全部紙に書いていましたが、これからの時代は紙に書いて出すということはほとんどなくなっていきます。やはりプレゼンテーションを作るとか自分で動画を作ったり音楽を作曲するとか、そういうことが当然の時代になってきている。学校としては最低限のリテラシーを教える必要性が出てきていると思います。

では、自由時間にどのくらいデジタルデバイスを使っていいのか。これは高校生くらいになるとルールを決めてあとは個人に委ねるしかないと思います。「絶対ダメだ」と言ったから絶対にやらないかというと、それは難しいんですね。サマースクールでもそうなんですが、私たちは「こうしなさい」って言わないようにしています。

1週間しかないサマースクールに何十ヵ国から友達が来ていて、あなたは今この瞬間、この何十ヵ国の友達と話したいですか、それともお父さんとお話がしたいですか、ということだと思うんですね。その中で、自分の判断をしていってもらうということが大事になります。

それと3つ目に、教育業界全体として大きな変革がICTについて起こっているなと感じています。最近、「反転授業」というものが報道に出ています。従来は学校で先生が教えて自宅で復習するという形が、カーンアカデミーのような形で、ネットやデバイスを通じて自分たちで学習して学校ではその復習をするというようなものです。

今は武雄市でも行われているように、そういう電子的な機器がすごく自然に教育のなかに取り込まれているなと感じるので、たぶん5年10年で想像を超えるような改革が行われていくだろうということも感じています。


○学校のなかで社会経済的な多様性を実現したい

質問者I: 仮定の質問ですが、私自身も留学を経験していまして、子供はいま中学3年生です。そういう環境を上手く押しつけることなく提供していきたいなと思いながら、食卓なんかに留学ジャーナルを置いたりとかしています(笑)。そういうなかで私もISAKを知る機会がありまして、ISAKと留学の違いを教えていただきたいと思います。

小林: 私どもの場合は全寮制ですので、学校のなかでは英語教育もあります。留学とどう違うかというとそんなに大きな違いがあるわけではないのかな、と思います。ISAKの場合は学校を一歩出ると日本なので、英語教育という意味では、留学の英語環境のほうが身に付くのかな、という気はします。

一方で、イギリスやアメリカへ留学しても得られないもので私共が提供できるものとしては、「ダイバーシティ」があると思います。私たちの学校の場合は、一つの学校に何十ヵ国という国籍の子供がいることだけがダイバーシティなのではありません。それは表面的な多様性にすぎません。

私たちの場合は一期生は52%の生徒さんたちに奨学金をお出ししています。つまり、能力と志があれば誰にでも門戸を開いているのです。たとえばイギリスの富裕層の方もいらっしゃれば、インドからカーストのいちばん下のさらに下の子も来ていれば、パレスチナの紛争地域からも子供が来ているし、チリからも来ているし、今年はスワジランドからも来ています。

「国籍が多い=ダイバーシティ」という捉え方ではなく、他にはない社会経済的な多様性が、学校のなかで実現されているんですね。私たちはそのダイバーシティからこそお子さんが学んでくださることがあると信じて、その実現のために尽力しています。

岩瀬: みなさん、ご質問をありがとうございました。とてもまとめきれないくらい多岐にわたるお話になりましたが、教育について言うと、やはり親がしてあげられることはたくさんあるようで限られていると感じます。

ありふれた言葉ですが、個性というかありのままの姿を認めてあげ、一方でいろいろなチャンスを見せてあげることが大事なのかなと思います。

【了】

小林りん×岩瀬大輔【中編】「親の大切な役割は、多様な選択肢を見せ、背中を押してあげること」賢者の知恵

2014年07月14日 23時21分30秒 | Weblog
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39638
小林りん×岩瀬大輔【中編】「親の大切な役割は、多様な選択肢を見せ、背中を押してあげること」賢者の知恵

○「強みはとことん伸ばして弱みは諦める」
岩瀬: さて、ライフネット生命保険の社員から「小林りんさんにこういうことを聞いてみたい」という質問があったので、いくつか紹介させていただきます。まず、「東大に入ったときは受験したのですか? 帰国子女入試みたいな形だったのですか?」という質問です。

小林: いや、一般入試でした。2年間しか海外に行っていなかったんですが、帰国子女枠は3年以上じゃないと認められないので。ですから、中学、高校、大学、大学院で入試を経験しています。

岩瀬: 何か必勝法のようなものはあったのですか?

小林: 計画を立てて何かをやるのはすごく得意だったと思います。私の場合、中学受験も高校受験も大学受験も、全部半年くらいしか準備する期間がなかったんです。小学校6年生くらいのときにいじめられて、半ば現実逃避するような形で中学受験をしようということで、いきなり塾に行き始めて受験をしたんです。

中学時代も部活ばっかりやっていて、3年の半ばから高校受験の準備をしました。大学もカナダの高校を卒業して帰ってきて、半年間しか時間がなかったので勉強しました。ものすごく時間がなかったですね。

それで何をやったかというと、「この学校に受かるにはこの参考書が必要だ」という情報をみんなから聞いて、それを全部買ってくる。まず1日かけてすべての目次に「何月何日の何時にはこの章をやる」とプランを作り、その通りにやるということを、中学、高校、大学の受験勉強でやりました。

岩瀬: 僕はちょっと違う闘い方で、「強みはとことん伸ばして弱みは諦める」という戦術でいきました。学校とか試験によって、通用する場合としない場合がありますが、東大のときは、僕は英語が偏差値80、数学が70、国語が50、社会が30くらいと偏りがありました。でも、それで受かりました。

社会人になってからも同じです。弱みを克服しようとしてもしょうがないので、とことん強みを伸ばすしかないと思っています。あとは基本として、過去問題を何回も何回もコツコツとやったということくらいですね。

続いての質問ですが、「ご自身がこれから教育を受ける子供だったらどのような教育を受けたいですか?」。最初に僕の事情を言っておきますと、僕は小学校2年生からイギリスに行って、小学校6年の卒業式の前に帰ってきていますが、日本の公立の小学校はけっこういいな、と思っています。

みんなでキチンと礼儀正しく、みんなでお掃除をして、みんなで給食をちゃんと準備して、栄養管理士が作ったメニューを食べて、というのは実は良い仕組みだと思います。

これがアメリカに行くと、まず掃除のおじさんがいて掃除はその人がやって、食事はコカコーラを飲んでピザを食べて、という感じです。それと比べると、日本の公立の学校はすごくいい。子どもを公立で伸び伸びとさせるのもいいと考えているのですが、りんちゃんはどう思いますか?

○競争をさせるけど、評価軸が一つではないイギリス
小林:  日本の初等教育は優れていると思いますし、世界的にも評価が高いです。今まさにおっしゃった通り、躾けの部分が物凄く評価が高い。私たちの学校もインターナショナルスクールなんですが、自分たちのお掃除の時間を作りたいと思っています。

日本がこれだけ綺麗なのって、「自分が使ったところは自分で掃除をする」というのがみんなカルチャーとしてあるからだと思うんですね。そこは凄く大事にしたいところだと思います。

たとえば私たちは今年高校を開校するんですが、中学生を対象に毎年サマースクールを開催しています。海外の子と日本の子で絶対的に違うのは、日本の子はスリッパをキチンと揃えるんですね。こういうところは本当に日本のカルチャーの美しいところだと思います。海外の子はそれを見て「日本人は凄い!」とビックリするんですね(笑)。

そういう日本らしい良いところは大事にしたいですね。ただ、私自身が小学校は公立で中学校は学芸大附属中学、高校も学芸大附属高校をもう一回受け直して入って、ずっと公立ではあったんですが、先ほどお話をしたように高校1年で辞めた辺りが転機になったのかな、と思っています。

日本では中等教育と言われる中学校高校あたりから5教科をやるとか、国公立大学を目指そうと思うと、やっぱり5教科を満遍なくできることが要求されていくというふうに、段々はまっていくな、ということを自分では感じました。

自分だったら、子供たちが大きくなるに従って、一人ひとりの良いところを伸ばす方向にフォーカスしていきたい。自分の場合はそうすべく自分を変えたという話なのかなと思います。

岩瀬: 僕が、イギリスの小学校で良かったなと思っていることの一つは、体育の授業でした。イギリスではたとえば選抜サッカーチームとそれ以外というふうに分けていて、選抜の子供たちにはどんどんやらせるんですね。

一方で、普通あるいはあまり運動神経が良くない子供たちは、ルールを変えて、先生がいろいろな賞をあげるんですよ。面白いプレーをしたとか、ファウルばっかりしたとか、手を使ってゴールを入れたとか(笑)。

そこで何がポイントになるのかというと、脚が速いという軸で計るだけではなく、違う評価軸を入れることで運動神経が鈍い子供も楽しめるということです。これはイギリスの知恵なのかな、と思います。競争もさせるけど、評価軸は一つではないということを教わった。この経験はとてもよかったと思っています。

それと、僕は高校から開成という進学校に行ったのですが、何がいちばんよかったかというと、仲間同士でお互いを高め合っていく点です。今でもいちばんつき合いがあるのは、東大時代の友達ではなくて、開成高校の友達なんですよね。

ですから、勉強するにも仕事をするにも、お互い切磋琢磨することが本当に大事だと思っています。それぞれのなかに学校に求めるものがある。いい仲間がいるということが大事なポイントなのかなと思いました。

○学校を軸にしつつも、国の教育政策にもかかわっていきたい
岩瀬: 次の質問は、「ご自身のお子さんに何を期待していますか? 日常的にどういうことを意識してお子さんに接していますか?」ということです。まだお子さんは小さいですよね。

小林: そうですね、4歳と0歳です。4歳児のほうですが、やっぱり良いところを見つけて伸ばしてあげたいな、と気をつけています。うちの息子は完全に主人似なんですね。顔も頭の形も、そっくりで(笑)。

岩瀬: ご主人はすごく寡黙で落ち着いていて、りんちゃんとは正反対の人ですよね(笑)。

小林: 主人は同じ大学でも工学部の電気電子情報系出身という、24時間研究室で研究をしているような人なので、私とは全然違いました。子供は明らかにそちらに似ているので、英語なんかやってもまったく興味がないですね。

その一方で図鑑が大好きなんですね。しかも深海魚と爬虫類が好きなんですよ(笑)。英語も日本語もほとんど興味がないんですが、彼が好きなところを伸ばすということでやっています。

岩瀬: じゃあ、次の質問ですが、「ご自身の10年後20年後30年後、どんなイメージを持っていますか?」

小林: 難しい質問ですね。10年前に今の自分がイメージできていたかというと全然できていなかった。今のイメージがどれだけ正確かわかりませんが、まず今年ISAKが学校を開校するということで、向こう10年間はこの学校をキチンと立ち上げて軌道に乗せて安定させるということに完全に注力したいと思っています。

今年の8月には主人の理解も得て家族全員で軽井沢に移住いたします。完全に学校と家族だけの生活になっていくと思います。

それが終わって20年後はどうかというと、私は60歳になっています。教育の分野のなかで学校を軸にしつつも、学校だけに限らず、たとえば国の教育政策とか、そういうところで何かお力になれることがあればやっていきたいなと思っています。30年後は70歳ですから、そのときには良いお祖母ちゃんになりたいですね。

岩瀬: 僕もあまり将来のイメージはないです。最近よく話をするのは、一緒にライフネット生命を作った出口治明という人間が今66歳なんですね。最初に会ったときは58歳だったのですが、日に日に若返ってくるんですよ(笑)。

やっぱり新しいものを作るとか、若い人たちと切磋琢磨しながら新しい挑戦をするって本当に素晴らしいことだな、と思います。りんちゃんのお父さんではないですが、60歳になってからもう一回ベンチャーを立ち上げることができたらすごく楽しいと思います。そのときに若い人たちと組んで一緒にやりたいので、最近は年下の友達を増やすよう、20代の人たちと積極的に接するようにしています(笑)。

では、そろそろ会場から質問を募りたいと思いますので、挙手をお願いします。

質問者A: 私は高校生の娘がいるんですが、将来どのように歩んでいくかということを悩んでいます。大学受験と留学とで本人が迷っているのですが、お二方とも海外生活や留学経験があるということで、大学受験との関係性についてお伺いしたいです。

お二方とも東京大学に入っておられますが、私の勝手なイメージだと、留学をして東大に入るというのはあんまりしっくりこないんですね。どちらかというと、東大に入るためにはしっかりと勉強をして受験をクリアした人間が入るというイメージが強いので、娘が将来を見通していくうえでどういう人生を歩むのがいちばんいいのか、お伺いしたいと思います。

岩瀬: ご本人が留学したいと言っているのなら、とにかく全力で応援してあげて「行ってこい」と言ってあげるのがいいかな、と思います。それは受験とはあんまりつながらなくて、やっぱり世界に出てみるというのは、本当に素晴らしい体験だと思います。

普通は親が行ってほしいと思っても本人がそうでもないというパターンが多いと思うので、ご本人が「自分もやってみようかな」と思っているのであれば、そのあとのことはあまり考えずに、まずは全力で送り出すというのがいいのではないでしょうか。

小林: 私もまったく同感ですね。私はすごく留学して苦労したんですよ。3ヵ月くらい毎日泣いていました。英語ができなくて、授業がわからなくて、テストの問題文も読めなくて、友達もできなくて。

カフェの10人くらいのテーブルで、ウワーッとみんなが話し出すと何を言っているのか全然わからなくて、みんながワーッと笑っているときに0.5秒くらい遅れて笑うみたいなことが何度もあって、本当に辛かったです。でも、それによって自分の世界観とか人との接し方とか価値観とかいろいろなことが変わったんですね。

振り返ってみて、自分が一度マイノリティになるという経験が人を成長させると思うのです。私もお嬢様がそういうふうにおっしゃっているのであれば、ぜひ応援してあげてほしいですね。

それから、大学受験というのは今後、非常に速いスピードで変わっていくと思います。先日、東大の方々とお話をしていたんですが、今は東大でさえ推薦入試を始めようとしています。今後、センター入試が要らなくなる日も近いと思いますし、先ほどお話をした帰国子女枠も3年だったのが2年に短縮されていきます。

また、「国際バカロレア」という海外のカリキュラムで入試をすることもできるようになります。どんどん受験や入試そのものが変わっていきます。ですから、もしご本人が留学したいと思っているのであれば、ぜひ背中を押してあげてほしいな、と思います。


○親が選択肢を調べ、子供に能動的に決めてもらう
質問者B: 私は中学3年生と3歳と0歳の子供がおりまして、中学3年生のほうはISAKのサマースクールに参加させていただきました。やはり小さい子供ももちろんのこと、今後、多様性に対する好奇心や向上心がもっと育ってほしいと思っています。ISAKさんはそういうところを伸ばしていくような学校なのかなと考えています。

そこで、たとえば参加者を選考する際にそういった子供とそうじゃない子では何が違うのかというところをお伺いしたいと思います。また、個性がそこに向かわなかったときに、親にできることがあるのかどうかについてもお伺いしたいと思います。

小林: 本校の入試という意味では3段階あって、書類で学力等を見させていただくところと、それからエッセイや小論文を書いていただくところ、さらに面接という段階で選考を行わせていただいています。まずは学力のところでは、オール4の子供よりは、5、3、3,3・・・というような子供のほうを優先したいなという思いでやっております。

それから、全体的な個性という意味では、1学年50人という小さな学校ですが、全員同じような子供ではなく、できるだけ違うことが得意な人が入ってくるようにしています。

どうしても私どものような学校ですと、英語が得意とか国際問題に興味があるような方が集まりがちなんです。しかし、そこに「サイエンスオリンピックに興味があります」「ロボットが大好きです」「深海魚が大好きです」というような人にも入ってもらいたいと思い、バランスをとっています。

あとは、エッセイと面接をさせていただきますので、そのお子さんが何か本当に大事にしていること、絶対譲れないところがあるのかどうかというのは、そのなかで随分出てきています。

岩瀬: 親御さんに何ができるかということでは、自分の兄弟の経験を見て考えさせられたことがあります。僕には姉がいますが、小学校高学年くらいからアニメが大好きになって、中学校3年のときに「声優になりたいから声優の学校に行きたい」と言い出したんです。でも、父がダメだと言って、それで通常の高校に行きました。

大学に入るときには、好きなアニメのキャラがロシア人だったから「ロシア語学科に行きたい」と言ったんですね。すると、父親が「語学は潰しが効かないから趣味でやれ」と言い、結局法学部に行きました。

今は専業主婦で幸せそうですが、「あのとき声優学校に行かせてあげていたら、あのときロシア語学科に行かせてあげていたら、お姉ちゃんどうなっていたのかな」と思うことがあります。

だから、親としてこうなってほしいという思いはあっても良いと思いますが、子どもはその通りにならないです。親の役割は、いろいろな選択肢を見せてあげるということが大事だと思います。

僕も今思うと、大学からアメリカに行くという選択肢はあったはずですが、当時は「東大東大」と思っていて、何も考えずに東大に入っていました。母親に言わせると、「私は『アメリカの大学に行ったら』って言ったじゃないの!」と言うのですが、現実的なオプションとして自分のなかで認識していませんでした。

だから、いろいろな可能性を見せてあげつつ、でも何かをやりたいと言い出したら絶対やらせてあげたほうがいいなということを、姉を見てきて思いました。

小林: 私も、選択肢について情報を調べておくというのが親にできる唯一のことなのかな、と思います。私は親から「勉強しろ」とかは言われたことがほとんどなくて、今振り返ると親にもいろいろな思惑があったんだろうな、と思いますね。

決して親からやらせるのではなく、あたかも自分が能動的に全部決めているという意識を持たせながら、親が情報と選択肢を調べていくということが上手くできるといいなと思います。

岩瀬: うちの父親は、僕が小学校のときは普通に「勉強しろ」と言っていたのですが、中学に入ってからはまったく言わなくなりました。弁護士にならずに外資系企業に行くときも、会社を辞めてベンチャーを立ち上げたときも、「ふーん、いいね」というふうに、絶対に「いいね」としか言わなかったんですね。

あとで「そういえば、お父さんは絶対にこうしろと言わなかったね」と聞いたら、「息子には中学生になったら絶対に何も言わないと決めていた」と言っていました。進路のことについても一回も何も言われなかったのですが、それはある意味で有り難かったですね。

【後編につづく】