日本語はなぜ「日本の共通語」なのか? ― 地形で解く日本史の謎

2014年07月23日 21時48分46秒 | Weblog
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日本語はなぜ「日本の共通語」なのか? ― 地形で解く日本史の謎
2014年07月11日 公開

Share on Tumblr 竹村公太郎(リバーフロント研究所研究参与)

《PHP文庫『日本史の謎は「地形」で解ける〔環境・民族編〕』より》



地勢から見て驚くべき「日本語の単一性」
 言語は地方ごとに細分化し、共同体ごとに細分化する宿命を持つ。

 その言語の宿命を克服して、1億2000万の日本人は21世紀まで同一の日本語を存続させた。

 先述したように、日本列島は細長く、北緯45度から25度まで3500kmもある。ヨーロッパならイタリアとフランスの国境からエジプトの南端まであり、アメリカ大陸ではカナダ国境からメキシコまである。

 日本列島の地形と気象の差は著しい。亜寒帯から亜熱帯まであり、さらに列島の中央には脊梁山脈が走っている。そのため、同じ緯度でも日本海側と太平洋側の気候はがらりと異なる。

 冬、豪雪の金沢から飛行機に乗れば1時間でほぼ同じ緯度の羽田に着く。飛行機から降りた瞬間、改めて東京の暖かさに驚かされる。金沢から見れば、東京はまさに外国である。

 地形と気象が異なれば人々の産業、生活、文化、風俗は異なる。日本列島の生活様式を色で表わせば、まるで「パッチワーク」のようだ。

 地形と気象で分断された人々は排他的な共同体を形成し、独特の話し言葉と文字を持つようになる。しかし、日本列島の人々は同じ言葉で話し、同じ文字を書いている。

 これは、地形と気象から見て驚くべきことだ。



○日本語は「方言」で踏み止まった
 細長い日本列島の1億2000万人もの日本人が、同じ日本語で話し、同じ日本文字で読み書きしている。これは決して当たり前ではなく、世界的にも珍しい。

 図は、国境を取り払った世界の第一言語の人口割合を表している。日本人は自身の言語を低く評価しがちだが、思っている以上に世界の中では存在感のある言語であることが分かる。



 奈良時代、大和ことばは中国の漢字を文字として利用した。そしていつの間にか、ひらがなとカタカナを併用した巧妙な日本語が形成されていった。

 貴族、武将、商人などが残した各地の文書を見ると、古くから日本文字は全国共通だったことが分かる。しかし、文字が共通でも、会話が共通だったかどうかは別である。文字が同じでも、発音がまったく違う中国語と日本語の例もある。

 日本には発音が異なる津軽弁や薩摩弁など、多くの方言があった。それらの人々の発音の相違は、加速していく運命にあったはずだ。各地の発音が一地方の方言で踏み止まり、「異なる言語」へ進化しなかった理由は何だったのか?

 日本語が共通の話し言葉として、束ねられた力は何か?

 日本列島の会ったこともない遠くの人々が、同じ言語を話す。それには強い意志と力が必要となる。

 意志とはコミュニケーションへの強い思いであり、力とは人々の言語をばらばらに散らさないで束ねる力である。



○今と昔の「日本語を束ねる力」
 現代の日本語を束ねている力は、明らかである。それはテレビである。

 現在の日本人は生まれて気がついたときには、テレビの前に座っている。毎日アニメを観て、ドラマを観て、出来事を知り、スポーツを観戦している。

 東京から発する強烈な情報エネルギーは、3500kmの長さの列島に住む人々に日本語を受け入れさせている。暴力的とも思われるテレビの束ねる力に、誰も抵抗できない。

 では、テレビやラジオが登場する以前、日本語を束ねた力は何だったのか?

 近代の明治になったとき、日本人は当然のように日本語を話していた。全国各地から東京に集まった日本人は、憲法を作り、国会を開設し、国民国家の体裁をあっという間に整えた。

 このとき、人々の間に通訳はいなかった。言語が障害になることはなかった。

 近代日本になる以前、すでに日本語は確立していた。日本人を日本語で束ねたのはいつ? どのような力だったのか?


 平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代を見ても、青森から九州まで全国の日本人を束ねた大きな力の形跡はない。残されたのは江戸時代である。

 やはり、それは江戸時代にあった。

 江戸時代、江戸からの強烈な情報発信システムが存在した。それは強権を伴う力ではなく、あくまでソフトシステムであった。

 書籍、言葉、絵画、芝居、服装、流行と、あらゆる情報が江戸から発信されるソフトシステムであった。日本列島の人々は、そのソフトの情報システムを受け入れていった。




○参勤交代は「情報発信システム」
 その情報システムとは「参勤交代」であった。

 参勤交代は、前田利長が家康に対して叛意がない証に、母親(芳春院)を江戸に住まわせたことから始まった。諸大名もそれを真似て、家族を江戸に住まわせた。人質とは呼ばなかったが、実質上の人質であった。

 その後、家光が武家諸法度で明文化し、諸大名の江戸と自領を往復する制度が確立した。

 この参勤交代は、次第に諸大名の単身赴任の習慣をつくっていった。江戸へ単身赴任をするのではない。「自分の領地へ単身赴任」するのである。

 つまり妻子は江戸に住まわせ、大名だけが自領へ2年に1度行くのだ。

 諸大名たちは2、3代目になると、ほとんどが江戸生まれになっていた。なにしろ、母親が江戸に住んでいるのだから。大名が帰属する土地は自分の領地である。しかし、江戸生まれで、江戸育ちの大名たちの心の帰属先、つまりアイデンティティは「江戸」にあったのだ。

 諸大名のアイデンティティが江戸だった物的証拠はない。アイデンティティは心の問題であり、物的証拠を示すのは不可能だ。しかし、傍証は挙げられる。

 それは、明治政府の首都が東京になったことである。

 当時、大久保利通が大阪遷都を主張したが、明治政府の首都を「京都」にしようと真剣に論議された形跡はない。本来、明治政府の首都は「京都」になるべきであった。1867年、徳川慶喜は統治権限を天皇へ奉還した。大政奉還の儀式は京都の二条城で行なわれた。文字通りの天皇への大政奉還なら、政治の中枢拠点はそのまま京都になるべきだった。

 しかし、諸大名たちは東京に集まってしまった。

 さらに驚くべきことに、京都の天皇までが東京へ御東幸してしまった。



大名のアイデンティティは「同じ江戸」
 江戸時代、徳川幕府と諸大名の間には奇妙な関係があった。諸大名は領地を拠点に、徳川幕府と潜在的に対峙していた。しかし、「アイデンティティは同じ江戸」という奇妙な関係であった。

 江戸の260年間、参勤交代は江戸の情報を全国津々浦々へもたらした。全国各地の人々は、領主が持ち帰る江戸の文化を吸収し、真似た。

 山と海と川で分断された土地に生きる日本人たちは、もともと情報好きだった。江戸からの最高級の情報は圧倒的な力を持ち、人々は江戸の文化に染まっていった。もちろん、話し言葉もだ。

 津軽弁や薩摩弁など各地の方言は一方言に止まり、江戸から独立した言葉へ進化しなかった。なにしろ、領主様が江戸の言葉で話すのだから。

 江戸の引力は、その影響から逃れられないほど強かった。

 1871(明治4)年、廃藩置県で混乱なく藩は廃止された。諸大名のアイデンティティが「東京」なので混乱などあるわけがなかった。



1つの言語で話す民の強さ
 明治近代化で世界史でも稀に見る権威、権力、情報の一極集中が形成された。全国から人々が東京に集まり、同じ日本語で話した。分散していた知恵と富が東京に集中し、その総力が日本を封建社会から、国民国家へと変身させた。

 当時、日本は世界の帝国列強に包囲されていた。その日本は東京一極集中の国民国家へと変身することで、紙一重の差で植民地にならず、最後の帝国国家へと滑り込むこととなった。

 日本語という1つの言語で話す日本人たちは強かった。およそ半世紀後の1941年、世界の列強と戦い、武力で負けると、その約20年後の1968年には米国に次ぐ世界第2位の経済大国へとのしあがった。

 神は「バベルの塔」を造った1つの言語で話す人たちを恐れた。やはり、1つの言語で話す日本人は途方もないことを成し遂げてしまったのだ。



<書籍紹介>

日本史の謎は「地形」で解ける【環境・民族篇】

竹村公太郎 著


なぜ信長は「安土の小島」の湿地帯に壮大な城を築いたか? 「地形」をヒントに、日本史の謎を解くベストセラーシリーズ待望の第3弾!



<著者紹介>

竹村公太郎(たけむら・こうたろう)

1945年生まれ。横浜市出身。1970年、東北大学工学部土木工学科修士課程修了。同年、建設省入省。以来、主にダム・河川事業を担当し、近畿地方建設局長、河川局長などを歴任。2002年、国土交通省退官。現在、リバーフロント研究所研究参与及び日本水フォーラム代表理事。社会資本整備の論客として活躍する一方、地形・気象・下部構造(インフラ)の視点から日本と世界の文明を論じ、注目を集める。
著書に、『日本文明の謎を解く』(清流出版)、『土地の文明』『幸運な文明』(以上、PHP研究所)、『本質を見抜くカ――環境・食料・エネルギー』(養老孟司氏との共著/PHP新書)などがある。


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1 コメント

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Unknown (amy)
2014-07-25 21:52:59
なんか凄く面白い文章でした。
勉強になります。
言語で繋がっている事って
すごい事なんですねU+270DU+2727。
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