本当にほしいもの

2007年04月28日 12時46分24秒 | Weblog
あなたは「本当に欲しいもの」を相手に伝えられずに、
かえって傷ついたことがありますか。


僕が高校のとき、付き合っていた彼女がいました。

彼女と言っても、「付き合おう」と言ったきり、そもそも付き合うとはどんなことなのか?何をすればいいのか分からずに、ただ毎日が過ぎていました。



そして、二ヶ月くらいしたある日、ちょっと話があると呼び出されました。
そこでこんな感じのことを言われたのです。

「私達、付き合っている感じが全然しない」

僕はとても責められているような気がしました。

特に、上手に恋人関係を築けない自分に、男として無能な自分を感じたんですね。

「で、どうしたいんだよ?」

反感を滲ませながら言い返しました


「そんなことあなたが考えてよ」

「は???」

これはまさに責められています。どうしたらいいか訳が分からなくなり、混乱しました。

そのうちに、怒りがドバッと湧き上がってきました。


「分かったよ、じゃあ、もう別れよう!」


僕を無能呼ばわりした女の子にばっさりと縁を切ることで復讐してやったのでした。

こうして二人は傷ついて別れました。

めでたしめでたし?


このパターン、僕は人生で何度もやっているんですね。

告白すると最近にもありました。


このパターンに気がついたのは、なぜ自慢話をする奴が嫌いなんだろう?という原因を探っていたのがきっかけです。

僕はですね、メルマガとかで「自分はこんなにすごいんだぞ」

と尊敬を勝ち取るために自慢話をしているのを見ると、なんだか無性にムカつくのですよ。

それは今まで自分にとっては普通だったんですが、でも、なんでこんなにムカつくんだ?

とふと不思議になり、過去の体験を遡ってみました。


すると中学のときに友達の気を引きたいために自慢話をして、それを嘲り笑われた経験にたどり着きました。

そのとき、「なんで自分はバカなんだ。二度と人の気を引くために自慢話をしないぞ!」と固く決心をしたのです。

で、そんな自分をとても責めたのでした。


だから、今になっても気を引くために自慢をしている人を見ると、罰して否定した自分を見るわけ。

心理学の公式どおり、否定している自分を相手に投影してムカムカしていたわけです。


で、じゃあ、そのとき結局、自分は何をしたかったのかなと考えてみたのです。


結局ね、仲良くなりたかったんですよね。


肝心な仲良くなりたいって言うことを言わずに、自慢して気を引こうとして返り討ちにあって自分を罰した、

というのがそのときのドラマだったんですよ。


本当にほしいものって言えないんだよねえ、だって断られたら怖いから。

「仲良くなりたいんだけど」って言って「嫌だよ」って言われちゃったら、ショックデカすぎです。


なんで仲良くしたいって言うのがこんなに怖いのかというと、両親との関係で拒否されてきたからです。

「お母さん~」って抱きついたとき、「邪魔、あっち行ってて」なんて遠ざけられる経験で傷ついたわけですよ。

で、仲良くなりたいって言うのが怖くなっちゃった。


そこで自慢して気を引こうとしたり、付き合っていた彼女みたいに不満を言って、

相手に自分が欲しいものを気づいてもらおうとするものなんですよね。


不満を言って暗に相手を責めるっていうのは都合がよくて、自分は拒否されないから傷つかなくて済む。

「私はあなたとの関係がこんなに不満なんだ」って言っても「嫌だよ」って拒否はされないでしょ。

そして、自分の欲しいものを気づかない相手を責められますからね。


でも、これってもっとひどい結果になっちゃう。

不満を言われたら、たいてい相手は責められたと感じてしまうから。

僕なんかは、まさに気づかずに責められたと思って相手を切り捨てちゃってきたタイプですね。

相手にしたら、もっとも恐れていた事態になるんですよね。

もちろん僕にとってもとても辛い。




では、どうしたらいいか?

もし、相手に不満を言いたくなったら、

何を感じて不満を言おうとしているのかを考えよう。

そして、きちんと「私は・・・・が欲しい」ということを伝える。

そうしたら、相手もあなたがどうしたいのかが分かるから。


もちろん、すべての要求を相手が満たしてくれるなんてことはない。

断られて傷つくことはあるかもしれないけど、少なくとも相手が勘違いして辛い結果にならずに済む。

無駄な人間関係のストレスはぐっと減りますよ。




<今すぐできるハピサク道>

■あなたが本当の欲しいものを言えないときにしてしまう行動はなんですか?

http://inukai.tv/prof/index.htm

【トレビアン】女性にモテるヒケツをランキング化

2007年04月27日 13時21分49秒 | Weblog
livedoorリスログに「モテるヒケツとは?(男女共通で)ランキング」をが掲載されている。モテる男とはどんな男なのか? 下記がランキング上位だ。

1位、思いやり
2位、素敵なフェロモンを出す。
3位、得意分野を持っている。

1~3位を見てもらえばわかる通り、顔や体系ではなく、努力すればどうにかなる“見えない部分”が重要のようだ。イケメンは人生勝ち組などといわれているが、ブサメンにもまだまだ希望はあるということだ。では具体的に何をどうしたら良いのか?

<思いやり>
これは簡単。やはり男性はやさしさが大事である。繊細な女性のハートをつかむにはちょっとした気配りでも喜んで貰えるはず。もうホストになった気分で彼女(もしくは狙っている女性)に尽くそう。

<素敵なフェロモンを出す。>
アゴ髭をはやしてファッション眼鏡をかければOK! 香水なんかも付けちゃえば効果大? 最近発売したモテ男になってしまうというフレグランスボディースプレー「AXE」なんかも付けちゃおう。

<得意分野を持っている。>
無趣味は駄目。ゲームでも何でもよいので、ほかの人には負けないというくらい自信のある物を身につけておこう(負けても良いけど)。女性に好まれる物だとさらに効果アップ。お笑い、パソコン、カメラ、グルメ……。

その他のランキングとしては、4位ガンバリ屋、5位自分に自信がある、6位ルックスに恵まれて生まれた偶然性、7位いつも笑顔でいる、8位眉毛を整えている、9位スピリチュアルを学んでいる、10位お金、11位乗ってるクルマ、……となっている。

※お金は何でも買える最強の商品券

http://news.livedoor.com/article/detail/3137933/

魔神ぶう

2007年04月27日 09時13分33秒 | 日記
なんで俺が魔神に対して嫌悪感や怒りの感情がわくのか不思議だった。
いい人なのに、なぜかそう思うのかわからなかった。
今日、その理由の一つがわかった。
それは、彼の責任逃れ、自分に責務が来ないようにやっている姿だ。
人の悪口を彼はよく言うけど、それは自分の能力に自信がないからだろうな。

この世のものはすべて一つ。人類は魂の向上のために生きるのだとすれば、
彼も俺の教師なんだろうな。彼から学ぶものがあるから、会ったのだろう。

【独女通信】独男は趣味に没頭し、独女は自分語りに走る謎

2007年04月27日 07時42分25秒 | Weblog
 先月に配信の独女通信「甘くはないよ!30代独男&独女のオフ会 」において、オフ会に参加した女性そっちのけでラーメン話に華を咲かせる30代独身男性の談話をレポートしたが、こういった男性はオフ会に限らずかなり多い。彼女よりも女性よりも趣味に夢中で、それを共有できる友達としゃべっている時間が楽しいという感覚だ。

 マサコさん(仮名・32歳)の彼氏はあるJリーグチームのサポーター。週末になると必ずサッカー場へと足を運んでおり、マサコさんとの時間は完全に二の次だという。「私との予定をたてるには、サッカーの予定を確認してから。私の存在って一体なんだろうと思うけど、普通に会っているときは大切にしてくれるし、愛されている実感もある。でもなんでサッカーにこんな没頭できるのか・・・全然理解できない」

 一方マサコさんの彼氏(33歳)の見解はこうだ。「趣味は趣味として全力投球しているだけ。サッカーと彼女どっちが大切って比べられるものじゃないし、どっちも必要だとしか言いようがない。もし彼女が夢中になれる趣味があるなら、もちろん尊重するつもりだけど」ちなみにマサコさんによると「趣味は一応読書なんだけど」ということだが、彼氏そっちのけで本を読むという感覚は当然、ない。

 こういった男女の“趣味”における認識の差。そういえば一般的に“オタク”と呼ばれる人たちのほとんどが男性だ。独女でそういった人は極端に少なく、どちらかというとオタクを軽蔑する人のほうが多いのではないか。

 では男性にとっての興味対象が“趣味”であることの対比として、女性にとっての興味対象は一体何か?

 その答えの鍵となるのがSNSやブログといった日記ツール。男性がラーメンやサッカーを日記に綴る一方、独女世代が綴っているものの多くはズバリ“自分” だ。例えば「私の恋愛感」「私の今日の晩御飯」「私の人生観」「私の一日」など……。よく考えてみると一体誰に向かって自分のライフスタイルを公表する必要があるのだろうか? と、疑問がわいてくるのだが。

そんな疑問に対し、「自分の作った弁当をアップしたり、今聞いているCDとか本とか着たい服の写真とか載せている」という“自分語りブログ”を開設中のミエさん(仮名・25歳)は、次のように語った。

「日々あったことをWEBにして編集すると、“しょうもない日常”が、“すてきな日常”に変わる気がする。ちょっと違う自分をWEBに作ることでアイデンティティを作っている気がします。見られる自分をすごく意識するんです」そして同じく「ブログで自分を語っています」というマリエさん(仮名・26歳)は「誰のために書いているかといわれれば自分のため。あとやっぱり女性って自分を知って欲しいっていう欲求が男性よりもあると思う。だからかな」と分析。

 自分による自分のための自分プロデュース、とでもいうべきか。こういった独女の行動は男性からみるとおそらくかなりの自意識過剰に感じられるだろうし、理解できないものかもしれない。

 とはいえ冒頭のオフ会のように、独女から見た男性の“オタク的な趣味への情熱”もかなりうっとうしいこともしばしば。前述のマサコさんも「私が興味ないことを分かっているのに、延々と彼のサッカー論につき合わされる。正直めんどくさい」という。こういった“誰も興味を示さないような知識を自慢する”ことを特技として消化させたのが、「うんちく」であり、さらにエスカレートすると「オタク」になるのだろう。そういえば女性のうんちく王は、あまり聞かない。

 趣味を語る男性と自分を語る独女。どちらが良いかという差別は存在しないが、相容れるのはなかなか難しいような気がする。(高山 恵)
http://news.livedoor.com/article/detail/3131889/

人のうわさ話・悪口を言わない。

2007年04月21日 01時54分46秒 | Weblog
人が三人寄ればうわさ話に花が咲く。
我々は誰しもが
「彼奴はこう言ったそうだ」「彼奴はこんな事をしたそうだ」
「彼奴はこんな奴だ、あんな奴だ」「うちの会社の上司はこうだ、社長はこうだ」
と他人のあること、ないこと、したこと、しなかったことをほじくり出し
仲間内で傷を舐めあい、慰めあった、という経験が一度ではあるはずだ。

酒の席などでは話題がつき、場がしらけそうになったら
「その場の人たちの共通の知人のうわさ話をすればたちまち場が賑わう」と
接待上手と自他共に認める、ある男が言ったことがある。

ブッタは
『他人の過去を見るなかれ。他人のしたこと、しなかったことを見るな。
 ただ自分のなしたこと、なさなかったことについて
 それが正しかったか、正しくなかったかをよく反省せよ』(法句経)
と説いておられる。

自分に自信を持って生きている人は
他人のうわさ話に興じて自分の劣等感をごまかすようなことはしないはずだ。
うわさ話の落ち着くさきは、他人の悪口、陰口では。
うわさ話の世界は妬みの心と虚栄心の入り込んだ、
人間悪のゴミためみたいなものだ。
他人の隠そうとしている欠点や過失を
ことさらほじくりあばいて、自分を慰めるような卑しい人間にならないよう
お互い気をつけて日々をおくろう。


http://www.omoroibouzu.com/hitokoto-uwasa.htm

『人生の目標・生きがい』て、なんだろう。

2007年04月21日 01時47分11秒 | Weblog

私たちは子供の頃から親や学校の先生に
「『人生の目標』をしっかり持ちなさい」
「ダラダラした日々を送っていないで
『一生の生きがい』を見つけしっかり勉強しなさい」
「何時までも、子供のような夢ばかり追い求めていないで、
現実に目を向けた目標を持ちなさい」
などと言われて、自分なりの目標をもって
生きがいのある人生を送らねばならない、と信じています。
若い頃の私も、競争社会の中で一歩でも人に先行しようと躍起になり
人よりも一歩でも早く、前へ前へ進もうと急ぎ足で生きてきました。
そして、人生の節目と言われる還暦を越えた頃から、
毎日毎日が死への一歩一歩だと、
自分の死の訪れを実感するようになり
『俺の人生の目標』『生きがい』て、
一体、何だったのだろうと、深く考え込むようになったのです。

色々と思索し、この「人生の目標」を求め続けました。
そして、仏教の2つの基本的な考えがようやく心の底から理解できたとき、
「人生の目標」というものの意味も
おぼろげながら見えてきました。

                                     

『諸行無常』この世の全てのものは常に刻々と変化し流れ去りやがて消えてゆく。
『諸法無我』刻々と変化し流れ去り消えてものを握ることは不可能である。水や砂を握ろうとしても手のひらから抜け出てこぼれ落ちるように。
この世に常住のもの変化しないものなど何もない"この世に我がものと呼べるものは何もない"

この命も母体に宿った瞬間から刻々と変化し、やがては老い、病み、死んでゆく。
俺は財を貯えた、
高い地位に昇りついた、
名誉を得た、
俺には美しい従順な妻がいる、
賢明な孝行息子がいると、自己満足したとてそれが何になるというのだ。

『子も救うことはできない。
父もまた救うことができない。
死に捉えられた者を親戚も救い得る能力がない。
ましてや財や地位名誉が死に捉えられた者に何の援けになると言うのだ』

『人生というのは、とてつもなく空しくて苦しく、無意味なものである』
故に『一切皆苦』だと、ブッタは説かれる。
人生の結末はただ無に帰るだけだ、と繰り返しブッタのことば
すなわち仏典や経文にはでてきます。
人間だけではなく、この世に生を受けた"生きとし生きるもの"は
全てが『死ぬために生まれ、その死を一刻でも先へ延ばすために、
あらゆる努力をして生きている』と言うのがこの世の真実なのです。

ブッタは、この世で起こる事象は何一つとして自分の意のままには、
思い通りにはなるものはない
よって、『生はすべて苦だ』と説かれています。
これは『生、老、病、死』という誰にでもおきることをとって見ても
誰もが異論の挟む余地のないこの世の真実。
自分の思い通りには決してなるものではありません。

私たち人間は死を一刻でも先へ延ばすため、
死の恐怖から逃れるために、毎日を生きているだけなのです。
本当にそれだけなのです。


『人生に目的や生きがいなどは最初からないのでは』と、言われると
『私は一生懸命努力し大学を卒業し、優良企業と言われる今の会社に就職し、
妻子を養い子供に高等教育を受けさせるために
自分の我を犠牲にして働いています。これが私の生きがいです』と
反論される人もおられるでしょう。

でもよく考えてください。
私たちは何かを食べなくては生きていけないし、
肉体的に他の動物と違って、
毛皮などで保護されているわけでもないので衣服が必要だし、
露地で寝るわけにもいかず住居が必用となり、
ご飯を食べたり、家賃やローンを払ったり、
服を買ったりするために働いているだけで、
本当は、それらを得るお金が必要だからこそ仕事をしている
それだけではないでしょうか?

もっとつき詰めれば
『己の欲を満たすために働いている、死を少しでも先に延ばし、
一刻でも長生きしたいがために働いているだけ』ではないでしょうか?

食欲も、性欲も満たしたいし、
財も、名誉も地位も欲しいし、
子孫ものこしたい。
それに何よりも死にたくない、
その手段のために働き、結婚し、子供を育てているだけではないでしょうか?

その証拠に、誰しもが有り余るほどの財産と名声に恵まれていて、
なんら経済的にも社会体面上も困らないとしたら、
それでも上司や得意先の顔色を伺うために、
毎朝早く起きて、朝食も禄に食べず家を飛び出し、
通勤ラッシュに揉まれてまで仕事に行くでしょうか?

それなのに
『俺は家族の為に働いている』
『男にとって仕事は命だ、生きが』
『女には家族の幸せが全て』と口にしながら
一方で『疲れた。疲れた。たまにはユックリ休みたい。自由な自分の時間が欲しい』等と
ぼやく。
休暇などで暇な時間ができると、もう退屈で退屈でたまらなくなり、
何をしようかと時間を潰すことを探しまわり、
『温泉にでも行くか』とか、『ゴルフにでも行くか』とか、
時間を潰す為に右往左往しているのが実情。
これでなぜ『仕事が生きがいだ』と言えるのでしょうか?

私たちの心は退屈には堪えられないのです。
常に刺激が欲しいのです。
だからおしゃれしたり、テニスやゴルフをしたり、
野球やサッカーなどのスポーツ競技を観戦して
勝ったの負けたのと騒いだり、
芸術や文化を作り出したり、
哲学や宗教をつくるのです。

『ボランティア活動が私の生きがいだ』と言っても、
それは自分の心に刺激を与えるため
『仕事をするのも刺激がほしいため』と言っても過言ではない。

『死ぬのが怖い、死を少しでも先へ延ばしたい。
だからと言っても退屈も嫌だし、刺激も欲しいし、欲望も満たしたいから働く』
だけでは、決して『仕事が人生の生きがい』でもないし、
ましてや『人生の目標』などではあるはずがないのです。


ならば『私たちは何のために生まれてきたのだ』と言う問題に突き当たるでしょう。
ユダヤ教やキリスト教の聖書には
『神様をたたえるために、神様が神の姿に似せ人間を創りました』と
書いてあるし、他の宗教でも
『私たちは一段と高い聖なる次元に生まれ変わるため、
修行にこの世へ送られてきたのです』と説明しています。
それを信じる、信じないのは、個人の問題です。
心からそう信じている人には、それで幸せかもしれません。
しかしお、残念ながら仏教では実証できること、誰もが知り得て理解でき、
誰もが認め納得する真実以外は言わない、言えないのです。

もし仏教者と名乗る人が
『私たちはこの世で修行し極楽に生まれ変わるために生まれて来たのです』
『この仏様を拝めば、この経を唱えれば、これを布施すれば、
この仏像を家にお奉すれば病気が治ります、幸せになれます、商売繁盛します。』と
言われたら、その時点でその人は仏教者でもなくなり、それは仏教でなくなるのです。

故に、仏教修行させて頂いている比丘としての私に言えることは、
私が断言できることはただ一つ
『死ぬために生まれてきた。人生の目標は死ぬ事です』と言うことだけです。


ブッタは『ああこの身はまもなく地上に横たわるであろう。
意識を失い、無用の木片のように投げ棄てられて。
たとえ百歳まで生きたとしても、終には死に帰着する。
老いか、病か、または死が、人につきそって殺してしまう』
そして
『物事が興りまた消え失せることわりを観ないで百年生きるよりも、
事物が興りまた消え失せることわりを観て
一日生きることのほうがすぐれている
"人生というのはとてつもなく空しく、苦しい無意味なものである"
ということわりを正しく理解しなさい』と説かれている。

"死ぬために生まれてきた"という真理をありのままに観て実感し、
正しく理解するならば、生きとし生きるものすべての命が愛しくなり、
過去を悔いることなく、未来を憂うことなく、
日々を明るく力強く生きてゆけるのです。

『"わたしは若い"と思っていても、
死すべきはずの人間は、誰が"自分の"生命を当てにしてよいだろうか?
若い人でも死んで行くのだ。……男でも女でも、次から次へと……』

『生まれたものは必ず死ぬ』
だからこそ、確かに生きている今のこの瞬間が、
この命がとてつもなく尊いのです。
この瞬間にも私たちは確実に死に向かって歩んでいるのです。
あと10年先かも知れない、明日かも知れない、1分先かも分らないが
確実に死ぬのです。

もしあなたが癌か何かで『余命半年』と宣言されたらどうしますか?
『あれも片付けておかねば』
『あの人にお世話になったお礼も言っておかねば』
『あの人に受けた義理を返しておかねば』
『家族も………仕事も……』
と気が焦るのでは?
私たちは『余命半年』ではないのです。
明日に死んでも何の不合理も不条理もないのです。
毎日毎日が死と背中合わせなのです。

ならば、藤川さん、あなたはどうするのか、と問われたら、私はこう答えます。
私は、死の床に横たわったときに
『この世に何の未練も残さず、誰をも怨まず、
生きとし生きるもの全てに"楽しい人生をありがとう"と
心から感謝し、雲一つ無くスカッーと
どこまでも青く晴れ上がった青空のような、
晴れ晴れとした心境でこの世とお別れできる人間』を目指し、
日々修行に励まさせて頂いているのです。
これが私の今の『人生の目標』です。


もう百年も経たなくとも、今、私達のまわりにいる人々は、
全て死に絶え消えていくのです。
私もあなた達も、
愛する人も、
憎い人も、
財ある人も、
名誉と地位に恵まれた人も、
賢明な人も、
愚かな人も、
不運だと嘆いている人も、
幸運に恵まれ有頂天になってのぼせ上がっている人も、
もう一度逢いたいと願っても、
二度と逢うことはできなくなるのです。
これがこの世の定めです『諸行無常』なのです。
この定めが頭だけでなく、心底から理解することができれば、
アイツもコイツも全ての人が許せ、むしろ愛しく可哀そうになってきます。

そしてどんな困った事や苦しい事、悲しい事が興っても
『これも一時の相だ"諸行は無常だ"いずれ変化し消えるのだ』と
気落ちし悩み苦しむことなく、平然と『嵐が過ぎ去るのを待つ心境』で、
毎日を明るい静かな気持ちで過ごせるようになるのです。

『心が沈んでしまってはいけない。
またやたらに多くのことを考えてはいけない。
こだわることなく、清らかな行いを究極の理想とせよ』と
ブッタも明るく生きなさいと、説いておられます。

マラソンランナーは、ただひたすら42Kmも先のゴールだけを目標に、
ゴールの瞬間をイメージして、歯を食いしばって走りぬくのです、
我々、この世に生を受けたもののゴールは目標は死です。
私たちは母体に宿った時から、ひたすら死を目指して歩んでいるのです。
マラソンランナーにとっての、ゴールは日頃のたゆまない訓練と努力の結果です。
我々にとって死は生の結果で『その人が如何に生きてきたか』の表れ(果)であり
『生の日々は如何に死ぬかの(因)』です。
『死は生の鏡であり、また生は死の鏡』なのです。
「生きがい」や「人生の目標」とは、全ての「生きている」ものにとって
どうやって自らの「死」を迎えたいか、ということなのです。
自分が年をとっているから、残りの人生が少ないから、といって
人生から目を背けようとしている人もおられます。
過ぎ去ったことだけを考えている人もおられます。
しかし、人間、子供でも老人でも、明日死ぬのですから、条件は同じなのです。
過去を変えることはできません。
変えることができるのは、今の行動だけなのです。

終わりよければ全て良しです
『この世に怨みや未練を残さず』スッカーとした気持ちで、
笑ってあの世へ旅立てるよう、何事が興っても、
クヨクヨ考え込んで暗い気持ちになったり、
沈み込んだりせず『諸行無常』と己に言い聞かせ、明るく生きて行ってください。

『ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
………車を引く牛の足跡に車輪がついて行くように』………法句教より(一章の一)

    『生きとし生きるものが幸せでありますように』    合掌。
http://www.omoroibouzu.com/hitokoto-mokuhyou.htm

英語の上達法はひたすら音読

2007年04月19日 08時56分30秒 | Weblog
さて、日常英会話とひとくちにいっても大変範囲の広い
話しです。そして読む、書く、聴く、話すのなかで、話すこと(すなわち会話)が一番難しいのです。

とりあえず30分を毎日確実に英語学習に充てられるのならば以下の方法をお勧めします。

中学2年生の英語の教科書をひたすら音読することです。
もちろん文法や単語は必要に応じて調べなおしてください。理解したものを音読することが鉄則です(意味のわからない音を聞いているだけで自然と言語が身に着くのは8歳から10歳ぐらいまでが限界です)。終わりまでいったらまた初めから繰り返します。その頃には数日(週、月)前に読んだ英文なんて覚えていないでしょう。その忘れかけたころにまた音読するのです。それを繰り返します。回数は最低でも50回です。1年かかってもその価値を体感していただけるはずです。その後に何をしたら良いかはもし興味があったらレスしてください。
ちなみに私はこの方法で現在は東京で会議通訳者をしております
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0831/013538.htm?o=0&p=0

敵を作るパターン

2007年04月19日 00時29分30秒 | Weblog
ビジネスで失敗するパターンとして、必要もないのに敵を作ってしまい、逆風を受けてうまく行かなくなることがあります。

一番多いのは、”権威者”に敵対してしまうパターンです。
権威者とは自分よりも力を持っている人のこと。

学校の先生や警察官に無条件に反感を覚えてしまう人は要注意です。
同じようにビジネスの中でも権威者というだけで反感から敵対する関係になってしまいます。
このタイプの人は、たとえば幼いときに強いお父さんに屈服してしまった自分を罰しているとか、家族にひどいことをしたお父さんを許せないと思ったことがあるかもしれません。


また、自分よりも地位の高い人や力を持っている人に気軽にものが言えないことも敵対するきっかけになります。
「ああ、自分もそうだ」と思っている人は、小さいときにお父さんを怖いと感じたはずです。
私たちの権威者の一番のモデルはお父さんなのです。
自分よりも大きくてえらいお父さんに話を聞いてもらえなかったという体験は一度や二度なら誰でもあるでしょう。

実は小学生くらいまでの僕にとって、父は話を聞いてくれない怖いお父さんでした。
父は家に帰ってくると仕事で疲れ果てて、ビールを飲みながら野球中継をボーっとみていました。
そういうときに話しかけてもまったく反応しないのです。
僕はなかなか父に話しかけられませんでした。

こういう体験によって子供は権威者には話しにくさを感じるというパターンを作ります。
お父さんや先生みたいな立場の上の人に、自分の意見を言っても聞き入れてもらえないのではないかと思ってしまうわけです。

すると「我慢して最後は感情的になる」という敵対者のパターンが加わります。
なかなか言いたいことがあるのに言えないと当然ストレスが溜まり、内側でだんだんと煮立ってきます。
いよいよもう我慢できない、というラインに来て初めて伝えるわけですね。
しかし、そのころには「聞いてくれなければ喧嘩するしかない」などという好戦的な感じになってしまっています。

こんな状態で柔軟に話せるでしょうか?
相手の立場を理解できるでしょうか?
無理ですね。
こうして、失敗が明らかなコミュニケーションによって、予想通りに権威者を敵にしてしまい、関係が壊れ、それまで築いてきたビジネスまで失うことになるのです。

権威者に反抗してしまうことや、気軽にものが言えない原因の根本はほとんどの場合、お父さんとの関係です。
わざわざ築いたビジネスを崩壊させないためにも、一度見直してみてはいかがでしょうか。


http://inukai.tv/index.htm

土日は仕事をするな…ダイキン工業・井上礼之会長

2007年04月18日 04時26分57秒 | Weblog
「土日は遊ぶためにある」と話すのはダイキン工業の井上礼之会長(72)。休日出勤するくらいなら、平日に深夜まで掛かってでも仕事を終わらせるべきだという。土日は仕事を忘れ、趣味などに没頭して「遊び心」を磨けと呼び掛ける。「遊び心が人生にないと、人は成長しない」と考えるからだ。

 「僕はサボり性」と笑うが、3万人を超す社員を統率する立場では、休日も少ない。それでもなんとか暇を見つけては「無理してでも好きなことをしている」。そうした精神の余裕が次への意欲につながり、「皆が右に夢中のときに、左を見られる」柔軟さ、機転をはぐくむと話す。

ZAKZAK 2007/04/16
http://www.zakzak.co.jp/top/2007_04/t2007041626.html

受付嬢に聞いた好感度を上げる微笑ワザ

2007年04月17日 03時40分16秒 | Weblog
笑顔は大切、それはわかっているものの…。どうやって素敵な笑顔を作るかが悩みどころです。

素敵な笑顔って、周りから愛されるためにも、とても重要ですよね。

コミュニケーションの大家、デール・カーネギーも、著書『人を動かす』のなかで、「人に好かれる6原則」のひとつとして、笑顔を忘れないということを挙げています。

彼がその著書で紹介しているひとつの文面を引用します。

『元手がいらない。しかも、利益は莫大。
与えても減らず、与えられたものは豊かになる。
一瞬の間見せれば、その記憶は永久に続く。
どんな金持ちもこれんしでは暮らせない。
どんな貧乏人もこれによって豊かになる。
家庭に幸福を、商売に善意をもたらす。』

彼が口にするまでもなく、笑顔の重要性は多くの人が知るところ。しかし、実際に素敵な笑顔をすることは難しいものです。

「笑顔を見せようとしても、すごくわざとらしい表情になってしまう……。どうやれば、素敵な笑顔ができるのだろう?」そんなお悩みの声にお答えするため、笑顔のプロである受付嬢の友人に笑顔テクを聞いてみました。
テク1:前歯を意識する

私が最初に尋ねたのは、ズバリ「素敵な笑顔をするためには、何に気をつければよいのか?」ということです。それに対する答えが「しっかりと歯を見せること」でした。

彼女は女性雑誌に出てくるモデルさんから、表情の研究をしたそうなのですが、その際に気付いたのが『モデルさんは上の前歯を6本見せて、笑顔を作っている(下の歯は見えない)』。いわゆる逆三角形の口を作っているということです。

要は口角を上げるということですが、上にあげるということだけでなく、横にも少し開いているのですね。

彼女いわく「自然に笑っているように見えているが、トレーニングをしないと、この口の形がナチュラルにならない」とのことでした。

テク2:3段階の笑顔を使い分ける
笑顔
笑顔には3段階ある!?

続いて「笑顔にもバラエティがある」ということを教えてくれました。「花に例えると、2部咲き・5部咲き・8部咲きの笑顔がある」というのです。

2部咲きは、微笑。口は閉じて歯は見せず、口角だけを「ニッコリ」と上げる。
5部咲きは、ハーフスマイル。歯を6本見せるという上記のものです。
8部咲きは、フルスマイル。更に大きく笑顔をつくり、目も細まる。

おじぎにも3段階があると、よく言いますね。15度・30度・45度と、マナー研修などでもよく聞くことです。それと同じように、使い分けるのですね。

「笑顔が一種類だと表情の変化がなく、無機質に感じられるから」というのが、彼女が言うところの『3段階の笑顔』の理由でした。なるほど、納得です。
テク3:笑顔を作る前から、勝負は決まっている

もうひとつ、私自身が聞きたかった質問をぶつけました。「笑顔のトレーニングって、普段からやってるの?」

返ってきた答えはYes。顔の筋トレとか、顔のストレッチとか、鏡の前での笑顔チェックなど、各種欠かさないとのこと。さすがは笑顔のプロ。

「特に体調が良くない日などは、どうしても笑顔が曇るというか、調子の悪さが表情に出てしまいがち。だから、そういうときは念入りに表情チェックは欠かしませんね」

なるほど、ローマは一日にして成らず。日々の努力で、素敵な笑顔を維持しているのだそうです。
まとめ

話を聞いていて、つくづく感じたのが「表情について、真剣に取り組んでいて、だからこその工夫がある」ということです。ただ「笑顔を作っていれば良い」なんて、安直に考えていないですね。

その真剣度合いが、素敵な笑顔とキラキラ感を作っているわけです。たかが笑顔、されど笑顔。私たちも、自分の笑顔について、もう一度じっくりと見直してみませんか?
http://allabout.co.jp/career/presentation/closeup/CU20070409A/index.htm?FM=rankd

私はこんなセクハラをされました!

2007年04月14日 06時58分58秒 | Weblog
 オフィスで働く女性の天敵はムカツク上司、差別……いろいろあるけれど、いちばんの悩みはセクハラ。多くの女性がセクハラを受けているといわれる現代社会。女性がどのようセクハラを受けているのか、街角アンケートを実施した。



●Aさんのケース
「昨夜Aさんで夢精しちゃった~」と言われた
▲ジョークなのか本気なのか。堂々と言えるのが凄い。

●Bさんのケース
面接で「結婚しないの?」と言われた
メッセンジャーで「濡れてる?」と言われた
同僚から「最後にセクロスしたのいつ?」と言われた
▲「結婚しないの?」は、いまでは立派なセクハラになる。そしてインスタントメッセンジャーでのやりとりはログに残るのでセクハラの証拠にもなる。

●Cさんのケース
同僚から「女子は生理休暇があるからいいよなー」と言われた
▲女性にとっては深刻な悩みなんです。

●Dさんのケース
妻子持ちの同僚から「もうすぐ誕生日だってね。ホテル予約したよ」と言われた
▲何を考えているのでしょうか?

●Eさんのケース
仕事中にストッキングが伝線したからゴミ箱に捨てたら、同僚に持って帰られた。
▲何に使ったのでしょう……。洗濯機のゴミ取り?

●Fさんのケース
同僚に「スカート短いね。もっと足見せて。」と言われた
▲普通にエロい。

以上のように多くの女性はセクハラ問題に日々悩まされているのだ。では男性はどうなのだろうか。同じくアンケートをとった。

●Aさんのケース
同僚に「なんで彼女できないの?」と頻繁に言われる
▲できないものはできない。

●Bさんのケース
同僚に「あんただけは無いわ(笑)」と言われた
▲全否定。

●Cさんのケース
同僚に無視される
▲セクハラというよりいじめ?

●Dさんのケース
同僚に「Dさんって援交とかやってそう」と本気で言われた。
▲これは酷い。

と、男性もセクハラまがいのことをされているようだ。今後は男性がセクハラで訴える時代が来るかも!? 女性も注意しよう。もちろんライブドア社員にはこのようなセクハラをする方はいないのでご安心を!

※女性と接する機会が無くてセクハラとは無縁なボク…
http://news.livedoor.com/article/detail/3119412/

Q: スタミナのつくものをとっているのに、疲れが解消されません。

2007年04月12日 02時11分16秒 | Weblog
 A: 疲労は大きく分けると、ストレスによる精神的疲労と、仕事や運動による肉体的(筋肉)疲労があり、発生メカニズムは異なります。肉体的疲労は体力が消耗して代謝機能が低下し、疲労物質の乳酸などがたまることで起き、精神的疲労は自律神経のバランスが崩れることにより、体調に変調をきたします。

 こうした疲労が蓄積し、休養や睡眠を取っても疲れが残る慢性疲労に陥っている場合は、代謝の活性化を促すことが必要です。

 ――どんな栄養素をとったら効果がありますか?

 細胞の基本的なエネルギー源は炭水化物(糖質)、たんぱく質、脂質の3大栄養素で、エネルギー代謝を効率良くする働きはビタミンが担っています。特に関与するのがビタミンB群(B1、B2、B6、B12、ナイアシン、ビオチン、パントテン酸、葉酸の8種)で、疲労とのかかわりで重要なのは、糖質をエネルギーに換える時に不可欠なB1です。玄米、豚肉、大豆などに多く含まれ、不足すると、疲労物質がたまり、疲れやすくなります。

 また、肉体労働や運動でエネルギー消費量が多い場合は、B2の必要量が増えます。レバーや魚介類、牛乳、卵などに多く含まれ、不足するとB1同様、代謝が衰え、倦怠(けんたい)感を感じやすくなります。他のB群も互いに協力し合って、代謝の補酵素として重要な働きをします。

 このほか、かんきつ類、酢、梅干しなどに多いクエン酸は疲労物質の乳酸を分解し、エネルギーに換える働きがあり、疲労回復に大きな力を発揮します。また補酵素の働きを助けるカルシウムやマグネシウムなどのミネラルと結びつき、ミネラルを吸収しやすくする働きもします。

 一方、ストレスで精神的な疲労が続くと、活性酸素の増加や免疫力の低下がみられます。ビタミンCやE、β―カロテン、ポリフェノールなどの抗酸化成分を多く含む野菜、キノコ類、果物などもとるようにしましょう。

 ――健康食品やサプリメントは効果がありますか?

 基本的には、バランスの良い食事をとっていれば、いずれもほぼ十分に補える栄養素です。B群とCは水溶性ビタミンなので、蓄積されず排出されてしまい、毎日の食事から一定量をとる必要がありますが、どうしても食事が不規則になりがちな場合は、補助的にとるようにして下さい。

http://hokkaido.yomiuri.co.jp/kenkou/k_051015.htm

やっぱり野菜だね。たくさん食べよう。

<休肝日>多ければ死亡率低下 厚労省研究班

2007年04月07日 01時58分42秒 | Weblog
4月6日20時33分配信 毎日新聞

 酒量の多い人では、酒を飲まない「休肝日」の多い人の方が、休肝日の少ない人よりも死亡率が低くなることが、厚生労働省研究班(担当研究者=丸亀知美・国立がんセンターがん対策情報センターがん情報・統計部研究員)の調査で明らかになった。米国の専門誌に発表した。
 研究班は、1990~93年に岩手、長野、高知、長崎、沖縄など8県9地点に住む男性約4万2000人を対象に飲酒や生活習慣に関するアンケートを実施し、03年まで追跡した。
 飲酒の習慣がある約3万2000人のうち、「週1~4日飲酒する」と回答した「休肝日あり」グループは約4割、「週5~7日飲酒する」と回答した「休肝日なし」グループは約6割だった。
 追跡調査期間中に死亡した約3900人について、飲酒の頻度や飲酒量を調べたところ、1週間あたりのエタノール摂取量が300グラム(毎日日本酒2~3合)以上になると、同じエタノール摂取量でも休肝日なしのグループの方が、休肝日ありのグループより死亡率が大幅に上がった。年齢や喫煙習慣、肥満度など死亡に関連する他の要素の影響を考慮しても、エタノール摂取量が300~449グラムの場合、「休肝日なし」グループの死亡率は「あり」グループの1.5倍、450グラム以上では1.8倍になった。
 丸亀研究員は「死者の4割はがんだった。休肝日がないと、酒の代謝後にできる発がん性を持つとされる物質が常に体内に存在し、がんの危険性が高まるのかもしれない」と話している。【永山悦子】

最終更新:4月6日21時36分
毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070406-00000089-mai-soci

『慈悲の冥想』の言葉

2007年04月02日 01時02分09秒 | Weblog
私が幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私が幸せでありますように
私が幸せでありますように
私が幸せでありますように

私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとが叶えられますように
私の親しい人々にも悟りの光が現れますように
私の親しい人々が幸せでありますように(3回)

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように

私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように

私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように


生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように

http://www.j-theravada.net/3-jihi.html