http://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/4796d0f44c0b7d4ed99776a9c7db1b42
「黒斎さんがよく言う、『自我の紡ぐストーリー』って、具体的にはどういうことですか?」
最近、そういったご質問をよくいただきます。
そこで今回はあらてめて、このお話をしたいと思います。
「思考は現実化する」という言葉は精神世界でよく目にするキーワードですが、ここでいう「思考」は、僕たちが日常的に使っている思考のことではありません。
前回のお話とリンクさせるなら、「頭(顕在意識)」が認識している思惑のことではなく、その顕在意識よりも、ずっと奥底にある思惑のことです。
たとえ顕在意識が「イヤだ」と感じていても、苦悩を継続させてしまう、腹の底にある力。
多くの場合、人は、この心の奥底でうごめくこの力に無自覚のまま生活しています。
「頭では不幸に抵抗しつつも、腹の底が不幸の継続を望んでいる」という、そのギャップが存在していることに気づくことがありません。
多分、人生の流れを好転させることができた人は、某かのきっかけを通じて、そのことに気づいたからこそ、その流れを変えることができたんだと思います。
「腹の底が不幸の継続を望む」
そう聞いても、「わたしは不幸を継続させようなんて、これっぽっちも思ってなんかいない」と感じられる方も多いと思います。
むしろ、状況を好転させようと努力を重ねているのに、と。
かつての僕もそうでした。
雲さんにいくら『この苦悩を長引かせているのは、お前自身の責任だよ』と言われても、「はい、そうですか」と素直にうなずけませんでした。
でも、雲さんが繰り返し説明してくれるにつれ、徐々にその理解が明確になってきました。
(  ̄Д ̄) 『お前はずっと、幸福を外に探してばかりで、自分の手の中にある不快の元を手放そうとしない。イヤだイヤだと言いながら、ウンコを握り締めているんだ。幸福を求めるな、不幸の側を手放せ』
そして、その言葉に続いて、この「不快さを自覚しているにも関わらず、人があえてウンコを握り締めてしまういくつかの理由」を教えてくれました。
このお話は、当時の僕にとってはとても新鮮なものでしたが、古くから色々な分野で語り継がれているものですので、すでにご存じの方も多いかとは思います。
もしかしたら、これから挙げる7つの理由の中に、あなたが握り締めているウンコがあるかもしれません。
【人が不幸を抱え続ける理由】
その1・制裁(抑圧)タイプ
自分自身が犯してしまった何らかの失敗を償うため、自分自身に罪を与えようとしてしまう。
常に何かに対しての罪悪感を感じていて、「わたしは幸福になってはいけない」という加害者意識をアイデンティティに組み込んでいる。
その2・転嫁タイプ
自分の中にある特定の感情の存在を認めたくない。そこから意識をそらすために、別な痛みや苦悩を創造してしまう。
その3・防衛(ひきこもり)タイプ
自分が不幸でいることで、やりたくないこと、合いたくない人、行きたくない所などから自分を遠ざけ守ろうとしている。
その4・利得(共依存)タイプ
自分が不幸な状況にあることで得られる利得を手放したくないため、その状況を継続させてしまう。
「病気でいることによって、周囲に優しくしてもらえる」や「関心を向けてもらえる」。
また、「貧困でいることによって、さまざまな保護・手当を受けることができる」など。
その5・復讐(クレーマー)タイプ
自分の惨めな状況を加害者に見せることによって、相手に精神的苦痛やプレッシャーを与えようとする復讐心。
または、何らかのカタチで納得のいく謝罪を得るため、取引の道具として不幸を利用しようとする。
悪いのは相手であって、正しさという優位性は私の手にあるということを握り締めてしまう被害者意識タイプ。
その6・抵抗(変化拒否)タイプ
不幸でいることが自分のアイデンティティ(個性)になってしまっていて、その個性が失われることで自分の存在自体が失われてしまう、もしくは否定されるような錯覚に取り込まれてしまっている。
その7・解離(トラウマ)タイプ
自分が不幸になってしまったと感じられるそのきっかけが、あまりにもショッキングすぎた場合に起こりえる。
改善・解決へ向けた行動・思索を行う際に、どうしてもその「起点」がフラッシュバックされてしまうため、思い出さないよう、あえて解決しないまま放置・継続するタイプ。
上記に挙げたような内容を、自分の経験した出来事と結び付けて記憶を形成してしまった場合、腹の底で苦悩の継続を望んでしまうという結果に繋がります。
顕在意識の「変わりたい・変えたい」という欲求と、腹の底にある「変わりたくない・変わるのが怖い・変わるはずがない」という思いは常にシーソーゲーム状態になっていて、多くの場合、腹の底にある力が、顕在意識の力を上回っています。
なので、本当に人生の流れを変えたい場合には、「腹の底にある不幸を継続させようとする力」を弱めるか、「顕在意識におけるモチベーション」を強化し、腹の底にある力を上回るか、はたまた、「変わるのが怖い」なんて言ってられなくなるぐらい徹底的にイヤになっちゃうか。そういったことが必要になってきます。
自身が保持している経験の記憶(信念・信条・思い込み)は、当然のことながら自分自身にとっては「現実」として捉えられているため、なかなか「自分自身ででっち上げたストーリー」などとは思えません。
また、その「現実(信念・信条・思い込み)」を否定することは、自分自身の人生の歩み自体を否定されるように感じられてしまうため、手放したり、書き換えたりすること自体に大きな不快感が生じます。
その不快感を味わいたくないがゆえに、そういった試みから遠ざかってしまいがちです。
精神世界や成功哲学などにおいて、数多くのテクニックやメソッドが紹介されているにも関わらず、なかなか思惑通りの結果を掴めずにいる人が多いのは、この不快感によるものがひとつの大きな要因です。
「人生を変える」というこのテーマに取り組むとき、その方向は大きく分けて2つです。
一つ目は、成功哲学的なアプローチ。
これは、「実際に何かを変えていく」というものです。
現実創造を支えている、腹の底にある「信念・信条・思い込み」を書き換えていくという試みです。
いわゆる「ビリーフチェンジ」などのメソッドを活用することもできますし、ほんのちょっとしたところから変えてみる(たとえば、髪型を変える・日常的な習慣を変えるなど)ことを通して、「変化自体に慣れていく」という方法もあります。
もうひとつは、精神世界的なアプローチ。
これは、その「信念・信条・思い込み」を築き上げてきた自分が何者であるのか、何なのか、という、根本的なところに目を向けていくもの。
「本当の自分捜し」ではなく「偽りの自分剥がし」です。
この2つは、その試みも方法も大きくことなりますが、共通するのは、「それまでの人生で活用してきた思い込みとの決別」です。
実は、この「思い込みとの決別」こそが、『ヒャッハー!』なんですよね。
自分自身を苦しみの世界に縛り付けていた「思い込み」という鎖が取れて、自由へ向けて浮上する、『鎖取り(さとり)』の体験です。
「黒斎さんがよく言う、『自我の紡ぐストーリー』って、具体的にはどういうことですか?」
最近、そういったご質問をよくいただきます。
そこで今回はあらてめて、このお話をしたいと思います。
「思考は現実化する」という言葉は精神世界でよく目にするキーワードですが、ここでいう「思考」は、僕たちが日常的に使っている思考のことではありません。
前回のお話とリンクさせるなら、「頭(顕在意識)」が認識している思惑のことではなく、その顕在意識よりも、ずっと奥底にある思惑のことです。
たとえ顕在意識が「イヤだ」と感じていても、苦悩を継続させてしまう、腹の底にある力。
多くの場合、人は、この心の奥底でうごめくこの力に無自覚のまま生活しています。
「頭では不幸に抵抗しつつも、腹の底が不幸の継続を望んでいる」という、そのギャップが存在していることに気づくことがありません。
多分、人生の流れを好転させることができた人は、某かのきっかけを通じて、そのことに気づいたからこそ、その流れを変えることができたんだと思います。
「腹の底が不幸の継続を望む」
そう聞いても、「わたしは不幸を継続させようなんて、これっぽっちも思ってなんかいない」と感じられる方も多いと思います。
むしろ、状況を好転させようと努力を重ねているのに、と。
かつての僕もそうでした。
雲さんにいくら『この苦悩を長引かせているのは、お前自身の責任だよ』と言われても、「はい、そうですか」と素直にうなずけませんでした。
でも、雲さんが繰り返し説明してくれるにつれ、徐々にその理解が明確になってきました。
(  ̄Д ̄) 『お前はずっと、幸福を外に探してばかりで、自分の手の中にある不快の元を手放そうとしない。イヤだイヤだと言いながら、ウンコを握り締めているんだ。幸福を求めるな、不幸の側を手放せ』
そして、その言葉に続いて、この「不快さを自覚しているにも関わらず、人があえてウンコを握り締めてしまういくつかの理由」を教えてくれました。
このお話は、当時の僕にとってはとても新鮮なものでしたが、古くから色々な分野で語り継がれているものですので、すでにご存じの方も多いかとは思います。
もしかしたら、これから挙げる7つの理由の中に、あなたが握り締めているウンコがあるかもしれません。
【人が不幸を抱え続ける理由】
その1・制裁(抑圧)タイプ
自分自身が犯してしまった何らかの失敗を償うため、自分自身に罪を与えようとしてしまう。
常に何かに対しての罪悪感を感じていて、「わたしは幸福になってはいけない」という加害者意識をアイデンティティに組み込んでいる。
その2・転嫁タイプ
自分の中にある特定の感情の存在を認めたくない。そこから意識をそらすために、別な痛みや苦悩を創造してしまう。
その3・防衛(ひきこもり)タイプ
自分が不幸でいることで、やりたくないこと、合いたくない人、行きたくない所などから自分を遠ざけ守ろうとしている。
その4・利得(共依存)タイプ
自分が不幸な状況にあることで得られる利得を手放したくないため、その状況を継続させてしまう。
「病気でいることによって、周囲に優しくしてもらえる」や「関心を向けてもらえる」。
また、「貧困でいることによって、さまざまな保護・手当を受けることができる」など。
その5・復讐(クレーマー)タイプ
自分の惨めな状況を加害者に見せることによって、相手に精神的苦痛やプレッシャーを与えようとする復讐心。
または、何らかのカタチで納得のいく謝罪を得るため、取引の道具として不幸を利用しようとする。
悪いのは相手であって、正しさという優位性は私の手にあるということを握り締めてしまう被害者意識タイプ。
その6・抵抗(変化拒否)タイプ
不幸でいることが自分のアイデンティティ(個性)になってしまっていて、その個性が失われることで自分の存在自体が失われてしまう、もしくは否定されるような錯覚に取り込まれてしまっている。
その7・解離(トラウマ)タイプ
自分が不幸になってしまったと感じられるそのきっかけが、あまりにもショッキングすぎた場合に起こりえる。
改善・解決へ向けた行動・思索を行う際に、どうしてもその「起点」がフラッシュバックされてしまうため、思い出さないよう、あえて解決しないまま放置・継続するタイプ。
上記に挙げたような内容を、自分の経験した出来事と結び付けて記憶を形成してしまった場合、腹の底で苦悩の継続を望んでしまうという結果に繋がります。
顕在意識の「変わりたい・変えたい」という欲求と、腹の底にある「変わりたくない・変わるのが怖い・変わるはずがない」という思いは常にシーソーゲーム状態になっていて、多くの場合、腹の底にある力が、顕在意識の力を上回っています。
なので、本当に人生の流れを変えたい場合には、「腹の底にある不幸を継続させようとする力」を弱めるか、「顕在意識におけるモチベーション」を強化し、腹の底にある力を上回るか、はたまた、「変わるのが怖い」なんて言ってられなくなるぐらい徹底的にイヤになっちゃうか。そういったことが必要になってきます。
自身が保持している経験の記憶(信念・信条・思い込み)は、当然のことながら自分自身にとっては「現実」として捉えられているため、なかなか「自分自身ででっち上げたストーリー」などとは思えません。
また、その「現実(信念・信条・思い込み)」を否定することは、自分自身の人生の歩み自体を否定されるように感じられてしまうため、手放したり、書き換えたりすること自体に大きな不快感が生じます。
その不快感を味わいたくないがゆえに、そういった試みから遠ざかってしまいがちです。
精神世界や成功哲学などにおいて、数多くのテクニックやメソッドが紹介されているにも関わらず、なかなか思惑通りの結果を掴めずにいる人が多いのは、この不快感によるものがひとつの大きな要因です。
「人生を変える」というこのテーマに取り組むとき、その方向は大きく分けて2つです。
一つ目は、成功哲学的なアプローチ。
これは、「実際に何かを変えていく」というものです。
現実創造を支えている、腹の底にある「信念・信条・思い込み」を書き換えていくという試みです。
いわゆる「ビリーフチェンジ」などのメソッドを活用することもできますし、ほんのちょっとしたところから変えてみる(たとえば、髪型を変える・日常的な習慣を変えるなど)ことを通して、「変化自体に慣れていく」という方法もあります。
もうひとつは、精神世界的なアプローチ。
これは、その「信念・信条・思い込み」を築き上げてきた自分が何者であるのか、何なのか、という、根本的なところに目を向けていくもの。
「本当の自分捜し」ではなく「偽りの自分剥がし」です。
この2つは、その試みも方法も大きくことなりますが、共通するのは、「それまでの人生で活用してきた思い込みとの決別」です。
実は、この「思い込みとの決別」こそが、『ヒャッハー!』なんですよね。
自分自身を苦しみの世界に縛り付けていた「思い込み」という鎖が取れて、自由へ向けて浮上する、『鎖取り(さとり)』の体験です。