http://diamond.jp/articles/-/46500
欧米ではフロイト、ユングと並び「心理学界の三大巨頭」と称され、絶大な支持を誇るアルフレッド・アドラー。名著『人を動かす』のデール・カーネギーら自己啓発のメンターたちにも多大な影響を与えた彼の思想は、日本ではまだあまり知られていない。
そこで今回、日本アドラー心理学会顧問の岸見一郎氏とライターの古賀史健氏がタッグを組み、哲人と青年の対話篇形式によるまったく新しい古典『嫌われる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教え』を刊行した。いったいアドラーとはどんな人物で、どんな思想の持ち主なのか、共著者の古賀史健氏が解説する。
時代を100年先行した
知られざる巨匠
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」
20世紀の初頭、そんなことを唱えはじめた心理学者がいました。欧米でいまなお絶大な支持を誇り、フロイト、ユングと並ぶ「心理学界の三大巨頭」と称されるオーストリア出身の精神科医、アルフレッド・アドラーです。
欧米におけるアドラーの受け入れられ方は、フロイトやユングとは若干違います。たとえば、世界的ベストセラーの『人を動かす』や『道は開ける』で知られるデール・カーネギーは、アドラーのことを「一生を費やして人間とその潜在能力を研究した偉大な心理学者」と紹介し、彼の著作にはアドラーの思想が色濃く反映されています。また、スティーブン・コヴィーの『7つの習慣』でもアドラーの思想に近い内容が語られています。つまりアドラー心理学は、堅苦しい学問としてではなく、人間理解の真理、または到達点として、広く受け入れられているわけです。
しかし、「時代を100年先行した」といわれる彼の思想には、まだ時代が追いつききれていません。日本における知名度も、フロイトやユングと比べたらかなり限定的なものでしょう。彼の考えは、それほど先駆的なものでした。
本書『嫌われる勇気』は、そんなアドラーの画期的な思想を、架空の「哲人」と「青年」による対話篇のかたちを採りながら解き明かしていく一冊になります。それでは具体的に、アドラーはどんな思想の持ち主なのでしょうか?
もし、彼の思想をひと言で要約するなら、次のようになるかもしれません。
「世界」を変えるのは、他の誰でもない「わたし」である。
アドラーの思想を理解し、実践することができれば、確実に「世界」が変わります。そして「世界」を変えるのは、どこかの国の大統領でもなければ一部のエリート層でもなく、ただただ「わたし」なのです。
本書の中で哲人は、こんな話をしています。
哲人 いま、あなたの目には世界が複雑怪奇な混沌として映っている。しかし、あなた自身が変われば、世界はシンプルな姿を取り戻します。問題は世界がどうであるかではなく、あなたがどうであるか、なのです。
青年 わたしがどうであるか?
哲人 そう。もしかするとあなたは、サングラス越しに世界を見ているのかもしれない。そこから見える世界が暗くなるのは当然です。だったら、暗い世界を嘆くのではなく、ただサングラスを外してしまえばいい。そこに映る世界は強烈にまぶしく、思わずまぶたを閉じてしまうかもしれません。再びサングラスがほしくなるかもしれません。それでもなお、サングラスを外すことができるか。世界を直視することができるか。あなたにその“勇気”があるか、です。
青年 勇気?
哲人 ええ、これは“勇気”の問題です。
人は誰しも客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいる。それがアドラーの考え方です。つまり、たとえば過去のつらい出来事に対しても「なにがあったか」が問題なのではなく、「どう解釈するか」が問題なのだと考えます。ニーチェ的にいえば「客観的な事実など存在せず、主観的な解釈のみが存在している」とすることもできるでしょう。
この発想は、アドラー心理学の大きな特徴である「目的論」という考えのなかで、より鮮明になります。
たとえば、自室にずっと引きこもっている人がいたとき、フロイト的な発想では「不安だから、引きこもっている」というように考え、「両親に虐待を受け、愛情を知らないまま育った。だから他者と交わるのが怖いのだ」と結論づけるなど、その人が引きこもるに至った「原因」に注目します(原因論)。
しかしアドラー心理学では、その人が隠し持つ「目的」を考えていくのです(目的論)。再び本文から哲人と青年の対話を引きましょう。友人が引きこもりになっているという青年に対して、哲人は次のように語ります。
哲人 アドラー心理学では、過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考えます。
青年 いまの目的?
哲人 ご友人は「不安だから、外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情をつくり出している」と考えるのです。
青年 はっ?
哲人 つまり、ご友人には「外に出ない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえているのです。アドラー心理学では、これを「目的論」と呼びます。
青年 ご冗談を! 不安や恐怖をこしらえた、ですって? じゃあ先生、あなたはわたしの友人が仮病を使っているとでもいうのですか?
哲人 仮病ではありません。ご友人がそこで感じている不安や恐怖は本物です。場合によっては割れるような頭痛に苦しめられたり、猛烈な腹痛に襲われることもあるでしょう。しかし、それらの症状もまた、「外に出ない」という目的を達成するためにつくり出されたものなのです。
青年 ありえません! そんな議論はオカルトです!
引きこもりの人は「外に出ない」という目的をかなえるために、不安や恐怖などの感情をつくりあげている。これは即座に納得できる議論ではないでしょう。作中の青年も、すぐさま反発します。
青年 そこまで強くおっしゃるのなら、しっかり説明していただきましょう。そもそも、「原因論」と「目的論」の違いとはどういうことです?
哲人 たとえば、あなたが風邪で高熱を出して医者に診てもらったとします。そして医者が「あなたが風邪をひいたのは、昨日薄着をして出かけたからです」と、風邪をひいた理由を教えてくれたとしましょう。さて、あなたはこれで満足できますか?
青年 できるはずもないでしょう。理由が薄着のせいであろうと、雨に降られたせいであろうと、そんなことはどうでもいい。問題は、いま高熱に苦しめられているという事実であり、症状です。医者であるならば、ちゃんと薬を処方するなり、注射を打つなり、なにかしらの専門的処置をとって、治療してもらわなければなりません。
哲人 ところが原因論に立脚する人々、たとえば一般的なカウンセラーや精神科医は、ただ「あなたが苦しんでいるのは、過去のここに原因がある」と指摘するだけ、また「だからあなたは悪くないのだ」と慰めるだけで終わってしまいます。いわゆるトラウマの議論などは、原因論の典型です。
青年 ちょっと待ってください! つまり先生、あなたはトラウマの存在を否定されるのですか?
哲人 断固として否定します。
青年 なんと! 先生は、いやアドラーは、心理学の大家なのでしょう!?
哲人 アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します。ここは非常に新しく、画期的なところです。」
○トラウマを否定する
「目的論」とは
そう。いまや日常語になった感さえある「トラウマ」という言葉、そこから受ける影響を、アドラー心理学では明確に否定します。これがどれだけ斬新で過激な主張であるかは、おそらく心理学を専門に学んでこなかった方々(わたしもそのひとりです)にも理解していただけるでしょう。哲人はこう続けます。
哲人 たしかにフロイト的なトラウマの議論は、興味深いものでしょう。心に負った傷(トラウマ)が、現在の不幸を引き起こしていると考える。人生を大きな「物語」としてとらえたとき、その因果律のわかりやすさ、ドラマチックな展開には心をとらえて放さない魅力があります。
しかし、アドラーはトラウマの議論を否定するなかで、こう語っています。「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック――いわゆるトラウマ――に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と。
青年 目的にかなうものを見つけ出す?
哲人 そのとおりです。アドラーが「経験それ自体」ではなく、「経験に与える意味」によって自らを決定する、と語っているところに注目してください。
たとえば大きな災害に見舞われたとか、幼いころに虐待を受けたといった出来事が、人格形成に及ぼす影響がゼロだとはいいません。影響は強くあります。しかし大切なのは、それによってなにかが決定されるわけではない、ということです。われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。
トラウマなどない。われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。それがアドラーの主張であり、目的論です。
それでは具体的に、引きこもりの人はどんな「目的」を持って自室に引きこもっているのでしょうか。
青年 どうして外に出たくないのですか? 問題はそこでしょう!
哲人 では、あなたが親だった場合を考えてください。もしも自分の子どもが部屋に引きこもっていたら、あなたはどう思いますか?
青年 それはもちろん心配しますよ。どうすれば社会復帰してくれるのか、どうすれば元気を取り戻してくれるのか、そして自分の子育ては間違っていたのか。真剣に思い悩むだろうし、社会復帰に向けてありとあらゆる努力を試みるでしょう。
哲人 問題はそこです。
青年 どこです?
哲人 外に出ることなく、ずっと自室に引きこもっていれば、親が心配する。親の注目を一身に集めることができる。まるで腫れ物に触るように、丁重に扱ってくれる。
他方、家から一歩でも外に出てしまうと、誰からも注目されない「その他大勢」になってしまいます。見知らぬ人々に囲まれ、凡庸なるわたし、あるいは他者より見劣りしたわたしになってしまう。そして誰もわたしを大切に扱ってくれなくなる。……これなどは、引きこもりの人によくある話です。
引きこもることによって、周囲(特に家族)の注目を集め、特別な存在になろうとする。もし引きこもりをやめてしまったら、自分は誰からも注目されず、どこにでもいる「その他大勢」になってしまう。アドラー心理学の目的論は、過去の「原因」ではなく、いま現在の「目的」から人間理解を進めていくのです。
○過去になにがあったかなど関係ない
引きこもりの事例だけでは納得できない方のために、もうひとつの事例を挙げておきましょう。不登校やリストカットなどの問題行動についての考察です。
哲人 親から虐げられた子どもが非行に走る。不登校になる。リストカットなどの自傷行為に走る。フロイト的な原因論では、これを「親がこんな育て方をしたから、子どもがこんなふうに育った」とシンプルな因果律で考えるでしょう。植物に水をあげなかったから、枯れてしまったというような。たしかにわかりやすい解釈です。
しかし、アドラー的な目的論は、子どもが隠し持っている目的、すなわち「親への復讐」という目的を見逃しません。自分が非行に走ったり、不登校になったり、リストカットをしたりすれば、親は困る。あわてふためき、胃に穴があくほど深刻に悩む。子どもはそれを知った上で、問題行動に出ています。過去の原因(家庭環境)に突き動かされているのではなく、いまの目的(親への復讐)をかなえるために。
青年 親を困らせるために、問題行動に出る?
哲人 そうです。たとえばリストカットをする子どもを見て「なんのためにそんなことをするんだ?」と不思議に思う人は多いでしょう。しかし、リストカットという行為によって、周囲の人――たとえば親――がどんな気持ちになるのかを考えてみてください。そうすれば、おのずと行為の背後にある「目的」が見えてくるはずです。
青年 ……目的は、復讐なのですね。
フロイト的な原因論を否定し、トラウマの影響を否定し、自分の行動を目的論の立場でとらえなおすことは、かなり厳しい作業だと思います。
極端な話、原因論に立てば「いまの自分がこうなのは、親のせいだ」とか「生まれ育った環境のせいだ」と、責任転嫁することができます。
一方、アドラー的な目的論は、責任転嫁を許しません。「こんな自分」を選んだのは他ならぬ自分であり、なんらかの目的――たとえば努力をしたくないとか、失敗して恥をかきたくないとか、「やればできる」という可能性を残しておきたいとか――をかなえるために「こんな自分」であり続けている、と考えるのが目的論だからです。正面から受け止めるには、かなりの時間と勇気とを必要とする議論でしょう。
しかし、こう考えてください。アドラーの目的論は「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない」といっているのです。過去など存在しないし、トラウマも存在しない。あなたは「いま」、ここで自分の人生を選ぶことができるのだと。
われわれはタイムマシンで過去にさかのぼることなどできません。原因論の立場に立って「あんな家庭に生まれ育ったから」とか「あんな大学しか出てないから」と考えていたら、物事は一歩も前に進まないはずです。
原因論を切り捨て、目的論を受け入れる勇気を持ちえたときにこそ、はじめて自分を変えるチャンスが出てくるのです。
前編となる今回は「目的論」の話だけで紙幅が尽きてきました。次回の後編では、冒頭に紹介した「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」という言葉を出発点に、人生の悩みを一気に解決させる具体的方策を紹介していきたいと思います。
【編集部からのお知らせ】
岸見一郎/古賀史健著『嫌われる勇気──自己啓発の源流「アドラー」の教え』
【内容紹介】
定価(本体1500円+税)、46判並製、296ページ、ISBN:978-4-478-02581-9
世界的にはフロイト、ユングと並ぶ心理学界の三大巨匠とされながら、日本国内では無名に近い存在のアルフレッド・アドラー。
「トラウマ」の存在を否定したうえで、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言し、対人関係を改善していくための具体的な方策を提示していくアドラー心理学は、現代の日本にこそ必要な思想だと思われます。
本書では平易かつドラマチックにアドラーの教えを伝えるため、哲学者と青年の対話篇形式によってその思想を解き明かしていきます。
【本書の主な目次】
第1夜 トラウマを否定せよ
第2夜 すべての悩みは対人関係
第3夜 他者の課題を切り捨てる
第4夜 世界の中心はどこにあるか
欧米ではフロイト、ユングと並び「心理学界の三大巨頭」と称され、絶大な支持を誇るアルフレッド・アドラー。名著『人を動かす』のデール・カーネギーら自己啓発のメンターたちにも多大な影響を与えた彼の思想は、日本ではまだあまり知られていない。
そこで今回、日本アドラー心理学会顧問の岸見一郎氏とライターの古賀史健氏がタッグを組み、哲人と青年の対話篇形式によるまったく新しい古典『嫌われる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教え』を刊行した。いったいアドラーとはどんな人物で、どんな思想の持ち主なのか、共著者の古賀史健氏が解説する。
時代を100年先行した
知られざる巨匠
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」
20世紀の初頭、そんなことを唱えはじめた心理学者がいました。欧米でいまなお絶大な支持を誇り、フロイト、ユングと並ぶ「心理学界の三大巨頭」と称されるオーストリア出身の精神科医、アルフレッド・アドラーです。
欧米におけるアドラーの受け入れられ方は、フロイトやユングとは若干違います。たとえば、世界的ベストセラーの『人を動かす』や『道は開ける』で知られるデール・カーネギーは、アドラーのことを「一生を費やして人間とその潜在能力を研究した偉大な心理学者」と紹介し、彼の著作にはアドラーの思想が色濃く反映されています。また、スティーブン・コヴィーの『7つの習慣』でもアドラーの思想に近い内容が語られています。つまりアドラー心理学は、堅苦しい学問としてではなく、人間理解の真理、または到達点として、広く受け入れられているわけです。
しかし、「時代を100年先行した」といわれる彼の思想には、まだ時代が追いつききれていません。日本における知名度も、フロイトやユングと比べたらかなり限定的なものでしょう。彼の考えは、それほど先駆的なものでした。
本書『嫌われる勇気』は、そんなアドラーの画期的な思想を、架空の「哲人」と「青年」による対話篇のかたちを採りながら解き明かしていく一冊になります。それでは具体的に、アドラーはどんな思想の持ち主なのでしょうか?
もし、彼の思想をひと言で要約するなら、次のようになるかもしれません。
「世界」を変えるのは、他の誰でもない「わたし」である。
アドラーの思想を理解し、実践することができれば、確実に「世界」が変わります。そして「世界」を変えるのは、どこかの国の大統領でもなければ一部のエリート層でもなく、ただただ「わたし」なのです。
本書の中で哲人は、こんな話をしています。
哲人 いま、あなたの目には世界が複雑怪奇な混沌として映っている。しかし、あなた自身が変われば、世界はシンプルな姿を取り戻します。問題は世界がどうであるかではなく、あなたがどうであるか、なのです。
青年 わたしがどうであるか?
哲人 そう。もしかするとあなたは、サングラス越しに世界を見ているのかもしれない。そこから見える世界が暗くなるのは当然です。だったら、暗い世界を嘆くのではなく、ただサングラスを外してしまえばいい。そこに映る世界は強烈にまぶしく、思わずまぶたを閉じてしまうかもしれません。再びサングラスがほしくなるかもしれません。それでもなお、サングラスを外すことができるか。世界を直視することができるか。あなたにその“勇気”があるか、です。
青年 勇気?
哲人 ええ、これは“勇気”の問題です。
人は誰しも客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいる。それがアドラーの考え方です。つまり、たとえば過去のつらい出来事に対しても「なにがあったか」が問題なのではなく、「どう解釈するか」が問題なのだと考えます。ニーチェ的にいえば「客観的な事実など存在せず、主観的な解釈のみが存在している」とすることもできるでしょう。
この発想は、アドラー心理学の大きな特徴である「目的論」という考えのなかで、より鮮明になります。
たとえば、自室にずっと引きこもっている人がいたとき、フロイト的な発想では「不安だから、引きこもっている」というように考え、「両親に虐待を受け、愛情を知らないまま育った。だから他者と交わるのが怖いのだ」と結論づけるなど、その人が引きこもるに至った「原因」に注目します(原因論)。
しかしアドラー心理学では、その人が隠し持つ「目的」を考えていくのです(目的論)。再び本文から哲人と青年の対話を引きましょう。友人が引きこもりになっているという青年に対して、哲人は次のように語ります。
哲人 アドラー心理学では、過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考えます。
青年 いまの目的?
哲人 ご友人は「不安だから、外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情をつくり出している」と考えるのです。
青年 はっ?
哲人 つまり、ご友人には「外に出ない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえているのです。アドラー心理学では、これを「目的論」と呼びます。
青年 ご冗談を! 不安や恐怖をこしらえた、ですって? じゃあ先生、あなたはわたしの友人が仮病を使っているとでもいうのですか?
哲人 仮病ではありません。ご友人がそこで感じている不安や恐怖は本物です。場合によっては割れるような頭痛に苦しめられたり、猛烈な腹痛に襲われることもあるでしょう。しかし、それらの症状もまた、「外に出ない」という目的を達成するためにつくり出されたものなのです。
青年 ありえません! そんな議論はオカルトです!
引きこもりの人は「外に出ない」という目的をかなえるために、不安や恐怖などの感情をつくりあげている。これは即座に納得できる議論ではないでしょう。作中の青年も、すぐさま反発します。
青年 そこまで強くおっしゃるのなら、しっかり説明していただきましょう。そもそも、「原因論」と「目的論」の違いとはどういうことです?
哲人 たとえば、あなたが風邪で高熱を出して医者に診てもらったとします。そして医者が「あなたが風邪をひいたのは、昨日薄着をして出かけたからです」と、風邪をひいた理由を教えてくれたとしましょう。さて、あなたはこれで満足できますか?
青年 できるはずもないでしょう。理由が薄着のせいであろうと、雨に降られたせいであろうと、そんなことはどうでもいい。問題は、いま高熱に苦しめられているという事実であり、症状です。医者であるならば、ちゃんと薬を処方するなり、注射を打つなり、なにかしらの専門的処置をとって、治療してもらわなければなりません。
哲人 ところが原因論に立脚する人々、たとえば一般的なカウンセラーや精神科医は、ただ「あなたが苦しんでいるのは、過去のここに原因がある」と指摘するだけ、また「だからあなたは悪くないのだ」と慰めるだけで終わってしまいます。いわゆるトラウマの議論などは、原因論の典型です。
青年 ちょっと待ってください! つまり先生、あなたはトラウマの存在を否定されるのですか?
哲人 断固として否定します。
青年 なんと! 先生は、いやアドラーは、心理学の大家なのでしょう!?
哲人 アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します。ここは非常に新しく、画期的なところです。」
○トラウマを否定する
「目的論」とは
そう。いまや日常語になった感さえある「トラウマ」という言葉、そこから受ける影響を、アドラー心理学では明確に否定します。これがどれだけ斬新で過激な主張であるかは、おそらく心理学を専門に学んでこなかった方々(わたしもそのひとりです)にも理解していただけるでしょう。哲人はこう続けます。
哲人 たしかにフロイト的なトラウマの議論は、興味深いものでしょう。心に負った傷(トラウマ)が、現在の不幸を引き起こしていると考える。人生を大きな「物語」としてとらえたとき、その因果律のわかりやすさ、ドラマチックな展開には心をとらえて放さない魅力があります。
しかし、アドラーはトラウマの議論を否定するなかで、こう語っています。「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック――いわゆるトラウマ――に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と。
青年 目的にかなうものを見つけ出す?
哲人 そのとおりです。アドラーが「経験それ自体」ではなく、「経験に与える意味」によって自らを決定する、と語っているところに注目してください。
たとえば大きな災害に見舞われたとか、幼いころに虐待を受けたといった出来事が、人格形成に及ぼす影響がゼロだとはいいません。影響は強くあります。しかし大切なのは、それによってなにかが決定されるわけではない、ということです。われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。
トラウマなどない。われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。それがアドラーの主張であり、目的論です。
それでは具体的に、引きこもりの人はどんな「目的」を持って自室に引きこもっているのでしょうか。
青年 どうして外に出たくないのですか? 問題はそこでしょう!
哲人 では、あなたが親だった場合を考えてください。もしも自分の子どもが部屋に引きこもっていたら、あなたはどう思いますか?
青年 それはもちろん心配しますよ。どうすれば社会復帰してくれるのか、どうすれば元気を取り戻してくれるのか、そして自分の子育ては間違っていたのか。真剣に思い悩むだろうし、社会復帰に向けてありとあらゆる努力を試みるでしょう。
哲人 問題はそこです。
青年 どこです?
哲人 外に出ることなく、ずっと自室に引きこもっていれば、親が心配する。親の注目を一身に集めることができる。まるで腫れ物に触るように、丁重に扱ってくれる。
他方、家から一歩でも外に出てしまうと、誰からも注目されない「その他大勢」になってしまいます。見知らぬ人々に囲まれ、凡庸なるわたし、あるいは他者より見劣りしたわたしになってしまう。そして誰もわたしを大切に扱ってくれなくなる。……これなどは、引きこもりの人によくある話です。
引きこもることによって、周囲(特に家族)の注目を集め、特別な存在になろうとする。もし引きこもりをやめてしまったら、自分は誰からも注目されず、どこにでもいる「その他大勢」になってしまう。アドラー心理学の目的論は、過去の「原因」ではなく、いま現在の「目的」から人間理解を進めていくのです。
○過去になにがあったかなど関係ない
引きこもりの事例だけでは納得できない方のために、もうひとつの事例を挙げておきましょう。不登校やリストカットなどの問題行動についての考察です。
哲人 親から虐げられた子どもが非行に走る。不登校になる。リストカットなどの自傷行為に走る。フロイト的な原因論では、これを「親がこんな育て方をしたから、子どもがこんなふうに育った」とシンプルな因果律で考えるでしょう。植物に水をあげなかったから、枯れてしまったというような。たしかにわかりやすい解釈です。
しかし、アドラー的な目的論は、子どもが隠し持っている目的、すなわち「親への復讐」という目的を見逃しません。自分が非行に走ったり、不登校になったり、リストカットをしたりすれば、親は困る。あわてふためき、胃に穴があくほど深刻に悩む。子どもはそれを知った上で、問題行動に出ています。過去の原因(家庭環境)に突き動かされているのではなく、いまの目的(親への復讐)をかなえるために。
青年 親を困らせるために、問題行動に出る?
哲人 そうです。たとえばリストカットをする子どもを見て「なんのためにそんなことをするんだ?」と不思議に思う人は多いでしょう。しかし、リストカットという行為によって、周囲の人――たとえば親――がどんな気持ちになるのかを考えてみてください。そうすれば、おのずと行為の背後にある「目的」が見えてくるはずです。
青年 ……目的は、復讐なのですね。
フロイト的な原因論を否定し、トラウマの影響を否定し、自分の行動を目的論の立場でとらえなおすことは、かなり厳しい作業だと思います。
極端な話、原因論に立てば「いまの自分がこうなのは、親のせいだ」とか「生まれ育った環境のせいだ」と、責任転嫁することができます。
一方、アドラー的な目的論は、責任転嫁を許しません。「こんな自分」を選んだのは他ならぬ自分であり、なんらかの目的――たとえば努力をしたくないとか、失敗して恥をかきたくないとか、「やればできる」という可能性を残しておきたいとか――をかなえるために「こんな自分」であり続けている、と考えるのが目的論だからです。正面から受け止めるには、かなりの時間と勇気とを必要とする議論でしょう。
しかし、こう考えてください。アドラーの目的論は「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない」といっているのです。過去など存在しないし、トラウマも存在しない。あなたは「いま」、ここで自分の人生を選ぶことができるのだと。
われわれはタイムマシンで過去にさかのぼることなどできません。原因論の立場に立って「あんな家庭に生まれ育ったから」とか「あんな大学しか出てないから」と考えていたら、物事は一歩も前に進まないはずです。
原因論を切り捨て、目的論を受け入れる勇気を持ちえたときにこそ、はじめて自分を変えるチャンスが出てくるのです。
前編となる今回は「目的論」の話だけで紙幅が尽きてきました。次回の後編では、冒頭に紹介した「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」という言葉を出発点に、人生の悩みを一気に解決させる具体的方策を紹介していきたいと思います。
【編集部からのお知らせ】
岸見一郎/古賀史健著『嫌われる勇気──自己啓発の源流「アドラー」の教え』
【内容紹介】
定価(本体1500円+税)、46判並製、296ページ、ISBN:978-4-478-02581-9
世界的にはフロイト、ユングと並ぶ心理学界の三大巨匠とされながら、日本国内では無名に近い存在のアルフレッド・アドラー。
「トラウマ」の存在を否定したうえで、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言し、対人関係を改善していくための具体的な方策を提示していくアドラー心理学は、現代の日本にこそ必要な思想だと思われます。
本書では平易かつドラマチックにアドラーの教えを伝えるため、哲学者と青年の対話篇形式によってその思想を解き明かしていきます。
【本書の主な目次】
第1夜 トラウマを否定せよ
第2夜 すべての悩みは対人関係
第3夜 他者の課題を切り捨てる
第4夜 世界の中心はどこにあるか