最後の恋に出会う極意◆アルテイシア対談3

2006年07月30日 05時25分49秒 | Weblog
今注目の恋愛作家アルテイシアさんと対談。大手広告代理店につとめる元キャリアOLであり、モテ女だった彼女は、人生で59番目に口説かれたモテない病をこじらせオタク男子(通称=59番)とまさかの純愛に落ちて恋愛観が変化していく。その実体験をつづった『59番目のプロポーズ』『続・59番目のプロポーズ』が大ヒット。著書同様、本対談でもさまざまな恋愛経験から、血も涙も流して学んだ彼女の恋愛の極意が炸裂しました。最終回となる第三弾は、いよいよ「いい男との出会い方、恋の育み方」についてディープに語り倒します。

芳麗:
最初に「今は恋愛戦国時代だ」ってアルテイシアさんはいってましたけど、ホント、その通りだなと思うんです。恋愛にマメな男はいるけど、マメなだけでいまいち面白みや深みにかけたりするし……。確固たる自分の世界を持っている男は魅力的だけど、恋愛においてはダメ男だったりする。個人としての魅力をちゃんともっていて、なおかつ愛情深くて、生身の女とちゃんと向き合ってくれる気概のある男って本当にいるのかな? 出会えるのかな?って思っちゃいますね(笑)。       

アルテイシア(以下、アル):
いなくはないけど、少ないですよね。深い愛情も魅力も揃ってる男の人っていうのは……。だから、奪い合いになる(笑)。

芳麗:
どうすればいんでしょう(笑)。

アル:
私が思うに、狙い目は一見、ダサい男! デブとかハゲとか!外見的なコダワリは捨てたら、いい男の数っていきなり増えると思うんです。何か、表面的なところで「食べ方が汚い」とか、「服装がダサい」っていうのも別にどうでもいいじゃないですか! 彼の人間そのものが悪いわけじゃない。年収とか職歴とかのスペックも必要ないと思う。ダサいけど女を深く愛せる男と、スペックがよくても女をゴミみたいに捨てる男と、どっちが人間として高級やねん!っていう話ですよね。    

芳麗:
たしかに……。スペックのいい男には傲慢な人が多いし、外見的なコンプレックスがあったり、モテない男って、心に傷を負ってる分、人の痛みも分かる愛情深い人も多いっていう傾向はありますよね。

“自分マニア”になってくれる男は希少価値

アル:
そうなんですよ。外見に難があっても、内面のある男のほうが絶対高級ですよ。それと、いわゆるマメな男じゃなくてもいいから、“自分マニア”になってくれる男がいいと思う。

芳麗:
どういう意味での“自分マニア”ですか?

アル:
たとえば、59番は私にはめっちゃ優しいけど、他の女の子には全然ウケようとしないんですよ。そもそも彼の中には、「女にモテようとするのはカッコ悪い」っていう確固たる美学があるから。「女の尻を追いかけるなら死んだほうがマシ」、「私以外の女は敵だ!」くらいの勢いなんです(笑)。だから他の誰にもマメじゃないけど、私にだけはすごくマメ。すべての女に対する労力が私ひとりに注がれるからマメなんです。“女好き”ではないからこそ、“私好き”になってくれる。こういう“自分マニア”と恋愛したらすごく幸せですよ。

芳麗:
うらやましい(笑)

アル:
それとね、ブサイクくん以外には、年下も狙い目だと思います。

次のページでは、30代女性にとって、新オススメ男の基準について、熱く語ります。

新オススメ男のキーワードは“年下”と“自営業”?!
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プレデターマニアの59番さん。
ある映画会社のえらい方から送っていただいた、世界に数対しかないプレデターフィギュアとアルテイシアさんとの2ショット!

アル:
最近、仲よくしている24歳の男友だちがいるんですけど、いいですよ~。彼はバーテンやってるんだけど、女に対する変な固定観念がないから話してて楽しいし、年上だからといって敬ってもくれるし。年下だけど、社会人経験は長いから成熟もしている。彼自身もそうだけど、こういうシッカリ者の若者に限って年上の女が好きみたい。「僕、年上で仕事頑張ってる女の人を見ると、フォローしたくなるんです」なんて泣かせることを言うんです(笑)。以前の私だったら、「24歳でバーテンはちょっと……」とか、「やっぱり企業でバリバリ仕事してる男じゃないと」とか思ってたけど、今は、もし、59番がいなかったら、こういう子がいいなぁって思いますよ。安定した立場や年収があるサラリーマンとは仕事の話ができたとしても、人として根本の話ができなかったりする。

芳麗:
本当にそう。人として根本の価値観がマッチしてないと、伴侶としては考えられないですよね。

アル:
そうなんです。OL時代に一部上場のサラリーマンとさんざんコンパしてきて気づいたのは、私には会社員より独立して仕事をしている男の人のほうが価値観が合うってこと。ダンナだけじゃなく、さっき話したバーテンの子とか、フリーでデザイナーをやっている人とか。一部上場企業のエリートくんって、人の言うことに流される才能がある人たちなんですよ。勉強していい大学入って、いい会社に入るって……世間の価値観に合わせて生きてきた人だから。でもね、私は逆なんです。「女はこうあれ!」っていう世間の常識にずっと反発して生きてきたところがあるから、彼らとは根本的に合わないんだなぁって。その事実に最近になってハッキリ気づいた。

芳麗:
なるほど。アルテイシアさんに限らず、一生懸命働いている女子って、少なからず、「とりあえず嫁に行くべき」とか、「女とはこうあるもの」みたいな世間の古い枠組みに反発して生きているところがあるから……。いわゆる、世間的な価値観に縛られている男とは合わないのかもしれないですね。会社員の男と合わないというよりも、世間の枠組にとらわれてる人とは相性悪いのかも。

アル:
そう。その点、うちのダンナは私と根本が近い。周りに「何でそんなバカみたいに格闘技ばっかりしてるの?」って言われながらも、自分のやりたいことを貫いてきた人だから、根っこの価値観が合ってるんだと思う。

出会うための努力はいらない


芳麗:
そうですね。ただ、現実問題としてアルテイシアさんと彼みたいな出会いって少ないと思う。普通に会社でバリバリ働いている女子が、自分マニアになってくれるような純情で愛情深い男子や、世間の価値観に縛られない感性の柔らかい年下と出会う機会ってなかなかない気がするんですけど。

アル:
たしかに、そういう人はコンパにはいないし(笑)。59番は柔術の道場に通っていて、そこに通ってる男の人たちは、みんな一本気でステキなんですよ。でも、彼らはコンパやキャバクラには決していかないですからね。会社帰りに道場に直行して、夜11時とか12時まで練習しているから(笑)

芳麗:
それは出会えないですねぇ(笑)

アル:
そう。でも、我々の場合、近所のバーで出会いましたけどね。社会的な鎧を脱いでいる時に、偶然出会えたというか……。何かね、出会いとか恋愛って、努力したら報われるとは思わないほうがいいと思うんです。「モテればいいってわけじゃない」って最初の話題ででましたけど……。私は59番と出会う前、彼氏のいない16ヶ月の間に、16人の男子とデートしてるんですよ。後で思いなおすと、月に1人ペースで新しい人が登場してるから、出会いがないわけじゃないのに、どの人ともダメで……。もう世の中にはいい男がいないか、私に問題があるんだって絶望していた。

芳麗:
そんな時に59番さんと出会えた。

アル:
うん。「この人だ!」って思える人と、出会えるどうかは偶然なんだなぁって思ったんです。私みたいにコンパとか友だちの紹介とかパーティーにマメに通っても、出会えない時は出会えない。何かそれよりも大切なのは普段の“生きる姿勢”のような気がするんです。

芳麗:
“生きる姿勢”……。

アル:
普通に生きている中で、出会った男の人の本質をちゃんと見られるかとか、いかに偶然の出会いから化学反応を起こせるかとか。自分なりの魅力……女としてモテるだけでなく、人間としてのオモシロさとかも大事だろうし。出会う確率を高めるには、そういう普段の“生きる姿勢”のほうが、コンパに100回行くよりも大切やと思います。自分の表面を取り繕いながら、条件とか見た目とかで男の人を選んでたら、いつまで経っても素の自分とピッタリな彼なんて見つからないから。


でも、どうすれば、そんなイイ男と出会えるんだろう。その対策は、次のページで語っています。

最初はセックス対象だとは思えなかった
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噂のドラマ化は7月11日、日本テレビ系列で放映決定!アルテイシアさん役は藤原紀香さん、59番さん役はナント陣内智則さん! 原作とは異なるエピソードなどが加わり、まったく新しい魅力が味わえそう。


芳麗:
うーん……グッときますねぇ(笑)。でも、条件とか見た目とか、男の人に対する外見的なコダワリってどうしたら取り払えるのかな。みんな固定観念として根強く持ってるでしょう。私の場合、お金とか地位とか、スペックは別に気にならないけど、外見とか、生理的な部分って拭いきれない(笑)。30過ぎて、そんなとこに捕らわれ過ぎちゃいか~ん!と思いつつ。でも、女ってどうしても、出会い頭に「この人とキスできるのかなぁ」って考えて恋愛対象かどうか決めちゃうところあるから。

アル:
そもそも、みんな第一印象で決めすぎなんですよ。みんな、今まで付き合ってきた彼氏って初対面でグッときた人ばかりじゃなかったでしょ? 職場とかで出会って。最初は何とも思わなかったけど、人柄に惹かれて付き合うってこともあったはず。

芳麗:
それはその通りです(苦笑)

アル:
私の場合、そもそも59番は恋愛対象じゃなかったから、恋愛の査定をする目で付き合ってなかったのが良かったんだと思う。素の自分で接して、マンガとかアニメの話とか、単純に会話するのが楽しかった。まずは彼との会話を楽しんで、人として好きになってから、男女として付き合うことになったから、いい流れに乗れた気がします。低いテンションから始まったからこそ、今もテンションも上がっていくいっぽうだし……。いきなり恋愛から始まると、恋は盲目になって、恋愛感情が醒めてからダメ出しが始まっちゃう。恋愛って時間が経つごとに減点法になりがちだけど、私と59番の場合、最初は全然恋愛対象じゃなかったからこそ、加点法の恋愛になってるんだと思う。

芳麗:
性急な男女関係より、まずは人間付き合いが大切って。年々私もそう思いますね(笑)。でも、最初に性的な魅力を感じなかった男子に対して、後から性欲ってわいてくるものなのかな? 素朴かつ、ストレートな質問ですけど(笑)

アル:
友だちにも聞かれました。「彼と69できるの?」って。正直、最初はイメージできなかったです。「セックスしたいとは思えない」って答えてたんだけど(笑)。男とか女とか関係なく、一緒にいたらどんどんいいところが見えてきて、そしたら自然にしたくなりましたね。

続いて、本当に幸せな恋愛に出会う極意!


熱いディープキスよりも幸せな恋に必要なこと


芳麗:
キッカケは何かあったんですか?

アル:
59 番と出会った年のクリスマスの夜、私は過去の男に再会して情緒不安定になっていたんです……。それで59番に「私なんか好きになるもんじゃないよ」みたいなネガティヴなメールをしたんです。そしたら彼が家に飛んできて、私のベッドの横で三角座りして、「寝るまでココにいるから」って……。普通、弱ってる女にはまず手を出すじゃないですか、男って!(笑) 何でこんなにいい奴なんだろうって思ったし、すごく頼りになるし、四の五の言わないし、男を感じたんですよね。ああ、彼とセックスしたいなぁって思えた。

芳麗:
ものすごく自然な気持ちの盛り上がりですね。

アル:
そうなんです。私の周囲って未婚と離婚がすごく多い。早く結婚してる女子は離婚しているし、結婚して上手くいってるカップルって2組しかいないの。その2組の共通項は「最初はあんまり盛り上がっていなかった」こと。そのうち1人は、ある会社の役員までしているキャリアな子なんだけど、今のダンナとは初デートでいきなり雑居ビルの餃子屋に連れて行かれたりしてムードがまったくなかったんです。押尾学が好みなのに、彼の顔は小川直也みたいだし(笑)。最初はありえないって思ってたけど、会うたびに少しづつ好きになって結婚して。今、彼女は34歳、結婚4年目にしてなお「どんどん好きになっていく」っていうんです。

芳麗:
理想的ですよね。いきなり燃えあがる恋愛感情って、消えるのも早いですもんね。それよりもトロ火で育んだ愛情のほうが長持ちするのかな。

アル:
恋愛の最初なんてね、ぶっちゃけ手が触れるだけで濡れるわけでしょ?(笑)。「いきなりディープキス!」みたいな恋愛も時間が経てば、絶対に乾いていく。あの濡れる感覚って、恋愛初期ならではのファンタジーだから。それだけにしがみつくと、恋愛の後期が面白くなくなると思う。

芳麗:
いきなり酔いしれる恋愛には要注意。第一印象から、恋愛を意識しすぎないで男の人を見るって大切なんですね。

アル:
ホント、恋愛相手を探す目だけで周囲を見ないほうがいい。恋愛っていうフィルターをかけて男の人を見ると、しょうもない外的な要因を過大評価しちゃったり、内面の長所を過少評価しちゃうから。まぁ、「伴侶が欲しい、愛が欲しい!」っていう想いはみんなの本能だし、抑えようがないのは、私自身よーく分かるけど(笑)。人と出会った時は、恋愛フィルターをなるべくハズして見られるといい。社会的な鎧を脱いで素の自分が一緒にいて心地いい相手が見つかると思う。

芳麗:
それこそが、「普段の生きる姿勢」なんですよね。なんかね、いち女子として元気出ました(笑)

アル:
もうちょっと恋愛しやすい時代になってほしいなと思いますね。

*さて、アルテイシアさんとの対談シリーズはいかがでしたか?
ガイド的には思い入れのあるシリーズであり、また、感想のメールを数多くいただいたコラムでした。アルテイシアさんとの爆笑しながらも実感のこもったトークの連発に考えさせられることしきり。やっぱり恋愛とは奥深いものですね。次回からもまた、心新たに、実感のこもった30女の恋愛コラムをかいていきたいと思います!

■本日の恋の栄養素

『続 59番目のプロポーズ』
たったひとつの愛を捜し当て、健気に育もうとする。リアルで純なラブストーリーとしても面白いけれど、アルテイシアさんと59番さんのテンポのいい会話を楽しむにもナイス。好きな人とたくさん会話したくなります!
http://allabout.co.jp/relationship/womenlove/closeup/CU20060705A/index.htm

30女がダメ男に喝◆アルテイシア対談2

2006年07月30日 05時14分16秒 | Weblog
手にしているには、話題を呼んだデビュー作『59番目のプロポーズ』。女子はもちろん、男子も泣ける(そして笑える)ラブストーリー!
今注目の恋愛作家アルテイシアさんと対談。「モテと結婚の違い」についてお送りした第一弾に続き、第二弾は「ダメ男といい男の見分け方」について、トークはますます白熱。どういう人がダメ男かなんて一概には言えない。どんな男にもダメなとこもいいところもある。けれど、恋愛において、女の視点から見たダメ男はやっぱりいる。 仕事はできてカッコよくて優しくて……世間的にはいい男だけど、恋愛では人でなしになれる男、誠実な顔して天然で浮気性な男、身勝手な不倫願望を押しつける男……。さまざまな男と真剣に向き合い傷ついてきたアルテイシアさんだからこそ、「ダメ男とは付き合って欲しくない!」と本気で女子に語りかける。最後には、“オタク・モテない病”をこじらせていた彼(通称=59番)を伴侶に選び、「最高に幸せ。いくら一緒にいても飽きない」ほどラブに満ちた生活を送っているアルテイシアさんの男性観とは? 30女にとって本当にいい男ってどういう人?

芳麗:
恋愛の悩みって大人になっても尽きないというか、30超えると、ますます深くなりますよね。中でも、「いい男がいない」っていう悩みはけっこう深刻!

アルテイシア(以下、アル):
みんな、「いい男がいない」って「夏は暑い」くらいの常識としていいますよね(笑)。私の周囲の女の人って仕事はできるし、キレイでモテるし、性格もいいのに彼氏がいないっていう人が多いですよ。もしくは彼氏がいても、いい女に限って不誠実なダメ男とくっついてヒドイ目にあっていたり。恋愛が難しい、まるで恋愛戦国時代みたいやなって思います。

芳麗:
たしかに恋愛戦国時代かも(笑)。アルテイシアさんの実経験をもとにした著書『59番目のプロポーズ』は、『AERA』や『読売新聞』でも取り上げられて、「キャリア女とオタク男の恋愛がキテる!」みたいな感じで話題になりましたよね。すごく表面的ですけど、やっぱり読者には希望になったと思うんです。同世代の女子はみんな、本を読んで「実は意外なところにいい男がいるのかなぁ」って単純に思ったはず。「オタクって狙い目?」みたいな(笑)

アル:
オタク全般ではないけど、たしかに、オタクの中にもいい男はいるとは思います。個人的な相性もあるし、その女性がオタクの中の“いい男”に気づくか気づかないかもあるけど。

芳麗:
たしかに(笑)。恋愛の経験をある程度積んでいる女子はみんなぶち当たる疑問だと思うけど、そもそも、“いい男”って何なんでしょうねぇ。

本当のいい男ってどういう人?

アル:
いい男の基準って、経験とともに変わりますよね。私の場合も、59番目と出会って変わって行ったんですよ。いい男の定義が。たとえば、以前の私は仕事ができる男が好きだったけど、過去のツライ恋愛経験上、「仕事ができる男は仕事しかできない男」だってことも分かったし(笑)。「老舗旅館にお泊まりする」とか、「いい車で夜景の見えるレストラン!」みたいなお姫様扱いのデートも20代の頃に経験したから、そのしょうもなさが分かる。恋愛への憧れとか、男にスペックを求める気持ちが無くなった頃に59番(=今の彼)と出会えたから、その良さがよく分かった。素で話してて楽しいとか、絶対的に自分を思ってくれるとか、自分にとって本当に大切なものをもってる59番って、いい男だなぁって思えたんです。

芳麗:
いろんな恋愛を経験してきたからこそ、59番さんの良さにも気づけた?

アル:
そうですね。25歳くらいの編集者の女子が「いいなぁ。私も59番さんみたいな人と恋したい」って言ってたけど、本当にできるか?って聞きたい(笑)。だって、出会った時、59番は肩パット入りのトレンチコート着てたんですよ。体もいかつくて、肉体労働者だろうなって思ってたし。いざ、初デートした時も、最初に行くお店も決めてないし、御会計では「7800円ですよ」ってレシートを突きつけるし。一般的な25歳の女子には無理でしょ?(笑)

芳麗:
うん。25歳の私なら即刻、絶対に無理ですね(笑)。

アル:
でも、そこで30目前のアルテイシアは気づいたんです。「男にお店を予約して欲しい」「御会計はスマートにすませてほしい」みたいな女側の願いって、実は、男が女に「肉じゃが作ってほしい」っていうのと同じなんですよね。

芳麗:
身勝手なファンタジーを異性に求めているという点で一緒。

アル:
そう。それに気づいてから変わりましたね。

次のページでは、ダメ男といい男の新基準について、熱く語ります。

モテたい男はダメ男?
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噂の彼、59番さん。話を聞けば聞くほど、本質的にいい男!

アル:
59 番はたしかにオタク気質もあって奇人だし、モテないけど、それは女の子にモテるよりも自分のやりたいことがやりたい人だからなんです。格闘技とか恐竜の研究とか。“モテ”を全然意識してないから、女の子ウケするようなコトは何もできないけど、1つのモノをずっと好きでいられる一途さはある。幼稚園の頃にワニを好きになったら、ずっとワニ好き、みたいな(笑)。それは女の子に対しても一緒で、私を好きになったから絶対に浮気しないんじゃなくて、したくないと思う人なの。頑張って浮気しないんじゃなくて、他の女に興味がない。“女好き”なのではなく、“私好き”なんですよ。だから、愛情が長続きするし、私の嫌なところが見えても簡単には逃げないし。

芳麗:
うーん、いいなぁ(笑)。その「逃げない」って大事ですよね。女優の小雪さんも、「恋愛において男性に求めるのは“逃げないこと”」って言ってた。恋愛すれば、必ずいい時も悪い時もあるわけで、いちいち逃げていたら関係が育たないし、進まない。恋愛にも我慢強さってきっと必要なんでしょうね。

アル:
『恋愛格闘家』にも書きましたけど、男の人って「仕事はがんばるけど、家は安らぐ場所」って思いこんでるから上手くいかないんだと思う。どっちも全力で大切にしなきゃ。男は基本的に、「何で恋愛なのにシンドイ思いしないといけないの?」って思ってるから、歯車が合わなくなる。女だって生身の人間だから、シンドイ時もあるし、ケンカになることもある。そこで、「そんな女だったら要らない。サヨナラ!」って男の人は多いですよね。周囲にもおるし。でも、それじゃ、何も育めないと思う。

芳麗:
めちゃめちゃ分かります(笑)

コミュニケーション不全の男が急増加


芳麗:
最近、コミュニケーション不全な男の人が多いなぁっていうのは実感としてありますね。仕事とか友だちとか普段の人間関係はそこそこ上手くやってるけど、恋愛みたいに濃い関係を紡げない男の人は多い。たぶん、その意義も意味も分からないんだと思う。女の子って、子供の頃から母親とか同性の友だちと密にコミュニケーションとって育つ人が多いけど、男の子って小さい頃から、誰かと深く関わる機会は少ない。他人と心を通わせるとか、価値観をすり合わせていく努力をまったくしてこなかったから、自分の心や他人との関係を深く突き詰める力が足りない気がする。恋愛でもメンドくさくなるといきなり連絡を絶ったり、向き合うことから逃げたり、無意識にでも女の子を深く傷つけてしまう。すごく浅い関係しか紡いでないのに、男側は、「いい恋愛をしてる」って勝手に思い込んでいる(笑)。

アル:
あるある(笑)

芳麗:
たとえ、それで女の子がどんどん去っていっても、表面上の優しさとかカッコよさでまた新しい女の子が寄ってくるから、寂しくはない。大人のカップルでも山ほどありますね……そういう話。

恋愛はオナニーじゃない!

アル:恋愛がオナニーみたいになっている(笑)。そういう男と付き合うには、片思いさせるしかないんですよ。たぶん、彼らは「片思いしている自分が好き」。自己満足だから、恋愛として成立してしまったらもう興味ないんですよ。

芳麗:
す、鋭いなぁ……。ホント、その通りだと思います(笑)。だから長続きしないんですね。

アル:
でも一生片思いさせておくなんて無理じゃないですか! それって、お付き合いじゃない。独りよがりですからね。そういうダメ男にハマる女性には、現実を見てほしい。なぜ、仕事ができてセンスがよくてカッコよくて中身もいい男なのに、愛する彼女がいないのか、たとえ恋人ができても続かないのか--。やっぱりそれなりに問題あるんですよ。そういうダメ男とは恋愛してほしくない。傷つくだけだから。

芳麗:
でも今、その手の“ちょいダメ男”って普通にその辺にいるし、一度恋しちゃうと、女の子は母性スイッチが入りますよね……。「自分が好きになった男だし、私の愛があれば、時間が経てば変わるかも」って思いたくなる(笑)

アル:
ダメダメ! 根本は変わらないでしょう。人間、20歳過ぎたら足が一本なくなるとか、死にかけるくらいの苦しみに出会わないと変われないと思う。

芳麗:
たしかに、本当に傷ついた経験があって、孤独と向き合ってきた男じゃないと、女の人を受け入れる器ってなかなか生まれないのかなぁ。年齢の問題じゃないですよね。

分かっていても、「なぜか、いい女ほどダメ男にハマッてしまう」とアルテイシアさん。その理由は、次のページで語っています。

30代後半の独身男の秘密

芳麗:
ただ、「いい男は見当たらない」っていうけど、ちまたに男がいないわけでもないと思うんです。私たちよりちょっと年上のバブル世代の男の人とか、30代後半で独身の人がいっぱいいたりするし。人間的に魅力はありそうだし、浮気するとか甲斐性がないとか、特にダメ男でもなさそうなのに、どうも本気で恋愛しない人たちもいる。
アル:
彼らは、水野真紀とか好きなんじゃない? お嫁さん系の! もしくは、エビちゃんや押切もえちゃんみたいな若い子が大好きだったりしませんか?

芳麗:
あはは。それはその通りですけど、何で分かるの?(笑)

アル:
37 歳くらいで結婚してない男は、よっぽど「遊びたい」か「自分の生活を楽しみたい」っていう人が圧倒的に多いんですよ。会社員時代にそういう人と出会う経験が多かったから分かるけど。そういう人って、肩書とか年収とかハードスペックは良かったりするから、普通は女の人が放っておかないの。『VERY』系の女性がね、早々にガッツリと捕まえるんですよ。ハードスペックがいいのに30代後半まで結婚しなかったっていうのは、本人がよっぽど「遊びたい」か、もしくは、「若い子好き」だったりする(笑)。

芳麗:
ははぁ。何か腑に落ちちゃった(笑) 

アル:
もちろん、全員そうだとは限らないけど、とにかく、もっともダメなのは、“自分以外を愛せない男”だと思う。最初だけ表面的には優しくても、結局、自分勝手になりますからね。仕事ができる男に多いけど、「女の人も自立して輝いていたほうがいい」とか言うんです。一見、リベラルに見えるけど、その想いの裏側にあるのは、「この女だったら放っておいても大丈夫」っていう身勝手さ。結局、自分が可愛いんちゃうかって思う。だからね、「ダメ男といい女」の親和性って高まっていくんですね。

芳麗:
思い当たる例が多すぎで痛い。でも、痛気持ちいいです(笑)

アル:
“自分しか愛せない男”ってマザコンと変わらない。「女は都合よく動いてくれるジャマにはならないもの」っていう捕え方なんですよね。それをお母さんに求めるのはいいけど、彼女に求めるのはナシでしょう。

芳麗:
その通りですね。

次回は、アルテイシアさんとの対談の最終回。さらに熱く、さらにディープに「いい男との出会い方」について語ります。

■本日の恋の栄養素

『宇宙海賊キャプテンハーロック』
『ガンダム』好きとして知られるアルテイシアさん。ハーロックの男気にも惚れている?! 「ハーロックみたいに『男なら、危険をかえりみず、死ぬとわかっていても行動しなければならない時がある』なんて、男にはいってほしい。すぐ、ついていきますよね(笑)」


http://allabout.co.jp/relationship/womenlove/closeup/CU20060625A/index.htm

彼とのセックスの相性、このままでOK?

2006年07月30日 04時09分43秒 | Weblog
彼とのセックスの相性、このままでOK?


「30歳からの女の恋愛」 ガイド:芳 麗 2006年07月26日
彼のSEX傾向を探る方法って?
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セックスの相性以前に大切なのは、お互いのSEX観?! そこが一致していないと、なかなか信頼感が生まれない……。
そもそも、セックスに相性はあるのか否か--。それは学生時代にはじまり、オトナになっても語られ続けている永遠のテーマだ。恋愛の重要な岐路に立って「セックスがいいから別れられない!」とか、「セックスさえ良ければ、恋愛の障害も乗り越えられる」なんて言う人も少なくないけれど、本当に?

運命的に素晴らしい“カラダの相性”ってあるのかな?

 さまざまな人と語り合ううちに、答えは、その人の経験値によって異なることに気づいた。まず、経験が浅い……というか、半端な経験値を持っている男子に限って、「セックスには相性がある!」と断言すること。ここで言う経験値とはもちろん、抱き合った女性の人数ではない。徹底的に女性の心身を愛し、また女性にも自分の身をくまなく愛されてきたかということ。

どれほどの人数としていても、常識に縛られたSEXや自分の欲望だけを満たす身勝手なSEXしか体験してない男子は、SEXの善し悪しを“相性”というひとことで片づける傾向にあるみたい。

「そういう男はようするにSEXに対して怠慢だし、慣れてないのよ」と言うのは、私のお姉的存在であり、その神がかり的なマッサージで多くの著名人男性をも蕩けさせるカリスマエスティシャン、Sさん。彼女いわく、「マッサージすると、その人のSEXの傾向がわかるの」だそう。
「世紀のモテ男でも、体を触るとわかる。意外と女の人に触られ慣れてないなぁ……とか(笑)。女の人に触れても、触られ慣れてない男は、たぶん、SEXも一方的で下手! こういう男子といたしたら、それはもう相性以前の問題よ」。聖母マリアみたいな顔して、セクシーなモテ女でもあるSさん(マッサージ力はセックス力に通じる?)、気持ちいいくらいの断言だ。
 
 たしかに、本当に実のある経験を積んできた男子は、たいていこういう言う。
「セックスに相性はあるよ。でも、それは、たいていは変えられるものだよ」と。

いい男はみんな言います。「相性は作るものだ」と。

「ある程度、年を重ねれば男もわかるよね。新しい女とのセックスよりも、長く付き合っている女とのセックスのほうがずっといいって」(リリー・フランキーさん)

「どんなに多くの女性にチヤホヤされようと、ほんとうに大切なことは、女性と溶け合うことができるかどうかなんだ」(岡本太郎さん)

 ちなみに、男子だけを責められるものじゃない、女子も同様。本質的な経験値のアル・ナシによって、SEXの相性についての捕え方は同じ傾向にあると思う。

人それぞれ捕え方がちがう、セックスの相性。次のページでは、セックスの相性が何で決まるのか、その秘密について解きあかします。

セックスの相性をゆがめてる本当の理由
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セックスの相性以前に大切なのは、お互いの経験値?! 一見女性経験が豊富そうに見える男性も、実は……。
 人間も動物だし、カラダというよりも生理的な部分での相性は絶対にある。でも、それは根本的だけど、些細なもの。たとえば、満員電車に乗った時、見知らぬ人なのに、肌が触れ合ってイヤな相手と、なぜかイヤじゃない相手がいる、程度の問題だ。
無意識に肌が触れてイヤじゃない相手とは、その気になりさえすれば、たぶんだいたいセックスできるし、そこから先の快感とか相性は、体の問題というよりも、精神が大きく関わっているものだと思う。

特に女性は、精神性を重んじる生き物。テクニックよりも、ムードや愛情や信頼の有無のほうがずっと重要だったりする。女にとっても男にとっても、いいセックスとは、単なる挿入ではなく、触り触られるコトの気持ちよさを、心身の全細胞で味わい尽くせるか。いかに全身を解放して、相手と心身を溶け合わせるか--だ。

それが叶うかどうかは、その彼のモノが大きいか小さいかでは決してない。たとえば、初めてセックスした時に、彼のモノが小さかったり、行為が早すぎてイケなかったとして、ずっとダメだとは限らない。彼のモノが小さいとや、行為が早いこと自体が問題なのではなく、女性側が「ちっちゃいからダメなんだ」と諦めてロマンティックな気持ちが醒めてしまうことのほうが問題、だと思う。そこを超えても、日々の「好き」や「愛しい」が降り積もっていけば、どんどん体も心も解放できるし、セックスもよくなってくる。

肉体に捕らわれすぎないこと! “カラダの相性”はもちろん、多くの女子が言う、「スタイル悪いし、色気ないし、アタシの体ってダメなんだ」みたいな思い込みを捨てて、自由になって欲しい。肉体に対する過剰な信仰や、コンプレックスこそ、セックスの可能性を狭めているんだから(「お前の体はイマイチだ」なんて男子に言われた経験を持つ女子も少なくないらしいけど、そんな男の言葉に根拠なし。そもそもイイ男じゃない確率高し。相性以前の問題だから!)

まずは、いかに愛情・信頼関係を紡いでいくか、その上でセクシーな気持ちを盛り上げられるか、に主軸をおいたほうがセックスの相性は絶対によくなるはず。

次のページでは、今すぐできる、女からできる、セックスの相性改善法について、周囲の達人に聞いてみました!


今すぐできる相性改善法とは?
さて。これを切実にふまえたところで、具体的に、彼とのセックスの相性をもっとよくするにはどうしたらいいのか? 私だって知りたいところです!

一般女子の100倍は濃厚で実のある体験を積んでいる、前述のS姉さんに聞いてみたら、
「自分から能動的に動くこと、楽しむこと」だと言う。あら、ま、けっこうシンプルなこと?
「女の子は可愛く見られたくて、ついつい受け身になりがちだけど。まずは、自分から彼の体を全部愛するつもりで、くまなく触ったり、キスしたりしてみるといい。彼と同じ土俵にのることで、変な羞恥心もなくなってくる。今度は、自分もしてほしいことをバンバン言えるようになってくるよ」

ちなみに、「マッサージって、男の子を深く悦ばせるから、普通の女の子もできたらいいのに」とも。たしかに、マッサージの快楽はセックスに似ているし。倦怠期のカップルも互いにマッサージすることで、体はもちろん、ココロも盛り上がってきたりするし……。学んでみる? 試してみる?

また、「精神性を重んじたセックス」という意味では、今、話題の「ポリネシアンセックス」も興味深い。かの、五木寛之先生の著書で話題になった、南太平洋諸島(ポリネシア)に暮らすの人々の間に伝わるセックススタイルのこと。結合することにとらわれず、前戯や抱擁や愛撫に最低1時間かけるというもの。「早く動かず、ゆっくり動く……」などさまざまなコツがあり、奥が深そう。なので、また改めて、リポートしたいと思いますが、これまでの常識に捕らわれない愛情深いセックススタイルであることは間違いなさそう。

肉体的な性欲を満たすことと、精神的にトキメキ、愛を感じられることは、別の次元にある。どちらも伴ってこそ、いい恋愛やセックスにつながるのは間違いないけれど。
30女としては(経験値があろうとなかろうと)、性急に肉体の快楽を得ようと躍起になるよりも、洋服を着ながらにして淫らな気持ちになれたり、トキめいたりできるほうが何百倍も魅力的だし、楽しいなと思う。そこさえあれば、肉体的な快楽はあとからついてくる。

そう信じている30女の私は、ある意味、未熟でしょうか? でもね、セックス界(なんてあるの?)の大御所であり、マンガ家のさかもと未明さんも言ってました。

「この世にめくるめくセックスというものはあるし、私はそういうセックスも経験してきたけど、人生を投げ捨てるほど価値のあるセックスはないっていうのが結論。たかがセックス、されどセックス。それ以上でもそれ以下でもない。愛情のほうが絶対大事だから!」

さて、今回の記事はいかがでしたか? セックスについては奥深すぎて、専門外だとおもいこんでいたガイドでしたが、書きながら感じること気づくこともいっぱいありました。肉体に捕らわれる必要はないけれど、セックスは恋愛にとってかけがえのないものだとおもいます。みなさんの感想や御意見をお待ちしています!

■本日の恋の栄養素

『愛に関する十二章』 五木寛之先生

「四季 奈津子」などの恋愛小説から、「生きるヒント」のような人生の指南書までを精力的に書き続ける現代の大御所作家。日本の中枢を担うオジさま方に絶大な支持を得ている、五木先生の著書は30 女的には新鮮。特に「ラブスタイルが変わればライフスタイルが変わる」と説く本書は、読みやすく興味深い。自己愛、恋愛、同性愛、モノ、仕事、国への愛。そしてポリネシアンセックスという性愛の形。許されない愛はないという著者が初めて語る愛と性への提言!

http://allabout.co.jp/relationship/womenlove/closeup/CU20060720A/index.htm?FM=rankd

レストランのマナー

2006年07月30日 04時00分17秒 | Weblog
レストランはあくまでパブリックな場所。それなりのルールやマナーがある。それは特別なことではない。しかし、酔いが回りすぎたりして周囲に迷惑をかけてしまったり、そして情報技術の革命的進歩により楽しいはずの食事のシーンがおかしな方向にいってしまうことが非常に多い。

■携帯電話
携帯電話についてはフランス料理界、いや外食産業全体の大きな問題になりつつある。繰り返しになるがレストランに入ったら携帯電話は切っておきたい。レストランに入ったらそこは向かい合う大切な友人達との楽しい時間。携帯は留守電モードか切っておきたい。店に入った瞬間に携帯の電源を切ってみると意外と気持ちが落ち着くことに気づくはずだ。

店中に鳴り響く奇怪な着信音にあわてて出てしまうみっともなさ。
食事中に電話をとって、相手をおきっぱなしにして何分も戻ってこない男性。
会話なく食事中にメールを打っているカップル。
そんなシーンがなくなることを願うばかりだ。

「遅れる友人から連絡が来るかも知れない。。。」気にすることはない。ただ遅れて来るだけのこと。5分10分遅れたからといってそわそわする必要はない。もし万が一の時は店に電話をするものである。昔は携帯などなかったのだ。

携帯電話についてのルールマナーに関する記事はこちら

フランス料理
お皿を動かさないのが西洋料理のマナー
■オーダー時のマナー
同じものをオーダーし、美味しさを共有したい。
できればメインディッシュくらいは同じものをオーダーし、美味しさを共有したいものである。ワインとの味わいもぶれず、印象もより強くなるはずだ。

品格あるレストランで、あれこれ食べたいという欲望は抑えたほうがいい。例えば6人で前菜とメインを別々にオーダーし、食事中に「私のもどう?」などとわざわざフォークで切り分けて向かいの友人の皿に運ぶ人。こういったことは「みっともないこと」とよく覚えておきたい。絶対にやってはいけないと決められている訳ではないが、そういう時はだいたいにおいて、料理をクロスの上に落とし、染みをつけて恥ずかしい思いをするのである。

■ワインの薀蓄
フランス料理
グラスワインが気に入れば残りを全部、というのもありだ
「ソムリエの最大の仕事はワイン好きの客の薀蓄を聞くことである」と誰が言ったか忘れたが、ワイン選びはもっと軽く考えたいものだ。分厚いワインリストは形だけ眺めているふりをして、シャンパーニュをボトルでオーダーできたら貴方はその日からソワニエ(大切にされる顧客)間違いなし、かも知れない。赤ワインが飲みたくなったらグラスで頼めばいい。きっと美味しい状態のものを特別に選んでくれるはずだ。何故ならシャンパーニュをボトルで頼む位の大切なお客様だから。

■酔い過ぎ
日本は酔っ払いに寛大な国。故にフランス料理店でも美味しいワインをたくさん飲んで酔い過ぎてしまう方々に時折出くわしてしまうことがある。人間、酔うと気持ちが大きくなりつられて声も大きくなりがちである。周囲に迷惑をかけていることにもいつしか気がつかなくなり、終いには居眠りという事態にまで発展することがある。お酒の飲み方を知らない大人は論外として、気持ち良く酔える秘訣はいくつかある。

・ゆっくり飲む
・水を飲みながら飲む
・シャンパーニュなど炭酸系は酔いの周りが早いのでゆっくり飲む
・これ以上はまずいな、と思ったら思い切って残す

フランス料理
できるだけ手早く撮りたい
■料理の写真
自分のブログに載せたい、記念に撮っておきたいといった衝動を抑える必要はない。注意したいのは手早く撮ること、ストロボは絶対に焚かないこと、音の出る携帯電話のカメラで撮らないこと、そして全員でカメラを出して撮影会にしないこと。

ところで、料理の写真を撮るよりもその日の料理を作ってくれたシェフや、気持ちよく酔わせてくれたソムリエと一緒に写真を撮る人は意外と少ない。みんなで写った写真の方が料理の写真より印象に残るものである。何故なら食べたものより、誰とどこで行った、という記憶のほうが残るものだからだ。

帰りがけに「一緒に写真を」とリクエストすると意外に喜んで対応してくれるはずだ。「疲れているのに悪いじゃないのか」とつい考えてしまいがちだが、私の経験から言って料理人は、ビジネスマンと同じように仕事が終わったときが一番元気なのである。

http://allabout.co.jp/gourmet/frenchcuisine/closeup/CU20060721A/index.htm?FM=rankd

2006/7/31-2006/8/6 かに座の空模様。

2006年07月30日 03時52分16秒 | 占い
期待したことが叶ったかどうか
望んだことが手元に来るかどうか。
そういうリトマス紙だけで自分の「今」を検査すると
何にも出てこないかもしれません。
さらに
今来ている素晴らしいお客様を
うっかり他の家に案内してしまうかもしれません。
せっかくそのお客様があなたのために持参したおみやげも
他の人の手に渡ってしまうかもしれません。

脅すわけではないのですが
そのくらいのことを言いたいような
「意外性」

今週の蟹座の空気を満たしています。
全く新しいものを受け入れられる人は、とても限られています。
ある本の引用からのさらに聞き書きのたとえですが
靴を履いていない部族に
「この人達に靴を売ってみよう!」
と考えることが出来るのはほんのわずかです。
多くの人は
「靴を履かない人たちに靴を売ったって買うわけがない」
と考えるのです。

今週あなたの手に飛び込んでくるものは
ホントに意外なものだと思います。
慣れないもの、望んだことのないもの、予想外のものは
人は一旦拒否する傾向があります。
あるいは、
初めてコーラが輸入されたとき、
まちがって温めて飲んで「まずーい!」と評判が立ったりしたように、
知らないものの扱いは、難しいものです。

ですが、今週来るものは明らかに幸運の種です。
見慣れない種だからといって
ゴミに出さないよう、充分お気をつけいただきたいとおもうのです。

http://www.st.sakura.ne.jp/~iyukari/week/060731cancer_w.html

7月29日(土)~8月4日(金)のあなたの運勢

2006年07月30日 03時48分52秒 | 占い
 今週、あなたは恋に落ちるかもしれません。あるいは誰かがあなたに恋するかもしれません。新しい友達ができるかもしれません。お金儲けができるかもしれません。お買い得品を購入できるかもしれません。とてもよいアイデアがひらめくかもしれません。面倒な問題の解決方法が判明するかもしれません。

 もちろん、上記のいずれも実現しない可能性は否定できません。「星は私たちの背中をそっと押すが、強制することはない」ということわざがあります。今週、蟹座にいる金星がそっとあなたの背中を押すでしょう。そればかりか、水星もあなたの背中を押します。今週、「多分」を「現実」に変えたかったらそれは可能です。

http://stars.metawire.com/japan/cancer.htm

当たり前を問い直して気づくこと

2006年07月29日 03時02分16秒 | Weblog
「人生のほんとう」 池田晶子著(トランスビュー 1200円)

 人生とは何か? と問われても簡単には答えられない。なにしろ、いま現在生きている人間が、「人生とはこれこれである」と完了形で語ることができないのだから。同様に「死ぬ」ということも生きている限りとらえることは不可能だ。では、そんなことを考えても無駄なのかというと、そうではない。問いを発すること自体が重要なのだと著者はいう。当たり前だと思っていた事柄を、なぜ当たり前なのかを考える。考えていくと、自分が生きていること自体がとんでもない謎として目の前に立ち現れてくる。それに気づくことで、自分の存在を相対化でき、生活上の悩みなども大所から見ることができ自由になる、と。

 本書では、常識、社会、年齢、宗教、魂、存在の6つの問題を取り上げ、おのおのについて徹底的に考えることで、自分たちが生きてあることの意味を解き明かしていく。平易な語り口ながら、哲学の本質へと導いてくれる。

【2006年7月25日掲載】

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2251414/detail

モラハラ離婚が急増中

2006年07月29日 03時00分25秒 | Weblog
 妻や恋人から別れを告げられる。手を上げたことも、金で迷惑をかけたこともないのに……。理由は「モラハラ」。こうしたケースがホワイトカラーのサラリーマンを中心に急増している。著書に「男と女の法律戦略」「離婚裁判」がある弁護士の荘司雅彦氏の説明を聞こう。

「モラハラはモラル・ハラスメントの略。言葉や態度で心を傷つける精神的暴力です。04年の家裁の統計では、離婚調停を申し立てた女性の4人に1人以上(25.7%)が『精神的に虐待された』モラハラを理由に挙げている。2年後の現在は3人に1人程度まで増えていると思う。夫や恋人との別れを考える女性の半数くらいがモラハラの被害を感じているのです」

 たとえば「誰のおかげで生活できるんだ!」と妻に言うのは、モラハラだ。今年4月に内閣府が公表した「男女間における暴力に関する調査」によると、20代女性の半数以上(51.9%)が、「誰のおかげ」発言を「(状況によらず)どんな場合でも暴力にあたる」と答えている。亭主関白ぶった発言はまだ分かりやすいが、「エッ、こんなことが?」というのもある。別表でチェックして、複数項目で思い当たる人は要注意だ。

「モラハラをはたらきがちなのは、公務員や行員とか、お堅い仕事に従事している中高年、高収入、高学歴で外面の良い、お山の大将タイプです。結婚したり、子どもができると自分の支配下になると思い、精神的に追い込んだり、仕事のストレスのはけ口にしてしまうんです。最大の特徴は加害男性の多くに自覚がないこと。本人は普通と思っていることが相手をおとしめていて、うつや自殺にまで追い込んでしまうケースも目立っています」(荘司雅彦氏=前出)

 04年施行の改正DV(ドメスティック・バイオレンス)法では、精神的に有害な影響を及ぼす言動も抑止対象に加わった。モラハラは人権侵害で訴えられることもあるのだ。

◆モラハラ度チェックシート◆

(1)「お前といると本当に疲れる」「こんなに簡単なことが分からないの?」などと口にする

(2)疲れていたり気分が悪いときは、無視することもある

(3)気に障るが、怒るのも面倒で、ため息や舌打ちをすることも

(4)子どもや友人の前で笑いものにしたりバカにしたことがある

(5)家では家長である自分が一番偉い。妻は尽くすのが当然

(6)一緒のとき妻がつらそうな顔をする。あまり笑わずしゃべらない

(7)「どうして?」「言っていることが分からない」と追及する

(8)妻や恋人は自分より低能だと思っている

(9)相手の趣味や特技が理解できない。正直くだらない

(10)自分以外の人間とは接触しないで欲しいのが本音

【2006年7月25日掲載】

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2251401/detail?rd

第18回生き方探しの旅へ2部<2>ぼくはニート 教育研究所所長・牟田武生

2006年07月28日 03時22分26秒 | Weblog
第18回生き方探しの旅へ2部<2>ぼくはニート 教育研究所所長・牟田武生

 家事を軽減させるさまざまな電化製品、豊富な生鮮食品や加工食品、発達した交通網など、日本では「豊かな暮らし」を充分に享受できる。しかし、私の目の前にいるニートの謙介は、社会の入り口でたじろいでいる。 

 社会が豊かになれば、職業選択の幅が拡がり、人々の生き方も多様になるはずだと思うが、なぜ、日本には謙介のようなニートが増えるのだろう。

 70年代のイギリスでは、経済活動の低迷が続き、当時のサッチャー首相が経済構造改革を行い、その結果、単純な肉体労働は少なくなり、若年層で失業者が生まれた。さまざまな理由で中等以上の教育や訓練を十分に受けられなかった若者は、新たな仕事に就けず、ホームレスになる者もいた。「ニート」と呼ぶより、若年無業者に近い。イギリスのニートになった若者たちは、経済構造の問題なので理解しやすい。

 だが、謙介(18)の場合、大学教育を受ける道も、その能力もあるのに、高校を中退してしまった。

 謙介のようなタイプの若者は、日本の大人たちにとって、理解し難いから「怠け者」と見られやすい。そこで、大人たちは、つい頭ごなしに「学校に行け!」「働け!」と言ってしまう。だが、多くの場合、その言葉で関係が悪化し、ひきこもりが長期化し、ますます自立の目途は立たなくなる。大人の私たちが、若者と同じ目線でコミニュケーションせずに、「学校に行け!」「働け!」と言ってもかえって逆効果になってしまうのだ。

 謙介のようなタイプは、70年代イギリス社会が作り出したニート問題とは質が違い、子が親に寄生する日本文化が生んだ、新たなニート問題なのかもしれない。彼がニートになったのは、学習能力の問題ではなく、人間関係のスキルが充分ではなく、他人との関係に引き気味であること。また、自然環境問題などから、いまの社会や、企業の経済活動に疑問を感じていること。学校教育の経験から、人と競争することに意味が見い出せなくなったことなどが考えられる。

 謙介は、イタリアのように、人間関係を自然に育むことが出来るような幼児期からの養育システムや学校教育で、さまざまなショートジョブ体験をして、職能意識や、基本的な技術を身に付け、自分に合った職業を選んでいく社会システムがあればよかったのに、と思っている。

 「先生、親は『働くか、学校に行くか、どちらかにしろ』と言うのです。高卒検は受けるつもりですが、大学は行くつもりはあまりありません。けれども、働くっていっても実感が持てないのです。どうしたらよいでしょう?」

 「日本の大学でも、高校と違って自由だし、楽しいぞ。専門を決めずに教養課程でいろいろな勉強を2年間して、それから専門を決めてもよい大学もあるし、そんなに先のことを考えて頭デッカチにならずに、その時の流れに乗って行けば良いと思うけれどね。人間関係に自信が持てないから、不安だけを先取りして、いろいろなことを考えてしまうのかなぁ」

 「多分そうだと思います。頭の中では大学に行くのが、一番楽な道だと分かっています。しかし、大学を卒業しても、人間関係に自信が持てないから、会社に就職しても、続かない気がするのです。だから、前にもお話したように、どこか田舎にでも行って、自給自足のような暮らしをした方がよいのではないかと思うのです。そうすれば、人には迷惑をかけないし、よいと思うのですが。でも、そんな暮らしの技術というか、たとえば農家の手伝い、道路工事のアルバイトとか、体力も知識もぼくにはありません。だからといって、大学を選ぶのも変でしょ?」

(つづく)

第19回生き方探しの旅へ2部<3>ぼくはニート 教育研究所所長・牟田武生
韓国での合宿の様子。リボン状のものを手に、太鼓のリズムに合わせて踊っています

 「情報過多、職業選択の自由社会で自分探しをしている若者は、どんな仕事がしたいのか分からない。大人達はあれこれ考える前にアルバイトでも良いから働きながら見つけていけばと思うが、実感としての生活経験が乏しいから、その自信もないということかな」

 「多分そうだと思います。兄弟の数が少ないので母親が先回りして、生活のことは全てやってくれる。だから、人間関係を含めて問題解決力が育っていない。子どもは勉強だけをしていれば良い。勉強なんてゲームと同じでルールを覚え反複練習すれば良い。実体験としての生活経験ではなくバーチャルのものですよ。だから、人間関係のスキルが育たない。ひとの中にいると気疲れするのです」と謙介は答える。

 「それはひきこもりやニートの人だけでなく、今の若者が持っている共通の悩みではないのかな」

 「そうなのですか?」

 「度合いは人によって違うと思うけれどそうだと思うよ」

 「先生は7月に韓国へ、ひきこもりの人を連れて人間関係のスキル学ぶキャンプに行きましたよね」

 「行ったよ。ソウルから車で一時間ほど走った京畿道カピョンで、韓国の精神科医や若者と一緒に合宿をやったよ。北朝鮮まで20キロという田舎で自然にあふれたいい所だったよ」

 「そこで何をやったのですか」

 「KBS主席太鼓奏者の指導による韓国太鼓や打楽器を叩きながら踊ること、音楽療法家による西洋ドラム・アンサンブル、武道家による韓国太極拳体験など、音楽療法や運動療法をやった。もちろん、子どもの伝統的な遊びや合宿生活を通して、韓国の人と文化的交流などもやった。田舎の保養所だから自分達の仲間しかいない。外国だけれど安全な安心できる空間だから、みんな伸び伸び本来の自分の姿を出し、言葉が不自由な分、相手の表情やジェスチャーや片言の英単語で驚くほど、多くのコミュニケーションをしていたよ。最後にソウルに戻って、ネットゲーム開発会社の視察や、日本が統治していた頃、独立運動をした民衆を捕えた刑務所などを見学して、日本と韓国の不幸な歴史をじかに学んだ。みんな、その刑務所にはショックを受けていたよ」

 「それが人間関係のスキルとどう結びつくのですか」

 「相手の動きや音に合わせる、最初はバラバラだったものが、調和が取れてみんなと一体になっていく。相手の気持ちや言葉に耳を傾けることによって、自分の世界に相手が自然に入ってくる。ひきこもりの壁が壊れ、他の人とのコミュニケーションが楽しくなることかな」

 「ネットゲームにはまって、4年間もひきこもっていた人が“日本からの独立運動していた人達は、今でいうテロリストと同じように見られていたのですね。何が真実なのか、自分の目で確かめないといけないのですね。これで北京語を習うために台湾に留学する決心が本当につきました。自分を変えなくちゃ”と言っていたのが印象に残っているよ」

 「僕も自分の世界を広げるために、考える前に行動を起す勇気が必要なのですね。世界は広い。海外に留学とまで行かなくても、遊学をして自分の世界を広げることによって、変えることも出来るのですね」と、謙介は力強く言い切った。

(つづく)

第20回生き方探しの旅へ2部<4>ぼくはニート 教育研究所所長・牟田武生

 先進国における若年失業者の増加問題は、文明社会の本当の豊かさが問われる問題でもある。

 若者は“喰うために”や“生きるために”働くという意識は薄れ、自分が何をしたらよいか分からない。働くことって何だろう……。社会に出る自信がない。責任をまかされても困る。など、働くこと以前の大人として生きることへの回避の気持ちに支配されている者も多い。

 そのような若者を中高年者はぜいたく病と思い。教育関係者は親のしつけが出来ていないと嘆き、役人はニートがこのまま増え続けると日本が危ないという。ニートの子を持つ、親はどうしたら良いか途方にくれる。

 若年失業者、ひきこもり、ニートの三つ言葉の意味はそれぞれ違うが、共通点もある。だが、その言葉の持つ響きに大人達の反応には違いがある。

 若年失業者10%に対して、バブル不況と経済の構造改革が若者を襲った。運が悪い。気の毒な話だ。時期がくれば、経済には波があるので、そのうち良くなるだろう。我慢が大切だと励ます。

 ひきこもりに対して、困った問題だ。どうして、若者がひきこもるのか、その気持ちが分らない。きっと気持ちが弱いのだ。自分でこころの殻を破って、出てこなければどうしようもないと思う。

 ニートに対して、なまけだろ! 親が甘やかしたからいけないのだ。無理やり働かせれば良いんだ。それがダメなら、自衛隊でも入れればよい。

 様々な反応がこれらの問題を抱えない大人達から返ってくることが多い。

 若年失業者の増加は経済の問題、ひきこもりはこころの問題、ニートは怠けの問題と勝手に整理して考えている大人が多い。

 目に見えるもの、働きたくても働く場がない状況の時は、大人達は当然のごとく、気の毒に思う。しかし、人との関係で不安や緊張を覚え、家族以外の人との人間関係の接触を避けているひきこもりの人の気持ちが理解できずに、病気なのではと疑ったり、「この子はだめだろう」と見捨ての気持ちを感じながら、同情する不思議な感情を持ってはいないだろうか。

 ひきこもってはいないが、人間関係に漠然とした不安を抱え、社会に対してすくみ反応を起こし、身動きできないニートの若者を単になまけものと決めつけるのは無理がある。

 物に満たされた成熟社会の日本で働きたくても、働く場が本当にないのだろうか? バブル時代の象徴的な言葉の3K仕事は敬遠され、自分探しの気持ちは今も若者のこころに生きている。

 長引く不況の影が影響していることも事実であるが、育った環境によって若者達を支配する人間関係のスキル不足、就労意識の未熟さ、職能教育不足、子どものモデルになれない大人の存在など、若者のこころに大きな影が横たわっている。

 それを理解できずに若者を責めても、ジェネレーションギャップは広がり、問題はねじれていくような気がする。

(つづく)

第14回 生き方探しの旅へ(上) 教育研究所所長・牟田武生

2006年07月28日 03時22分10秒 | Weblog
謙介(仮名17歳)は、高校2年の5月から不登校になった。不登校になった理由を親には何にも話さなかった。有名進学校に合格し、中・高校ともトップクラスの成績を修めていた。理系国公立クラスの担任は「謙介は、少ないけれど友達はいた。クラスにはいじめもなく、みな、医者になる、科学の研究者になるなどの目標に向かって、普通に学園生活を過ごしていた」と話す。5月の半ばに突然、起きた不登校だった。

 両親は、「学校でいやなことでもあったの」「どうして! 学校に行かない理由を教えて」「黙っているだけでは分らない!」「行きなさい!」と、謙介に言葉を浴びせた。何も言わなかった謙介は「もう、二度と学校には行かない」と一言だけ言った。

 部屋で一日過ごし、時々、図書館や本屋に出かける。不安になった母親は、心理学の本、不登校関係の本、精神医学書などを読みあさった。そして、謙介にカウンセリングに行くことを勧めてみた。謙介の答えは「ぼくは病気ではないし、おかしくもない。だから、そんな所、行っても仕方がない」だった。

 夏から台風が何度も上陸し全国に被害をもたらしていた。そんな秋のある日、母親が私の本を謙介に見せた。「この先生ならおれ、知っている。ウェブサイトで読んだことがある」と答えた。

 私は謙介と会った。まじめな好青年だった。そして、いきなり私に「先生は、先生の価値観を押し付けないで、一緒に考えてくれる先生ですよね」と切り出した。「そうだよ。それがぼくのカウンセリングのスタイルだよ」と答えた。

 謙介は安心して話し始めた。「点数を上げるテクニックや偏差値に振り回され、他人と競争して何の意味があるのでしょうか。たとえ、それで勝ち抜き、一流大学に入って、卒業し、仕事について、人と給料で差をつけて喜ぶ心理も分らないし、本当にそんなことで幸せなのですか。ぼくには、最近そんな人生つまらないと思えるのです。父は国立大学の経済学部を出て、ある商社の営業畑で働き、課長になりました。酔うと、仕事の愚痴ばかり漏らし、アジアの国から叩いて安く品物を仕入れ、高く国内で売ることに何の意味があるのか、社内の派閥争いに巻きこまれ出した。社長派、会長派、実にくだらない、と母に絡みます。会社員になっても意味がないと思うし、医者でも研究者でも、組織があれば、みな、同じような気がします。そんなことより、自分らしく生きたいと思っているのです。たとえば、田舎で暮らして、北の国のゴローさんみたいに廃材で家を建てる。働く時間は、生きるために最低限だけにして、もっと、人間関係も相手の気持ちや心の動きが分るくらい、ゆっくりと話がしたいのです。働くよりも、むしろ、そっちを大切にした生き方をしたいのです。ぼくは、どちらかと言うと、人間関係に引いてしまう方だから、なかなか友達が出来ない。たとえ、友達が出来ても、生きる意味や目的といった深い話なんて、今の高校生は誰もしない。人に優しく、自然を大切にしたエコライフが、ぼくの理想なのです。ぼくの価値観はおかしいのでしょうか」

 「おかしくないよ。謙介君の考えは何も間違っていないと思うよ」と答えたものの、そんな世界、ドラマ以外にどこにあるのかと、考えてしまった。

 今の日本は、若者にとっては、就職難、年金などの公的負担の増加、身分保証がない低賃金、「良い大学卒は大きな会社、幸せな人生」というメインストリ-ムの崩壊、モデル像にならない中高年、これから日本はどうなっていくのだろうかという漠然とした不安など、社会状況は厳しいことばかり。謙介は、私の目を見つめている。が、彼が「先生は価値観を押し付けないで、一緒に考えてくれる先生ですよね」といった言葉が私の胸にグサリと刺さっている。

 「子どもは、自らを成長、発達させる力をもって生まれてくる。大人(親や教師)は、その要求を汲み取り、自由を保障し、子どもたちの自発的な活動を援助する存在に徹しなければならない」とするモンテッソーリー教育や、職能意識を育てるイタリア教育が、気になった。彼への答えを出すため、そして、教育者として、子どもや若者たちに夢を伝え、希望を語ることが出来るようになるため、私はイタリアへ飛んだ。(つづく)

第15回 生き方探しの旅へ(中)~イタリアの自由教育 教育研究所所長・牟田武生

 イタリアへの旅の目的は、謙介(仮名17歳)の質問に対する答えを出すためであった。しかし、多くのひきこもりやニートの若者たちに、ひとりの大人として夢や希望を持ち、社会で生きる喜びを伝えるにはどうしたら良いのかを探す、私自身にとっても、これからの生き方探しの旅でもあった。

 イタリア行きの飛行機の中でも考えていた。「ニート、ひきこもり、不登校などの問題の本質的な解決策」「若者たちの就労問題」など、これらの問題の共通点は人間関係のスキル不足からくる、現代社会の生きにくさかもしれない。

 社会環境の大きな変化によって、若者たちを取り巻くさまざまな社会問題を政治家は、単純に地域の活性化によって解決しようと考えている。しかし、地縁、血縁関係が崩壊している都市部では、はたしてそれでうまくいくのか。たとえ、税金を使って仕組みや箱物を作っても、地域独自の経済活動や人と人を結びつける関係性がないと不可能だ、と私には思える。

 イタリアでは就学前教育(3歳から5歳)を目的とした保育学校がある。就学は任意であるが、90%以上の子どもが週5~6日、1日8時間の保育に行く。そして、多くの保育学校で行われているのがモンテッソーリ教育だ。この教育の目的は、子どもの一人ひとりの発達段階に応じて適切に援助し、「自立した、有能で、責任感と他人への思いやりがある、生涯学ぶ姿勢を持った人間に育てること」としている。

 ローマにある保育学校を訪ねると、子どもたちが自分で選んだ教材に熱心に取り組んでいる。絵を描く子、人参をナイフで切る子、ボタン付けをする子、掃除をする子。自発的に心と身体を動かし、みんな集中して作業をしている。

 モンテッソーリが言ったように「手は心の道具」になっている。さらに、よく観察をすると、ひとり一人違ったことをやっているが、子ども同士のコミュニケーションが取れていて、一つの共同作業になっている。先生に尋ねると、「意図したものではなく、環境を整えてやれば自然にそうなる」という。その環境について尋ねると、次のような答えが返ってきた。

 1、子どもが自分の意思で自由に選べる生活教具を用意する。 2、発達段階に応じた子どもの好奇心をそそるおもしろそうな教具を用意する。 3、3歳の年齢幅を持つ異年齢混合クラスによって、社会的、知的好奇心を促す。 4、子どもの五感を使い、自己形成を促すような援助指導を教師が行う。

 環境を整えることによって、子どもは、自由に選ぶ→繰り返す→集中する→充実感や達成感を獲得し、自立心を付けていくという。モンテッソーリ教育は小学校前期(2年間)までその考えを取り入れて行われる。しかし、「子どもの教育の主は家庭教育にあり、学校教育は補いに過ぎない」という。

 小学校後期(3年間)では週30時間の学習が行われる。学校によって5日制あるいは6日制で行われる。北部の町ベローナのある公立の小学校を訪ねた。この学校は朝7時30分から始まり、6時間授業で1時過ぎに終わる。その後、午後のクラスが始まり、6時30分まで行われる。

 先生は二交代制、勤務時間が短いので給与は少ない。ほかに専門的な仕事を持っているという。この小学校の教師のソフィーナさん(32)は皮革工芸のデザイナーでもある。英語と音楽以外は教える。「教師の仕事も好き。デザイナーも好き。子どもたちの感性を作品に生かせるし、子どもに伝統産業である皮革工芸について教えることもできる」と言う。パン職人のラウルさん(38)は、午後から教師の仕事をする。「パン作りやピザの下地についても教えるし、パンの歴史、小麦の良し悪し、何でも教材になるよ。子どもたちは自然に先生の職業意識を学び、自分の好きな仕事を探すことができるから良い」と言う。

 ソフィーナ先生のクラスのマリア(11)は帰宅した。自宅では看護士の母が病院から帰り、昼食作りをしていた。設計士の父親も帰宅し、3人で賑やかで楽しい昼食が始まった。たっぷり2時間かけて食事をし、両親は仕事に戻った。入れ替わりにやってきたのが、マリアのベビーシッター(マリアはベビーではないが)の中学生のヘレン(13)だった。マリアはヘレンと遊んだり、勉強したり、おやつを食べて、両親の帰宅する8時ごろまで過ごす。イタリアでは11歳以下(小学生)が一人で家にいることは、親の養育拒否になり、罰金が科せられる。ヘレンにとってはアルバイト(州政府が負担金を出している)であり、子育て勉強でもある。マリアにとっては良いお姉さん。マリアは「早く、中学生になって、私もベビーシッターをしたい」と言う。

 両親が8時前に帰宅し、近所の人が一品料理をそれぞれ持ち寄り、ワインとともに楽しい夕食が始まる。「人生は食べて飲んで話をしたり、歌を歌い、楽しむためにある」と、口々に集まった近所の人たちは言う。

 イタリア人は陽気で、人付き合いが上手なのはラテン系の性格だとばかり思っていた私だが、家庭教育を含めて、学校教育、社会教育があるからだと分かった。子どもたちは先生や他の人の話をよく聞き、自分の考えをまとめ、それを他の人に分かるように話すという口述力が優れていて、その力には驚かされる。そこで、初めて個人の自由な意見が最大限に保障されている教育であることがわかってきた。イタリアの不登校の発生率が0.8%と推定されていることが実感できた。(つづく)
第16回生き方探しの旅へ(下)~地域産業と一体化した伊の教育 教育研究所所長・牟田武生

 イタリアの教育制度は、小学校の6年間と中学校の3年間の計9年間が、義務教育になっている。高校は、中学校の卒業資格を取得すれば希望する高校に入学できる。高校は文系、理工系、外国語、教員養成と分かれる。ほかに専門学校として、技術養成、職業、芸術、美術の各専門学校がある。その上に大学、工科大学などがある。

 制度は日本とほぼ同じ、と考えてよいが教育内容が違う。ほかの欧米諸国と同じように高校以降、入学は一定の条件をクリアしていれば、希望する学校に入学可能だが、勉強していないと卒業は難しい。従って留年者や退学者も多い。

 ミラノ市郊外にある公立高校を訪ねた。週6日制の授業で補習の授業もあり、「宿題も多い」と生徒たちはこぼす。国語や外国語(英語)は、月1回の割合で筆記試験(1教科3時間程度)と口頭試験(40分程度)が行われるので、丸暗記や一夜漬けの詰め込み勉強ではすぐにメッキがはがれてしまう。

 文系では国語、歴史、外国語が中心になる。歴史では古代ローマ史やギリシャ史について、大学レベルの授業が行われていた。また国語でも、古典でダンテの神曲を精読し、一人一人の考えで天国や地獄について哲学的な議論をしていた。

 同じミラノ市にある美術の専門学校を訪ねると、高校生は彫刻、絵画、美術史はもちろんのこと、宗教史や哲学を勉強し、自動車会社の工業デザイナーや服飾関係のデザイナーから直接に指導を受けていた。主任教師のミレニ先生(42)にお聞きすると「宗教史や哲学、美術史が思想の基礎になり、絵画や彫刻がテクニックの基になる。それが出来るようになったら、後は、その子が持っている才能をいかに引き出すかが教育の目的です」と答えた。

 普通高校の生徒たちは大学や工科大学に進学し、専門学校の生徒の多くは地元のデザイン工房や会社、商店、工場に就職する。日本のように学校と会社に大きな壁があるのではなく、デザイナーや職人、技術者らが専門学校に講師として採用され、学校と産業の一体化がはかられ、専門学校から就職につながるシステムがある。そして、地元の州は地元産業の振興のために地元ブランドを支援し、売り出す仕組みを競って作っている。

 「日本では、将来何がやりたいのか、どんな仕事に自分は向いているのかについて、多くの若者が“自分探し”をするけれど、イタリアの若者にはないの?」と高校生に質問してみた。

 「自分探し? そんなものはないよ。小学校の時から色々な職業を持った先生が仕事の話を聞かせてくれたし、実際に体験もした。だから、高校に入る前には自分がどんな職業に向いているか分かったよ。また、家の近所の様々な職業の人から、パーティーなどで話も聞けるから、そんなことでは悩まないよ」と異口同音に答える。

 「留年し、高校や専門学校を退学する人もいるよね。その人達のことをどう思う?」と聞いた。

 「勉強しなかったんだと思うよ。大学に行くには勉強をちゃんとやらなければ、大学に入る意味はないよ。専門学校でも将来その道のプロになるんだから、やっぱり勉強しなければいけないと思うよ。僕の友達で高校を留年し、専門学校に入り直した友達がいるけれど、高校で勉強したくなかった意味が自分なりに分かって、進路変更したのだから問題はないと思う。また、頑張れば良いよ」と明るく答える。

 戦後、イタリアは日本よりも少し早く高度経済成長期を向かえた。経済成長期の日本では、都市や地方の主要な町で古い町並みを壊し、町を作り直し、郊外が拡大していく。そのために下町以外は地元の商店街はなくなり、郊外に大手のスーパーマーケットができ、人の流れが変わる。

 しかし、イタリアでは主要都市でも地方都市でも、掘り返せば遺跡にぶつかる。そのため、郊外に拡大させるのをやめ、町への自動車の乗り入れを制限し、徒歩で生活できる都市の再生を図り、遺跡と地元商店街を融合させ、観光とブランド商品の開発に力を入れた。その結果、地域社会は残り、懸案だった少子化問題解決(95年1月18日~00年1月25日に上昇)の目途が立った。(つづく)

第17回生き方探しの旅へ2部<1>ぼくはニート 教育研究所所長・牟田武生

 日本に戻り、謙介とのカウンセリングが再開された。

 謙介は、具体的に何をやるという目標が持てないまま、高校を中退していた。親とは、退学をめぐり「学校をやめる」と主張する謙介と、「もう少し学校に籍を残しておいたら」という両親の意見がかみ合わず、もめたが最後に両親が折れて中退した。

「先生、親に言われたんでけど、僕はニートになったのですか?」

「ニートか。確かに、このまま学校にも行かず、働きもせず、職業訓練も受けなければ、今、流行のニートになるね」

「そうか、僕はニートか。一昔前に皆が言っていたプータロウか。同じ、意味かも知れないけれど、響きがなんか違いますね。」(笑)

「どう違うの?」

「ニートって言うと、明るい感じがするけれど、プータロウっていうと落ちこぼれって感じします。そうそう、先生が書いていたイタリアの学校の話、面白く読みました。僕がイタリアに生まれていたら、ニートにはならなかったと思いました。小さい時から自主性が重んじられ、自分のやりたいことが何かを考えて生きていけば、大きくなって何をやりたいのか悩まずにすみますね。友達関係も日本とは違って楽しそうですね」

「確かに、学校を訪ねると友達関係も日本とは違って見えたよ。日本では中学生や高校生になればなるほど、グループも小規模になり、友達同士でも他人に合わせて同じような行動をとったり、同じような意見を言うよね。その点、イタリアの子ども達は自分の意見を遠慮なしにいい合う。例え、友達同士意見が違っても、決して妥協しないで論争する。論争後も、意見は意見、友情は友情、と考えているから人間関係には響かない。日本人は意見が対立し、言い争いになったら、友達関係にヒビが入るのではないかと思い、すぐに妥協するよね。そんなことはないみたいだよ」

「そういう人間関係の方が僕にとっては生きやすかったかもしれない。人間関係で臆病にならなかったかもしれない。一般社会の経験が何もなく、子どもが勉強だけをして、大人になった学校の先生の授業は価値観が受験勉強だけに偏っていた。あの教育のやり方は、子ども達がまともな社会観や職業観を持てません。その点、イタリアの学校教育は全然違うみたいですね」

「謙介は、御三家といわれる進学校でトップクラスの成績を修めていたよね。そのままいけば、東大から官僚、あるいは大手企業のエリート幹部が保証されていたみたいなものだったのに、中退したのは、引っ込み思案の性格もあるけれど、偏った社会観が身に付いてしまうのが怖かったからかなぁ」

「それも大いにあったけれど、両親の価値観も学校の先生と同じだった。自分がない分、周りや人に合わせ、学歴や成績という形にだけ、こだわる価値観が嫌だった。自分はそんな大人になりたくなかったのが本音かもしれません。もう少し、時間をかけてみないと本当のことは分からないかもしれませんけれど」

「なるほどね。学校教育は、人格の完成とか陶冶とかいうけれど、実際は違うよね。それに、システムも現代社会には合わなくなっているよね。今の教育は、終身雇用や年功序列のあったころのシステムで、あれでは職能意識や、社会で役立つ技術力は身につかないよね。しかし、企業はバブル経済崩壊後、国際競争力を維持するため、人件費を抑える雇用システムに変え、若者でも即戦力を期待するようになってきた。就職難、派遣社員、契約社員など雇用が不安定なった。学校教育と一般社会の間に、若者にとって大きな壁ができ、若者は立ちすくんだり、自信をなくしたり、つながりを失う感覚になるのも無理ないよね」

「それを僕は先取りして、自分探しを始めてしまったのかもしれません」「それもそうだけれど、多くの若者が生き生き働け、幸福になるためには、どのような社会にしたらいいのか。自分と社会を考え、大人自身も生き方探しを真剣にしなければならない時代だと思うよ」(つづく)


ひきこもりに大流行の兆し インターネットゲーム 教育研究所所長・牟田武生 2

2006年07月28日 01時56分42秒 | Weblog
第6回インターネットゲーム 友達が欲しい 教育研究所所長 牟田武生

 中学3年の翼は、学校でいじめを受け、他人を信じられなくなり、不安からひきこまざるを得なかった。

 カウンセリングを終え、家に帰った母親は一日中ゲームに没頭する翼をいっさい責めなくなった。翼の心を知るため、ネットゲームを理解しようと、本や雑誌を読みあさったりインターネットで情報を集めたりした。そして、翼が食事をしている時に自分の知っているネットゲームのことを話して、疑問に思うことを尋ねてみた。

 翼は、はじめはびっくりした顔をしていたが、やがて口を開いた。

 「他人は信じられないし、一緒にいると気を使って疲れる。その点、ネットゲームで知り合ったキャラクターは、どこの誰だか分からないから気を使わずにすむ。好きな時に好きなだけ一緒にゲームし、おしゃべりもできる。同じ趣味で気が合うこともあるけれど、キャラクターは表情がない分、気を使わなくていいからかもしれない」と、ネットゲームに夢中になる自分の気持ちを話し始めた。

 「生身の人間は話をしていても、途中で会話がなくなるとしばらく沈黙が続いてしまう。そんな時、相手が自分の話に気を悪くして怒っているのではないかと勝手に思い込み、必要以上に気を使ってしまって、あせって、場違いな話をしてしまい変な顔をされてしまうことがよくあった。ネットゲームではそんな気を使うことは全くないから居心地は良いし、自分の思った通りやれるから楽しいのかもしれない」

「そんな思いで翼は学校に行っていたのね。辛かったね。お母さん、気づかなくてごめんね」

「どうしたら、本当の友達できるのかなぁ」

「本当の友達って?」

「学校の友達だよ!」

「どんな友達?」

「気を使わなくて、楽な気持ちで一緒に過ごせるやつかなぁ」

 再び、相談に見えた母親は経過を話し、「この後、どうしたらよいのでしょうか」と私に尋ねた。

「お母さんは努力をされてネットゲームを理解して、翼君と話が出来たのですね。そして、本音を聞き出したのですね。すごいですね。翼君は学校生活で友達と上手くいかなかった経験をしたけれども、やはり、現実世界で友達が欲しかったのですね。気を使わなくて、楽な気持ちで過ごせる友達…。本質をついていますね。翼君にとって、ネットゲームは現実世界で満たされなかったことの代用だったのかも知れません。不登校になってひきこもりの生活をしていると、現実世界がなくなるから、仮想世界がいつの間にか全てになってしまったのですね」

 「どうしたら現実世界に戻れて、友達が出来るのでしょうか」と、お母さんは私に尋ねた。

 「焦らないでください。翼君の心には、どうしたら他人を信じられるようになるのだろうか、という不安があります。信じることや、愛することができるかといった不安は、抽象的なので、解決策が具体的にあるわけではありません。包まれるような温かい人間関係の経験の中から、自然と育まれてくるものです。お母さんに愛されている、見守ってくれていると感じることが、動き始める第一歩になると思いますよ。単にネットゲームを止めさせれば、現実世界に戻るというようなことではないのです」(つづく)

第7回ネットゲーム オフ会の出会いで 教育研究所所長・牟田武生

 翼(仮名、中学3年)がネットゲームを始めて半年が過ぎた。ゲーム上での地位が上がればあがるほど、現実社会の人間関係は遠のいていく。会話を交す相手は母親だけの日々が続く。母はネットゲームを理解し、ゲームを止めさせようとする父と闘ってくれている。

 母は信用できる。僕の味方だ。でも、肉声で会話する相手が母だけでは虚しい。そんな気持ちの翼の元にゲーム仲間からオフ会(ゲーム以外に現実世界で会うこと)の誘いが届いた。

 ゲームの中で苦労をともにして闘っている人達だ。でも、会ったことはもちろんないし、学生なのか、働いているのか、何歳なのかも全員分からない。しかし、ゲーム上のキャラの性格や考え方は手を取るように分かる。毎日、何時間もゲームの中で会っていると、昔からの知り合いのような錯覚を覚えたりもする。ゲーム仲間に現実社会で会ってみたいという思いは、これまでの現実社会の他人に持っている不安感よりまさっていた。「同志」だと思っているから、強い不信感はなかったのだ。

 オフ会には10人ほどの人が参加していた。互いにゲームの中のキャラクター名で名乗る。翼より年上の20歳前後の人が多い。初めて会う人ばかりなのだが、すぐに話が盛り上がった。ゲームのことや掲示板(インターネットの中にある掲示板)のことについて、情報交換が盛んに行われる。最初は「年下だから、馬鹿にされるのではないか」という不安が少しあったが、それもすぐに消えた。我を忘れて、会話の中に入っていく。とにかく楽しかった。他人と話すことはこんなに楽しいことなのだ、とあらためて思った。

 みな、専門学校や大学、高校に行っている。社会人の人もいる。ゲームの世界だけに生きている人なんかいない。年齢や職業、学校に関係なく、お互いに立場を認め合って、会話をしている。「大人なんだ!」。大人たちは子どもと違って、みな、こんな人間関係を築いているのだろうか。だが、両親や学校の先生方の人間関係を垣間見ても分らない。

 家に帰り、母親にオフ会の話をした。母親は興味深げに、翼の話を聞いた。翼は母親に「学校の担任には会いたくないけど、お互いに誤解があるかもしれないので、いずれ話そうと思う。今は先に確かめたいことがある。僕にできる短期のボランテイア仕事はないかなぁ。大人の人相手が良いのだけれども」と言った。母親は知り合いの友人がいる介護福祉センターを紹介した。

 介護福祉センターでは、車椅子を押したり、おむつをたたんだりの雑用仕事をしながら、職員同士の人間関係や、職員と介護されるお年よりの関係に触れることができた。学校と同じように小さなトラブルは起こるが、相手の人格を否定するような言動やいじめはない。大人たちは仕事上で起きたミスを理由に、一方的に責めるような言い方はしない。まして、自分のストレスを相手にぶつけるようなことはほとんどない。

 「中学校は異常なところなのかもしれない。自分を含めて、まだ、未熟な子どもたちだから仕方がないのかもしれない。また、学校の先生がもっと、ゆとりを持って子どもの気持ちを聞いてくれれば良いのにと思う。そして、先生が先入観や偏った情報だけで判断しないで、相手を認め、話を聞き、気持ちを理解して欲しい」と、翼はオフ会やボランティア体験を通して感じていた。(つづく)

第8回ネットゲーム 「現実」が楽しいなら大丈夫 教育研究所所長・牟田武生

 翼(仮名、中学3年)は、ボランティアを続けながら個別指導の学習塾に通い始めた。いじめられているのを分かってくれなかった中学校の担任教師にはまだ会っていないが、いずれは会って、「中学には行けないが、高校には行きたい」と告げたいと思っている。

 中学校で受けたいじめからくる同級生に対する不信感や不安、恐怖感はなくなったとは思えないが、自分自身を少しだけ、信じられることが出来るようになってきたので、高校には行ける気がする。

 ネットゲームはやっているが、最近は生活リズムを壊すまで、のめり込むようなことはなくなった。自分のそばには、母親も、オフ会で出会ったネットゲーム仲間もいる。ボランティアで知り合った介護福祉センターのスタッフの人たちや、おじいちゃんやおばあちゃんに、少しは頼りにされている。自分が大切にしたい、と思っている人たちとの関係を続け、もっと学校以外の世界を拡げていけば、学校生活も続けられるような気がする。

 大量の情報を瞬時に安価に送れるブロードバンドと高性能パソコンの普及のおかげで、自分の欲しい情報がすぐ手に入り、仕事の処理能力も飛躍的に向上した。その産物の一つとしてのネットゲームは、子どもから大人までのゲーマーたちを魅了した。

 テレビゲームの面白さと、チャットの双方向性は、現実社会とは違う仮想社会を作り出しているが、現実社会の学校や勉強、会社、仕事などの人間関係も楽しくて、趣味としてネットゲームをやっている生活ならば、何にも問題にならない。

 問題なのは、その魅力にひかれ、仮想社会にのみ、こころの居場所を作ってしまうネットゲーム漬け生活の結果、ネット依存になり、ひきこもりを続ける子どもたちだ。

 ネット依存は、本人がほんとうに抜け出そうと思わないかぎり治ることはない。そこで、親がどのように対応していけば良いのかを次回、臨床事例から考えてみることにしよう。(つづく)

第9回ネットゲーム依存への対応 教育研究所所長・牟田武生

 不登校や出社拒否など人間関係の問題があった人たちが、ネットゲームにはまったグループ1と、ゲーム好きがネットゲームにはまり、ひきこもったグループ2の2つに分ける。

 これは表面的には「にわとりが先か、卵が先か」の議論に似ているが、こころの状態像が全く違うので、違った対応と注意が必要です。グループに分けるためには次のことを参考にしてください。

(グループ1)人間関係の問題が過去にあって、ひきこもった人が、ネットゲームにはまった場合の声

 ・現実社会の中で何となく生きずらさや、居心地の悪さを体験している。(生き難さ、居心地の悪さ)

 ・現実社会の人間関係で、自分の居場所を作れなかった、という挫折感を持っている。(人間関係での挫折感)

 ・現実生活の中で、ストレスを蓄積させて、不眠などの体調不良感を体験したことがある。(ストレス)(体調不良)

 ・家族の人に自分の気持ちを分かってもらえずに、辛らかった思いをしたことがある。(家族の無理解)

 ・自分がどうして学校や会社に行けなくなったのか悩んだ経験がある。(過去の悩み)

 ・周りの人が自分のことをどのように見ているか気になる。(人の目が気になる)

 ・やろうと思えば、何でも出来るという自己万能感があるが、実際には自信が持てない。(自己万能感の裏返し、自信がない)

 ・何かを判断する時に、現実社会では優柔不断になってしまうが、仮想現実の世界ではすばやく判断が出来る。(優柔不断)

 ・いつかは、他人を見返してやりたいと言う気持ちがある。(他人を見返す)

 ・家族とはまだどこか理解し会えないところがある。(家族の無理解)

 ・現実社会では、友達はいない。オフ会に参加したいと思うが、現実には行けない。(友人がいない)

(グループ2)ゲーム好きの人がネットゲームにはまってひきこもった場合

 ・元々ゲームが好きだったが、こんなに面白いゲームは初めてだ。(ゲーム好き)

 ・ゲームにはまりこんで、もう少し、あとちょっと、と思っていたら何時の間にか夜が明けていた。それでも、学校や会社に行っていたが眠かった。(自制力の弱さ)

 ・ゲームを止めて、明日があるから寝ようと思うが、ゲームの誘惑に勝てなかった。でも、本気を出せばゲームはいつでも止められると思っている。(ゲームの誘惑に勝てず)の裏返し(何時でも止められる)

 ・いつかは、ゲーマーになってやると思っている。(正当化)

 ・現実社会でも友人は沢山いる。オフ会で知り合った友達もいる。(友人多し)

 ・自分の気持ちは家族の誰にもわかってもらえない。(家族の無理解)

 ・罪悪感は少しあるが、学校や会社に行こうと思えば、いつでも行けるから、自分は不登校や出社拒否とは思っていない。(正当化)

 ・今は楽しいし、充実している。誰にも壊されたくない。(現状維持)

 結論として、グループ1(不登校・出社拒否/ひきこもりが背景)のタイプは、ネット依存ではなく、人間関係のスキル不足や過去の出来事から来る心理的な心の傷があり、それが原因で、後悔の感情や自信のなさが本人を支配している。また、本人の活動力の源になるはずの親子関係にも問題傾向がみられるので、改善をしなければなりません。ネットゲームを続けているのは、むしろ、過去の失敗体験から来る「見捨てられ不安」に支配されているからです。

 パソコンを力づくで、取り上げたり、ブロードバンド(常時接続)を解約することよりも、親子のコミュニケーションを豊かにするために、子どもの目線まで親が降りていき、時にはゲームの世界を共有化して行くなどして、子どもの気持ちをしっかりと受け止めてあげることが何よりも大切です。

 心の傷は子どもが本当に安心できる相手なら、自分の方から過去の出来事を話し始めるはずです。そして、自分の気持ちを理解してもらえばもらうほど楽になり、自然に心の傷も癒えてきます。それが完全に出来るようになると、無気力感がなくなり、心にエネルギーがたまり始め、徐々に動き始めるはずです。

 自分自身で行動できる範囲で動き始めて、出来事の確認行為を通して、誰かに見捨てられてしまうのではないかという「見捨てられ不安」を少しずつ解消していきます。見捨てられ不安がなくなれば、なくなるほど、自然にオンラインゲーム(仮想社会)からも、距離ができ、現実社会に戻ってきます。(翼君の事例です)

 グループ2(ゲーム優先)は、自制心がなく、ゲームに依存している様子がみられます。このまま本人が望むように現状維持が続くと、ネットゲームの世界が全てになっていくネット依存になっていく可能性が高いと考えられます。少しでも、「学校や会社に行かなければならない」という罪悪感があるうちに、ネットゲーム依存であることを告げ、ゲームを規制していくための話し合いをしてください。

 もし駄目なら、その時は、父親が父性を発揮して、厳しく対応することが大切です。もし、父親が不在だったり、機能しない場合は母親の父性でも構いませんし、それに代わる人でも結構です。それでも、効果がない時は期限を切って、(例えば、2週間後とか)実力行使してください。最初はふてくされたり、反抗もあり、ネットカフェに入り浸ったりしますが、親が根負けしたり、妥協しなければ、現実社会に友達もいることだから、その力で戻っていきます。

第10回 ネット心中の心理 教育研究所所長・牟田武生

 リストカッター、摂食障害、ひきこもりの人…。それぞれ孤独な人々がインターネットの掲示板やサイトを利用して、自分の心の底にある思いや苦しみを詩や日記など、さまざまな形で表現している。

 自分の心の奥底にある感情を吐き出すように表現することによって、気持ちが落ち着けるのかもしれない。そして、自分の書いたものに、知らない人からレスポンスがあり、返信内容によって、励まされたり、慰められたりするのかもしれない。ネットによって孤独感が癒され、「ひとりぼっちなのは、自分だけではない」と思えてくるのだろうか。

 しかし、私にとって気になるのは若者たちの自殺志願の書き込みだ。

 「誰か私と一緒に、練炭で逝ってくれませんか」の書き込みに応じた人に、時、場所、方法がメールで伝えられる。失恋自殺以外は、異性にかかわらず誰でもよいらしい。知らないもの同士が、人里離れた山中に行き、用意周到に目張りをした車中で練炭を燃やし心中する。

 一人では死ねない心理はどこからくるのか。

 ひと昔前は、風光明媚な場所で人に知られずに亡くなっていった。現実社会の煩悩をあの世に持ち込まず、遺体になっても他人の手を煩わさないように心配りし、この世に別れを告げる美学があった。

 そのような感情はネット心中を見る限りない。見知らぬ他人と一緒に死を向かえ、最後まで、見知らぬ誰かにメールで別れを告げ、この世に未練を残し、知らない者同士が心中していく心理は一体何を意味しているのか。

 情報化社会になる以前は、ネット心中にみられるような現象はなかった。無論、まだネットが普及していない社会では、誰か一緒に心中してくれる人を募るなどと言うことも不可能であった。だから、そんなこと出来なかったと言われれば、それまでだが‥‥。

 亡くなったほとんどの若者には、病苦、生活苦、多額の借金、と言った具体的な動機は見当たらず、現実社会で生きぬくために格闘した痕跡も残さず、ひたすら私的生活を愛し、唐突にこの世に別れを告げていったように見える。

 自分探しをしても本当に自分が何をしたいのかわからず、本音で話せる友もなく、他人に会うと過剰な振る舞いをして疲れ果て、人と別れると心の中でほっとする。

 そんな若者達に、無責任に大人は「やりたい事がやれる時代に生まれた君たちは幸せもの」と言うが‥‥。

 『自己実現』と言う言葉が、妙に重くのしかかる時に、見知らぬメル友から「死にたい」「逝きたい」「心中したい」と告げられた時‥‥。

 自我の確立が遅く、現実社会にどう根を張って、生きていったらわからず、宗教観がなく、死の意味の実感が持てない孤独な日本の若者たちにとって、会ったこともないメル友からの死への誘いに、自分のこころの中にある現実社会の生き難さが共鳴し、揺り動かされる心理があるのかもしれない。

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/kokoro/century/archive/news/2004/20040219org00m100989000c.html

ひきこもりに大流行の兆し インターネットゲーム 教育研究所所長・牟田武生

2006年07月28日 01時55分19秒 | Weblog
第1回 ひきこもりに大流行の兆し インターネットゲーム 教育研究所所長・牟田武生

 日本でもインターネットを使ったネットゲームが若者たちの間で、はやり始めている。この分野で先を行く韓国では、1400万~1500万人のプレーヤーがいて、そのうち3~5%が一日10時間以上プレーしているという(韓国文化観光省調べ)。まだ本格化していないといわれる日本でも300万人のプレーヤーがいる。今年、国内の業界は、これまでの3倍の900万人にプレーヤーが増えると予想している。

 日本では特に、ひきこもりの子どもの間では、大流行の兆しが見え出した。私のところに相談に来る子どももネットゲームにはまり、1日の大半をゲームに費やしている子が多い。

 子どもたちにとって魅力的なのは、ゲームをスタートする時にお金がかからないことや、ゲームによっては1カ月に何時間プレーしても1500円と安いことだ。また、ゲームに参加するキャラクターの職業、性別、容姿、個性も自分で選んで変身できること、匿名にすることができる。そして、従来の一方向のテレビゲームと違い、参加者同士がチャット形式で会話を楽しみながら進める。新しい企画がゲーム会社から次々に提供され、飽きることがないらしい。

 子どもや青年らを虜(とりこ)にする魅力とは何だろう。ネットゲームにはまりこんだひきこもりの子どもと話をして、その子どもを理解するためにも、50歳半ばを過ぎた臨床家の私が挑戦してみることにした。

 やり始めたネットゲームは、子どもたちに人気の韓国製。人気の秘密は、自分の分身のキャラ(キャラクター)が「可愛いい」ことにあるらしい。ゲームの中では、キャラが仲間とチャットを楽しみ、町で生活し、冒険生活をする。まさに、子どもたちの現実世界に近い仮想現実社会だ。

 やり始めて3カ月、私には何がおもしろいのか、さっぱり分らない。まずは、自分がなりたいと思う職業のキャラクターを選び、スタートするが、ネットゲームの世界にあるものは、自分よりも弱いモンスターを叩き潰(つぶ)し、相手が持っていた土地、お金、武器、防具、家、店など価値のあるものを奪い取り、自分の地位を上げていくだけのような気がする。

 聖職者をめざしている私のキャラは、「非暴力・不服従」を心情にしている。そのため、戦わないから、価値のあるものをモンスターから奪えず、いつまでも初心者レベルから脱出できない。仕方なしに、ほかのキャラが戦って、物を奪い取った際、必要でないので捨てていったものを拾い集める人になった。拾い集めたものは、りんごや薬草ばかりで、このようなものをたくさん手に入れても、得点を稼げない。

 「先生、ネットゲームは戦いのゲームだから、戦ってモンスターを倒さなければ意味がないよ。一度やってみなよ。気分いいよ!」と言われ、思い切って弱いモンスターと戦ってみた。刀やナイフでモンスターを叩き潰し、持っていた物を奪い取る。自分より弱いモンスターを次々に襲う。間違って、自分よりも強い相手を選んでしまうと、やられてしまうのだ。抵抗をしない敵を見つけて、徹底的に叩き潰し、奪い取る。

 そこには、自分よりも力の弱い者を襲い、ストレスを発散する”悪魔の心理”があった。

第2回インターネットゲーム 仮想社会は居心地が良いが… 教育研究所所長・牟田武生

 私が前回(2月19日)のコラムで、インターネットゲームを”悪魔の心理”と述べたのは、強者が自分よりも弱い者を選んで攻撃し、持っている物を奪い取って、自分の地位を上げたり、ストレスを発散したりする心理があると感じたことを指している。ネットゲームのすべてを指したわけではない。

 狩猟採集時代は、人間は生きるために自分より弱い者を捕獲した。が、自分の地位を上げるためではなかった。ゲームという仮想社会の中で、弱い者いじめの疑似体験を繰り返していると、仮想と現実の区別が不明確な心理状態になった場合に、現実社会で問題行動が起きる可能性が高くなると私は思っている。そこが、私が指摘したいことの一つである。

 さて、ネットゲームを続けた私は、ゲームの別の局面を見出した。

 私のキャラクター(キャラ)は、初心者からようやく職に就けるレベルになった。しかし、「修行所」で与えられた次の試練は、ある神父に会って来なければ聖職者になれない、ということだった。神父がどこにいるのか、どうしたら会えるのか、まったく見当がつかない。

 そこで、私の相談室に来ている子どもたちに「どうしたらいいの?」と尋ねてみると、「チャットを使うといいよ」。ここで、私は初めてゲーム上でのチャットという手段を知る。

 そうか。チャットでほかのキャラに尋ねてみよう。でも、声掛けのタイミングがつかめない。現実の生活では、何かを尋ねたい時には、相手の表情や行動を見て声を掛けるタイミングをつかむが、表情がないキャラでは読み取りようもない。防護マスクをしているキャラもいる。

 勇気を出して、周囲にいるキャラに声を掛ける。「あのー」。

聞こえているのかいないのか、みんな通り過ぎて行く。

「すいません!」

「どうしたの?」

やっと返事が返ってきた。でも、次の言葉がでない。冷汗をかきながらチャットを続けていくと、とんでもないことに気づかされた。

 私が分からないことを、キャラを通して見ず知らずのキャラに尋ねると、その相手にとってはトンチンカンなことも親切に教えてくれる。場所を尋ねると連れて行ってくれたり、自分が使わない武器や防具のアイテムをくれたりもする。

 ゲームの仮想社会では、みんな思いやりと優しさにあふれた”キャラ関係”を築いていることが分かった。こんな風にして、仮想社会ではキャラたちが心地良い社会を作っている。この居心地の良さが、ひきこもりの子どもたちがネット依存に走る要因の一つではないかとさえ思えてくる。

 ストレスが多い現代の現実社会では、「さわやか」「さっぱり」の人間関係が好まれると思う。ゲームの”キャラ関係”は、そのような味気ない現代社会に対するアンチテーゼとも思えてくる。

 しかし、自分より弱いモンスターを叩きつぶす心理と仲間への優しさと思いやりの心理が、何の矛盾もなく共存するのはなぜなのだろうか。おそらくモンスターたちは完全な悪であり、無条件につぶす存在と認識しているのだろう。

 流行の先端をいっていると思われるネットゲームファンの若者らの心理は、“勧善懲悪の世界”を描く水戸黄門ファンと本質的には変わらないなぁ。そう思うのは、私の老婆心ならぬ”老爺心(ろうじいしん)”なのかもしれない。
第3回ひきこもりからネットゲーム依存 教育研究所所長・牟田武生

 私のところに相談に来ている翼(仮名)は中学3年生になった。学校へはもう半年も登校していない。親はいじめがあった中2の時のクラスへは戻れないが、担任やクラスが変わる3年になれば登校すると思っていた。彼自身も冬休み中はそう考えていた。しかし、新学年が近づくにつれ憂うつになった。

 中2から始まった陰口や無視は次第にエスカレートした。担任の教師に相談しても「思いあたることはないの?」と言うだけで、それが翼にとっては責められているという感じだけが残る。クラスメートに相談しても、彼らは一様に口を閉し、何も言わない。

 翼は自分がなぜこんな目にあわなければならないのか、という気持ちと一人ぼっちになってしまったという孤独感でいっぱいになった。クラスメートらは、決して暴力を振るうこともなく、教師の前では常に平然としていた。いじめの実態が見えない担任は、翼が訴えれば、訴えるほど「気にし過ぎよ」と冷淡になっていった。

 学校に行っても「意味がない」と思い、不登校が始まった。しかし、休み始めても楽ではなかった。親は「そんな些細なことで学校を休むことは良くない」と責めた。担任は家庭訪問して「クラスのみんなが心配しているから早く元気になって!」と言う。自分が不登校になっても、クラスは何一つ変わらないことが悔しかった。もう誰も信じられない。

 不登校になって、最初の一カ月は気分的には楽だったがすぐに退屈になった。ゲームセンターに遊びにでも行こうかと思うが、クラスの人に会ったらどうしようかと思い行けない。寂しさと、不信感が募る。

 そんな時、翼はインターネットゲームにのめり込んだ。そこにはゲームの面白さはもちろんのこと、チャットでキャラクターを通して話が出来る楽しさがあった。学校の友人関係では決して得られない優しさと思いやりもある。一日10時間以上ゲームで過ごす日々が続く。食事や睡眠時間は次第に乱れ、ネットゲーム中心の生活になっていく。ゲームをすると、現実社会からくる憂うつさは遠のいていった。(つづく)


第4回 禁じられたインターネットゲーム 教育研究所所長・牟田武生

 インターネットゲーム中心の生活になった中学3年の翼(仮名)の心の平和は、一カ月と続かなかった。両親の過干渉が始まったのだ。

 最初は「そんなにパソコンをやり続けると目に悪いから、1日2時間だけにしたら」と母親のさりげない忠告だった。しかし、一日中、部屋にこもってネットゲームを続ける翼の耳には入らない。母親から翼の状態を聞いた父親が、翼の部屋に無理やり押しかけて一方的に説教をした。このころ両親は、翼がネットゲームをやるのは家にこもっていて何もすることがないから時間つぶしにしているだけなのだろうと考えていた。しかし、翼は父親が寝た後や会社に行った後に、またゲームの世界に入っていった。すでにゲームに対する自制心が働かなくなっていた。

 「強制的に止めさせなければ、アルコールや薬物依存症と同じで止められない」と、両親は思い込んだ。父親の命令で母は翼が外出している隙を見て、彼のノートパソコンを持ち出し、親戚の家に預けた。

 家に帰ってきた翼はパソコンを探していたが、しばらくして二階から降りてきて「パソコンどこにやった。あのパソコンは中学生になった時、おじいちゃんがくれたおれの大事なパソコンだ。すぐ返せ!」と、たいへんな剣幕で母親を怒鳴りつけた。母親が「私は知らない。父親に聞いて」と言った瞬間、「あんなやつに、おれの気持ちが分かるものか」とわめき立て、ソファーをひっ繰り返し、リビングの壁を思いっきり蹴り飛ばし、大きな穴を開けて、自分の部屋に戻って行った。

 父親が帰宅し、リビングにできた大きな穴を見て、翼の部屋に行きドアを開けようとするが、内側から机などでバリケードが築かれていて、開けることができない。父親が「話をしよう」と声を掛けるが、何一つ返事は返ってこなかった。父親は「やっぱりアルコールや薬物依存と同じだ。取り上げるとしばらくは禁断症状が出て暴れる。まだ、翼の場合期間が短いから、軽くてすむはずだ。しばらく、様子をみよう」と、母親に言った。

 しかし、両親がパソコンを取り上げたのをきっかけにそれ以降、翼の家庭内暴力は続いた。父親が会社に出かけるのを見計らって、家中パソコンを探し、家具などを滅茶苦茶にした。どこにもない、と分かると、母親を殴る蹴るの暴力を始め、「パソコンを買え」と要求した。

 あまりに続く暴力に耐えられなくなった母はフルタイムのパートに出た。

 翼は家にあった小銭を集め、自分の小遣いも足して中古パソコンを買った。(つづく)


第5回インターネットゲーム 仮想と現実は隣に 教育研究所所長・牟田武生

 父親は、息子の翼(仮名、中学3年)がネットゲームに夢中になる理由が分からなかった。パソコンを取り上げても、中古パソコンを買ってきて、再び始めた。父親は、再びパソコンを取り上げなければならないと考え、母親に「俺が説教するから、お前はパソコンを取り上げろ」と命じた。

 母親は、父親のやり方には「意味がない」と反対した。しかし、ネットゲームだけをやって一日を過ごす翼を見ると、どうしてよいか分からなかった。パソコンがなくなった時の血相や、暴力的な言動を思い出すと、父親の言うなまけや単なるゲーム好きだけのようには思えない。アルコールや薬物依存の人のように病気とは思えないが、翼をネットゲームに向かわせるほかの力が何かあると感じていた。

 母親は一日中ゲームで過ごす翼を見るのは嫌だが、気持ちは理解してやりたかった。たとえ翼のことで父親と意見が対立しても仕方がない、と考えるようになった。母親は翼が自分に暴力を振るった時、どんなことが原因だったのかを考えてみた。

 引き金になった言葉は何だったのかしら…。「学校にどうして行かないのか」「勉強わからなくなるよ」「インターネットやめたら」「ネットゲームの何が楽しいの」「オタクと一緒だね」「将来プー太郎になるよ」などの言葉を両親が言った時、暴力がひどかった。学校のことや勉強のことと、インターネットやネットゲームに対して否定的なことを親が言った時に暴力がひどくなる。

 いじめから不登校になり、ひきこもってしまったので現実社会で居場所を失い、現実逃避としてインターネットの世界に逃げ込んだのではないかと母親は考えた。

 私のところに相談にきた母親は、「パソコンを取り上げずに現実の生活に戻すには、どうしたら良いか」と尋ねてきた。

 「お母さんの分析は正しいと思います。ただ気になるのは、現実逃避としてインターネットの世界に逃げ込んだというより、むしろ、求めたのでしょうね。息子さんは情緒が不安定なために不安に支配されてしまった子どもではなく、ごく普通のお子さんです。いじめから人が信じられなくなった。その結果が不登校やひきこもりとなったのです」と、私は答えました。

 さらに私は続けました。「ただ、その状態でも、人と関わりたいと思うのは自然な感覚です。それを叶えてくれたのがゲームとチャットの楽しさを同時に味わえるネットゲームだったのでしょう。そこに、こころの居場所ができ、支えられたと感じた時にパソコンを取り上げられたから、(仮想社会でも)居場所を失ってしまうと感じ、死ね、と言われたのと同じだと思い、暴れたのですよ」。

 「ネットゲームを頻繁に行う子どもたちにとって、仮想社会は現実社会と離れたところにあるのではなく、隣接したところにあるのです」。(つづく)

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/kokoro/century/archive/news/2004/20040219org00m100989000c.html

第29回メール依存の女(1) 教育研究所所長・牟田武生

2006年07月28日 00時07分03秒 | Weblog
 先日、ある大手民間放送局の取締役秘書として働く女性がカウンセリングに見えた。その女性はとても美しく30代半ばとはとても思えない。独身の女性の方がカウンセリングに来ること自体、大変珍しいことだが、話を聞いてみると、すでに結婚していて私立小学校に通うお子さんもいるという。

 容ぼうからはとても母親とは信じがたく、自分の目を疑った。ご主人は5歳年上で大手某商事会社のサラリーマンをしている。海外出張も多く、自分も忙しいので、すれ違い夫婦だとおっしゃる。現在は東京の実家に2世代住宅を親に建ててもらい住んでいる。

 子育てをやってはいるが、自分も主人も仕事に忙しく、祖父母が子育てサポーターをやっている。そのために、お母さんの匂いがしないのだ。

 「母親くさいひとよりも、いつも身奇麗にして現実社会に接点があった方が、自分は、貴女のことをいつまでも好きでいられる。すれ違い夫婦だから、家で、たまに会う時も夫婦というより恋人同士の方が、2人で素敵な時間が過ごせる」と彼(主人)は言うし、自分にとっても、たまに彼と一緒にいる時、夫婦だけど、好きでなくなったら別れるかもしれないという緊張感がどこかにあり、いつも新鮮な気持ちで接することができるから良いという。

 放送局の取締役秘書の仕事も華やかであり、役員のスケジュール調整や時間管理も忙しく気が抜けないが、仕事は楽しく幸せに感じていると言う。

 子どもは彼と考え、大学まであるエスカレーター式の学校に入れた。その方が受験勉強のことで悩まずにすむと思ったからだ。だが、最近、子どもが時々、理由なく学校を休むのでカウンセリングに来たという。

 子どもは小学3年の男子で祖父母になつき、他人には「祖父母に良く育てられたためか、穏やかで気持ちの優しい子ですね」と言われる。祖父母と言っても、2人とも60代後半だからまだ若く元気だという。

 その女性は自分がひとりっ子だったから、両親の育て方を見ると自分の小さい頃とダブって見える。だから、母親と言うよりも子どもの姉の感覚に近いのではと真顔で言う。

 「お子さんはお姉さんではなくて、母親を求めているのではないでしょうか?」

 「そんなことありません。学校から帰宅すると、祖父母の家に行き、おやつをご馳走になり少し休む。そしてピアノや学習塾から帰って、大好きな祖父母と3人で夕食を食べ、後片付けのお手伝いをやる。祖父母の家でお風呂に入って宿題や学校の勉強をし、2階の自分の部屋に戻って寝る。朝食は彼がいれば親子3人で取ります。息子にとって母親がふたりいるようなものです」

 翌週、女性は小3の息子を連れてカウンセリングに見えた。子どもと2人で話していると、自分の耳を疑うようなことを子どもが言い出した。

 「僕が寝ていない時間にお母さんは家に帰って来るのは、週に1、2回だけれども、たまに早く帰って来ても、お父さんが出張でいない日は、パソコンでメールしている。外に出ても携帯でメール。僕が話かけても、ウン、ウンとうなずくだけで答えは返ってこない。ツマラナイ」と言う。(つづく)

第30回メール依存の女(2) 教育研究所所長・牟田武生

 美貌(ぼう)でしかも理知的。仕事が出来るキャリアウーマンしか見えない女性に“お母さん”と意識して私は呼びかける。

 「息子さんは寂しいのです。たまに、お母さんと2人きりで家にいても、お母さんはパソコンでいつもメールしている。外出しても携帯でメール。お子さんは寂しいのです。おかあさんを独り占めにしたいのに、お母さんの心はメールの相手にいっている」。さらに「お仕事、そんなに忙しいのですか?」と聞く。

 女性は美しい項(うなじ)を誇示するかのように見せながら、重々しく口を開いた。

 「先生、本当のことをカウンセリングですから言います。仕事場以外のメールは仕事ではございません。実はインターネットの仮想社会に恋人がいるのです……。現実社会では決して会うことがない恋人です。でも、先生はネット依存の本をお書きになっている専門家ですから、お分かりになると思いますが、現実世界では主人を愛していますが、実はその人と仮想社会でサイバーセックスをしています。私には大切なひとなのです」

 「なぜ、そうなってしまうのか……。そのことが子どもの不登校の遠因にもなっていることにも気がついていました。普通のカウンセラーのところではなく、先生の所に来たのも、そのことを暴かれると分かっていました。怖かったけれど、自分の問題を解決したかったから、ここに来たのかもしれません。私は母親になれない女なのです」

 「子どもが寂しい気持ちでいることは分かっている。でも、子どもを受け止める愛情がない。母親になりきれない女としての自分が存在するということでしょうか」

 「たぶん、そうだと思います。母親になれない女なんているのでしょうか」

 「子どもとの日常生活の関わりの中で母親は作られていくのです。あなたの日常生活を聞くと、お子さんとの生活がほとんどありませんね。同時に妻としての生活もない。あるのは現実社会では恋人としての夫と仮想社会の彼の恋人。そして、華やかな仮想現実のようなお仕事。生活臭という臭いのない世界ですね。私には女優としてスクリーンの中のあなたを見ているような錯覚に陥ります」

 「あなたの家で生活実像のあるのはお子さんだけです。ご主人もあなたも虚像の中で生活している。スマートで非常に格好が良く、現代的ですがどこか寂しくむなしい。そんな現実を埋め合わせる行為がメールであり、仮想社会の恋人とのサイバーセックスなのではないでしょうか」

 「サイバーセックスしている仮想社会の彼のことは、御主人は知っているのでしょうか」

 「知らないと思います。実は私たち夫婦セックスレスなのです」と悲しそうな表情を浮かべ答えた。

 「サイバーセックスって、私はやったことないからわからないのですが、メールやチャットでセクシャルなことを言い合い想像して楽しむことですよね」

 「そうです。会ったこともない彼との想像の世界での脳内セックスです」  (つづく)

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/kokoro/century/

この女性と言うより、夫に問題有りだな。
結婚したら、かみさんを死ぬほど、愛する。
これしか、幸せの方法はないのでは?

倖田來未が発見!美貌の秘密とは!?

2006年07月26日 02時59分39秒 | Weblog
 今や日本中の女の子達の憧れの的になるほどに魅力的な女性となった倖田來未さんですが、彼女には女の子が綺麗になるための持論があるそうなんです。人間の体は70%の水分で保たれているというのは有名な話ですが、最近水に対して「好き」という言葉を掛け続けると、凍らせた時にとても美しい結晶を作るという実験結果が出たそうなんです。
 それを知った彼女は、人間も「好き」「かわいい」と声を掛けてあげればどんどん綺麗になっていくのでは?と思い、やっぱり女が綺麗になるためには素敵なメンズに恋をして、「好き」「かわいい」と言ってもらうのが一番だと確信したそうですよ!
2006年07月25日11時35分

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2239331/detail