「頭がいい人、悪い人の口癖」の広告より

2006年03月23日 00時52分26秒 | Weblog
人から嫌われる口癖
 わけわかんない
 そんなことも知らないの
 あれ?太った
 それで?

馬鹿をさらけ出す口癖
 すげー
 やっぱり
 だよねえ~
 なんちゃって
 それってビミョー

運を逃す口癖
 やってられないな
 くだらない
 べつに~
 どうせ
 なんでもいい

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特に俺が気をつけなければならないのが、
「意味わからん」
「そんなことも知らないの」とは言わないけど、そのような態度を取る
「なんでもいい」

2006/3/13-2006/3/19 かに座の空模様。

2006年03月17日 17時14分53秒 | 占い
人は、日々使える言葉を増やしていく生き物です。
更に言えば
話すためだけではなく
物事を考えるときにも言葉を使いますから
言葉が増えると
考えの内容や考え方も変化していったりします。

今の貴方は、自分や周囲だけに伝わる言葉ではなく
もっと広い世界に伝わる言葉を
身につけようとしているように見えます。
外国語を習得しないと
その国の人とは話ができませんが、
国が同じでも、立場や環境が違う相手には
自分の普段の言葉が通じないことも、よくある話です。

英語をしゃべるときは、言葉だけでなく
頭の中が英語に切り替わる
という人がいます。
すなわち、態度や感情表現、考え方も多少は
英語っぽくなる
ということだそうです。
それと同じく、上記のように
立場や環境が違う相手に話をしようとして新しく覚えた言葉は
貴方自身の考え方まで
かなり大きく、変えてしまうように思います。
今はちょうど、そんな変化のタイミングに当たっているようです。


http://www.st.sakura.ne.jp/~iyukari/week/060313cancer_w.html

3月18日(土)~24日(金)のあなたの運勢

2006年03月17日 17時12分39秒 | 占い
3月18日(土)~24日(金)のあなたの運勢

 問題と縁を切りたかったらどうしますか?この質問に対する答えは人さまざまです。一部の人々は、問題を解決することこそ問題を取り除く最良の方法だと考えます。でも、この方法には欠点がひとつあります。それは、問題を解決したとたん、目に見えない「空室」の表示が出るということ。その表示の下に、次のような注意書きがつけられます。「この人はたった今、問題を解決しました。ですから、別の問題に取り組む余裕があります。志願者はいませんか?」いっぽう、問題を無視することが問題を追い払う最良の方法だと考える人もいます。この考えも間違っています。問題というのは無視されることが大嫌い。そっぽを向いていると、徒党を組んであなたを包囲します。その結果、たくさんの問題を抱え込むこととなり、もはや無視できない状態になってしまうのです。

 それではどうしたらいい?問題を好きになればいいのです。そのとたん、問題は問題でなくなります。そしてあなたは安全な身となる次第。今週、私の言い分を実感してください。
http://stars.metawire.com/japan/cancer.htm

走ろう

2006年03月17日 17時10分03秒 | 日記
最近、また疲れやすい、根気がない、やる気がでない。
仕事なんて、どうでもいい感じがしてきた。
というか、辞めて、何もしたくない気分。
ナンのため、生きているのかもわからない。

先週、親父の一周忌が終わり、心機一転頑張ろうと思ったけど、力がでない。

「意味のないことはない。」
それはわかっているよ。
俺は成長するためにここにいる。生を受けている。
わかっているけど、前に進めない。

今日も同僚に「ため息ついている」と言われた。
情けない。俺って、本当に情けない。
こんなんじゃ、好きなあの子も俺のことを振り向いてくれない。

とりあえず、走ろう。明日は送別会があるからだめだけど、
土曜日は走ろう。なぜか、わからないけど、今そう思った。

「ユーモア尺度」で見える職場の健康度

2006年03月13日 16時39分35秒 | Weblog
つまらないダジャレを言うおじさんを煙たがってはいけない。
ダジャレなどのユーモアはさまざまなシーンで仕事の効率を上げることが
心理学的に証明されているからだ。


心理学者
内藤誼人 = 文

text by Yoshihito Naito

ないとう・よしひと●心理学者。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。現在、(有)アンギルド代表。心理学の法則をもとにした人材育成や販売促進をレクチャーする企業研修や講演などで活躍。『「心理戦」で絶対に負けない本』『上手なウソの作法』など著書多数。
高橋常政 = イラストレーション
illustration by Tsunemasa Takahashi
ライヴ・アート = 図版作成


科学が証明! ヘタなダジャレも
仕事の役に立つ

 ユーモアのない職場は息が詰まる。仕事での疲れを癒す一服の清涼剤。それがユーモアであり、笑いである。周囲の人の明るい笑い声の聞こえる職場。そういう職場なら、大いに発奮できるし、仕事の能率も上がろうというものだ。私なら、たとえつまらなくともいいから、冗談やダジャレの絶えない職場で働きたい。
「いやぁ、銀行、閉まってましたよ」と私がしゃべったら、「シマッタ!」とすぐに答えてくれる上司。「この製品サンプルなんだけど、下に穴が空いてるじゃん」と言えば、「ソコ(底)までは気づかなかった」と笑って答えてくれる同僚。そんな職場を想像するだけで、なんとも楽しいではないか。
 さらに言えば、最近職場におけるユーモアはますます必要とされるようになっている。
 働きすぎによる過労が原因で、仕事中にポックリと死んでしまう過労死は、なんと年間1万人(!)を超えているそうだ(東京大学教養学部の川人博さんの推定)。年間1万人といったら、交通事故で死亡する人の割合とほとんど同じである。なんとも、すごい数値ではないか。交通事故に気をつけるのは当然としても、過労死にも気を配らなければならない時代になっていたとは。
 過労死といえば、たいてい心筋梗塞や心臓発作で突然に倒れてしまうのが相場であるが、こうした心臓疾患の直接原因は、緊張と重圧のかかる状況下での長時間の激務だ。
 緊張の糸を張り詰めるのは、決して悪いことではない。決して悪いことではないのだが、過労死するほど頑張る必要もないだろう、適度に緊張をほぐすことも大切だろう。そのためには冗談でも言いあっていたほうが楽しくていいだろう、というのが私の持論だ。
 ユーモアもなく、ただがむしゃらに突っ走るのは、いわば仕事の暴走運転。そんなことをしていたら、命がいくつあっても足りない。自分の健康と、生命を守る意味でも、職場のユーモアは欠かすことができない。
 ビジネス心理学においても、「職場のユーモア」というテーマは、きわめてホットな対象である。ユーモアにはいろいろな効用があることが科学的な研究によって判明している。それらを心理学的に解説すると、次のようになる。
 ユーモアの第一の効能。それは、仕事が楽しくなるということだ。ある会社では、仕事の能率を高めるために、「私語厳禁の時間」を設けたりしているようだが、心理学的に言うと、それは逆効果である。たしかに、無意味な雑談はよくない。しかし、しゃべってはいけないと禁止すると、仕事までつまらなくなる危険性がある。
「ユーモアがあれば、どんなに困難な仕事もへっちゃら」、そんなアドバイスをしているのが、ネバダ大学のW・ケリー博士。博士によると、ユーモア・センスのある人のほうが、余計な心配事を抱え込まないので、リラックスして仕事にのぞめるのだという。
 ケリー博士は、18歳から57歳までの成人を対象にして、「ユーモア尺度」という心理テスト(「どれくらいユーモアを思いつけるか」「どれくらいユーモアを楽しめるか」「人生の中で、どれくらいユーモアに高い価値を置くか」などから測定される)を実施した。そして同時に彼らがどれくらい心配事を抱え込むか、どれくらいよく眠れるかなどを聞いてみたところ、ユーモア得点の高い人ほど、まったく心配事がなく、安眠できる傾向にあることがわかったのである。
 ユーモアを忘れない人ほど、どんなに厄介な仕事をまかされても、「俺なら絶対にうまくいくもんね」と明るく考えることができ、悩まなくなる、しかも毎晩グッスリと眠れる。
 ケリー博士によると、ユーモア・センスのある人のうち、なんと62.5%もの割合の人が、不眠症という言葉とは、まったく縁遠かったそうなのだ。布団に入っても、仕事のことが頭から離れず、結果として、不眠症になっている人は、職場でもっと冗談を言ってみるのはどうだろうか。睡眠薬にお金をかける必要もなくなるし、ずっと安心な処方箋である。
 ユーモアの第2の効能は、説得力がアップするということだ。たとえば、同じ指示を出すときにも、ユーモアをまじえたほうが、相手が「うん」と納得してくれる度合いが高まるのである。
「この書類を郵便局に行って、出してきてよ」と普通に要求すると、「面倒だなぁ、イヤですよぉ」と拒絶されてしまう可能性がなきにしもあらずだが、ユーモアをまじえて、「競歩の選手みたいにお尻をプリプリさせながら、郵便局まで行ってきて」と頼むなら、相手も笑ってうなずいてくれる確率がアップするかもしれない(あくまで可能性としてだが)。
 クライアントとの商談でもそうだ。クライアントに値下げの要求をされたときにも、神妙な顔で値下げできない理由を説得するよりは、「これ以上値切られても、鼻血くらいしか、出ませんよ」などとユーモアたっぷりにとぼけたほうが、相手もそれ以上はムリを言えなくなる。
 マイアミ大学のライネット・アンガー教授は、ユーモアをまじえてにこやかに説得したほうが、仏頂面で説得するよりも、はるかにうまくいくことを実験的に確認した。
 私たちは、自分のことを「愉快にしてくれる」人の言うことは、よく聞いてしまうとアンガー教授は指摘している。なぜなら、私たちは、自分を愉快にしてくれる人を好きになってしまうからだ。好きになった人の言うことは、簡単に断れなくなるのが人情というものであろう。
 アンガー教授は、同一商品に対して、2種類の広告をつくってみた。ひとつはユーモアに溢れた楽しいもの。もうひとつは商品の機能をきっちり説明するものである。この2種類の広告を学生たちに見せて、その効果を比較したところ、ユーモアによって説得したほうが、はるかに心が動いたのだ。
 みんなが心を許しあって、軽口を叩いたり、冗談を言いあえる雰囲気をつくっておけば、たいていの頼みは聞いてくれるようになるのである。


大笑いした後は
いいアイデアがどんどん出てくる

 新商品についてのアイデアを考えたり、新しい事業についての計画を立てたりするときにも、やはりユーモアは役に立つ。これが3番目の効能である。ユーモアは、ともすれば常識に縛られがちな私たちの固定した思考を打ち破り、新しい発想を生み出す原動力となるのだ。
 ドクター中松さんを見てもわかるとおり、普通の人とはちょっと違うユーモア・センスのある人のほうが、愉快なアイデアをどんどん生み出せる。ユーモア・センスは、頭の柔らかさと関連しあっているといえよう。
 メリーランド州にあるバルチモア大学のアリス・アイセン博士は、いろいろな条件下で、私たちの創造力がどのような影響を受けるかを調べてみたことがある。すなわち、(1)コメディ映画を見せて大笑いさせる、(2)軽い運動をさせる、(3)甘いキャンディを食べさせる、(4)数学の映画を見せる、(5) 何もしない、という5つの条件のうちで、最も創造的になれる条件はどれかを実験的に確認したのだ。
photo
 この実験の結果、コメディ映画を見て大笑いさせた後が、一番私たちが創造的になれることが判明した。何もしない条件に比べると、3倍以上も、創造力テストの得点が高くなったのである。このデータを参考にすると、職場でも、みんなが呵呵大笑していれば、いいアイデアが浮かびやすくなるだろうと予想できる。
 会議が煮詰まったときなどは、「ようし、ジョークでも言いあおうぜ!」と提案してみるのはどうか。私は、別にふざけているわけではない。“おふざけ、バンザイ!”の精神が、膠着した状況を打破する一助になることは、科学的に証明されているのだ。


ジョークの腕を磨くための
三つのコツ

 さて、ユーモアは職場でも大いに役立つということを論じてきたが、最後に、うまいジョークの腕を上げるための注意点についてもアドバイスしておこう。米国の産業心理学者J・L・テレイン博士によると、ジョークでの鉄則は以下のとおりである。
(1)よけいな前置きをしない
 ジョークを言うときには、「さぁ、これから面白い話をするよ」とか、「本当に面白い話なんだよ」という前置きをしてはいけない。聞く人に余計な期待を与えると、つまらなかったときに失望が大きくなるからだ。ジョークを言うときには、いきなり切り出すのがコツである。
(2)人をバカにしない
 皮肉っぽいジョーク、批判めいたジョークはかなり高度なテクニックを要する。また、かなり親密な間柄の人でも、ダーティなジョークは許されないことがある。とりわけ、相手の「容貌」「名前」「家族」にかかわるジョークは絶対にやめたほうがいい。
(3)30秒以上かかってはいけない
 オチにたどりつくまでに30秒以上かかるジョークは、たいてい面白くない。ジョークがヘタな人は、説明がまわりくどく、ひとつのジョークが長くなる傾向がある。
 さらに、テレイン博士は、皮肉っぽいジョークや、ややダーティなジョークを言うときのルールについても指摘している。
 (1)その場にいない人のジョークは言うな (2)ジョークを言われた人は、自分から笑え (3)ジョークで悪口を言われたときには、自分も軽い悪口を言って、おあいこにする (4)特定の人ばかりをターゲットにするのをやめる (5)フェアにやろう。以上の5つである。
 ただし、繰り返しになるが、皮肉っぽいジョークは上級者向けであり、誤解されることもあるので、できればやらないほうが無難である。
 私たちには、だれでも基本的な欲求として、「愉快でありたい」「楽しくありたい」という欲求を持っている。それは、職場においてもそうなのだ。だれでも愉快な職場で働きたいという欲求を持っているものであり、経営者や管理者には、そういう人間心理の機微にもっと敏感になってほしいと思う。「仕事ってのは、辛いもんなんだ」というストイックな考えを捨てて、くだらないこと、バカなことでも許容してあげることが、職場をイキイキとさせる秘訣である。
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 ユーモア・センスというものは、遺伝的に決まっているものではなく、本人の心がけ次第でいくらでもアップさせることができる。ユーモア・センスは、いわば一つのスキルなのである。「俺は昔から、つまらない男なんだよ」と何かを悟ったような絶望感にとらわれてはいけない。面白いこと、楽しいことに、どんどんチャレンジするようにすれば、だれでも芸人なみのユーモア・センスを身につけることができるのだから。
 文化人と呼ばれる人たちや識者などが、非難することの多い漫画やテレビなども、どんどん見るようにしよう。漫画やテレビのことを、やれ低俗とか低劣だと言う人もいるが、「ユーモア・センスを磨く練習だから、別にいいんだもんね」と柳に風の精神で聞き流し、バラエティ番組を見ながらアハハ、ウフフと笑うことをお勧めする。それでこそ、明日への仕事の活力が湧いてくる、というものだ。
 外国から日本にやってきた人はみな、「どうして日本人は、こんなにつまらなそうに仕事してるんだろう……」と疑問に思うそうだが、イタリア人のように、呵呵大笑しながら、明るく仕事をするのが理想だ。別に不真面目に仕事をしろ、と言っているのではなく、どうせやるのなら、楽しく仕事をしたほうがいいに決まっているからだ。

http://www.president.co.jp/pre/20060403/003.html

認知障害、緑茶1日2杯以上で効果あり…東北大調査

2006年03月03日 03時03分41秒 | Weblog
 緑茶を1日2杯以上飲む人は、週3杯以下の人に比べて認知障害になりにくい傾向にあることが、東北大大学院医学系研究科の栗山進一講師(公衆衛生学)らの調査でわかった。

 記憶力が衰えるなどの認知障害は、脳の神経細胞が活性酸素などで傷つくことが原因の一つと考えられている。緑茶に含まれるカテキンに、活性酸素の働きを抑えたり、神経細胞が傷つくのを防いだりする働きのあることは動物実験などで確認されているが、人間を対象に効果が裏付けられたのは初めて。

 研究チームは2002年7~8月、仙台市在住の70~96歳の男女約1000人を対象に、緑茶を飲む頻度などの食生活を調べたうえで、記憶力や図形を描く力など認知機能についてのテストを行った。

 この結果、緑茶を1日2杯以上飲む人は、週3杯以下の人に比べて、認知障害になっている割合が半分以下だった。緑茶を1日2、3杯飲む人と、4杯以上飲む人の間では差は見られず、研究チームは「1日2杯程度で効果があらわれる可能性がある」としている。栗山講師は「今後、海外などで緑茶を飲まない人を集め、半数の人に緑茶を飲んでもらう調査を継続して行いたい」と話している。
(2006年3月2日3時4分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20060302i501.htm

2月25日(土)~3月3日(金)のあなたの運勢

2006年03月01日 14時35分01秒 | Weblog
2月25日(土)~3月3日(金)のあなたの運勢

 どれくらい心配する必要があるでしょうか?あなたが望むだけ心配すればいいのです。しからば、あなたはどれくらい心配したいですか?必要以上に心配する必要はありません。

 この「どれくらい心配するのが適当か」という疑問は答えを出しにくいですよね。のんきに構えていると軽率な人だと思われかねません。それに、不必要なリスクもとりたくないですし……。というわけで、私たちは安全第一ということで、マイナス面に意識を集中するわけです。でも、マイナス面について心配しだすと、私たちはそれに飲み込まれてしまいます。「不安」という名の蟻地獄に引き込まれてしまうのです。たとえ蟻地獄から這い出ることができたとしても、「憂鬱」という名の汚れが服に染み込んでしまいます。今週のあなたの見込みは上々です。唯一心配すべきことがあるとしたら……それは過度に心配する傾向です。
http://stars.metawire.com/japan/cancer.htm

2006/2/27-2006/3/5 かに座の空模様。

2006年03月01日 14時20分11秒 | Weblog
さあ、始まります。
全く新しい旅に出るのです。
2,3週間前までは、こんな旅に出ることになるなんて
全然想像もつかなかったかもしれません。
でも、この旅は正しい旅です。
熟考して、長年準備したことだけが「正しい」わけではありません。
突発的に、道なりに、ほとんどなりゆきまかせに始まることの方が
ときにはずっと「正しい」展開だったりするのです。

貴方の心の中には疑いがあると思います。
それがなければむしろ、キケンです。
自分への反論や
これでいいのかという自省
今までのやり方を改めなければならないことへのプレッシャーなど
さまざまな不安と、ちょっとした怒りのようなものも
心の中で渦巻いているかもしれません。

はっきり言って
その思いこそが、今の突飛な出航を支える
ひとつの「現実感」なのです。
それがあるということこそが
いまの「スタート」の正当性の証明です。
このスタートは、貴方が自分の都合のみで進めているように感じられると思います。
でも、これが「なりゆき」できたのだったら
それはあきらかに
貴方以外の目に見えない意志が働いているということに
おもいをいたしていただきたいとおもいます。
http://www.st.sakura.ne.jp/~iyukari/week/060227cancer_w.html

子供さんの死

2006年03月01日 14時18分45秒 | Weblog
近年、かわいいお子さんが殺されてしまうという、理不尽な悲しい事件が、相次いでいますよね。
 私のもとにも、「どうして、あんなに切ない事件が起きてしまうのでしょうか?」「いくら先生の本を読んでも、どうしても、あの残忍な犯人を許せないのですが、どうすればいいのでしょうか?」というお手紙が、記憶にあるだけでも、10通を超えたと思います。
 また、「身近な人やその家族が、悲惨な事件や事故の被害者になって亡くなったのですが、どのような態度で接して差し上げればいいのでしょうか?」というご相談は、常に、多くの方々からいただいています。

 そこで本日は、そのような方々にとって、ご参考になる事例を、ひとつご紹介いたしましょう。この事例を通じて、多くの方々に「学び」が広がれば、事件の犠牲になったお嬢さんの魂も、きっとお喜びになるからです。(それこそが、そのお嬢さんの、使命のひとつでもあるからです)


 先日、あるお母様から、お手紙をいただきました。
 品格と教養を感じさせる、たいへん丁寧なお手紙でしたが、その文章は、悲しみに満ちていました。
 なぜなら、そのお母様のお嬢さんが、過去数年間の間に、悲惨な殺人事件の被害者になってしまい、ご両親は、悲しみに沈んでいらっしゃるからです。特に、ご主人は、犯人に対する強い怒りの念で、苦しんでいらっしゃるとのことでした。(事件を特定できないように、「過去数年間の間に起きた事件」として、発生時期を大雑把に広げておきます)

 そのような状況で、お母様が、私の著書『生きがいの創造 Ⅱ ~永遠の愛・めぐり逢う生命』に出会い、お読みくださったのです。お母様は、とても慎ましい御方で、私からの返事を求めることなく、ただ、本への感謝の念を綴ってくださっていました。

 ところが、私はすでに、亡くなったお嬢さんの魂のことを存じあげており、そのお嬢さんの計らいによって、お母様が私の本に出会い、お手紙をくださったことを知っていました。そこで、予定通り順調に届いた、そのお手紙に対して、次のようなお返事を、お送りしたのです。(お名前や状況など、プライバシーに触れる部分は、すべて隠すか省略させていただきましたので、意味が不明瞭な部分があるかもしれませんが、お許しください)

********************


 **** 様
(& ご主人 様)

 お手紙拝受いたしました。

 私は、事件の具体的な内容については、よく知らないのですが、お嬢さんの魂のことは、たいへんよく存じています。

 なぜなら、事件の直後にお嬢さんが私を尋ねてきてくださり、私が(他の同様の魂と同じように)光の次元へと、導いて差し上げたからです。お嬢さんの魂は、最初は泣き顔でしたが、やがてまぶしく輝き始めて、多くの方々の祈りの力にも助けられながら、たいへんまぶしい次元へと、つながっていかれました。「殺される直前に肉体を離れたから、痛みは、まったく感じなかった」そうです。

 今では、お嬢さんは、素晴らしく輝く光となって、ご家族を見守っていらっしゃいます。どうぞ、お嬢さんの現在については、まったく何の心配もしないで、安心しきっていてくださいね。

 むしろ、今では、お嬢さんの方が、ご家族を見守りながら、お父様とお母様のことを、ずいぶん心配なさっています。お嬢さんがおっしゃるには、お母様とは強く「つながる」ことができているので、こうして、お母様を動かして、私(飯田)のところに手紙を書くよう促すことができるほどなのですが、お父様は、犯人に対する強力な怒りの念をお持ちなので、お母様のように強くつながろうとしても、心が閉じていてなかなか奥まで届かず、中途半端にしかつながれないようです。

 お嬢様は、すでに「愛」そのものの姿に戻っていらっしゃるので、この世で生きている誰も、恨んでいないそうです。お嬢様は、本当は、お父様に対して、「犯人を許してあげて」と言いたいのですが、今のお父様のお気持ちを考えると、それが大変困難なことであり、お父様をかえって辛い心境へと追い込んでしまうことも、よくわかるのだそうです。お嬢さんは、お母様はもちろんのこと、お父様のことが大好きだからこそ、「犯人を許してあげて」などという、物質世界で生きる人間にとっての無理難題は、強要できないと感じていらっしゃいます。私でさえ、こんなに親思いの魂には、めったに出逢えません。

 そこで、お嬢さんのお気持ちを、お嬢さんの立場(高次の光の世界の住人)からは言えない言葉として、私(飯田)が代弁させていただくと、次のようになります。

 お嬢さんの魂は、すでに、「まぶしい光」となって、犯人のことを、100%許しています。したがって、お父様は、お嬢さんの無念を晴らすためにではなく、あくまでも、ご自分の怒りを鎮めるために、思い切り、犯人とその所業を、憎み、恨み、怒ってください。いつの日か、自分の中で「もういい」と思える日が来るまで、犯人のことを、思い切り、徹底的に、とことん憎んで、恨んで、怒ってください。もしも、死ぬまで許せなかったら、死ぬまで、恨み続けて結構です(死んだ後には、必ず許せますから)。それによって、お父様の気持ちが少しでも紛れるなら・・・それは、決して、お嬢さんが本当に望んでいることではありませんが、それでもお嬢さんは、愛するお父様のために、その思いや行為を、すべて受け入れようとなさっています。

 私(飯田)にも、小学生の娘がいます。だからこそ、お父様のお気持ちが、たいへんよくわかるのです。もしも、私の娘が、同じような事件に巻き込まれてしまったとしたら・・・あれほど、「愛」や「許し」の大切さを訴える著書をたくさん発表している私でさえ、犯人を許すことは、容易にはできないことでしょう。私は、犯人を徹底的に憎み、恨み、とことん追い詰めて、思い切り苦しめてやり、復讐してやろうと考えるかもしれません。できるものならば、この手で犯人をなぶり殺しにして、鬱憤を晴らしたいと考えるかもしれません(もちろん実行はしませんが)。あれだけ、数々の著書を通じて、「愛」や「許し」の大切さを説いている私自身でさえも、もしも娘が殺されたら、このように考えたくなるかもしれません。だからこそ、私には、お父様のお気持ちが、たいへんよくわかるのです。私には、自分自身でさえもできそうにないことを、お父様に対して求めることなど、到底できません。

 お嬢さんは、お父様の、そしてお母様の、すべてを受け入れてくださいます。
 どうぞ、お好きなようになさってください。

 それから・・・もしも、苦しくて、悲しくて、腹が立って、死にたいほど辛い時には、どうぞ、福島までおいでください。素敵な温泉がたくさんありますから、ご案内しますよ。私と一緒に、やけ酒を飲んで、思い切り泣きましょう。私でよければ、いつでも、お相手させていただきます。

 なお、まだ極秘情報ですが、3月22日には、私の新刊『ツインソウル ~死にゆく私が体験した奇跡』が、PHPから出版されます。きっと、何かのご参考になると思いますので、どうぞお楽しみに。


 最後に、お嬢さんからのメッセージを・・・

「私は、今はとっても幸せにしてるから、私のことは、なんにも心配しないで、どうか安心していてね。私は、これからもずっと、いつも、みんなの心と一緒につながっているから、どうか寂しがらないでね(とは言っても、それは無理だということも、よくわかっているけど・・・)。私はもう肉体を持っていないから、私の分まで、**(注:兄弟姉妹の名前)を大切にして、思い切り愛してあげてね。・・・そして、どうしても私に、肉体を持っている状態で会いたくてたまらないなら、もう一度、私を産んでくれてもいいのよ・・・それがもう無理なら、今度は、**(注:兄弟姉妹の名前)の子供として生まれてくるからね・・・これまで、本当に、ありがとう・・・これからも、何度生まれ変わっても、ずっと一緒にいようね」

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福島大学経済経営学類 教授 飯田史彦


********************

 ・・・というお返事を、差し上げたのです。

 すると、すぐにお返事が届き、私の手紙によって、「娘は今でも苦しんでいるのではないか、寂しくて泣いているのではないか」という不安がなくなり、お嬢さんが天国にいると確信することができたこと・・・お父様も、私が「犯人を憎んでもかまわない」と書いているのを読んで、「救われた」とおっしゃっていたこと・・・そして、「少しでも、前を向いて歩けるようになりそうだ」ということを、お伝えくださったのです。お手紙を拝読しながら、亡くなったお嬢さんを想うご両親の愛情に、私はポロポロと涙をこぼしました。
(これまでに私は、何百と、このような事例に対処してきましたが、たとえ何百例を経験しても、決して、「慣れてしまう」ことはありません。どのような事例も、そのたびに心が締めつけられ、涙がこぼれてしまいます。・・・今回いただいたお手紙の文章そのものは、先方のプライバシーに触れるため、ここではご紹介できませんが、どうぞご想像ください)

 私は、お嬢さんの魂からのご依頼を、とりあえず最低限だけでも果たすことができて、ほっとしました。そのうえで、こうして、私のHPを通じて、お嬢さんの死を通じた「学び」を、多くの方々に広げていくことにより、このお嬢さんが果たしてくださる貴重な使命の、お手伝いをさせていただいている、というわけです。
 私はこれからも、このような「魂のメッセンジャー」の活動を、こっそりと続けていきますので、どうか応援していてくださいね。(ふだんは、妻子にも告げることなく、本当に密かに行っていますので、今回のように、この活動の事例を具体的にご紹介することは、珍しいんですよ。今回は、このお嬢さんの魂から、「私の死を通じた学びを、どうか広げてください」と頼まれたので、例外的にご紹介したのです)



 なお、上記の私の手紙を読んで、読者の皆様は、「どうして、飯田先生は、こんな文章を書いたのだろうか?」と、不思議に思われるかもしれません。たとえば、脳出血で手術する前の私であれば、おそらく、「犯人を憎まないで、許してあげましょう」と、お父様からみると「余計なお世話」としか思えない、偉そうなアドバイスを書いてしまったことでしょう。また、手術前ならば、「私と一緒に、やけ酒を飲んで、思い切り泣きましょう」なんて、決して書かなかったに違いありません。なぜ、私は、これほどまでに変わってしまったのでしょうか?
 それに、そもそも、このような、意味不明とも思える悲しい事件・事故・災害などは、どうして、発生してしまうのでしょうか?(それらの中には、どう考えても、「あらかじめ計画されていた」とか「予定通り順調」だとは思えない、理不尽なものが多いのです)
 そして、このお嬢さんのように、自らの死を通じた貴重な使命を担いながら先立っていかれた方々は、いま、どのような状態でいらっしゃるのでしょうか?

 これらの疑問に対するお答えは、すべて、*月**日にPHPより発売される、衝撃の新刊、『****** ~************』(飯田史彦著)において、ビックリするほどはっきりと明らかにしますので、どうぞお楽しみに!
(伏字の部分は、残念ながら極秘情報なので、まだナイショです・・・フフフ・・・)
http://homepage2.nifty.com/fumi-rin/sub24.htm