塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ジェフ千葉、来季もジャージはカッパ製

2020-12-06 21:29:01 | 日記
 ジェフ千葉は2021シーズンも今季同様に「カッパ」で戦うようです。

 同じくカッパと契約していたコンサドーレがミズノと新契約を結んだ事とは対照的に思えます。

 しかし、ジェフもカッパのジャージ着用は来季が本当に最後であり、ファンからすると複雑な気持ちではないでしょうか。

 この情報は専門サイト「ユニ11」を今閲覧して確認したことですが、ジェフの事例だけでなくもう一つの興味深い事例が掲載されています。

 J2のFC琉球は現在、「スフィーダ」と契約していますが、レプリカジャージの売上を火災のために瓦解した首里城の修復費用に充てるというのです。

 レプリカジャージではありませんが、昨年の台風で大きな被害が長野市でも顕著でしたが、チャリティを競技の枠を超えて企画してくださったことに、多くの方が感謝しました。

 過去には人種差別撲滅を訴えた、白と黒のシリコンバンドが発売されたこともありますし、長野パルセイロは「パルシェ」と言う形で地元の農産物販売を始めています。

 このように、募金やチャリティの概念が日本に根付くといいなと思いますね。

 米国では寄付の概念が発達しており、名門大学を卒業した大物は相当の金額を母校に還元し、その寄付で運営が成り立っていると言います。

 そこには税制優遇処置もあると聞きますが、日本もJリーグ、Bリーグ、Tリーグにプロ野球と4つのプロリーグがどんどんン度を取っていくように思えませんか。

 特にコロナウイルスで観客減少のさなか、Jリーグとプロ野球が相互協力を打ちだしたことは大きな反響がありましたよね。

 「渡る世間に鬼はいない」

 という格言を、もう一度思い出したい今日この頃です。
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選手が引退の覚悟を決める時

2020-12-06 21:03:57 | 日記
 昨年の今頃、長野パルセイロがJ3の2位につけ、昇格争いの最前線で奮闘しているとは、考えにくいことでした。

 その2019シーズン最終節(12月8日)、明神智和氏が現役最後の試合となりました。

 ホームである長野Uスタジアムにロアッソ熊本を迎えたこの試合の詳細が、ナンバー1015号88ページから90ページまで掲載されています、

 記事を担当した鈴木忠平記者が丹念な描写で、監督の横山さんと明神さんの心情に迫っています。

 柏レイソルとガンバ大阪で一時代を築く
 2002年韓日ワールドカップに出場
 
 という2点はサッカー好きならば誰もがしることで、その彼が長野パルセイロという3部リーグで現役を続行することは、本当に多くのファンを驚かせました。

 同じくガンバからジュビロに移籍した遠藤保仁が「J2」であれだけ騒がれるわけですからね。

 J3という2階級降格でもプレイする、という意思は本当に敬服すべき観点でした。

 明神の話をここまで記入したのは、パルセイロがまるで陰陽のように、2019年と2020年では劇的に姿が異なる点が興味深い、ということもあります。


 しかしそれ以上に、フランクフルトは今季終了後に長谷部誠が引退すると考えている点にあります。

 逆に言えば、長谷場が今どのような心中で練習に顔を出し、自分の現状と未来を考えているのか、凄くきになったのです。

 既にクラブとは大使としての契約を結んでおり、彼の古巣浦和レッズ、自身が契約するプーマも含めて、引退後も日本とドイツを往復する生活になると予想します。

 それでも40代で現役を続ける選手が多い中(明神さんは42歳で引退)、37歳の彼がまだできることは一杯あると思うのです。

 少しクラブの声明が唐突すぎるきがしませんか。

 
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ナンバーに特集される事を考えて

2020-12-06 20:47:07 | 日記
 スポーツ・グラフィックナンバーの1015号の表紙を見たバスケットファンは、相当感激したのではないでしょうか。

 「八村塁とスーパースターの時代」

 という題名通り、一冊で1990年からの30年間におけるNBAの物語を堪能できるためです。

 1990年代のナンバーは表紙にマイケル・ジョーダンやデニス・ロドマン
 2000年代のナンバーは表紙にアレン・アイバーソン

 など、NBAの代表選手を軸に何度となくNBAを特集したものです。

 1015号の特集記事は、僕の記憶では本当に久しぶりのNBAであり、普段「月間バスケットボール」「ダンクシュート」で情報収集している方も、嬉しかったに違いありません。

 それだけ世界最高峰のリーグに、日本人選手が参戦するという意義の大きさが見えますね。

 そのナンバーが初めてサッカーを特集した号は、読売クラブと三浦知良だったと聞きました。

 時代は1992年、いよいよプロ化が始まり、代表も含めた日本サッカーの注目度が劇的に上昇していった時期と重なります。

 ダイジェスト、マガジンのファンも

 「ナンバーがサッカーを特集したぞ」
 「これはすごい事だ」

 とさぞかし盛り上がったことでしょう。

 ナンバーは毎号特集が変わりますから、野球は基本として旬の素材としてF1、大相撲、ラグビー、夏季五輪に冬季五輪という形で様々な企画で掘り下げてきました。

 1990年代になると

 プロ野球と大リーグ 野茂とイチローの活躍が素晴らしかった
 Jリーグと日本代表、そして海外サッカー 日本人選手の進出が珍しくなくなる前の過度期

 を盛り上げてくれましたよね。

 ナンバーは執筆陣の深い洞察力が見どころであり、選手と広報も安心して取材を受けているような気がします。
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