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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

高校野球からサッカーが学べる点

2013-08-18 22:05:46 | 日記
 これだけ酷暑が続き、熱中症と水不足が叫ばれる中で甲子園球場で行われている野球は、開催時期も含めてそろそろ抜本的に
見直す時期が来ていると僕は考えます。

 一方で彼らから学ぶ点も多くあり、それは

 「地域密着」
 「スタンドで応援する選手たち」

 の2点にあります。

 あれだけ地元からバスで甲子園球場に駆け付ける姿をみれば、Jもプロ野球も地域密着という言葉を使うのは恥ずかしくなり
ますね。

 それは地元の方が常に生徒の姿、練習風景や通学方法を熟知し、応援を送らずにはいられないという心理がある為だと思いま
す。

 Jでも練習から観戦している人と、試合だけ観戦している人では注目点が異なることもそうですし、練習の方が試合後の選手
と接点を得やすいという見方もできます。

 2006年ワールドカップ、あっけなく瓦解した日本代表は最後までまとまりという姿を見せることが出来ませんでした。

 2002年、トルシエが日本代表を鼓舞し、同時にレギュラーにかかる圧力を分散するために招集したのが、秋田と中山のふ
たりであり、この試みが非常に的を得たものでした。

 2010年岡田監督が川口を呼んだのも

 「本番が近づくにつれて選手が感じる重苦しさ」

 を、既に体感している選手がいることで和ませることができると判断したためですね。

 高校野球でもすべての選手がベンチ登録できるわけではありません。

 だからこそスタンドで声援している選手は、ベンチの選手が快適にプレイできるよう積極的に盛り上げ役をこなし、暑いとか
疲れたという言葉を漏らしません。

 彼らが流す汗と声を知っているからこそ、ベンチの選手もジャージを真っ黒にしてボールに食らいつき、守備と打撃をこなし
ます。

 こうした支える側と支えてもらう側の観点が、今のサッカーには欠けているような気がしないでもないのです。
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サッカーも商品も流行廃りの繰り返し

2013-08-18 21:50:10 | 日記
 90年代、ジーンズに求められた要素は履き心地でもなく、シルエットと色落ちでもなく、ただただ

 「耳付きかどうか」

 という1点でした。

 90年代前半から、御三家と言われるリーバイスとリー、そしてラングラーが40年代、50年代に手掛けたジーンズが爆発的
に売れるようになり、雑誌はこぞって古い時代のデニムや靴、ジャンパーなどを特集します。

 「耳付きジーンズ」 

 こそが最高の商品で、修繕が必要なひどい穴が空いている代物でも、随分高値の物が混じっていました。

 耳が付いていれさえすれば、履き心地が悪く明らかなオーバーサイズでも欲しいと言う方は幾らでもいましたし、リーバイスが
現在でも復刻している

 「501XX]

 は当時から垂涎の的でしたし、時代によって作りが異なる点も興味を惹く対象でしたね。

 そしてサッカーにもその時代の流行が存在します。

 特に戦術と布陣がそうで、2000年代から現在までは4バックが主流でしたが、80年代はドイツ、デンマークを軸に3-5-
2が主流となり、セレソンですら90年ワールドカップはスイーパーを置く形でした。

 イビチャ・オシムはネクタイの幅を例にだし

 「ネクタイの幅が時代によって異なるように、戦術も過去の流行が首をもたげる」

 という意味合いの事を語っていましたが、それは物づくりもサッカーも現在は古いものを見直すことで、新しい発見があるという
意味を持ちます。

 狂気の沙汰とも言えるジーンズブームがあったからこそ、エヴィスやシュガーケーンを筆頭に、日本のデニム産業が活気付き、世
界規模で信頼を得るまでになりました。

 もう4バックが行き詰まりを見せる今、案外J1の最先端である3-4-2-1は将来世界規模で見直される価値があるようにも
思えます。

 これも新しい発見です。

 
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カズこそが海外サッカーの窓口だった

2013-08-18 01:40:35 | 日記
 ワールドサッカー・グラフィック1995年2月号の表紙は、フランコ・バレージとカズが起用されています。

 当時日本代表選手ではカズだけが海外リーグに在籍しており、バレージとはジェノア移籍後初の公式戦となった第1節で激突
したことでも知られていました。

 この表紙を今振り返ると

 「海外はこの時まだまだ離れた場所だったな。」

 と感じます。

 僕と同じ30代後半の方ならば、カズのジェノア移籍とフジテレビのセリエAダイジェストで、イタリアを軸にサッカーを観
るようになったと回想するでしょう。

 今ならばむしろ海外メディアの方が

 「香川とプレミアの有望株を比較する」
 「本田はミランに相応しい人材か」

 と騒ぐ時代ですし、イタリア一辺倒の時代はもう終えていますしね。

 この号ではふたりの対談記事が掲載されていますが

 「ロベルトがJリーグに行くのは本当なのかな?」
 「フランコ、あなたがJリーグに行くという噂が飛び交っていますが、本当のところどうなんですか?」
 「日本からのオファーが来ているというのは、正直いって本当なんだ。」

 など、当時のJリーグが今よりも確実に資金を持っていたことも、同時にイタリア代表の主力が日本への移籍で頭を悩ますと
いう、今では考えられない話もあったのです。

 サッカー・グラフィック編集部としては、カズとセリエAの有名選手と起用して、売上を期待した側面はあるでしょうが、僕
にはどうしてもそこに

 「一歩引いたカズとスター選手」

 という構図に見えてしまいます。

 カズ自身は全くそんな意図はなかったはずですが、どこか欧州に対しての新参者という構図に見えてしまうのです。

 あれからおよそ20年、日本サッカーの地位向上はファンでなくとも凄い出来事だと感じてしまいますね。
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今ザッケローニ監督に求められる姿勢

2013-08-18 00:07:32 | 日記
 ジーコが政権を担っている際に、しばしば

 「彼はトルシエの遺産で飯を食っている」

 と囁かれ、同様に前任者もジーコが私の教え子を重用するのは当然と意に介する様子はありませんでした。

 つまり、ジーコは2002年から2006年までの任期のみを視野に入れ、トルシエも形は同様でしたが20代前半の選手を
招集することで、ある程度の「以後」に備えている側面はありました。

 ではザッケローニには2014年までを捉えてもらうのか、それとも以後の点も少しは考慮してもらうのかで、彼の選手招集
に対する僕たちの意見は異なります。

 今2013年度版のJリーグ選手名鑑を読み直し、脆弱と囁かれはじめたCBに本職を置くにはどうすべきなのか、思案して
います。

 僕としては

 1・中澤と闘り王、ふたりのワールドカップ経験者を呼び戻す
 2・レイソルの鈴木と近藤、アントラーズの岩政と山村というように、4バックのクラブからユニットを選出する。
 3・最終ラインではなく、セントラル・ミッドフィルダーの人選を変える

 という3点が浮かびます。

 徳に「2」に関してですが、僕は失礼な話山村和也は体の線がいささか細く、フィジカル・コンタクトに難があるのではと勝
手に想像していました。

 しかし岩政の身長は187セン体重85キロチ、そして山村の186センチで体重は80キロと、そうでもないのです。

 山村はロンドン五輪予選でセントラル・ミッドフィルダーも務めましたし、招集対象としては非常に面白みがあると思います。

 F・マリノスが首位に立ちましたが、中盤では富沢と中町の動きが際立っていますね。

 レイソルの谷口のようにハードワークでボールを奪取する選手も魅力的ですし、適切なポジショニング、試合の流れを把握する
読み、Jの選手にも個性あふれる選手が揃っています。

 まずはリーグ戦に集中すべきでしょうが。
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