goo blog サービス終了のお知らせ 

塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

どうしてサッカーは安全が保障されないのか

2013-08-23 23:40:53 | 日記
 もし僕がテニスや陸上、ハンドボールなど別の競技のファンならば、サッカー好きに侮蔑の意味を込めてこう問いかけるでし
ょう。

 「どうしてサッカーでは観客に死者が出てしまうの?」
 「どうしてファンはクラブを恐喝してまで、自分たちの懐を潤うように仕向けるの?」
 「どうしてファンはスタジアムを燃やし、椅子や物をぶん投げるの?」

 この質問に正確に答えられるサッカーファンは果たして存在するのでしょうか。

 僕は恥ずかしくてただうつむいてしまうでしょうね。

 どうしてサッカーは安全に観戦できないのか、時に考え込むことがあります。
 
 もししたり顔で

 「サッカーが最もその国の国情を反映しているから」

 と回答する人間がいれば、僕はその答えは間違っていると指摘します。

 確かにサッカーは地域差が極端に少なく、世界中で親しまれている事は確かでしょうが、だからといってサッカーが国技
になる理由は何でしょうか?

 ドミニカ共和国やキューバのように

 「野球は最高!」

 と思っているファンからすれば、こうしたサッカーファンの思い込みは単なる傲慢な姿にしか見えません。

 例えばイランはブラジルに勝るとも劣らない、サッカー好きが多い事で有名ですが日刊紙の大半はサッカーで紙面が埋め
尽くされていると聞きました。

 ならば他の競技、イランでもバレーボール、バスケットをしている方は当然いますし、自分たちの事が一向に記事にされ
ない、どこか悲しい思いでいるのでしょうか。

 ダービーのような場合は

 「相手に対する敬意と罵声」

 の折り合いを明確にしない限り、今後も警察、機動隊とファンの衝突、そして死者が出るという悪循環は終わらないはず
です。

 サッカーはもっと謙虚な姿であったはずですが。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

監督のタイプを見落としてはならない

2013-08-23 01:41:11 | 日記
 日本もプロ化して20年が経ち、選手の海外移籍だけでなくクラブの棲み分けもできつつあります。

 一方で僕は今後、監督の棲み分けも進むとみています。

 欧州、南米問わずクラブが新指揮官を物色する際は、現状を顧みて提示できる金額と選手との間柄をくまなく調べますね。

 何故なら監督には

 1・優勝請負人 例 ファビオ・カペロ ジョゼ・モウリーニョ
 2・残留請負人 例 アレックス・ミラー
 3・監督経験の無い新米監督 例 レオナルド ロラン・ブラン

 というように、年齢も意図する戦術も大きくことなりますから、監督とクラブの戦力、順位にミスマッチが生じると当初の
計画が狂ってしまいます。

 「2」のアレックス・ミラーは正確に言えば残留請負人では無いでしょう。

 しかしFC東京戦で4点を奪い、残留に導いた功績は今でも色あせません。

 またヒディンクのように「短期集中型」で、代表でもクラブでも選手の長所を引き出し、やる気を導き出す手腕に長けた指
揮官もいますね。

 例えばハル・シティやノッティンガムのように昇格を果たしたクラブが、話題性のみを考慮してモウリーニョに打診をして
も仕方がありません。

 まあモウリーニョ自身が鼻で笑うでしょうし、そんな愚かな監督選びをする事もないでしょうが。

 逆に新米監督に任せることで、クラブが勢いを得ることもあります。

 日本で言えば岸野監督を更迭して山口新監督を迎えた横浜FCは、昨年J1昇格プレイオフに進むほどの健闘を見せ、大き
な驚きを与えました。

 大学リーグでの経験はあれど、プロを初めて率いたフロンターレの風間監督も同様でしょうか。

 選手の個性だけでなく監督の性格、指導方針も今後更に細分化してゆくでしょうし、一概に外国籍の指揮官を招かなくとも
良いという流れも生まれる気がします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改めて思うウディネーゼの素晴らしさ

2013-08-23 01:31:28 | 日記
 アンジがここにきて強化方針の転換を図っているように、何年もの間その尺度を曲げずにクラブ運営を行う事は非常に価値
があります。

 例えばレアルのように

 「選手は育てるものではなく買う物」

 という方針ならば、貫くのはたやすいでしょう。

 今は緊縮財政をしいているミランも、2006年頃までは常に外部から戦力補強を行えるだけのゆとりがありましたし、シェ
バがチェルシーに移籍した際も

 「ミランが選手を高額で売却する最後の例」

 と豪語しました。

 しかし2009年初頭、シティからカカに対してのメガオファーが届いてからという物、その方針は完全に覆り今ガッリアー
ニは記者に対して

 「23歳以下の有望な選手を獲得」

 と断言していますね。

 ウディネーゼのように常に選手を発掘し、試合で起用することで資産価値を高め、適正価格で売却すると言う確固たる信念を
持つことが、どれだけ価値があるかと言う点を僕らは見直すべきでしょうね。

 逆に代理人と選手からすれば

 「ウディネーゼに行けば出場の機会がある」
 「彼らはビッグクラブに移籍することを許してくれる」

 という安心感が芽生えますし、クラブもオファーを出しやすいはずです。

 ウディネーゼも過去は大物の獲得に躍起になった時がありました。

 そう、ジーコ移籍を目論みフラメンゴに打診した時がそうで、彼らの振る舞いに慌てふためいた北の3強は、この移籍劇を邪
魔しようと様々ば策略をはります。

 その時生まれた名言が

 「ジーコか、それともオーストリアか」

 というもので、それだけファンは彼の移籍を待ち望んでいたのです。

 今でもそうですが地方クラブに世界的名声を誇る選手が移籍することは大きな困難があり、だからこそジーコは脱税疑惑でイ
タリアを去ってもウディネーゼ・ファンから親しまれたのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする