お金持ちは天国に行けないって聖書の言葉があるんでしょ。お金って、やっぱりいけないものなの? なーんて疑問を持っている人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『発展思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
お金自体は、どちらかというと価値中立的なものであって、本来、善でも悪でもないものです。しかし、近代社会における経済の発展というものを見てみますと、むしろ善に近い効用を持っていることはたしかであろうと思います。たとえば発展途上で非常に貧しい国では、経済がもっと潤っていれば心に地獄をつくらなくてすむ人が本当に多いのです。けれども、経済が貧しいがために次つぎと犯罪が起きたり病気が発生したりして、その苦しみのうちに死んでいきますと、どうしても地獄領域が増えていきます。その意味で、近代では経済によって環境をよくして地獄領域を減らすという点においては善かもしれません。(中略)
ところが、この経済には昔から大きな落とし穴があります。イエス様の言葉に、「金持ちが神の国に入るよりは、ラクダが針の穴を通るほうがもっとやさしい」というものがあります。この言葉も非常に誤解されやすい言葉でありますが、これは、この世的なる価値に執着しすぎて、あの世の世界、霊的世界の意味、存在を無視して生きた人は地獄に行くということを、そしてまた、そうした人が天国に行くのはラクダが針の穴を通っていくより難しいということを言っているのです。それは何を意味しているかというと、実は執着というものの恐ろしさを言っているわけであります。
(37~41ページ)
つまり、まずお金そのものが、直ちに善とか悪とかいうのではない。
だけれども、貧しさゆえに悪が起きがちであることを考えると、現代社会においては、むしろ善と考えるべきだ、というんですね。
ここが第一のポイントだと思います。
そして第二のポイントは、なぜイエス様が、お金持ちが神の国に入るのがムリというようなことを述べられたか、です。
要は、お金を持ってしまうと、それに「執着」してしまうことで、心が間違ってしまうことが多いから、ということではないでしょうか。
だからこそ、この「執着」を取り去るための一つの方法として、神仏への「お布施」が勧められるんだと思います。
ということで、とても大事な話ですが、まだまだ簡単に終わりそうになりません。この続きは、またの機会に!
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『発展思考』
大川隆法著
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