ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



ね、いま、信仰が大切だなんて、教えられてるんでしょ。信仰って、神社におまいりしたり、仏壇でおがんだりするなんだよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『真説・八正道』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 「信仰」というと、みなさんは、どこか遠いところにいる神仏を拝んだり、他力を頼んだりするイメージが強いかもしれません。
 しかし、「信仰の原点」はいったいどこにあるかというと、「みなさんが神仏によって創られた」という創造の秘密にあるのです。「みなさんが神仏によって創られた」ということを信じるか、そして、「神仏によって創られたみなさんが、永遠の生命のなかで無限の転生輪廻を繰り返しながら魂修行をしている」という説を信じるかということです。まず、これを問われているわけです。
 これを信じるとき、そこに「信仰」が始まります。この信仰がない場合には、何も始まらないのです。(中略)
 この「信仰心」と言うべきものは、従来使われている「信仰心」という言葉で表現される内容ではありません。ここで言う信仰とは、「事実の確認」そのもの、「真実の確認」そのものであるということです。そうした「大いなる叡智の断片を見た」ということであり、「仕組みを見た」ということの確認なのです。
 「見た」という以上、それを「知る」ということ、それを「受け取る」ということ、「了解する」ということ、そして、それを「信ずる」ということ、そうした行為を信仰というのです。
 信仰というのは、決して“摩訶不思議なものに対して祈ること”でも何でもないわけです。それは、「この宇宙創造の秘密」を知り、「人間創造の秘密」を知って、それを納得のいくものとして理解することです。これが信仰というものの前提です。
 この前提がない人は、このあと、いくら仏法真理の書物を読んだところで、いくら法話を聴いたところで、いくら勉強したところで、何の役にも立たないのです。
(34~36ページ)

自分が神仏によって創られたことを信じるか、神仏によって創られた自分が、永遠の生命のなかで無限の転生輪廻を繰り返しながら魂修行をしていることを信じるか。

この宇宙創造の秘密を知り、人間創造の秘密を知って、それを納得のいくものとして理解することが、信仰の前提である。

この前提がない人は、いくら仏法真理の書物を読んだところで、いくら法話を聴いたところで、いくら勉強したところで、何の役にも立たない──。

うーん、なるほど、なるほど、です。

ここで大川隆法先生は、これが「信仰の前提」だと説かれています。

つまり、これは前提でしかなくって、この前提部分を信じていないと信仰は始まらないが、信仰とはそれだけではない。もっともっと深いものだ、ということなんだと思います。

それでは、いま幸福の科学で言われている「純粋な信仰」とか「本物の信仰」っていうのは、いったいどんなものなんでしょう?

それは、また次の機会に!

真説・八正道 ー自己変革のすすめー (OR BOOKS) 『真説・八正道』

 大川隆法著


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