オレの人生って、なんで、苦しいこととか、悲しいこととか、乗り越えられないような難題とかばっかしなんだろうね? なーんて深刻な悩み抱えてる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『生命(いのち)の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
これまで述べたような見方で人生を捉えていくと、人生について、まったく違った見方ができるようになります。
そうすれば、この世の、さまざまな苦難・困難といわれるものも、ある意味で楽しみになるのです。
それは、ちょうど、スポーツをするときの快感のようなものです。
クラブ活動でも何でも、運動を始めたばかりのときは、筋肉痛になって大変ですが、体を鍛え、慣れてきたら、楽しくなってくるでしょう。走ることも、慣れてきたら、汗を流すことで爽快感を得られるようになります。
人生にも、それと同じようなところがあるのです。
どうか、そのような大きな目で、自分の人生を見直してみてください。そうすれば、これまでとは違った目で人生を見ることができるようになるでしょう。
たとえば、「夫婦仲が悪い」と思っている人が、そのような目で夫婦関係を見直してみると、どうなるでしょうか。
「自分は、いつも妻と喧嘩をしているけれども、今回の人生の問題集として、ここに何かテーマがあるのかもしれない。過去世で夫婦として生きていたときの問題が残っていて、それを今世に持ち越しているのではないだろうか」というように、第三者の目で客観的に考えてみてください。
そして、「自分には、どのようなテーマが残っているのだろうか。もしかしたら、いつもいつも、転生のたびに、同じことをしているのかもしれない。それならば、今世のうちに、この問題を解き切ったほうがよいのではないか。もし、自分にとって、そういう問題集が必要なのであれば、今世で何とか解決してみよう」などと考えていただきたいのです。
人には、それぞれ、一定のパターン、性格や傾向があるため、以前に遭遇した出来事に似た場面が出てくると、やはり、同じようなことをしてしまうところがあります。
飛行機や船、自動車、電車など、それぞれの乗り物には、特徴、癖があるように、それぞれの人間には、一定の特徴があり、癖があるので、ある人が特定のシチュエーション(状況)に置かれた場合、たとえば、以前と似たような人間関係で生まれたり、似たような事件が起きたりしたときには、だいたい同じような対応をしがちなのです。
そのようなときには、いったん立ち止まり、「うーん、ここに何か自分の人生のテーマがあるようだ」と、頭をひねって考えていただきたいのです。
そして、「同じような問題が繰り返し出てくるということは、ここに何か自分の性格上の欠点があるのだろう。ひとつ、これを克服しよう」と考えてみることです。
このように、何か問題に直面したときには、そのつど勉強していただきたいのです。
(227~230ページ)
これまで述べたような見方で人生を捉えていくと、人生についてまったく違った見方ができるようになり、さまざまな苦難・困難も、ある意味で楽しみになる。
それは、ちょうどスポーツの快感のようなものであって、運動を始めたばかりのときは筋肉痛になって大変だが、体を鍛え、慣れてきたら、楽しくなってくるのと同じようなものである。
人は、以前と似た問題が出てくると、同じようなことをしてしまうところがあるので、そういうときには、ここに何か自分の人生のテーマがあるようだと考え、そのつど勉強していただきたい――。
冒頭に述べられている「これまで述べたような見方」というのは、このブログで以前、さまざまにご紹介してきた、人生を魂の学校と捉えるような見方ということではないかと思います。
そして、「人生は一冊の問題集である」というもっとも初期のお教えも、改めてここで思い起こしたいものだと改めて私は思っているのです。
|
『生命の法』
大川隆法著
|
↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)