苦しいし、つらいし、思うようにならないことばっかり。わたし、何で生まれてきたのよって、思うこと多いんだ。どうしてなの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『生命(いのち)の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
ほんとうの自分は、「この世に生まれる前から輝いていた自分」であり、「この世を去ったあとも輝いている自分」です。
この「生き通しの自分」こそが真実であると思えば、たとえ、さまざまな試練に遭ったとしても、「百年にも満たない、この世の人生のなかで、いま、自分の魂を鍛えるための経験を積んでいるのだ」と受け止めることができるのです。
人生においては、人間関係の苦しみ、職業の苦しみ、生活の苦しみ、病の苦しみなど、さまざまな苦しみが襲ってきます。
それに対し、「一切の苦しみから逃れたい」と思うのが普通です。苦しみの渦中にいるときには、「こんな経験をするのは、もう、こりごりだ。二度と同じような経験はしたくない」と思うものです。
たとえば、病気をした人は、普通は、「注射の痛みや薬の苦しみから逃れたい」「病床での生活が続いて苦しい」「体が動かなくて苦しい」「車椅子の生活が苦しい」「杖をついて歩かなければならないのが苦しい」「こんな病気には一生なりたくない」などと思うでしょう。
職業上のことでも、上司に怒られてばかりいたり会社が潰れたりするなど、自分の思うようにならないことはあります。
会社が潰れた人や、「会社を辞めて転職する」ということを繰り返している人は、自分も苦しいでしょうし、収入などのことで妻子からも文句を言われるでしょう。その場合、妻のほうも働きに出なければならなくなり、仕事と子育ての両方をすることになって、苦しみが二倍、三倍になってきます。
このように、人生を苦しみの面から見たら、「愚痴も不満も出てきて当然だ」と思うかもしれません。
しかし、「この人生は、いったい何のためにあるのか」ということを考えると、何の経験もしないことが、ほんとうによいわけではありません。人間は、魂の経験を積むために、この世に生まれてきたのです。
(204~206ページ)
人間は、魂の経験を積むために、この世に生まれてきた。
だから、いまのさまざまな試練は、自分の魂を鍛えるための経験にすぎない。
ほんとうの自分は、「この世に生まれる前から輝いていた自分」であり、「この世を去ったあとも輝いている自分」である──。
大川隆法先生は、この世で生きている自分は、いわば仮の存在なのであって、霊的存在としてあの世にあった自分こそがほんとうの自分であるのだと説かれます。
そして、その自分というのは、じつは「仏の子」として光り輝いた存在である。
そんな自分が、この世にいったい何をしに来たのかというと、それは魂修行をするため。
だから、人生で苦しいこと、つらいこと、思うようにならないことが次々に起きるのには意味がある。
その経験によって、自分の魂が磨かれて、魂の糧が得られてるんだと、説いておられるわけです。
「人生は一冊の問題集である」という有名なお教えは、これを別の角度から説いてくださっていたのだと改めて理解できた気が私はしているのです。
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『生命の法』
大川隆法著 |
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