お祈りって、みんな普通にやってるかな。困ったときに、助けてほしいときに、自分の願いをかなえてほしいときに、お祈りすればいいのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『愛から祈りへ──よみがえるヘルメスの光』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
愛を得るために祈ったとして、それがいかほど魂のプラスになりましょうや。何かを与えられるために祈ったとして、それを主がどれほど喜びましょうや。
もちろん、主は「すべてのものを与えたい」と思っていますから、そうした祈りに対しても応えはあるでしょう。また、道が開かれることもあるでしょう。
しかし、「祈りから愛へ」というプロセスは、極端な他力以外の何ものでもないと言えます。そこには、人間を向上させるプロセスがふくまれていないからです。むしろ逆であって、「祈りから愛へ」ではなく、「愛から祈りへ」というプロセスこそが大切なのではないかと私は思うのです。
この「愛から祈りへ」というプロセスは、結局、こういうことなのです。
まず、愛を実践してみせること。思いや行ないにおいて、愛を実践してみせること。愛の種をまき、それに水をやり、育て、刈り入れるという行為を、まず、みずから実践してみせること。
これは一つの自力でもありましょう。自力行としての愛の実践を行ないながら、しかして祈りへと歩んでいくことが大事だと言っているのです。
つまり、「みずから、やれるだけのことをやり、果たせるだけの使命を果たし、それでなお祈ることあらば祈ってみよ」ということなのです。そうであれば、主の御心にかなうことでしょう。しかし、みずからがまずやるべきこともやらずに、祈りばかりしていて、いったい何が解決するというのでしょうか。
「きょうの食事を与え給え」と祈るかわりに、しっかりと働くことです。働く者には糧が与えられるでしょう。それと同じように、主の統(す)べる国において、霊の世界において、しっかり働くということは、すなわち、愛の実践行為に生きるということなのです。
愛の実践行為に生きて初めて、そこに日々の感謝が生まれ、日々の感謝が報恩のための祈りを生んでいくのです。そして、その報恩のための祈りは、さらに高度な自己実現をもたらすための指針を下してくれるようになります。
すなわち、「愛から祈りへ、祈りから自己実現へ」──このプロセスこそが大切なのです。
愛を実践することにおいて、心の喜びを得、感謝する。主に感謝の祈りを捧げる。報恩の祈りをなす。そうすることによって、一生懸命に生きている毎日が、さらに高度なものとなるように、その祈りに対する応えが与えられるのです。
その結果、みなさんの人生には、幸福になるしかないという「幸福の循環」が始まっていきます。あるいは、「成長の循環」「幸福の拡大再生産」が始まっていくのです。
(202~204ページ)
愛を得るために祈るのではなく、「愛から祈りへ」というプロセス、つまり、まず自力行として愛を実践し、しかして祈りへと歩んでいくことが大事である。
愛の実践行為に生きて初めて、そこに日々の感謝が生まれ、それが報恩のための祈りを生み、その祈りはさらに高度な自己実現をもたらすための指針を下してくれるようになる。
その結果、幸福になるしかないという「幸福の循環」、あるいは「成長の循環」「幸福の拡大再生産」が始まっていく──。
まず自分で、日々、愛を実践する努力をしてみること。
そのうえでのお祈りなんだってこと。
仏神の御心にかなったお祈りのあり方が、ここで分かりやすく、しかも簡潔に教えてくださっていたのだと改めて私は思っているのです。
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『愛から祈りへ──よみがえるヘルメスの光』
大川隆法著 |
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