人生、厳しいことが多いんだから、人に対してはやっぱり厳しく接しなきゃね。なーんて人、いたりしますけど、ほんとにそうなんでしょうか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『愛の原点──優しさの美学とは何か』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
私の願いはいつも同じです。「人に対して常に優しくありたい。優しい人でありたい」と思っています。
ときに勇気ある言葉を吐き、ときに勇気ある行動をし、ときに力強い決断をしなければならないこともあります。それもこれも、その底には優しさというものが流れています。より多くの人々に幸福になっていただくために、より多くの人々に幸せになっていただくために、そうした強い言葉も、勇気の言葉も、力強い行動も起きてきます。優しき人とならんとしているがゆえに、そうした気持ちもわいてきます。
ただ、私はみなさんに、そう難しいことをお願いしようとは思いません。私がみなさんに、かくあってほしいと思うことは、「常に優しき人となれ」ということです。仕事のなかに埋没しているときにも、家庭のなかで苦しんでいるときにも、私はみなさんに、この言葉を思い起こしてほしいのです。「常に優しき人となれ」という言葉を──。
人間は、ともすれば、当然という気持ちで、自分だけが豊かな暮らしをしたり、自分だけが人々にほめられたり、そうした自分だけが満足のいくような人生に、あぐらをかきがちです。しかし、その途中において、倣慢になったり、他人に対して厳しくなりすぎたりしている自分というものがあるのではないでしょうか。(中略)
人間がいちばんうれしい瞬間は、人から優しくされた瞬間ではないでしょうか。優しくしてもらった瞬間ではないでしょうか。
さすれば、自分もまた、常に優しき人となろうではありませんか。自分が人にそうされたいが如く、自分もまた人に接しようではありませんか。常に優しき人として、生きていこうではありませんか。
(209~213ページ)
私はいつも、「人に対して常に優しくありたい。優しい人でありたい」と思っている。
ときに勇気ある言葉を吐き、ときに勇気ある行動をし、ときに力強い決断をしなければならないこともあるが、その底には優しさが流れている。
みなさんに、かくあってほしいと思うのは、「常に優しき人となれ」ということである──。
大川隆法先生は、「愛」の一側面を、こんなふうにやさしい言葉で説いてくださっています。
そうだとすると、普段は厳しい仕事をしていたとしても、何かの機会に誰かにちょっと微笑んであげたりすることも、たしかな優しさだと思えます。
そんな日々のちょっとした心遣いや優しさも、やっぱり神仏が喜ばれる「愛」であるのだと、改めて腑に落とすことができた気が私はしているのです。
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『愛の原点──優しさの美学とは何か』
大川隆法著 |
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