ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



「三国志」の魏志倭人伝に、2世紀後半から3世紀前半の頃の日本には、女王・卑弥呼の邪馬台国という国があったんだってね。でも、どこにあったのかは、九州地方と畿内地方と二つの説があって、学問的に決着がついてないんですって。ほんとはどっちだったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『黄金の法──エル・カンターレの歴史観』(幸福の科学出版)で、霊的世界からみた真相を、明快に教えておられます。

 卑弥呼が九州に生まれた頃は、西洋では、イエスが亡くなり、弟子たちも亡くなり、その後、原始キリスト教会がようやく盛んになってきた時代です。すなわち、紀元二〇〇年を少し過ぎた頃です。
 卑弥呼の時代には、天照大神の高千穂国は弱小国になっておりました。そして、九州の阿蘇が見える有明海に臨む地域に、中国の歴史では邪馬台国と呼ばれている国、当時、我が国では大和国(やまとのくに)と言われていた一大勢力があって、九州三十余国を制圧していたのです。この大和国は、後に、大和朝廷へと発展してゆきます。
 卑弥呼は当て字で、ほんとうは日向(ひむか)と呼ぱれていました。(中略)
 卑弥呼の政治の特徴は三点ありました。一番目は、毎週一回、神降ろしをして、国政の判断をしたこと、二番目は、女性を数多く政治にも登用したこと、三番目には、春と秋には祭をやり始めたことです。(中略)
 だいたい三世紀の終わり頃から四世紀の初めにかけて(中略)、九州の朝廷が東征して、現在の奈良地域を中心として、大和朝廷を築きました。
(206~208ページ)

卑弥呼(日向)が生まれたのは、紀元200年を少し過ぎた頃だった。

九州の阿蘇山が見える有明海に臨む地域に、邪馬台国と中国で呼ばれる国(当時の我が国では大和国)があって、九州を制圧していた。

3世紀の終わり頃から4世紀初めにかけて、この大和国が東征して、現在の奈良地域を中心に大和朝廷を築いた──。

たしかに、邪馬台国が畿内にあったと考えれば、邪馬台国がそのまま大和朝廷へと移行発展していったと考えやすいでしょう。

そして、九州説では、奈良とは距離が大きく離れてるだけに、議論百出なんですね。

けれども、幸福の科学の最初期の経典『黄金の法』では、霊的世界からみた真相として、九州にあった邪馬台国(大和国)が東遷して、大和朝廷となったことが明かされています。

つまり、大川隆法先生による驚異の霊査によって、日本古代史上の最大の謎の一つは、すでに1980年代に決着ずみ、であったのです。

 

黄金の法―エル・カンターレの歴史観 (OR books) 『黄金の法──エル・カンターレの歴史観』

 大川隆法著

 

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