幸福の科学って宗教なんだから、神さまとか仏さまとか、信仰してるんでしょ。でも、なんで、そんなの信じられるの? 信仰って何なのよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『無限の愛とは何か──今よみがえる愛の福音』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
神という存在への思いなくして生きているということは、子供たちが、自らの親が誰であるかということを考えることなく、人生を過ごしてゆくことと同じなのです。
子供は、生まれ落ちるとすぐに、自分の母親が誰なのか、父親が誰なのか知ろうとするでしょう。それだけではなく、知ってさらに、求めようとするでしょう。抱きしめてほしいと願うでしょう。一歩でも二歩でも、親に向かって進んでくるでしょう。それがほんとうの姿なのです。それなのに、親子の関係で言えば子にあたる人間が、親なる神を見向きもせず、求めもせず、己れひとりでこの世に生まれてきたかのごとく振る舞っている現在の姿は、まことに恥ずべき状態であると言わざるを得ません。(中略)
信仰と言われているものを一言でわかりやすく言い換えるとするならば、この「神を愛する」ということに尽きるのです。神を愛するがゆえに、親なる神の持っておられるすばらしい思いを、性格を、性質を、受け継ごうとするわけです。それは単なる惑わかしや思い込みといったようなものではありません。厳然たる事実のもとに、行なわれて当然のことを行なうという、ごくごく合理的と言ってもよい考え方のもとにある行為が、この信仰なのです。
この世界の成り立ち、人間の生命の成り立ち、こうしたことを知ろうとし、知ったうえで、その本来の成り立ちに基づいた生き方をしようとすること。これはまことに筋の通った生き方なのです。これは、このうえなく合理的な生き方でもあるのです。
(160~164ページ)
信仰をわかりやすく言い換えれば、「神を愛する」ということに尽きる。
神への思いなくして生きているのは、子供たちが、親が誰かを考えることなく生きているのと同じことである。
それは、厳然たる事実のもとに、行なわれて当然のことを行なうという、ごく合理的な生き方でもある──。
つまり。
人間はどこから始まったのか。
その元には人間を作った存在があるはずだ。
それが神と呼ばれる存在である。
だから、人間にとって神は、魂の親である。
魂の子が魂の親を愛するのは、ごくごく当然のことであり、それが信仰という行為なのだ。
だから、信仰とは、親なる神を愛するということに尽きるのだ、と。
ここで大川隆法先生は、そういったことを教えておられるのではないでしょうか。
そして、ここでの「神」は、「仏」と言い換えることができるのだ思います。
今日は、「信仰」とは何かという最も根本のところを説かれた、大川隆法先生のお教えの一節を、改めてご紹介してみました!
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『無限の愛とは何か──今よみがえる愛の福音』
大川隆法著 |
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