幸福の科学の「霊言集」では、著書などを残した有名な霊人が、その人の言行録と違うこと言ってたり、在世中の重要な事柄を覚えていないことがあったりするんだけど、どうしてなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『神秘の法──次元の壁を超えて』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
霊界へ還った人が、この世のことを、一個一個、つぶさに覚えているかといえば、そうではなく、実際は、どんどん忘れていくのです。これは当たり前のことです。
みなさんも、幼稚園の時代にしたことを、いちいち覚えていないでしょう。当時の記録が残っていて、それが出てくると、その内容を見て驚くはずです。小学校時代についても、おそらくそうでしょう。
年を取ってくると、かつての友達や担任の先生の名前や顔を忘れてきます。「担任の先生に、あるとき、こう言われた」などということでも、記憶に残っている場合もありますが、忘れている場合もあります。かつての友達に、「君は、あのとき、こういうことをした」などと言われ、覚えていないので驚くこともあります。年を取ると、だんだん、そうなるのです。
あの世に行く過程は、この世のことを忘れていく過程でもあります。あの世へ行くことは“生まれ変わり”なのです。逆に、あの世からこの世に生まれてくるときには、あの世では“死”を迎えて、この世で新しく誕生します。あの世とこの世では正反対になるのです。
あの世の人は、この世に生まれる人に対して、お別れを言い、涙を流しています。
この世に生まれてくる人は、この世に生まれると、すべてを忘れてしまいます。そして、成長していき、この世の人間としての自覚、知識、経験、記憶をつくっていきます。やがて、年を取り、肉体が弱り、記憶力も弱って、あの世に行きます。
あの世に行くと、また霊界の“赤ちゃん”です。新しく、新生児のようになって、霊界のことを一から学び直さなければいけないのです。
あの世に行くときには、この世で経験したことのなかで、エキスのようなものは持っていくのですが、その他の瑣末事は置いていかなくてはなりません。全部、持っていくようでは、あの世の修行の妨げになるのです。
(194~196ページ)
霊界へ還った人は、この世のことを、どんどん忘れていく。
たとえば、幼稚園の時代にしたことをいちいち覚えていないし、小学校時代についても同様に、年を取ってくると忘れていくのと同じことである。
あの世には、この世で経験したエキスのようなものは持っていくが、あの世の修行の妨げにならないように、その他の瑣末事は置いていかなくてはならない──。
考えてみると、高級霊であっても、あの世に帰天してから以降、現在まで、そこでの生活がまた積み重なっているわけです。
死後、何十年、何百年とたってしまえば、この世で生きていた記憶というのは、たとえば私たちの幼稚園時代なんかよりも、もっとはるか昔のことにすぎないんですね。
“神近き高級霊である以上、間違いをするはずない。在世中の重要な事柄を覚えてないなんておかしい”なんて言うのは、高級霊とか霊人という存在がどういうものかを分かっていないから。
もちろん、その存在や行動などは普通の人間よりはるかな高みがあるにしても、でも、とっても人間くさいものでもあるのだと、私は理解しているのです。
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『神秘の法──次元の壁を超えて』
大川隆法著 |
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