大学まで行けなかったし、とか、自分が出た大学、偏差値が低いから出世の見込みがないとかいって、それがコンプレックスになってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝思考──人生に敗北などないのだ。 』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
たまたま何十年か前に、大学や高校に進学できなかったことがコンプレックスになって、そのまま二十年も三十年も生きている人が多いのです。
しかし、二十年も三十年も経っているのに、現時点でもそのコンプレックスを思いつづけている人というのは、学歴不足として他の人から扱われてもしかたがないと思います。それほどまでに囚(とら)われているというのは、ずっと自分でレッテルを貼りつづけているということなのです。
中学卒の学歴であっても偉くなった方は、世の中にいくらでもいます。その方がたは、「自分は中学卒の学歴で、その程度の頭だから、その程度の仕事しかできない」と思ってきてはいないはずです。(中略)
現代社会では、特に知的な面に対するコンプレックスというものが強烈にあります。
しかし、何十年か前の事実そのものが自己弁解のすべてになっているならば、現在、不利に扱われてもしかたがありません。その後、どれだけのことをできたのかが勝負だと思います。
大学で学んだとしても、通常の場合、就学期間は四年です。いくらよく勉強したとしても、わずか四年間で学べることというのは、大したことはありません。他人が四年間で学んだことぐらい、頭が悪くても、十年がんばれば必ずマスターできるはずです。もし十年でできなかったとしても、二十年かければ絶対に大丈夫なはずです。いくら頭が悪くても、二十年やってできないことはありません。
したがって、「その後どう生きたか。自信をつけるだけの実績をつくったかどうか」が大事です。たいていの場合は、そうした学歴不足を言い訳にしています。しかし、その人の念いがそこで止まっているということが、いちばん指摘されなければいけないことだと思います。
もし学歴の不足が悔しいならば、それを埋めるための努力をすべきです。そして、それだけの時間をかけるべきです。他人の三倍ぐらいやれば、たいていの場合はできます。他人が二年や三年でやれることを、十年かけてできないはずは絶対にありません。できないのは、努力と信念の不足だと思います。自分の持つマイナス以上のことをやることです。
(65~67ページ)
20年も30年もたつのに、学歴のコンプレックスを持ち続けている人は、学歴不足として扱われてもしかたがない。
他人が大学4年間で学んだことぐらい、頭が悪くても10年や20年かければマスターできるはずである。
その後、どれだけのことをできたのかが勝負であって、できないのは努力と信念の不足である──。
改めて、なるほどなあと思います。
この教えを説いていただいてからずいぶんたちますが、時間がたてばたつほど、この教えの持つ深みが、実感として感じられます。
この「常勝思考」は、ほんとうの人生の達人、つまりは悟りを開かれた方だからこそ説かれる、典型的な教えの一つだったのだと、改めてしみじみと私は感じているのです。
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『常勝思考──人生に敗北などないのだ。 』
大川隆法著 |
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