「国益」って言葉あるけど、まずは国民だよね。国の利益なんて言ってると、すぐナチズムみたいな全体主義になっちゃうでしょ。国民が第一なんじゃないのかな。・・・なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『愛、悟り、そして地球──21世紀のフロンティア・ストラテジー』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
幸福の科学では、「利自即利他」ということを、よく言っています。
「個人としての幸福を求めなさい。個人としての悟りを求めなさい。そして、個人として人に愛を与えられる存在になりなさい。個人の幸福を求めると同時に、それを公的な幸福、公の幸福と一致させるようにしなさい。利自即利他──。自分を利するその生き方が、同時に、他を利する生き方、公のものを利する生き方、他の人びとを幸福にする生き方になるようにしなさい。この両方の調和が大事です。この考え方が中道です」
と、いつも教えてきました。
全体主義の流れのなかでは、この「個人」が消えてしまうのです。悟りを求める個人、幸福を求める個人などは、なくなってしまうのです。
全体主義は、「お国のためなら、個人の幸福を言ってはいけない」「会社のためなら、個人はもうどうでもいい」「主義・主張のためなら、あとのものは、すべて捨てられてもいい。イデオロギーだけが勝てばいいのであり、個人はどうでもいい」という主義です。こうした全体主義は、幸福の科学が肯定するものではありません。
しかしながら、逆に、「社会や国家という公共のものは、まったく無駄、無意味であって、個人だけが幸福なら、それでかまわない」という無政府主義的な考え方も、私たちはとっていません。
確かに、「個人が幸福であれば、それでいい。国がどうなってもかまわない。国が右に寄ろうが左に寄ろうが、戦争をしようがしまいが、自分が生き残れたらいい。ほかの人が貧乏でもかまわない。自分だけご飯が食べられたら、それで結構である。自分だけ幸福なら結構である」という考えはあるだろうと思うし、そうした生き方を実際にしている人もいるでしょう。(中略)
しかし、人間がこの世に生まれたのは、自分の幸福を求めるためでもありますが、自分のためだけではないのです。人間は、この地上で一緒に生きている多くの人たちを幸福にする生き方をするために、生まれてきたのです。自分の幸福と他人の幸福を同時に実現しなければならないのです。
たとえばナチズムは、ドイツ民族の幸福を、もしかしたら考えたのかもしれません。しかし、ユダヤ人を皆殺しにして、他の者の幸福を抹殺し、他民族の集団的不幸を基にして、自分たちの民族だけが幸福になろうとした考え方は、幸福の科学の求めている考え方ではありません。
私たちの考え方は、「個人の幸福は、同時に、社会や国の幸福につながるものでなければならない」というものです。
もちろん、日本人は日本という国の国益や幸福を考えて結構です。ただ、それがまた、世界の幸福につながるようでなくてはなりません。日本の幸福が、即、世界の幸福、地球の幸福につながるような、両方を貫く幸福を求めなければいけません。その中道にこそ、自分たちの考えの定点を置かなければならないのです。これが幸福の科学の考え方なのです。
(65~71ページ)
「利自即利他」、つまり、自分を利するその生き方が、同時に他を利する生き方、公のものを利する生き方、他の人びとを幸福にする生き方になるようにするのが、中道であり、そこに自分たちの考えの定点を置かなければならない。
幸福の科学は、国のため、会社のため、主義・主張のためなら、個人はどうでもいいという全体主義を肯定しないし、逆に、社会や国家などの公共のものはまったく無意味であって、個人が幸福ならそれでよいという無政府主義的な考え方も、とっていない。
幸福の科学の考え方は、「個人の幸福は、同時に社会や国の幸福につながるものでなければならない」というものであって、日本人は日本という国の国益や幸福を考えてよいが、ただ、それがまた世界の幸福につながらなくてはならないというものである──。
なるほど、なるほど、こういうことですね。
まず、「利自即利他」という、自分を利することと他人を利することを調和させること、という大事な教えが、幸福の科学にはあります。
それを国家規模まで広げたときにどう考えたらよいのか、という大きな視点を、大川隆法先生は、ここで教えてくださってるんですね。
ここに、他の国との付き合い方の根本的視点があることに、改めて私は気づいた気がしているのです。
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『愛、悟り、そして地球──21世紀のフロンティア・ストラテジー』
大川隆法著 |
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