ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



人間って、神さまに創られたんだから、神さまと人間って、まったく別の存在でしょ。そう考えない宗教なんてのもあるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心の挑戦』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 世界の宗教には、大きく分けて二通りの流れがあります。
 一つは、「神人(しんじん)隔絶型」とでもいうべきもので、神と人とが隔絶されていて、まったく別のものとして切り離されているかたちの宗教です。
 キリスト教などはその典型です。(中略)
 もう一つの宗教は、「神人合一型」とでもいわれるものです。(中略)神と同じようなものを本質に持っているのだから、この世的にさまざまな迷いもあろうし、穢(けが)れもあろうし、罪もあろうけれども、そういうものを払い除け、取り除けていき、修行をしていったときには、人間は神と一体になっていくことができる、神そのものに人間が変わっていくことができる、こういう考え方の宗教です。
 この代表的なものとして、仏教があります。(中略)この神人合一型では、宗教は自力中心型にならざるをえないということになると思います。
 もちろん、一方だけが真実で、他方は完全な間違いということはありません。神人隔絶型は、(中略)巨大な神の御前で、ほんとうに小さな人間が、謙虚にその他力の力にすがることによって、心を正しくして生きていこうとする考え方です。ですから、謙虚さもありますし、祈りもあります。感謝もあるでしょう。そして、神の恵みのなかに生きていこうとする考えですから、これはこれで間違っているというわけではありません。
 しかし、この神人隔絶型は、どちらかというと、性悪説に傾きがちであることが多いのです。「人間は罪深いものであって、許しがたいものである。許されないものである。しかし、神の一方的な恵みによって許される」という傾向を持っているのです。
 これに対して、神人合一型は、自らが神に近づいていこうとする思想ですから、どちらかというと、その内に非常に強いものを秘めています。これは、ある意味では、性善説を内に秘めているものだと思います。つまり、「もともと私たちは神と同じような尊い性質を持っているのだ。だから、それに近づいていくことができるのだ」という考え方であるわけです。(中略)
 この両者は、どちらも正しい考え方ではありますけれども、やはり私としては、「人間のなかには素晴らしい素質があるのだ。そして、自らそれを磨きだしていくことができるのだ」という考え方を中心にしております。(中略)
 わざわざ、この三次元世界、現象世界に生まれてきて修行をする、それも一回きりではなくて、何度も何度もくり返しながら修行をする人間、という観点から見たならば、生まれ変わってくるたびに、「自分は罪の子です。神様、許してください」とお願いしては許してもらう、ということをくり返す宗教と、「私は、生まれ変わるたびに魂修行をなして、一歩一歩、高みに登っていこう」とする宗教と、結局において、どちらがより多くの善を生み出すことができるか、より多くの人間を幸福の彼岸に導くことができるか、ということを考えてみると、やはり、私は自力型のほうが勧められるのではないかと思います。
(14~19ページ)

世界の宗教には、大きく分けて、キリスト教のような「神人隔絶型」と、仏教のような「神人合一型」という、二通りの流れがある。

一方だけが真実で他方は完全な間違いということはなく、神人隔絶型には謙虚さや祈りも感謝もあるが、性悪説に傾きがちであり、神人合一型は、自らが神に近づいていこうとする思想であって、性善説を内に秘めている。

人間は何度もくり返してこの世に生まれ人生修行をしているのだから、結局どちらがより多くの善を生み出せるか、より多くを幸福の彼岸に導くことができるかの観点からは、やはり自力型のほうが勧められる──。

つまり、幸福の科学は、宗教を大きく二つに分けたこの考え方に照らせば、どちらかというと「神人合一型」の宗教であり、自ら一歩一歩進んでいこうとする「自力中心型」の宗教である、ということだと思います。

「人間のなかには素晴らしい素質(仏性)があって、自らそれを磨きだしていくことができる」、というのは、とてもポジティブで勇気がわき出てくる思想ではないかと改めて私は感じているのです。

 

『心の挑戦』

大川隆法著

 

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