「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

人体に通ふ電流夏の河 山本峰子

2021-07-19 04:59:56 | 日記
普段は意識しないし、意識して感じられるものでもないが、体の中には、微弱な電気が流れているそうだ、「パルス」と呼ばれるもので、体の代謝や神経細胞での伝達といった働きをもつ、とても大切な電気。様々な過程を経て最後に脳に伝えられた結果、「痛い」という感覚を感じ取ることができるという。その感覚を受けた「夏の河」はまるで空中写真のように河を映し出し、その河は目には見えないが、地上に降り注いだ雨や、雪融けなどの水が、地下水となって、地中をゆっくりと移動し、所々で染み出したり、湧き出したりして、川に流れ込み、絶えることのない水の流れとしてあることに通じて来る。梅雨どきの濁流あふれんばかりの川、盛夏の水量乏しい川、山峡の清流、夏の河は色んな表情をもつ。川底の小石までがくっきりと見える清らかな透け感の真夏の河から発想を得た句かと思うが「人体に通ふ電流」が痛みに通じるならば、この「夏の河」も時には人に痛みを感じさせる河として詠まれたようにも思われる句だった。(博子)

初夏や眩しき鯉の大しぶき 八島 敏

2021-07-16 04:48:57 | 日記
初夏は光と緑の季節。その大景に河。大ジャンプの水しぶきが、その鯉の大きさを言いつつ眩しい素敵な写生句。我が家の池の鯉も突然跳ね上がり大きな音がして驚くことがある。鯉は体に付着した寄生虫などを落とすために跳ねると言われる。94歳の父が世話をしていた鯉だが、介護が必要になり、今は夫が世話をしている。池の消毒もしなくてはなりませんね。(博子)

郭公や使ふことなきパスポート 横田みち子

2021-07-14 03:17:25 | 日記
初夏、南方から日本に渡って来る郭公と、パスポートを取ったが頓挫した海外旅行の取り合わせかと思う。世界に蔓延するコロナウイルスのせいだろうか。明るいような寂しいような声で鳴く郭公が心境を語っているような句だ。傍題の「閑古鳥」を思えば、コロナ禍の長期化でダメージを受けている観光業界に心を砕く作者も見えてくるような句でもある。ワクチン接種がすすみ、季語本来の長閑な空気感が戻ってくるのはいつ頃になるのだろうか。(博子)

螻蛄の夜の父のうはごと銃どこだ 石母田星人

2021-07-12 04:49:27 | 日記
ジーと沈んだ重い声で寂しく螻蛄が鳴いている夜。作者のお父様が意識混濁の中で無意識に口走った言葉が「銃どこだ」だという。徴兵されていなければ絶対に出てこない言葉である。夏と戦争の記録は重なって語られ、戦争を知らない世代にも凄惨な事実突き付けられる。螻蛄に防空壕を連想した自分に少し驚きながら、固唾をのむような緊張した空気感を思った。「銃」は「患い」との戦いの必須として、生きようとしてくれていることが伝わる一言ではなかっただろうか。孤独な想像だにしない戦いを見守る家族の祈る手が見えるような句であった。(博子)

私道みな海に出る町白日傘 成田一子

2021-07-10 04:03:13 | 日記
私道とは個人や企業が持つ土地の一部を道路として使っているものをいうそうだ。車の運転をしないせいもあって、私道か公道かなど意識したことはなかったが、父の実家の門から二車線道路までの田中を抜けるうん百メートルくらいは私道なのだと今更気が付いた。この町全体が、山並が本当に遠くに見える稲作地帯である。掲句は「みな海に出る」と、島だろうか。漁師町だろうか。潮の匂いや波の音に包まれて、海の青さと広さへ歩む白日傘を追う空撮映像のように思えた句だった。生活と旅、そんな構図にもなっているのだろう。(博子)