画なのだから着ているものが変わろうはずもないが、視線があるのはその微笑みではなく、胸元なのだろう。そこから画の背景の冷え冷えとして寂しい感じに、広くあいた胸元を温める一枚を思ったのかと思う。徐々に自然界の色を消して行く時雨に先人達は、さびれゆくものの中に、美しさと無常の心を養ってきた。「村時雨」とすることで画の背景のありようを失わせずに「肌感覚」に何となくリンクしていく詠みが上手いと思った。(博子)
そういえばそうで、捌くとき水(?)しか出てこない。「どう見ても」と、あのグロテスクな姿をつくづく見ている。誰からか贈られて、その見た目が嫌で奥様から捌いて欲しいと頼まれたのかも知れない。両端を切って、腹を切る。血が出ないからこその、きれいな薄いオレンジ色のワタを、『これが「このわた」になるのか~』などとつまんで観察している。ぶにゃぶにゃしていた海鼠はみるみる硬くなりあのコリコリとした食感の酢海鼠になってお酒と一緒にいただくのでしょうね。海鼠には心臓も血管も無く、血液と言うものが存在しませんが同じような役割をしている管があり、血液はヘモグロビンという鉄が結合した色素が、赤として目に見えますが、海鼠のような無脊椎動物はヘモシアニンという銅が結合した色素が、酸素の運搬をしていて、ほぼ透明なのだそうです。「なぜ」が詠まれて、「そういうもの」と流してしまわない写生がいろんな事を教えてくれました。海鼠の内臓はそのまますすっても、三杯酢に浸して酢の物としても美味で、熱燗の酒をそそいだものは「このわた酒」と称されて楽しまれていることも知りました。・・・捨てるんじゃなかったと思っている今です。(博子)
「臼起し」は<正月2日ごろの仕事始めの行事。年末に伏せておいた臼を起こして餅 をついて供える。あるいは餅つきのまねだけをして、別に準備しておいた餅を供える>と、季語解説に書いてあったが私には馴染みがない。<正月の餅は12月28日に搗く>というのはまだ守っている方がいるが餅つき機で撞く。「臼」自体を見なくなった。「土間」が古い家の造りを思わせる。竈があって、白い割烹着のお婆さんとお母さんが居て、ねじり八巻のお爺さんとお父さんが居て、子供達がワイワイ賑やかな行事として何となく想像は付く。父の実家がそんな土間のある茅葺屋根の大きな家だった。オート三輪で妹とよく連れて行ってもらった。この句もそんな昔を思って詠まれたのかもしれない。餅はスーパーで買うものになった今、家族総出で作った餅の味が懐かしく思われた。(博子)
一月十日に行われる新年初の戎祭。「人波の湯気」は熱気の具象化だろうか。「湯気」とすることで、笹との色の対比が目に鮮やかで「かきまわす」という動きが「♪年のはじめのえべっさん、商売繁盛で笹もってこい♪」そんな踊り出しそうなリズムに揺れる笹が思われる。笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌、商売繁盛の象徴となったそうだ。去年の笹に感謝を込め返納し今年の笹をいただいて来るのだそうだが、関西で特に盛んなお祭り。私にはあまり馴染みがないが、我が家は商店なので、祖父が、雑魚を捕ってきて神棚に備えていた。水を入れた容器に雑魚が泳いでいたように記憶しているが、幼かったのでそれしか覚えていない。(博子)
※十日戎の一週間後が「関西震災忌」。もう25年になるんですね。その間にも大きな地震や豪雨が相次ぎ、復興の文字ばかり見て来たような気がします。今年はなんの災害もなく過ごせますように・・・。
※十日戎の一週間後が「関西震災忌」。もう25年になるんですね。その間にも大きな地震や豪雨が相次ぎ、復興の文字ばかり見て来たような気がします。今年はなんの災害もなく過ごせますように・・・。
「馬たち」と、複数の馬にして場所を言わずに場所を想像させ、尚且つ「歩み」と、のんびりとした趣は「ほこほこ」と表現され、見ている作者のほっこり感という心の暖かさに繋がっていく。この暖かさは「日脚伸ぶ」の春の訪れの予感にも掛かり、春への距離感の体感でもあるのだろう。春になったらもっと元気に走り回るだろうことへの力強さも想像され、動物園かなと思った場所が緑に覆われた牧場にシフトする感覚が楽しかった。(博子)