三、四年前から、我が家にも瑞巌寺から若い僧が托鉢に来
る。六月頃だったと思うが定かではない。揚句は「寒明」で
ある。寒が明けたと言っても寒いだろうなと、私は心配にな
った。たぶん作者も遠ざかっていく声に耳を澄ましながら、
「雪が降らなければいいな」、「そろそろ暗くなるのにまだ声
がしている」と、気にしている。それが修行だと分かってい
ても、「こんなに寒い日でなくても・・・」などと僧から心が
離せないでいたのだろう。暖かい部屋で、修行の厳しさを思
う作者のあり方は、私にもあてはまる。「声」ではなく「遠ざ
かる姿」だったら、季語は「くしゃみ」になったかもしれま
せんね。(H)
る。六月頃だったと思うが定かではない。揚句は「寒明」で
ある。寒が明けたと言っても寒いだろうなと、私は心配にな
った。たぶん作者も遠ざかっていく声に耳を澄ましながら、
「雪が降らなければいいな」、「そろそろ暗くなるのにまだ声
がしている」と、気にしている。それが修行だと分かってい
ても、「こんなに寒い日でなくても・・・」などと僧から心が
離せないでいたのだろう。暖かい部屋で、修行の厳しさを思
う作者のあり方は、私にもあてはまる。「声」ではなく「遠ざ
かる姿」だったら、季語は「くしゃみ」になったかもしれま
せんね。(H)
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