おいしい国ブルガリアでのフボボな生活

ブルガリアのこと、まだ忘れ難く・・・
でも、アラフィフからまた新たな挑戦をはじめます!!

ブルガリアでお引越し(3)

2005-11-19 19:56:18 | ブログ
snowpk1
ブルガリアではある程度の人口のいる町なら、町の中心部に公園を中心としたきれいな商店街があります。ペルニックも、すでにすたれた(?)炭鉱町、といっても約10万人住み、ソフィアにも近いこともあって、最近ではソフィアまで毎日通勤している人も多いそうなのです。

というわけで、町の中心部には「タルゴフツカ」(それこそ、商店街!!、という意味)という名前の通りがあり、結構しゃれた店があるのです。それで、必要なものを買おうと街に出てみました、が、あれ?みんな閉まってる!、やってるのはカフェくらい・・・よく考えてみると今日は日曜日なのでした。でも、日本なら日曜日は「かきいれどき」です。ソフィアでも営業している店が多かったのに・・・・やっぱり、ペルニックは田舎だ!!

でも、引越し先のアパートの近くには「Tマーケット」というスーパーがあり、ここは毎日夜10時まで営業しています。さらにその先にはOMVというオーストリア資本のガソリンスタンドがあり、そこでも少しのものなら買えます。でも、なにせ便利な店が少ない! ペルニックには外国資本がぜんぜん入ってきていません。もっと小規模な都市でも、「ビラ」(オーストリアに行くとそこらじゅうにあるスーパーとコンビニの中間のような店、ブルガリアでは郊外マーケットですが・・・、ちなみにドイツ資本らしい)やマクドナルドがあるのに・・・外国人もほとんどいない、ソフィアにいっぱいあった中東の人が経営するドネル屋さんも、中華料理店もここには1軒ずつしかありません。

ゴショの話を聞いていると、この街はとても保守的なのだそうです。ペルニックは退役軍人が多いそうでその影響力が強いらしいのです。かくいうゴショもペルニチャニン(ペルニック子)です、「マケドニア(旧ユーゴ)も、ギリシャ北部も、人々は純粋なブルガリア語を話すんだ。あそこら辺は本当はブルガリアなんだ。」
保守的といってもいったいいつの話しなんだか・・・ブルガリア人は「ブルガリアには本当は3つ海がある」(つまり黒海、エーゲ海、アドリア海)というけれど、それっていつの時代のブルガリアの話なんだ?・・そんなこといったら「ローマ帝国が支配していた全領域がイタリアだ!!」っていってるみたいなもんじゃないか・・・
つまり、ヨーロッパにはややこしい国境問題がたくさんあるということです。さすがに第一次大戦前は「世界の火薬庫」といわれたバルカン半島だけになおさらややこしい話です。
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さて、話は戻って、ソフィアのムラドスト(以前に住んでいたところ)では一番小さくてぱっとしなかったTマーケットですが、ペルニックでは貴重な、安心して買い物ができるきれいなお店です。いってみるとスゴーい人、人、人・・・。店内には大きなオーブンがあって焼きたてのパンが買えます。その前に10人くらいの人が焼き上がりを待っていました。やっぱり若い人たちは「新しい、便利なもの」が好きなようです。早くペルニックにもこういうお店がふえないかなあー・・・。


ブルガリアでお引越し(2)

2005-11-18 00:23:37 | ブログ
ペルニックのアパートの大家ゲオルギ、通称ゴショはいい人なのですが、とにかく当てにならない!引越しの荷物と新居(といっても築100年)の前で待つこと1時間半・・・おかしいなあ、鍵を持ってきてくれるやくそくの時間はとっくに過ぎているのに・・・そのうちパラパラと雨が降り始めました。もー最悪!すると近所の人が心配して出てきてくれました。アパートの入り口だけ住人共通で鍵があるのでそこを開けてもらい、濡れると困るものだけ入れることができました。でも、まだこない・・・なんだか寒くなってきたなあ~。
すると、ソフィアよりも田舎のペルニックはアジア人の私は珍しいらしく、しばらくすると4人の子供たちがやってきました。一番好奇心の強いらしいアレクサンドラ(通称サシカ)が
「名前なんていうの?どこから来たの?」
と、質問を投げかけてきました。さらに、向かいのアパートからドドっと4人くらいのおばあさんたちがやってきて
「あんた、ベトナミツィ(ベトナム人)かい?」と質問。
「ヤポンツィ(日本人)です。」
「そーかい」と、ニッコリ。
昔栄えた工業地帯ペルニックにはベトナムからたくさんの出稼ぎ労働者が来ていたのでアジア人といえばベトナム人と思われることが多いのです。でも、このおばあさんは、ひとしきりしゃべったあと、また
「あんた、キタイツィ(中国人)だったよね?」
「ネーネー、ヤ・ポ・ン・ツィ!」
もう一度ちゃんといったけど、たぶんこのおばあさん、誰かに私のうわさをするときには何人だったか忘れてるだろうなー。ま、何じんでもいいんですけどね・・・
そこへ、ブ~ンと大きなワゴンを乗り付けて大家のゴショが降りて来たのでした。
「ごめん、ごめん、家でいろいろあってさー」
と、早口で話しながら部屋の鍵を開け、ものすごい勢いで荷物を入れたのでした。そして鍵をくれて
「何か必要があったらいってくれ。ああ、そうそう、明日朝に洗濯機を使えるようにちょっと工事しに来るよ。」
と、言ったが早いか、すぐにまたブ~んと車で去っていったのでした。待つこと2時間半、来たかと思うと10分で去って行くゴショ・・・・ちょっと先が思いやられる・・・・。次の日、ゴショはやっては来たのですが、
「ゴメン、これは工具が要る。今日はできない」
と、言ったと思ったらまたあっという間に去っていったのでした。やはり彼はあてにならない・・・いい人なんだけどなー。結局その後2週間は洗濯は手洗いでした。



ブルガリアでお引越し(1)

2005-11-10 23:07:27 | ブログ
住み慣れた?ソフィアのムラドスト1丁目(?)から、隣町、ペルニックに引っ越すことになりました。車で30分くらいなのでさほど遠くはありません。
それでも引っ越すとなるとお金も時間もエネルギーもかかります。でも、外国で引っ越すのって面白い経験になりそうです。
住むところは友人のゲオルギ(通称ゴショ、つまり日本語で言うところのブー(!?))のアパートで、月、なんと50レバ(3500円!!)でも、なんと築百年くらいなのです。ペルニックはもともと炭鉱町で重工業地帯だったそうで、このアパートは昔の炭鉱住宅だったそうです。歴史のある建物で、私もそんな由緒正しい(?)家に住むのは初めてです。
前に住んでいたソフィアのアパートでは大家さんが冷蔵庫、電気コンロ(ペチカ)を用意してくれていたのでよかったのですが、今度は自分たちでそろえなければなりません。ちょっとイタイなー、経済的に・・・でも、前のアパートの冷蔵庫は、これがまたくせもので、1週間もすると冷凍庫が霜だらけ!!!ドアが閉まらなくなってしまうのです。それでハンマーでがんがんたたいて氷を崩さなければなりませんでした。モー、大変! あまりがんがんやりすぎて冷凍庫がゆがんでしまいました! それにペチカもオーブンがいまいちで、最大でも180度以上にならず、料理にすごく時間がかかってしまっていました。それで、まあ、この際だから新しいものが使えていいかな! という気分です。
洗濯機(ペラルニャといいます)は、前のアパートにもなかったのでブルガリアに来てすぐ買いました。(スペイン製!、大丈夫かな?)そして忘れてならないのが家具(メベリ)です。洋服のロッカー(ガルデローブ)がないので買わなければなりません。これもまた、イタイなー、でも白木の無垢材の家具が10000円くらいからあります! 「おお、なかなか素敵!!」
ペルニックのアパートは、狭いのですがたくさん棚がつってあります。これがなんとトタンでできている!!こんな金属はペルニックの特産品だそうです。さすが工業地帯!
前は3階でしたが、今度は1階です。でも窓には鉄格子(!?)が付いていて、セキュリティーもばっちりです!前より狭いのも気に入っています。(掃除が楽!)
さあ、荷造りして、ゆうじんのルベンが大きなバンで荷物を運んでくれました。(全部一回で終わってしまった!)。順風満帆に思えたのですが・・・ (つづく)