おいしい国ブルガリアでのフボボな生活

ブルガリアのこと、まだ忘れ難く・・・
でも、アラフィフからまた新たな挑戦をはじめます!!

ブルガリアでお引越し(2)

2005-11-18 00:23:37 | ブログ
ペルニックのアパートの大家ゲオルギ、通称ゴショはいい人なのですが、とにかく当てにならない!引越しの荷物と新居(といっても築100年)の前で待つこと1時間半・・・おかしいなあ、鍵を持ってきてくれるやくそくの時間はとっくに過ぎているのに・・・そのうちパラパラと雨が降り始めました。もー最悪!すると近所の人が心配して出てきてくれました。アパートの入り口だけ住人共通で鍵があるのでそこを開けてもらい、濡れると困るものだけ入れることができました。でも、まだこない・・・なんだか寒くなってきたなあ~。
すると、ソフィアよりも田舎のペルニックはアジア人の私は珍しいらしく、しばらくすると4人の子供たちがやってきました。一番好奇心の強いらしいアレクサンドラ(通称サシカ)が
「名前なんていうの?どこから来たの?」
と、質問を投げかけてきました。さらに、向かいのアパートからドドっと4人くらいのおばあさんたちがやってきて
「あんた、ベトナミツィ(ベトナム人)かい?」と質問。
「ヤポンツィ(日本人)です。」
「そーかい」と、ニッコリ。
昔栄えた工業地帯ペルニックにはベトナムからたくさんの出稼ぎ労働者が来ていたのでアジア人といえばベトナム人と思われることが多いのです。でも、このおばあさんは、ひとしきりしゃべったあと、また
「あんた、キタイツィ(中国人)だったよね?」
「ネーネー、ヤ・ポ・ン・ツィ!」
もう一度ちゃんといったけど、たぶんこのおばあさん、誰かに私のうわさをするときには何人だったか忘れてるだろうなー。ま、何じんでもいいんですけどね・・・
そこへ、ブ~ンと大きなワゴンを乗り付けて大家のゴショが降りて来たのでした。
「ごめん、ごめん、家でいろいろあってさー」
と、早口で話しながら部屋の鍵を開け、ものすごい勢いで荷物を入れたのでした。そして鍵をくれて
「何か必要があったらいってくれ。ああ、そうそう、明日朝に洗濯機を使えるようにちょっと工事しに来るよ。」
と、言ったが早いか、すぐにまたブ~んと車で去っていったのでした。待つこと2時間半、来たかと思うと10分で去って行くゴショ・・・・ちょっと先が思いやられる・・・・。次の日、ゴショはやっては来たのですが、
「ゴメン、これは工具が要る。今日はできない」
と、言ったと思ったらまたあっという間に去っていったのでした。やはり彼はあてにならない・・・いい人なんだけどなー。結局その後2週間は洗濯は手洗いでした。