JAZZ最中

考えてみればJAZZばかり聞いてきた。いまもJAZZ最中。

ポーカー・レッスン  ジェフリー・ディーヴァー著 池田真紀子訳

2013-09-02 21:54:44 | 


スコット・トローの「出訴期限」は25年待った「無罪」のすぐ後に出版されて吃驚したけれど、昨年暮れに読んだジェフリー・ディーッヴァーの「バーニング・ワイヤー」から1年もたたずに「ポーカー・レッスン」というのが出版されたのでびっくりした。

こちらは文庫出版で短編集(中編)だったので、「クリスマス・プレゼント」(池田真紀子訳)と同じ趣旨の出版と納得できたけれど、同じようにリンカーン・ライムものが1篇収録されているのだからうれしい。

長編の出版の間に短編集が挟まれているわけだけれど、この「ポーカー・レッスン」の序文にディーヴァー自身が二つについて書いていてとても興味深いのでそこのところを引用しておく。

“長編小説は、あらゆる感情レベルで読者を魅了しなくてはならない。そのためには、登場人物の造形に深みをもたせ、ッ説得力のある舞台設定を整え、徹底したリサーチを心がけ、落ち着いたシーンと生きのいいシーンを綿密な計算にもとづいて配置し、積み重ねる必要があり。
 しかし、短編は違う。最初の短編集『クリスマス・プレゼント』の「まえがき」でのべたように-
 短編小説の醍醐味は、ジェットコースターみたいな波瀾万丈のストーリー展開ではない。登場人物について時間をかけて学び、その人物を愛し、あるいは憎むことでもない。・・・”
“短編小説は、たとえるなら、狙撃手の放った弾丸だ。早くてショッキングなものだ。そこでは、善は善として、悪をさらなる悪として、そして何より痛快なことには、究極の善を究極の悪として描くことさえできる。
 ひねりのきいた驚きこそ、短編小説の命だ”

ということで確かにひねりとエッセンスは素晴らしい。だけれど、じっくりと煮詰めさせられる長編の方がやはり好きだ。(両方読むけど)
たぶん小説に入り込んで没頭するのに時間がかかるからだろうけれど、今度の短編集かなり驚かされるから魅力もわかったようなきがする。

それでは16編収められた短編のなかでもかなりひねられた「一事不再理」からの一節

“「正義を守ると言うほうが私は好きですね」
 「正義?」老人は鼻をならした。「O・J・シンプソン裁判をテレビで見た。無罪評決後にあるコメンテーターがいっていたことがいまも頭にこびりついている。この裁判は、正義は金で買えるということ、それに人種は関係ないことを証明したと言っていた。それを聞いて笑ったね。正義だって?冗談じゃない。金でかえるのは自由だろう。自由と正義はまったくの別物だ」”
コメント
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