JAZZ最中

考えてみればJAZZばかり聞いてきた。いまもJAZZ最中。

monakaのガン入院アレアレ日記  9 退院の日

2020-04-29 19:32:02 | その他
病理結果はでないけれど、なんの手の施しようもないので(意味が違うか)土曜、日曜と病院にいなくてもいいだろうと考えて(病棟を颯爽と歩いているのを医師がみて、こいつ置いといたらほかの人に邪魔と思ったのだろう)退院が決まった。
10時頃という事だったけれど、病理がでていないので、支払い計算ができない、すぐ帰っていいよということで薬をもらって10時前に晴れて娑婆に。
もちろんこういうときは門の外に車が待っているもので、ちょっと違うのはそのまま買い物だって。
久しぶりの娑婆のスーパー、結構混んでいていいのかと思う。こういうところが混んでいるのはやっぱり娑婆で注意をしなければ。
オクサンは食事に何を作るのか(しばらくはメニューは選ばなければいけない、という事だけど、こっちは内容はわかっているから期待していない。ギョウザ食べたいなんて決して言わない。
それでも病院では10時と3時におやつがでていて、それが楽しみだった。(汗)
そんなんで病院で出ていたゼリーなんかより高級なのを選んでそれで精神をつなごうとたくさん買ってきました。



それでもちろんすぐチェロを弾いてみて(なんと8日ぶり)やっぱり下手になっているけれど、まあこの程度という腕なんだ)
レンタルショップに行って新しい映画を借りたりで、すぐ日常に近くなった。

その後、実は一番こまったのは、これはお通じ。点滴、消化の良いものを少しづつ、刺激なしで、術後なかなかトイレに呼ばれない。
歩かないかで退院して、それからもうまくいかない。少しは努力の結果がでるのだけれど、どうもインプットとアウトプットの比率がおかしい。苦しくなってきて薬を2種類買ってきて使った。座薬で1時間ぐらい苦しんだらどうにか通ったみたい。
ですから退院してほぼ日常というのには、やっぱれ4日ぐらいはかかります。
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monakaのガン入院日記 8 退院まじか

2020-04-28 19:50:42 | その他
医師との話で病理の結果はでないけれど、金曜日には退院してもいいようになったからあと3日、ここの生活も安定したらもう終わりって幸せなことでした。
ですから入院生活最後の日々、シャワーがOKになっているので、夜は腰湯して足を洗い、朝6時前にシャンプーと体を洗って着替えるというのが一番気持ちがいい。
そうすると6時過ぎにナースがきてもこっちはさわやか元気です。
朝食前に午前の散歩をして午後も3時前に歩く。(ちょっと歩きすぎ)
歩くときにイヤホーンをしてあるくのだけれど、Beatlesの“Nowhere Man”がピッタリ調子が出ました。
毎日10時と3時におやつがでて、ソファーに座ってプリンなんかゆっくり食べていると、あの安倍晋三みたいだなとこれはなんかやましい気分。
今度いろいろ音楽もってきいてみたら、今まで感じなかったけど、モーツアルトの弦楽4重奏の良さがわかったのは良かった。
ここにきて病院玄関にテントができてそこで検温、問診をしてからでないと院内にはいれなくなっていて、こっちから着替え交換ですと通行証(腕に巻いたタイ)を見せて外でオクサンに合う日がでももう終わるか。
ネットはつかえなかったけれど、ウオークマンに入れて持ってきた音楽がなかったら、この1週間ちょいは持たなかっただろう。
どうせ入院するのなら、いかに快適をえるかきっちり準備した方がいい。ということで明日は退院、持ってきた音楽と食べたものは番外で。
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monakaのガン入院アレアレ日記 7 3日目以降

2020-04-27 20:02:45 | その他
6時に起きて体重測定、洗顔、昨日は眠りの質もよくなっていた。これからしばらく規則正しい生活だな~と一日のスケジュールを6時から23時まで作成、といってもこの日記書き、読書、ゲーム、それと日本の歌みたいのをチェロとバイオリンの譜に直そうと楽譜と五線譜を持ってきたのでそれをスケジュールにする。



運動不足解消に病棟を歩くことにした。病室が一番端っこにあって病棟は一直線、反対の端にはナースステーションという関所があり、現在ここで、ほとんどの人の通行をゆるさない。



この通路の往復、測ってみまた。歩幅70センチで100歩だから70メートル、ナースに聞いてもほぼ間違いなし、一往復で140m、あまりに元気で歩いていると「なんだ、あいつは!」といわれそうなので、ジムみたいにはいかない。



午前と午後それぞれ8往復ぐらいを予定にしよう。(翌日から12往復ぐらいしていた)



歩いていてここの部分の感じ好きだった。

朝食は5部粥、少しカッコになってきた。アスパラガスのお浸しにかかった鰹節がおいしい。
点滴もなくなったので針もとれて、通常の身体装備になりました。
と言う間に10時の間食 コーンスープだけでした。
日曜日で診察がないから病棟も静です。お昼の食事も5分粥になって、夜は王一つ進むとおもったけれど、5部粥、そろそろ欲が大きくなってくる。
これからしばらくはこんな感じでしょうか。
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monakaのガン入院アレアレ日記 6 術の次の日

2020-04-26 20:03:50 | その他
この日は採血とレントゲンの結果から歩行の許可が出る予定。
歩けるという事はかなりいい。歩行禁止だと部屋の電気を付けにいけないし、1メートル半先の書類もとれない。もちろんおしっこもベットの上、とこれらから解放される。
オクサンが(着替えなどを持て来るだけ)なんかいるものあるというので、初日の食事の体験から、ふりかけ類とかと要望した。
東海林さんの本をみたらこんなイラストがあった。これはまずいのでしょう。



でもその後の東海林さんのイラストがこれ、隅っこに内緒(塩昆布佃煮)があますよ~ん。(推奨ではありあせん、いや禁止です。わたしの場合東海林さんみたいに一般職に戻らず退院だからこれはなかった)



ちなみに、東海林さんも玉村さんも本のなかで入院した病院をT病院と書いておられる。違うかもそれないけど東海林さんとはなんか似た対応だなあ。
午前中に車いすでレントゲンに、部屋に帰ったらすぐにナースがきて採血結果とレントゲン結果で歩行と食事OKが出た。
同時に食事もOKで昼食から。食事といっても何コレ!というものだったけれどうれしい。

午後には執刀医、担当責任それぞれがきてくれて、うまくいきましたと説明いただく。病理結果は1週間後それまでは間があり、今週は問題起こらなければ何もない。
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我々は主張を続ける CHARLIE HADEN'S LIVE 1993 / CHARIE HADEN LIBERATION MUSIC ORCHESTRA

2020-04-24 20:12:57 | 聞いてますCDいいと思う


ヘイデンのリヴェレーション・ミュージック・オーケストラのアルバムを全部入院中に聞こうと持って行った。それはオーケストラのアルバムがリリースされるたからで、それも入院中に届いた。
1993年にマサチューセッツ州のサマービル・シアターで行ったライヴを地元ラジオ局(WGBH Boston 89.7FM)が収録したものだsぴで90年の"Dream Keeper"の曲を演奏したものです。
ヘイデンのリヴェレーション・ミュージック・オーケストラのアルバムはこれで7枚になったわけで、今回は1969年の最初のアルバムから通して聞いて、このアルバムを考えてみようと思ったわけです。
常に活動を続けていたバンドではないこのオケは、ヘイデンの変わらぬ主張の流れの中で期をみてリリースされてきた感がある。
最初のアルバム、スペイン内乱やチェ・ゲバラに題材を求めたアルバムは、自由のために戦う衆を讃えた主張が明確で、発売当時政治思想を音楽に持ち込んでと批評する評論家などもいて、青年になりつつあった私は何バカなことをと思った思いがある。というほど逆に感動したわけだけど、年をとった今回は2015年の最期の演奏まで振り返ってみた。これはあくまで聞いてみての感覚と思い込みなので、世界情勢の変化を考察した社会学論ではないのであしからず。



聞いてみてまず感じるのは最初の3枚までは、音楽に織り込まれている主張というのがある意味共通の感覚があるように感じる。

「LIBERATION MUSIC ORCHESTRA] 1969年
「THE BALLAD OF THE FALLEN」 1983年
「The Montreal Tapes」 1986年

次のアルバムが「DEEAM kEEPER」 1990年 、ここで少し表現が変わったように思う。これまでの自由を戦う民という闘争感から方向が変わって主張をよく考えて欲しいというように変わった演奏になった。
主張の仕方というのも一つ戸惑いながらというのをかんじた。

そして2004年「NOT IN OUR NAME」では、サウンドでの主張というのが再び明確になって、安定したアルバムになった感じです。戦う相手が「DEEAM kEEPER」の時より明確になって、アメリカのがベースになって立ち位置である意味新生リべレーション・オーケストラという感があります。

そして2015年の「TIME/LIFE」ですが、これはどちらかというとヘイデンへの追憶の意味合いが強いようなきがします。

こうして通した聞いたうえでの今回の「LIVE 1993」ですが、演奏レベルはスタジオ収録のものよりまとまりがいまいちですし、各パフォーマンスも凄いとは思いません。
しかし個人的な勝手な感じ方ですが、「DEEAM kEEPER」から「NOT IN OUR NAME」の間にあって、あの1991を体験したミュージシャンたちが、”Spiritual ”に強い思いがこもっているように感じるのは考えすぎでしょうか。

CHARLIE HADEN'S LIVE 1993 / CHARIE HADEN LIBERATION MUSIC ORCHESTRA

Personnel: <Charlie Haden And The Liberation Music Orchestra>
Charlie Haden - bass (R.I.P)
Javon Jackson, Joe Lovano - tenor sax, flute
Ken McIntyre - alto & soprano sax
Earl Gardner - trumpet
Tom Harrell, Earl Gardner, Tim Hagans - trumpet, flugelhorn
Ray Anderson - trombone
Sharon Freeman - French horn
Joe Daley - tuba
Juan Lazzaro Mendolas - panpipes, wood flute
Amina Claudine Myers - piano
Mick Goodrick - guitar
Mark Burton - percussion

Recorded: The Somerville Theater, MA on 14th March 1993

01. Band and Song Intro
02. Nkosi Sikhelel' IAfrika
03. Sandino
04. Tale of the Tornado
05. Dream Keeper Suite/Spiritual


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monakaのガン入院アレアレ日記 5 術とそのあと

2020-04-23 17:46:19 | その他
術の開始時間がちょっと伸びて午後1時半出発、専用ガウンに着替えてといいうことだったけど、下はパジャマのズボン、靴下もよし。
コロナ対策でオクサンはほとんど病室に来ることができず(部屋を出るときに来た)、「あなた、がんばって!」なんていう感動場面はありませんでした。
1時半に麻酔準備などが始まって1時45分ごろスタート。
全身麻酔ではなく半分寝ている状態にする、とのことだったけど、私はずっと覚醒していたと思う。
まーだかなと思い始めていたころに終了、すぐ医師の説明があって15ミリぐらいの円盤状のものが癌でご対面。大きさとして15ミリぐらい取ったそうだから想定通り。食道壁の厚さは5ミリぐらいなので、どれぐらいの厚さを切ったか聞いたけどそちら測ってない。1,5から2ミリぐらいとのことでした。どちらも予定通りだと思う。
病室に3時半ごろストレッチャーで帰る。
この日は食事がないのはもちろんだけれど、ベットでの起き上がりも禁止。(だからこれは翌日書いている)
気になるのはこの後痛いかどうかだけれど、5時過ぎまでは特に気にならなかった。時々、熱いものを飲んだ時になる胸がキューと痛くなるのに似た感じのものが、それほどでもないけど周期的に来る。
我慢はできるけれど、これ以上痛くなったらと、いう不安が一番気になる。
それが7時ころになると周期が狭まって(1分半ぐらい)痛みもちょっと強くなっていく。
よく10段階でどのくらいという聞き方があるけれど、最初が3ぐらいでしょうか。(もちろん個人差がある)
それが午後8時頃に5ぐらいになってきた。これとお付き合いしながらは、眠れないので、9時半に痛み止めの処置をしてもらった。
これで痛みは引いて眠りについた。
看護師の方が1時間おきに血圧など採りにくるからその時は目覚めるけれど4時ぐらいまでは寝ていられた。
4時半ぐらいから痛みが戻ってきて、これは薬の切れだろう、痛みとしては4ぐらい。3分周期ぐらいでくるけれど、これは改善がわかっているので気にならない。
あさの8時頃にはほとんどなくなった。ということで術後17時間ぐらいの辛抱でしょうか。
それにしても、夜中に何度も様子を見に来てくれた看護師さんには感謝しかないです。
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砂男 ラーシュ・ケプレル 著 瑞木さやこ・鍋倉僚介 訳

2020-04-22 16:55:44 | 


入院前から読み始めて、ですから入院中の最初の本。時間がたっぷりあるようで、定期的に体温、血圧、酸素率を図りに来てくれて、食中にはおやつが2回あり、その中で午前午後の2回あるいて、ゲームなんかしていたからあまり本を読む時間は撮れていない。
それでも就寝時間に入る9時半ぐらいから11時ぐらいまでは読んでいた。
持って行ったこの本、スウェーデンの重たさが例によってあるけれど、細かいプロット割と時系列につなげてくれるので大変読みやすい。ガンで入院の身にはサイコな場面はちょっときつかったけれど、後半はリズムよく面白かった。
北欧のミステリーとしては、これまでで一番あっているかもしれない。

ちょっとジャズのところが出てくるので、そのところ、サブ・主人公的なおこ潜入捜査をおこなったサーガ・パウエルのオバカな彼氏がジャズ・ピアノを弾く。かなりマジにピアノをやる男だからしょうがないか。

サーガは彼らが何曲演奏したのかわからなくなった。ジョン・スコフィールド、マイク・スターン、チャールズ・ミンガス、ディヴ・ホランド、ラーシュ・グリーン、そして名前は覚えていないが、ビル・エバンスとモニカ・セッテルンドのアルバムにあった曲のロングバージョン。

これで作者の趣味がわかるね。ラーシュ・グリーンってのはスウェーデン出身のバリトン・サックス奏者、モニカもひっくるめてジャズがまだ元気ある感じが良いですね。
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monakaのガン入院アレアレ日記 4 食道癌について

2020-04-21 19:09:10 | 聞いてますCDおすすめ
そもそも食道癌は症状が出にくく、層の厚さも薄いので転移しやすい。気が付くのが遅れて、進行も早い癌と言われます。ここのところ医師からちょっと食道癌について教わったので書いておきます。
転移のリスクという考え方をとると食道は4段階の層への浸潤に分けて考えるとよいと思う。
第1段階がM層という粘膜上皮(M1)と粘膜固有層(M2)、癌はこのM2に出来、進行していく。だからこのM層にとどまった状態で内視鏡で切除すればほぼ根治する。
その下に第2段階はM3という粘膜筋板とSM1という粘膜下層がある。この層に達していると、転移リスクは、医師によって若干異なるけれど、10%~20%だそうである。
私のなっている食道癌の見立ては、M3に癌がいっているということである。ただし細いリンパ管や血管もこの層にはあるので、そこに癌が入り込んでいないかを病理で見てその後の判断が行われる。
この状態は、大変おかげ様の状態といえて、食道癌の人のうちこの状態で発見されるのは30%とのこと。だから本日の術後の病理を祈るばかりだ。
その下に同じく粘膜下層のSM2とSM3層があって、この第3段階は転移リスクが30~50%、そしてその下が第4段階となって固有筋層、外膜でここまで来ていると進行がんとよばれて厳しいという状態です。
そして第1段階、第2段階は初回の段階での治療は内視鏡的切除が選択できる。食道癌と聞いたとき、まず内視鏡でと祈っていたのです。そしてこの内視鏡的術となったわけです。
術日の今日、こんなことを書けているのも、検査所見をきちんと説明いただいて、残念というよりかは付いてると思えるからです。
ちなみに術日の今日は食事なし、術後はおき上がってもいけないらしい。ですから午後の手術後の話はまた後日。
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monakaのガン入院アレアレ日記 3 入院まで

2020-04-20 18:13:29 | その他
それからが忙しい。入院まで3日、病棟で履く靴を用意してくださいのというので買いに行かなきゃならない。こっちが気になるのは別。
すでに書いたけどPCを用意してWiHiの使い方とか確認して(病院で結局使えない)、本の方は4種ぐらい買ってきた。音楽の方はマイクロSDカードを一枚買って、これと思うのを片っ端から入れてきた。
4月9日に腹部エコー検査でその日のうちに入院でした。
術も決まっていて「食道癌内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)」です。
入院したその日の食事は一般の人用でこれが結構おいしかった。
病院食はまずいといわれているけれど、ここの調理のかた、工夫も凝らしているが伺えてえらいと思う。



お昼
   



そして明日はいよいよ術なのだけど、その前に食道ガンの状態のことをおそわったのでそれを書いておきます。
そちらは明日。
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monakaのガン入院アレアレ日記 2 どんな経過で

2020-04-19 14:51:00 | その他
そもそもこのような日記が書いていられるのは、普通の食道がんを患らっている方よりか経過が良いのではと思われるからで、関係ないと思っている方にも参考になると思われるので、そこら辺の経緯を書いておきます。
毎年人間ドックを受診することにしていますが、昨年は忘れていてオクサンに言われて気が付いた。年度ごとなので、あわてて3月18日いつものA検診クリニックというところで検査をうけた。
いつもは結果を郵送しているのに、ことしは話があるので来てくださいと、9日後とても嫌な電話が入った。
内視鏡の検査の時に、「生検します」と言われて食道の細胞を採ったのを見ているので、その結果だろうと嫌な感じ。
翌日、土曜にお休みのクリニックで医師と面談、あっけなく「扁平上皮癌」の告知をうけてしまう。
どちらに紹介状を書きますかというので、4年前に大腸ポリープを取った、家からも近いT病院分院でお願いした。
家ではオクサンが暗い表情で待っていたけどだけどしょうがない、前にお世話になったY医師にお願いしようと思っていた。
オクサンがネットで食道がんの医師の評判を調べると、なんとそのT病院のU医師の評判が良いことが判った。
そしてなんと、翌日の月曜日がそのU医師の分院での週一の診察日でした。U医師あての紹介状ではないけれど(消化器外科医師殿にしてもらった)診察券も残っていたので、翌月曜日3月30日朝一で病院受付に。なんと一番でU医師と会うことができました。
画像を見てもらっての診断で、あれよあれよと検査に突入、その日のうちに心電図、呼吸器機能、超音波、CT検査をしてくれた。
ドック受診から13日目でこうなった。
4月3日金曜日にはB1内視鏡検査、翌週月曜日6日にはPET-CT検査とU医師の再診、そして4月9日に入院翌10日手術と、すべてがあれよと決待ってしまった。
なんと告知日から10日後でした。

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