JAZZ最中

考えてみればJAZZばかり聞いてきた。いまもJAZZ最中。

パリ日記 4 ヴェルサイユで花火

2024-06-30 10:21:33 | その他
ホテルに戻って一休み、ここのホテルは設備も良いしとても清潔感がある。
今夜は土曜日で夏のシーズン、ヴェルサイユ宮殿内で花火があがるそうで、そこに出かける。
その前に夕食。



冷たいガスパッチョ・スープ



ラム



これまででは一番の夕食だった。

部屋に帰ってある事態にきずいた。デジカメの電源をとるコードが見つからない。コード類に入れた覚えがあるのにない。カメラの電源がなくなると、これは絵日記にならなくなる。さて大問題。とても素晴らしい、現地日本人ガイドさんがいて、そちらの話から。食後集合して歩いて出発、雨模様なのでガイドさんホテル備え付けの傘をもっていくという。実は夜くらくなって、そのガイドさん、もっている傘をガイドは他のかわりに上に立てて先導してくれた。何気な気遣いが凄い。そのガイドさんに電源コードのことを相談すると、シャンゼリゼのフナック(電気屋さん)にあるかもしれないとのことだった。パリに入ったら行ってみよう。

さてホテルを出発、ヴェルサイユまではほんのわずか。



花火までは1時間ちかくあって、昼間の人がはけているので何とも気持ちがよい。これまでで一番気持ちよい。



庭園を見渡して、宮殿を観る。



何とも荘厳な建築物、これを作る権力の偉大さに圧倒される。



宮殿のトイレの場所とか現地のガイドさんだから知り尽くしている、個人できたらそのことだけだって困っただろう。(凄い遠いところにトイレがある。)



段々と花火の時間が近づいてきた。



そして打ち上げ開始。

  



15分間だけれど、ヴェルサイユ宮殿で噴水と花火のショーでした。

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パリ日記 3 印象派美術館からヴェルサイユ宮殿へ

2024-06-28 09:57:35 | その他
モネの家の前での集合まで時間があるので、モネ通りにある印象派美術館に行った。



歩いて5分ぐらい、モネの庭園の方は人がいっぱいだったけれど、こちらは日本の美術館程度の人だった。
こちらの展示の方が私的には良い。良いなと思っても知らない作家だったりで、気にせずに絵を見て歩く。

    

  

モネの絵ももちろんあって、印象派という統一感があったけれど、この一枚だけ、なぜか映画のアバターみたいな現代画があったのは謎。



そこからバスは2時間半ベルサイユ宮殿の入り口に立つナポレオン像の前の駐車場。



昼食は宮殿内にあるアラン・ヂュカス監修のカフェレストラン「ORE」というところ。





ここで食事をしてから宮殿を観光する。
結構大きなレストランになっているのに離れたところにトイレが二つだけというなんともちぐはぐな感じ。
味の方もおいしいと思うか、フウーンぐらい、とちょっとちぐはぐ。デザートはおいしかった。







そのあとヴェルサイユ宮殿にはいるのだけれど、アメリカのクルーズ船の1弾が着たりで凄い人。こんな観光客の数は見たことがない。

  

 

  

 



この衣装の描き方が凄い

 

  




ここで見つけったパイプオルガンがいい感じ。



この日は夜にまだイベントがあって、ベルサイユから5分(ベルサイユの出口まではもっとある)のホテルへ。











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パリ日記 2 モネの家と庭園

2024-06-26 18:03:00 | その他
フランス、ドゴール空港に到着。7時間の時差で午後まだ早い時間。空港内を移動するとき、自動小銃を首に下げたポリスとすれちがったのに緊張した。
ホテルは空港近くで、日本の田舎町の古ホテルと同じ。
冷蔵庫もスリッパもないホテルだけれど、部屋にかかっていた絵は面白い。さすがフランスか。

  

空港で買ったサンドウィッチとビールで夕食、眠くなって体を時間に慣らさなくては。4時に起きてしまったけれどしょうがないか、ということでフランでの最初の朝食。



さて初日はジヴェルニーへ行ってモネの家を中心に観光。バスでフランスの風景に浸りながら1時間半。

 

jヴェルニーに到着。軽井沢ていうのが近い感じ。



まずはモネの家と庭園。

自宅にはたくさんの絵がかざってあって、セザンヌやルノアールの絵もあるけれど、これって本物なのだろうか。

 

 

浮世絵の収集はしていたけれど凄い量、これ一部。

 



食堂のフライパン、料理好きだった。

 

続いて庭園を散策。  

 

 

  

ジヴェルニーでの集合時間までまだ時間があるので、近くにある印象派美術館にいったけど、永くなったので次回。











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絵日記 パリ日記 1

2024-06-24 21:16:00 | その他
パリ旅行をしてそのことを記事にしようと思っているけれど結構大変。
写真を多くパリ日記(1日はパリではなかった)と名付けてまずは出発から。
旅行はツアーなので、結果的に移動はもちろんバックの移動、食事の手配など、これはかなり楽を出来たと思う。この年になるとこれがいいかも。

集合は羽田に朝6時35分とめちゃはやいけど、始発で対応できて、チェックイン完了、ラウンジで朝食をいただいてさあ、出発。



飛行機はエア・フランス。



ウェルカム。ドリンクをいただいて、まずはゆったりということだけど、なんと14時間45分はこれは長い。



食事は2回、これまでにはない機内食の満足度はあった。









 2回目は到着の少し前で省略。

日本の航空会社じゃなかったから映画がにほんのものがアニメ2本とあと2本、日本語字幕は無くて吹き替えになっているものがいくつかでちょっと寂しい。
それでもなんと4本を見て、どうせ帰りも同じ、と予定も立てておいた。

ということで、初めてのヨーロッパ、パリに着きました。

しばらくのあいだ記録にどうぞお付き合いいただけたらと思います。







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ただいまです IVRESSE / Jean-Philippe Viret

2024-06-22 13:48:17 | 聞いてますCDいいと思う


パリから昨日無事戻ってきた。もちろん問題が発生しなかったわけではないけれど、大きな失敗もなくほっとしている。
写真をパソコンに移したら1,000枚以上あったから(そのうち半分近くはダメだろうけど)そちらはえにっきとしてだんだんと旅の記録にしていきたい。
旅の途中でショップに行く時間もとれたので、まずはパリで仕入れたアルバムから紹介。
買ったのは全部で4枚、ちょっと危ない(持っているかもしれない)のが1枚、日本でも手に入るけれど持ってないからと買ったのが1枚、知ってる人だけどこの組み合わせ好きで買った1枚、そしてまるで知らない人のアルバム、カンでエイヤが1枚の4枚。まずは危ないかなと思いながら買ったものから。

Jean-Philippe Viretのアルバムがあって、知らないジャケだけど、ジャケだけ変わっているというのがよくある。2019年アルバムだけど、マッ良いかで購入、日本に帰ってみてみたら持っていなかったので大正解。
Jean-Philippe Viretはステファン・グラッペリが来日した時にバックで来ていたベーシストで、まえには六人のベーシスト集団「オルケストラ・ド・コントラバス」の一人。



日本では澤野さんのところからピアノのEdouard Ferletとのトリオ・アルバムがででいて買っている。並べてみた彼のアルバムはこうなっていた。


AUTREMENT DIT」  Rec 2002/11 ATELIER SAWANO


LE TEMPS QU'IL FAUT」 Rec 2008/3 ATELIER SAWANO

写真の感じがにていたのでこのアルバムとかぶっているかと心配した。


「POUR」 2010/6 ATELIER SAWANO

この後はmellssというところからアルバムがでている。


L'ineffable」 2014 mellss


Les idees heureuses」 2016 mellss

そして今回のアルバムですが録音が2019年2月22,23日 コンサートを録音したもので、mellssでの次のアルバムになるのでしょう。

ベースのリーダー作でピアノのEdouard Ferletも自分のアルバムを多く出している実力者だし、3者が完全にインプロを作り上げる完成された演奏となっています。
ベースがリーダーですから、ベースの比率が高いく、それっをうまい具合に引き立てるピアノとドラムスが聴けるというベースずきには良いアルバムです。
この後に「in vivo」というアルバムが2022年にリリースしてますが、そちらはパリの店にはなかった。アマゾンで聞けるのでそれでよしです。

IVRESSE / Jean-Philippe Viret

Jean-Philippe Viret bass
Edouard Ferlet  piano
Fabrice Moreau  drums

1 Saint Awawa
2 Cest ainsi
3 Entre deux reves
4 Pessoa
5 Indissocuable
6 Contre toute attente
7 A ta place
8 For Emile




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パリで会いましょう Let Them Cook / Emile Parisien

2024-06-13 11:20:46 | 聞いてますCDおすすめ


Emile Parisienのアルバムが出たので買ったけれど記事に出来ないで日が経ってしまった。このままではもったいないので、記事にしておこう。
エミール・パリシーンがデヴューしたのは2006年、パリに行ったオクサンが、パリのお店ですすめられてお土産としてくれたCDがパリシーンのデヴューアルバムだった。
それだからたぶん日本で最初に手に入れたのが私かもしれない。それ以来追っかけをしていて、日本に来て欲しいとおもいながら28年がたってしまったわけだ。
彼のサイトを見ると2枚アルバムを抜かしていた。



パリシーンの新しいアルバムは、現在のレギュラー・カルテット。決して悪いわけではないし、それなりの緊張感もあるし、新しい試みとして、エレクトロニクスをサウンドに入れている曲がある。
ただレギュラー・カルテットで、最初出会ったときの驚きじゃなく、普通に良いなと思う感じで、ちょっと感想を書きづらい気がした。
生の演奏でも見れば別化もしれない。

生のパリシーンを見るチャンスがなくはなかった。6月15日にVincent Peiraniらとパリでコンサートがある。なんとその日はパリにいるのだ。その時間はヴェルサイユ宮殿で「夜の噴水ショーと花火」を観る予定だから無理だけど、可能性はあった。
何年か前に、引退してパリに旅行しようとした。ミシュランの星を取った日本人シェフのお店も予約が決まっていたのに、コロナで中止した経緯がある。それから4年か、息子のオヨメサンが新聞広告をみて、これいいですといって、随分強引に、ツアーに行くことになった。
オクサンはパリが大好きだから何度か行っているけれどこちらは初めて。
地図も頭に入らないし、廻り方も解らない。ムニャムニャいいながらもスケジュールが決まった。ツアー旅行だけれど自由時間がかなり多いツァーになっている。参加者は14人と今日聞いた。
ということでパリで何日かを過ごしてきます。

こんなことは初めてなのでいろいろ大変、でもネットのの力はすごいですね、ミュージアムのパスを事前に手配して、それの訪問予約もできるのですね。
当日だと結構永く待つことになるなどと聞いたのでやってみた。
オランジェリー美術館、サントシャペル、オルセー美術館などが予約完了。

というわけで、パソコンを使えないので、当blogもしばらくお休みになります。無事monakaの旅日記が書けるとよいのですが。 いってきます。

Let Them Cook / Emile Parisien

Emile Parisien (ss,as)
Julien Touery (p)
Julien Loutelier (ds)
Ivan Gelugne (b)

1 Pralin
2 Nano Fromage
3 Coconut Race
4 VE 1999
5 Pistache Cowboy
6 Wine Time part 1
7 Wine Time part 2
8 TikTik
9 Mars
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ゲイリー・バートンとパット・メセニーのアルバムを並べてみよう。

2024-06-10 15:39:56 | 聞いてますCDいいと思う
パット・メセニーがゲイリー・バートンのバンドに参加しているころの発掘アルバムをきいたけれど、二人の関係は面白いので並べてみよう。
まずバートンの自伝に書かれていることだけど、メセニーとの出会いから。
それは1973年」カンサス州ウイチタの地元大学バンドへの客演に出向いていたゲイリーはスタッフから凄いギター・プレーヤの存在を聴いた。共演を進められたが気の乗らないゲイリーに、あったその男は「僕はあなたの曲はすべて覚えている。一緒に演らして欲しい」と頼む。そして挙げたのが”ウォルターL”その演奏を聴いてゲイリ―は驚嘆する。
しかしバンドにはミック・グッドリックという、」この地域で最高のレベルのギタリストがいて、ミックが脱退しない限り、パットが加入できる見込みはなかった。
 「そんなある日解決策が突然現れる。その日、パットは地元の楽器店で買ったという12弦のエレキギターを持ってきた―奇妙な楽器としか言いようがない代物だ。~だがこのエレキバージョンは、普通の6弦ギターとまったく違う独特の音をだす。からかくしてゲイリー・バートン・クインテットとなり、続く2年間パットは12弦のエレキギターを演奏しつつ。6弦のギターを弾くミックとのあいだでソロを分け合った。」

そしてこのグループになって最初に録音したのが、エバーハルド・ウエーバーをゲストにしたこのアルバム。まだなじみが出来ていなくてちょっと地味な演奏になっている。


「RING」 WITH EBERHARD WEBER 1974年6月23,24日

それがブートだけれどライヴで、コリアの”Sea Jurney”やキースとも演った”Como En Vietnam”などのびのびとした演奏になある。バートン自身「僕のグループで人生で最高のグループである。」と書いている。


Amazing Grace 1975」 1975年3月4日

「クインテットとして活動中、これも僕の人生で最高のレコードが生まれた。カーラ・ブレーの音楽をフューチャーした2枚目のプロジェクト『ドリーム・ソー・リアル』である。


「DEWAMS SO REAL」 1975年

そして再びエバーハルド・ウエーバーが参加したライヴ演奏。ここでの個性ある二人のエレベが何とも刺激的で、この組み合わせでもう一つぐらい出て欲しいものだ。


LIVE IN OLYMPIA,WASHINGTON 1976」 1976年3月4日

その後、ミック・グッドリックとドラムスのボビー・モーゼスが抜けたメンバーで(ドラムスはパットの同僚壇・ゴットリーヴ)でECMへの録音。


「PASSENGER」 1976年11月15日

そして今回入手のアルバムとなる。12弦ギターだけだったことに不満なところがあったのが、縦横にギターを弾けるようになったパットがいい。


「OSLO 1976」 1976年11月25日 クラブ7」

ここでもう一度バートンの自伝を引用しよう。

 「1977年のあるとき、僕はパットのバンド脱退が近づいている予兆を感じ取った。そろ演奏の時間があまりに延び、音量もときどき大きくなり過ぎることに気づいたのだ。また一部の曲をどう扱うか僕が本雄少しアドバイスしただけで、口論となることもあった。~つまりスタン・ゲッツの基を離れる直前の体験とおなじであり、~パットが次の段階に移らなければならないことを、僕は(おそらく彼自身より早く)理解した。」
「ドラマーのダニー・ゴットリーブもパットのバンド結成を助けるべく。(僕の祝福を受けて)カルテットをさった。二人はマイアミ大学に通っていたころからの知り合いで、ともに活動を続けたがっていることは僕緒知っていた。そして僕の予想通り、パット・メセニーグループはほぼ一夜にして国際的な名声を勝ち取ったのである。

次の今日お延は12年後になる。そのこともちょっと自伝から。

 「僕はモントリオール・ジャズフェスティバルでようやくパットとの再会をはたした。~ある日、デイレクターかのひとりから僕の自宅に電話があり、パットを僕のバンドにいれて演奏させてみないかと提案を受ける。『面白そうだと』と僕は感じた。しかしモントリオールに入ってみると、どうしても不安が湧き上げる。長いことパットに合ってないし、どうゆうことになるか見当もつかない。しかしヴィブラフォンの準備をしていると、「やあ、チーフ」という聴き奈良田声が耳に入った。そして突然、ともに演奏したのが昨日のように感じられた。その夜、二人のパフォーマンスはこのうえなく素晴らしい出来だった。僕らはすぐ、レコーディングの計画と立て始める。」
そしてできたのがGRPからのこのアルバム。


「REUNION」 1989年5月6-10日

そしてそれが素晴らしいメンバーでの最高と言える演奏となるこのアルバムが生まれる。


LIKE MINDS」 1997年5月

そして時を経て再びカルテットでのライブ、ここで”ウオルターL”を演奏するのはパットの提案だと確信する。


QUARTET LIVE」 2007年6月10,11日 ヨシズ

そしてECMの主催のエバーハルド・ウエーバーの誕生日の祝賀演奏での共演になる。


「HOMMAGE EBERHARD WEBER」 2015年2月

これが二人の共演になるけれど、ほかにもあるのか知らない。
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スピノザの診察室 夏川草介 著

2024-06-09 16:51:04 | 
 

作家山本文緒のガンになっての終末を綴った本と訪問看護士森山文則の終末と多くの看取りのドキュメントを読んで、ちょっと重たかった。
まるで違うところに飛ぶのも手だけれど、これで少し癒やされるかもしれないと買ったのがこの小説。本の帯で女優宮崎美子がこう言っている。「願わくば人生の最期に、こんなお医者さんに巡り合いたい。」
話は「エンド・オブ・ライフ」で、森山文則が務めていた診療所と同じ京都の小さな病院が舞台。
”その医師は、最期に希望の明かりをともす・・・。”というのが帯。
主人公は最高峰の大学病院の先端医師から、妹の死により甥っ子の育児を目的に小さな原田病院に身を移した雄町哲朗主人公。
内視鏡処置に抜群の知見と技術をもつ医師が、地域のそれこそ看取りが大きな仕事になる医院で、その意義を見出したというような話。
特に大問題(事象は生死の話だけど)が起こるわけではなく、淡々と人の死も起こっていく。
フィクションだから、これまでのドキュメントよりも、もちろん軽い。ちょっとTVドラマを見ているようなところがあるが、まっ、気楽でいいか。
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生き生きとした時の証明 OSLO 1976 / PAT METHENY & GARY BURTON QURTET

2024-06-07 19:59:58 | 聞いてますCDおすすめ


ゲイリー・バートンの新しいアルバムはでないから、発掘ものを期待していらら、パット・メセニーとのアルバムが出るという。
それを買いに行ったら知らない別のアルバムがあって、演奏はなんだかだったけれどもそれでも良かった。
目的にしたアルバムが届いた。こちらはパット・メセニーがバートンのグループに参加したクラブでのセッションの模様をメディアが録ったもので、音色も良くて良い。1976年11月15日、ノルウィーのクラブ7というところの録音。
パット・メセニーとゲイリー・バートンの共演のアルバムはいくつかあるが、1974年の出会いからの2年のバートンでのグループ所属の録音になる。
アルバムのクレジットにパットとメセニーとの出会いが書かれているが、バートンの自伝で書かれていたことをうまくまとめたものになっている。しかしそれと発売アルバムとを並べた点は自伝よりも簡単で分かりやすい。
それでパットとバートンの共演のことは後に別にしたなったので、今回のアルバム。
今回のアルバムは1976年アルバム「Passengers」録音時のオスロでの、クラブ演奏の模様。
曲目は当時のバートンがとくいとしたものだけれど、カーラ・ブレーの曲が多くなっている。キースと演った”コモ・エン・ベトナム ”を演ってくれているのが嬉しい。



パットもまだ若いけれど、このバンドでの刺激の基になる演奏をする。コリアの”シー・ジャーニー ”や”フォーリング・グレイス”の演奏があるのも良いし、ステーヴ・スワローのソロも若々しくと気持ちが良い。
久しぶりにゲイリー・バートンを並べれられて満足したけれど、ついでにパット・メセニーとの生き生きとした関係も並べてみたくなった。

OSLO 1976 / PAT METHENY & GARY BURTON QURTET

ゲイリー・バートン(perc)、
パット・メセニー(g)、
スティーヴ・スワロウ (b)
ダニー・ゴッドリーブ(ds)
Rec 1976/11/25  クラブ7

1 イエロー・フィールズ
2 イクタス/シンドローム  
3 ドリームズ・ソー・リアル  
4 シー・ジャーニー  
5 シラブホーン  
6 オープン・ユアー・アイズ  
7 ヴォックス・ヒュマーナ  
8 フォーリング・グレイス  
9 コモ・エン・ベトナム

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だれが決めたのか play the mucic of DUKE ELLINGTON / Gqary Burton

2024-06-05 15:23:19 | 聞いたけどCDどちらでも


ゲイリー・バートンが引退したのが2017年ですでに7年になる。パット・メセニーと演ったアルバムはが出たようだけれど、それを探しに行って(発売日前だった)これをいつけた。
まるで知らないアルバムだった。ベースのJay Leonhartと名前がならんでいるカルテット。グルーヴ・マーチャントというレーベルが作ったアルバムのようだ。
内容はデューク・エリントン曲集でそれこそエリントンのヒット曲がすべて並んでいる。
これが聴きだすと、どうもおさまりが悪い。1曲目男性がスキャットで歌うのだけれど、どこにもクレジットがない。多分レオンハートがベースに合わせて歌っている感じがする。
エリントンだからしょうがないのかもしれないけれど、なんか1時代、前のスタイルで演奏されている感じ。
録音は1994年だから初期のバートンというわけではないけれど、スタイルはどうも自分らしくない。このレーベルが企画して、メンバーを集め録音したのだろう。
だれがリーダーだか、スタイルを誰がきめたのか、はっきりしないような感じを受ける。
バートンはGRPにうつって、グループが決まらないでいろいろ思考していたような状態だったのではないか、このころのアルバムをあまり持っていない。
同じ年に録音されたのがこちら。


Face to Face」 GARY BURTON & MAKOTO OZONE 1994年

そしてこのころのアルバムを集めたのがこちら


Collection」   1996年

1時代前の演奏みたいだけれど、1曲だけジョー・ベックが気合が入ったソロを撮るキャラバンだけは、こういうカラーを出さなきゃという良い演奏。バートンとの出会いが少なくなったこの頃だからこれで許すか。

play the mucic of DUKE ELLINGTON / Gqary Burton

Jay Leonhart (bass)
Joe Beck (guitar)
Gary Burton (vibraphone)
Terry Clark (drums)
Recorded at Clinton Recording Studios, New York, New York on November 8, 1994.

1 Un A Mellow Tone
2 Rockin' In Rhythm
3 C Jam Blues
4 Love You Madly
5 Azure
6 Cottontail
7 Creole Love Song
8 Take The "A"Train
9 Squeeze Me
10 Caravan
11 Ishfahan
12 Satin Doll

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