ある40代女性の生活

40代女性の生活の一例です。
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映画編集という仕事: 栗谷川純さん

2009年11月05日 08時33分57秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「エンドロール 「大洗にも星はふるなり」×編集・栗谷川純さん 映像つなぎリズム生む」という記事がありました。

映画製作の裏話を紹介してくれるコーナーです。

映画「大洗にも星はふるなり」の編集を担当したのは、栗谷川純さん(女性、41歳)でした。

約20年間、音楽ビデオの編集をしてきました。

中島みゆきさんの舞台「夜会」の映像を手がけたのがきっかけで、5年ほど前からドラマに携わるようになりました。

ドラマ「33分探偵」や「THE 3名様」で、福田雄一監督と一緒に仕事をしてきました。

今回、福田監督の「大洗にも星はふるなり」を編集することになり、順不同で撮影された様々なアングルの映像を、取捨選択し、つなぎ合わせてく作業を行いました。

山田孝之さんや佐藤二朗さん等の出演です。

ストーリーの大半は、1つの部屋の中で進みます。
テンポを大切にするために、カットを分けず、一気に撮影されました。

狭い空間で撮影したため、3台のカメラが互いが映り込まないよう、制約のある画像も多かったそうです。

見ている人が役者の位置関係が分からなくなってしまうような、ちぐはぐなアングルもありました。

「普通ならそういえ映像は使わないと思うけど、いい表情が多かったので、あえて使いました。使わなかったらつまらないと思って」

栗谷川は現場に顔を出さないようにしているそうです。

苦労したり、お金がかかったシーンは、思い入れが強くなる。
そうすると心情的に削れなくなるからです。

「自己満足ではなく、冷静に見て判断するのが編集の仕事」という信条です。

編集の世界では、「音楽ビデオをやっている人には映画はできない」と言われ、くやしい思いをしてきました。

「積み重ねた経験は無駄ではなかった」ということです。
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編集は、その人次第で、全く別の作品になってしまいそうです。
監督さんは、小まめに見て意見をおっしゃる方と、編集の人に任せる方とあるのでしょうか。

役者さんにしてみれば、「あのシーンを使わなかったの?」ということもありそうです。

「大洗にも星はふるなり」は、11月7日から全国公開とのことでした。


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ドイツ: 11月9日、ベルリンの壁崩壊から20年

2009年11月05日 07時32分08秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「20年後の壁 ドイツ 壁復活望む不条理」という記事がありました。

11月9日で、ベルリンの壁が崩壊して20年になるのだそうです。

ドイツが統一されて平和で繁栄するという予想に反し、再び壁があってもいいと考える人が15%出ているということです。

第2次世界大戦後、アメリカ、英国、フランスが西ドイツ側を、ソ連が東ドイツ側を占領しました。

1949年にドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)が建国され、完全な分断国家になりました。

1953年にソ連でスターリンが死去すると、東ドイツ内で反ソ連機運が高まり、西ドイツに逃げる市民が増えました。

東ドイツ政府は、労働力の流出を恐れ、ベルリンの壁を1961年に建設します。
西ベルリンとの境界上に、150キロメートルありました。

その後、東ドイツは「社会主義の優等生」と言われるほど成長しますが、石油ショックの影響等で経済が停滞します。

1980年代には、独裁体制への反発が高まりました。

民主化運動の高まりを受けて、1989年11月9日に、当時のクレンツ政権が西ドイツ側への出国の自由化に踏み切り、ベルリンの壁が崩壊しました。

翌年の1990年10月に、東西ドイツは統一されました。

統一時には、西ドイツのコール首相(当時)は、「数年後には花咲くようになる」と宣言しました。

旧東ドイツは、道路などのインフラが整備され、生活水準も西ドイツに近づきました。

しかし、EU(欧州連合)に東欧諸国(賃金が安い)が次々に加盟してくると、企業投資などは減速し、旧東ドイツ地域の失業率は旧西ドイツ地域の2倍以上も高く、平均所得は3割も少なくなっています。

最初は西ドイツへのあこがれから、キリスト教民主同盟を支持する旧東ドイツ市民が多かったのですが、統一から19年経っても格差が縮まらないことに不満を持ち、今年の総選挙では旧東ドイツの流れをくむ左派党が議席を増やしました。

旧西ドイツ地域の市民も、「連帯税」(旧東ドイツ支援のための税金)などの負担が続きます。

最近、民間調査機関フォルザが、約1000人に「壁はあったほうがいいか」と聞いたところ、ベルリンの壁の復活を望む人が15%もいました。

旧東ドイツ地域の男性は、東ドイツで自動車修理工でした。

東西ドイツ統一後は、機械の部品工場や商品の仕分けなどの職を転々としたそうです。

不慣れな仕事でミスをするたびに、「東ドイツ出身者は能力が低い」と言われました。
同じ仕事でも、旧東ドイツ地域では、賃金が半分以下ということもあります。

「これが差別でなくて何だろうか。西側の人間からすれば東ドイツ出身者は死ぬまで失敗国家の人間なんだ」
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ドイツは東西で何とかうまくやっているのではと思っていました。

ベルリンの壁崩壊も、当時は意外にあっけなく決まったという感想でした。
壁をハンマーで壊したり、手を取り合って喜んでいた人達の姿が印象的でした。


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