ある40代女性の生活

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冨永照子さん: 浅草おかみさんの会

2009年01月29日 06時52分45秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「人脈記 魂の中小企業13 おかみさんパワーやってくる」という記事がありました。

全国にある「おかみさん会」の先駆けとなった「浅草おかみさん会」を発足させた冨永照子さんのことが紹介されていました。

冨永さんは、浅草のお菓子屋に生まれ、男まさりに育ちました。

実家では、お父さんは遊んでお母さんが店を切り盛りしていました。
結婚して、そば屋「十和田」を経営する菊水堂に入ったときも、「暖簾は私が守る」と決意しました。

1964年の東京オリンピックの頃から、新宿や渋谷にお客が移り、浅草では客引、ゆすり、たかりが横行し、若い女性が一人では歩けない街になっていたそうです。

子どもたちに誇れる浅草をと、1968年に周囲のおかみさんと「浅草おかみさん会」を結成しました。

男性たちからは「生意気だ」と言われ、ここで止めたら浅草の女がすたると、2階建バスを走らせたり、サンカーニバルを開いたりしました。

役所との交渉、イベントの打ち合わせ、店の経営とめまぐるしい毎日です。
イベント代の肩代わりや政財界との付き合いで、借金が2000万円になったこともありました。

頼まれて各地で講演をするようになり、新しいおかみさん会が誕生しました。

静岡県掛川のおかみさん会は、20余人の会員で、会長は呉服屋「大国屋本店」の3代目山本和子さんです。

地元の高校から東京の女子大へ進学し、卒業後、銀座の和装小物店で2年間働きました。
親に呼び戻されましたが、理由をつけては東京に行き、遊びました。

地元では若い女性の跡取りとして、役所などの会議に引っ張りだこになります。

街の役に立っているのか疑問が芽生え、冨永さんに手紙を書きました。
「寂しくなった街の再生に、女性がどのように取り組んだらいいのかわかりません」

冨永さんが掛川に来てくれ、すぐにおかみさん会ができました。
会長を決めることになると、一番若い山本さんが選ばれます。

最初は固辞しましたが、冨永さんの「会長のあんたが偉いんじゃない、いちばん年の若いあんたを選んだみんなが偉い」という言葉で、引き受けました。集客イベントを企画し、裏方として走り回ります。

毎年6月に「全国商店街おかみさん交流サミット」が開催されます。

昨年は北海道夕張市でした。
会場に招いた高校生に、冨永さんは「東京や札幌に出るだけが能じゃない。夕張に残って貢献してください」と話しました。

今年は、埼玉県川越市です。
会長の栗原裕子さんは、広さ8坪のたばこ屋の店主です。「うちのような小さな店からだって、元気を発信できると思う」と、開催地に立候補したのだそうです。
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女性の顔が見えると、ぐっと親しみが湧きます。

いろいろなニュースで商店街のおかみさん会、旅館のおかみの会の活動を見ますね。


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1 コメント

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