昨日の朝日新聞求人欄に「仕事力 渾身の準備で『次』をつかもう 三國清三が語る仕事 3」という記事がありました(
http://www.asakyu.com/column/?id=572参照)。
2000年の九州・沖縄サミットで総料理長を務め、「現代の名工」にも指定されているフレンチシェフの三國清三さんの4回シリーズのお話の3回目です。
★三國さんは、北海道増毛町の出身で、お父さんが採る海の幸、お母さんが作る野菜を食べて育ちました。
小学生の頃から、魚やアワビを町へ売りにいく手伝いをしてて、料理屋の厨房を訪れ、戸を開けるとフワッと暖かい湯気といいにおいに包まれました。
そこで持っていったアワビを買い上げてもらったうれしさと同時に、食べ物を扱う厨房にあこがれの気持ちを抱いたそうです。
★15歳から札幌の夜間料理学校へ通い、札幌グランドホテルのパートに雇ってもらいました。
仕事は鍋洗いで、ひっきりなしに食器や調理器具が運び込ます。
それらの仕事を間違いなくこなし、さらに自分の体がすっぽりと入ってしまうような寸胴鍋のすべてを自主的に洗っていました。
本来なら営業が終了してから最後に、調理場のみんなで洗う仕事が残るのですが、その時には三國さんが全部洗い終わっていて、おお、こいつはやるなと心に留めてもらえたそうです。
★18歳になり、一流になるためには帝国ホテルに行きたいと考え、札幌グランドホテルの総料理長に直訴して帝国ホテルの村上信夫料理長あてに紹介状を書いてもらいます。
帝国ホテルでも鍋洗いです。
コックだけで600人という大所帯で鍋を洗い続けました。
料理の世界では、手取り足取り教えるなどということはありません。厨房に身を置いて、自分の仕事をこなしながら先輩の技を盗み、それを自力で身に着けていくのです。
村上料理長が出演するテレビ番組などの手伝いをする機会をつかみ、20歳で「在スイス日本大使館付きの料理長としてジュネーブへ」という仕事を任されることになりました。
村上料理長が三國さんの「塩ふり」を見て抜擢された結果です。
三國さんは、料理の世界はできた者勝ち、まさに格闘技なのだと肝に銘じたということです。
★スイスでも、到着した翌日からすぐにタクシーに乗り、町で最高のミシュランの二つ星、ジュネーブ一のフランス料理レストランに行ってみます。
大使夫妻の夕食を作り終えると、二つ星レストランの厨房へ飛んで行き、見習いとして仕事をしながら、ディナーコースのメニューの作り方やテーブルセッティングなどをメモし続けました。
村上料理長は、「大使館で頂いたお金は自己投資して、料理店や三つ星レストラン、美術館などに行き全部吸収してきなさい」と言われたそうです。
★就任半年ほどしてから初めて休暇をもらい、「オテル・ドゥ・ヴィル」のフレディ・ジラルデに会いに行き、初対面のジラルデに使って欲しいと頼み込み、大使館の休暇を利用して厨房に出かけて行くようになります。
その後も、欧州の名だたる三つ星レストランで働きます。
「ジラルデ」「トロワグロ」「オーベルジュ・ドゥ・リル」、それぞれのオーナーは、サティフィカ(直筆の推薦状)を書いてくれ、それを持ってまた有名なレストランへ行き、使って欲しいと頼むのです。
★三國さんが、最も尊敬する料理人は、アラン・シャペルでした。
一流の料理人の中でもまた別格で、ダ・ヴィンチと呼ばれるような存在で、働かせて欲しいと願いを出し続けて3年目に機会をもらいました。
三國さんは27歳、すでに複数の三つ星レストランでの修業も積み自信もついていました。
入って3ヶ月がすぎた頃、三國さんの一皿を見てシャペルさんが低い声で「セ・パ・ラフィネ」とつぶやきます。「洗練されていない」「形でしかない」という意味だと三國さんは解釈しました。
シャペルさんは、一人ひとりにテーマを与えるという魔法をかけ、ひたすら自分で考えさせて育てていくという主義でした。
やがて夏になると三國さんはバテ始め、シェフが順番に担当する賄い料理も軽いものばかり作って、仲間のフランス人から「これじゃ持たない」と苦情が出始めていました。
彼らが作るクリームとバターがたっぷり入った料理は三國さんの体が受け付けない。彼らは、これが子供の頃からの母や祖母の味だと言うのです。
フランス人が作るフランス料理を死ぬまで食べ続けたいか、と自分に問うた時、答えはノーでした。
欧州修業の間は封印していたけれど、やっぱり味噌、米、醤油が食べたい、故郷で食べたような新鮮な魚を味わって生きていきたい。そして、これがシャペルさんへの答えなのではないかと思いました。
日本へ帰ろう。そして自分なりのオリジナリティーのある料理を作ろうと決心されます。
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日本有数のシェフが、どのように修行をしてきたかを詳しく話してくださっていて、「格闘技だ」とおっしゃるのが理解できるような修行に、感銘を受けました。
次回の4回目が楽しみです。