昨日の朝日新聞週末beに、「フロントランナー 石村萬盛堂取締役 石村一枝さん お菓子と一緒に成長続ける」という記事がありました。
OLから、「鶴乃子」で有名な和菓子屋の三代目と結婚し、ホワイトデーを作り出す等、お菓子業界をリードしてきた女性なのだそうです。
石村一枝さんは、会社員の父と、料理上手で有名な母に、一人っ子として福岡市で生まれました。
福岡女学院大学を卒業し、大手広告会社に勤務しました。
28歳で、石村萬盛堂の3代目の石村僐悟さんと結婚しました。
プロポーズの言葉は、「男は外で働くことで成長する。君も一緒に働いて成長してほしい」でした。
現在は、僐悟さんが社長で、一枝さんは取締役です。
旦那さんと雑誌を読んでいたら、「バレンタインデーのお返しに、クッキーとかマシュマロがほしい」という女性の投稿がありました。
「マシュマロといったら、うちじゃない」
創業当時から看板商品の「鶴乃子」は、卵黄の入ったあんを卵型のマシュマロで包んだものです。
チョコレートをマシュマロで包み、「マシュマロデー」として、1977年に福岡のデパートで売り出しました。
翌年1978年には、東京でも扱われ、ホワイトデーのきっかけになりました。
和菓子のジャンルを超える事業をしたいと、夫婦で話し合い、洋菓子店「ボンサンク」を、1979年に立ち上げました。
周囲からは「菓子屋は大きくするもんじゃない」と言われました。
最初の半年は、全く売れませんでした。
ならばと、ウェディング業界にチョコレートケーキの売り込みをしました。
担当者は、「黒は縁起が悪いのでは」と心配しましたが、ようかんや干菓子が引き出物の主流だった中で、「おいしい」と評判になりました。
今では、洋菓子部門の売上げの6割を占めています。
2人の息子の母親でもあります。
子どもたちが幼い頃、仕事で家を留守にすることが多く、帰宅して「ごめんね」と言うと、「謝らんでよかよ。がんばりよっちゃけん。(謝らなくていいよ。頑張ってるんだから)」と、逆に励まされました。
もともとお菓子が好きで、ガムを食べると「これはロッテ」と分かるほど「お菓子命」でした。
結婚するときは、「好きなお菓子屋さんと結婚できて良かったね」と言われました。
老舗の和菓子屋に嫁ぎ、2代目社長が、毎朝、掛け軸を替えるのを見ました。
「これは本物、これは偽物。本物ばかり見ていてはダメ。偽物もだまされて買ううちに、本物かどうかが分かる」と話してくれました。
朝、1時間ほど聞くのが眠くて苦痛でしたが、1年くらいして、「これは偽物ですね」と言うと、「分かるか」と嬉しそうにされました。
このあたりから、なじんだと感じたそうです。
次々と新しい店や商品に取り組みました。
初代社長は、「競争はするな、勉強をせよ。人が角いものを作れば、こちらは丸いものを作れ」と言いました。
独創的は精神は、石村萬盛堂の社風です。
人のまねをするのではなく、どうしたら市場を開拓できるかを考えます。
気分転換はあまり必要なく、あえて言うなら、夫や友人とのご飯です。
お店に行っても、「ここはもう少しこうすれば素敵」と、食事だけでなく、座る位置や照明の向きまで考えてしまい、仕事が趣味になっています。
大変でも、ゴールが見えた瞬間にわくわくし、それが楽しいと感じます。
今後は、日本の紅茶作りをしたいと考えています。
大分県に、農薬を使わず、有機肥料で、1枚1枚手摘みの茶葉があり、この紅茶のブランド化に取り組みたいと思っている、ということです。
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30年来の友人の中村調理製菓専門学校(福岡市)の中村哲校長によると、
「典型的なごりょんさん」なのだそうです。
博多商人の妻の意味で、博多祗園山笠に夢中になり家を空けがちな夫を、陰で支えてきました。
社員の方と来年のバレンタイン用の生チョコをチェックしている写真がありました。
細身で、白いシャツに上質のカーディガン、髪はボブであごまでの長さに軽くパーマがかかっています。
一緒に写っている社員の方(担当の男性、製菓の若い男性、販売の若い女性)が、リラックスした表情で、本当に社員の方に信頼されていらっしゃると感じました。
OLから、「鶴乃子」で有名な和菓子屋の三代目と結婚し、ホワイトデーを作り出す等、お菓子業界をリードしてきた女性なのだそうです。
石村一枝さんは、会社員の父と、料理上手で有名な母に、一人っ子として福岡市で生まれました。
福岡女学院大学を卒業し、大手広告会社に勤務しました。
28歳で、石村萬盛堂の3代目の石村僐悟さんと結婚しました。
プロポーズの言葉は、「男は外で働くことで成長する。君も一緒に働いて成長してほしい」でした。
現在は、僐悟さんが社長で、一枝さんは取締役です。
旦那さんと雑誌を読んでいたら、「バレンタインデーのお返しに、クッキーとかマシュマロがほしい」という女性の投稿がありました。
「マシュマロといったら、うちじゃない」
創業当時から看板商品の「鶴乃子」は、卵黄の入ったあんを卵型のマシュマロで包んだものです。
チョコレートをマシュマロで包み、「マシュマロデー」として、1977年に福岡のデパートで売り出しました。
翌年1978年には、東京でも扱われ、ホワイトデーのきっかけになりました。
和菓子のジャンルを超える事業をしたいと、夫婦で話し合い、洋菓子店「ボンサンク」を、1979年に立ち上げました。
周囲からは「菓子屋は大きくするもんじゃない」と言われました。
最初の半年は、全く売れませんでした。
ならばと、ウェディング業界にチョコレートケーキの売り込みをしました。
担当者は、「黒は縁起が悪いのでは」と心配しましたが、ようかんや干菓子が引き出物の主流だった中で、「おいしい」と評判になりました。
今では、洋菓子部門の売上げの6割を占めています。
2人の息子の母親でもあります。
子どもたちが幼い頃、仕事で家を留守にすることが多く、帰宅して「ごめんね」と言うと、「謝らんでよかよ。がんばりよっちゃけん。(謝らなくていいよ。頑張ってるんだから)」と、逆に励まされました。
もともとお菓子が好きで、ガムを食べると「これはロッテ」と分かるほど「お菓子命」でした。
結婚するときは、「好きなお菓子屋さんと結婚できて良かったね」と言われました。
老舗の和菓子屋に嫁ぎ、2代目社長が、毎朝、掛け軸を替えるのを見ました。
「これは本物、これは偽物。本物ばかり見ていてはダメ。偽物もだまされて買ううちに、本物かどうかが分かる」と話してくれました。
朝、1時間ほど聞くのが眠くて苦痛でしたが、1年くらいして、「これは偽物ですね」と言うと、「分かるか」と嬉しそうにされました。
このあたりから、なじんだと感じたそうです。
次々と新しい店や商品に取り組みました。
初代社長は、「競争はするな、勉強をせよ。人が角いものを作れば、こちらは丸いものを作れ」と言いました。
独創的は精神は、石村萬盛堂の社風です。
人のまねをするのではなく、どうしたら市場を開拓できるかを考えます。
気分転換はあまり必要なく、あえて言うなら、夫や友人とのご飯です。
お店に行っても、「ここはもう少しこうすれば素敵」と、食事だけでなく、座る位置や照明の向きまで考えてしまい、仕事が趣味になっています。
大変でも、ゴールが見えた瞬間にわくわくし、それが楽しいと感じます。
今後は、日本の紅茶作りをしたいと考えています。
大分県に、農薬を使わず、有機肥料で、1枚1枚手摘みの茶葉があり、この紅茶のブランド化に取り組みたいと思っている、ということです。
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30年来の友人の中村調理製菓専門学校(福岡市)の中村哲校長によると、
「典型的なごりょんさん」なのだそうです。
博多商人の妻の意味で、博多祗園山笠に夢中になり家を空けがちな夫を、陰で支えてきました。
社員の方と来年のバレンタイン用の生チョコをチェックしている写真がありました。
細身で、白いシャツに上質のカーディガン、髪はボブであごまでの長さに軽くパーマがかかっています。
一緒に写っている社員の方(担当の男性、製菓の若い男性、販売の若い女性)が、リラックスした表情で、本当に社員の方に信頼されていらっしゃると感じました。