ある40代女性の生活

40代女性の生活の一例です。
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菅さんへの「不信任案」: 国民も経済界(経済同友会)も代える意見はない 動く政治家は覚悟を決めて

2011年05月31日 22時10分03秒 | 新聞
今日の朝日新聞に、「不信任案 攻防激化 自民、狙いは民主分裂 倒閣へはやる小沢氏」という記事がありました。

小沢さんと野党が、菅政権に対し、6月2日にも不信任案を提出しようとしているのだそうです。

小沢さんが、今、倒閣を言い出している理由は、菅政権が長引けば自分の影響力が一層低下するからです。

「菅政権を代えるなら今だと思っている」(党幹部)

自民党は、衆議院の議席は118ですが、民主党から約80人が造反してくれれば、不信任案を可決できます。

「菅政権のもとでこれ以上、復興を進めるのは難しい。我々が代わってやるという意思を示す」と、谷垣総裁は、5月30日に発言しました。

自民党内では、民主党内の造反者は50人程度と見ていて、可決は無理でもその後、民主党が分裂してくれることを期待しているということです。
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夕刊には、「不信任案提出2日が軸」という記事もありました。

自民党の谷垣総裁、大島副総裁、石原幹事長が、5月31日に、不信任決議案の提出を6月2日を軸に調整すると話し合ったということです。


震災から100日も経っていず、復興をどんどん進めるべき時期に何をしているのだろうというのが率直な感想です。

それだけ小沢さんが追いつめられているとも考えられます。

以前のニュースで、「座して死ぬくらいなら、打って出る」と表現されていました。


記事(朝刊)には続けて「憤る被災地」という記事があり、被災地の方々は

「まずは原発事故を収束させることに全力を注ぐべきだ。こうした動きをする政治家に怒りを感じる」(福島県浪江町の馬場有町町長)

という意見に代表される考えの方が多いと書かれていました。


同感です。

今は復旧復興、義援金の配布、被災地の皆さんが1日でも早く元の生活に戻れるよう努力する時期でしょう。


小沢さんに首相になってほしいでしょうか?
谷垣さんに首相になってほしいでしょうか?

答えはいいえです。


どういう考えの方があるだろうと、「不信任案」で見てみると、

「内閣不信任案:「いま総選挙あり得ない」経済同友会」という毎日新聞の記事がありました。
(http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110601k0000m010027000c.html参照)

経済同友会の長谷川閑史代表幹事が、5月31日に記者会見で

「今の時期に(衆院解散・)総選挙はあり得ない。東日本大震災による被災地の状況を考えると、政局をやっている場合ではない」

と述べたとあります。


国民からも経済界からも、今、政権を代えてほしいという声はありません。

これを読まずに動いた政治家は、これからどういう印象を持たれるか、覚悟を決めて動いてもらいたいと思います。


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宮塚文子さん: バービー人形のドレスと小物、日本で試作→日本で製造 『バービーと私』著者 

2011年05月29日 16時54分22秒 | 新聞
今日の朝日新聞に、「バービーと私 着せ替えドレスを作り続けた半生記 宮塚文子<著>」という記事がありました。

書評欄で、注目の本を紹介するコーナーです。

バービー人形が発売されたとき、服と小物は日本で試作され、製造も日本で行われていたのだそうです。

宮塚文子さんは、1932年生まれです。
1957年に、「国際貿易」に入社し、退社するまでドレス担当主任をしていました。

バービー人形(リカちゃん人形の前に発売されたアメリカ人スタイルの着せ替え人形)は、最初の10年間あまり、日本で製造されました。

アメリカの会社が、日本の縫製技術の高さと賃金の安さに注目し、日本の会社に生産を依頼したのです。

宮塚さんは、帝国ホテルに借り切られた部屋に1年間通い、バービー人形のドレスや小物を試作しました。

9時から5時は帝国ホテル、その後は会社、終電で帰宅してからも仕事をし、「楽しくて仕方なかった」と著書『バービーと私』に書かれているそうです。

松永美穂さん(早稲田大学教授・ドイツ文学)の書評は、アメリカ人社員との関わり方など、女性の一代記としてもおもしろいとされています。

「働く意欲に関して、この本には時代を超えたたくさんのヒントが隠されていると思う」ということです。
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バービー人形は、アメリカでデザインされ、アメリカ製のイメージがありました。

日本の帝国ホテルでドレスや小物がデザインされていたとは、初耳です。


著者は、どんな方なのでしょう。

「宮塚文子」さんで見てみると、

「Books&Magazines」というサイトが最初に出てきました。
(http://www5.big.or.jp/~naoko/Book/index.htm参照)

バービー人形に関する本や雑誌(日本語と英語)を集めたサイトです。

日本語の『NOSTALGIC Barbie』(読売新聞社、1997年)に宮塚さんに関する記述があり、

読み物としては、初期のドレスをデザインしたアメリカ人デザイナー、シャーロット・ジョンソンさんのアシスタントを務めた宮塚文子さんのインタビューがおすすめ  とあります。


「富田昭次のコンシェルジュコラム|ホテル・ノスタルジア|ホテル」というサイトが2番目に出てきました。
(http://www.concierge.ne.jp/500_column/nostalgia_030.html参照)

富田昭次さん(立教大学卒業後、ホテル専門誌の編集記者・編集長を経て独立、ホテル・旅行作家)のホテルについてのウェーブマガジンです。

帝国ホテルでは、2009年に「バービー・デビュー50周年記念企画」という催しをしたのだそうです。

「バービーとは、言うまでもなく1959年にアメリカのマテル社から発売されたバービー人形のことだが、実はその記念すべきデビュー・ファッションを担当したデザイナーのシャーロット・ジョンソン女史は1957年から約1年間、帝国ホテル旧本館のライト館に滞在し、その間にバービーの衣裳案を作ったのだという。

ジョンソン女史は客室にミシンを持ち込み、国際貿易の宮塚文子(旧姓・中村)さんをアシスタントに、22点のドレスをデザインしたそうである」

と書かれてます。



宮塚さんは、デザイナーのシャーロット・ジョンソンさんのアシスタントをされていたのですね。

検索をした範囲では、宮塚さんご本人のホームページやブログは見つけることができませんでした。

バービー人形(何百万体)、ドレス、小物が日本で生産されたと記事にあり、どの地域でどういうふうに製造されたのだろうと思いました。


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投資信託: 誕生60年 「毎月分配」→「ハイイールド」→「通貨選択」 年金の補完の役目も

2011年05月28日 14時22分41秒 | 新聞
今日の朝日新聞に、「リッパ-の眼 オープン投信 投信誕生60年を振り返る 下」という記事がありました。

トムソン・ロイターの傘下リッパ-が、投資信託の情報を紹介してくれるコーナーです。

今年は、「投資信託」が誕生して丸60年の年なのだそうです。

リスクもある投資信託が、身近なものになっていく過程を説明しています。

「投資信託」は、リスク商品であったため、最初はなかなか一般に受け入れられませんでした。

実際、2000年の日本株の下落と2001年のエンロン破綻で、5本のMMFが元本割れを起こしました。

1998年に銀行窓口で販売が認められ、一般に広がりました。

MMFの元本割れ後、「毎月分配」が誕生しました。

定期預金の金利がほとんど期待できない時期でも、海外国債(金利が高い)への投資で定期的な分配金が可能になりました。
今では、投資信託の60%は毎月分配型だそうです。

2000年代半ばには、「ハイイールド債権ファンド」ができます。

アメリカの低格付け社債を投資対象にすることで、より高い配当金が可能になりました。

2008年の金融危機後、「通貨選択型」が出てきました。

これまでの投資先の債権や株券の値上がり益に、為替のリターンを上乗せし、2階建て構造で、ますます高い配当金を出します。

個別の商品に関しては、日本は「投信先進国」のレベルに達したということです。
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「投資信託」の変遷をこんなにまとめて説明したものは、初めて読みました。

証券会社の担当の方に「新しい商品が出たんですよ」と説明されて知った商品は、こういう流れに乗っていたものだったのですね。

説明されれば、そのとおりです。

現在の投資信託の人気のものは、「毎月分配型」で、「ハイイールド」で、「通貨選択型」(ブラジルのレアルが人気)です。


記事に、年6回分配(隔月分配)タイプも出て、年金の補完的役割を果たすとして退職した方の支持があると書かれていました。

それは、投資信託を始めたときに、私も感じました。

まとまった金額を預けておくと、毎月、決まった(毎月ほぼ同じ)金額が振り込まれ、「これはちょっとしたお小遣い、将来は第2の年金として使える」と感じました。

特にリーマン・ショック以前の金利が良かったときは「こんなにもらっていいのだろうか」というくらいの分配金がありました。

今でも、普通の銀行の定期預金とは比較にならない金額が手に入ります。

ただ、この商品は買ったときの価格と、売るときの価格が異なるので、そこを考えないとせっかくの分配金が飛んでしまう危険性があります。

購入対象や時期を分散するなど、工夫も必要です。

投資信託をすると、新聞の経済欄にも目がいくようになりました。


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山科けいすけさん: 漫画家 第15回手塚治虫文化賞短編賞 beの「らいふ いず びうちふる」作者

2011年05月22日 20時48分08秒 | 新聞
今日の朝日新聞に、「第15回手塚治虫文化賞」という記事がありました。

優れたマンガに贈られる「第15回手塚治虫文化賞」は、マンガ大賞は「JIN-仁-」と「竹光侍」、新生賞は「鋼の錬金術師」、短編賞はbeに「らいふ いず ぶうちふる」を描いていらっしゃる山科けいすけさんに決まったのだそうです。

この賞は、手塚治虫さんの業績を記念し、2010年に刊行・発表された作品から選ばれます。

主催は朝日新聞で、8名の社外選考委員(マンガ家2名、評論家3名、作家1名、大学教授2名)で選考しました。

マンガ大賞には、江戸時代を舞台にした2作品が競い、2009年以来の2作受賞となりました。

村上もとかさん「JIN-仁-」は、メッセージ性が評価され、
松本大洋さん 作・永福一成さん「竹光侍」は、芸術性が評価されました。

新生賞は、荒川弘さん「鋼の錬金術師」が、圧倒的な支持で決定したそうです。

短編賞は、山科けいすけさん「C級さらりーまん講座」などの作品が、「ブラックでありながら、分かりやすい笑いは他にない」(呉智英さん、作家で社外選考委員)と推され、決定したということです。
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「JIN-仁-」は、ドラマのほうも高視聴率のようです。

個人的には、山科けいすけさんが、毎週末のbeに4コマ漫画「らいふ いず びうちふる」を描かれていて、毎回、楽しみにしているので受賞を嬉しく思いました。


この週末の「らいふ いず びうちふる」は、新婚と思われるカップルで、奥さんが台所にいるところへ旦那さんが来て「ちょっと背中かいてくれない?」と言います。

奥さんが「ここ?」とかいてあげると、旦那さんは「キミはかくのがうまい、自分は一人暮らしが苦にならなかったが、結婚してよかった」という内容で感謝します。

4コマ目では、奥さんは実家でお母さんと差し向かいで紅茶?を飲んでいます。

お母さん「それで家出してきたのかい」

奥さん「アタシの存在意義は背中かくだけらしいから」 (顔に怒りの四つ角ができています)



旦那さんのほうは、突然、奥さんが不機嫌になった理由が理解できずに、家に残されているだろうと想像しておかしくなりました。

毎回、上手だなぁと思いながら読んでいます。


どんな漫画家さんだろうと、「山科けいすけ」さんで見てみると、ウィキペディアが最初に出てきました。

本名が、簗島馨(やなしま かおる)さん

奥さんは、漫画家の森下裕美さん

とあります。

記事に、妻の森下裕美さんも2007年にこの賞の短編賞を受賞しているとありました。
(ご夫婦揃っての短編賞受賞になるのですね)

山科さんにサラリーマン漫画が多いのは、「サラリーマンという縛りの中で、どれだけくだらないものを書けるか」と始めるときに考えたと書かれていました。

山科さんは、サラリーマンの男性(中年、中堅、若手それぞれ)を何通りにも描き分けられるところもすごいと感じます。


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東京電力: 決算発表 広告費、企業年金は削減なし 清水社長の退職金は

2011年05月21日 10時32分49秒 | このブログのこと
今日の朝日新聞に、「東電決算発表」という記事がありました。

東京電力が決算を発表し、250億円の広告費、職員の企業年金削減することなくそのままなのだそうです。

5月20日に、東京電力が2011年3月期連結決算を発表しました。

売上高  5兆3685億円 (前期比7.0%増)
純損失  1兆2473億円 (日本企業で過去最大)

主な合理化策と確保できる資金

資産売却  6000億円以上  厚生施設の全廃など
費用削減  1800億円程度  修繕費の削減
      1700億円程度  システム開発などの縮小、イベント中止
       540億円程度  人件費削減
      1000億円程度  燃料費などの削減

人件費の削減には、
 役員報酬を全額返上
 管理職は年俸の25%減
 一般職は年収の20%減

ということです。
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広告費(250億円と言われる)、企業年金はそのままなのでしょうか。

「東京電力 広告費」で見ると、

「東京電力の広告関連費250億円 / 広報担当者「見直し対象かどうかも言えない」というブログが最初に出てきました。
(http://rocketnews24.com/?p=96528参照)

この事実は、5月17日朝刊で東京新聞が報じたことにより発覚。なんと広告費が2009年度は250億円も使われており、その費用については現在「見直し対象かどうかも言えない」と、実際に東京電力の広報担当者が言ったそうだ。

と書かれています。


東京新聞を見にいくと、今日の社説に

「東電決算 リストラが甘すぎる」という記事がありました。
(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011052102000036.html参照)

社員の老後の生活を理由に企業年金を削減せず見送るようでは、帰宅が許されず避難を強いられている住民との落差が大きすぎる。

と企業年金は、手つかずでそのまま採用されたようです。


決算と同時に、清水正孝社長が退くことも同時に発表されました。
(1面の朝日新聞記事「東電 新社長に西沢氏」参照)

後任には、西沢俊夫常務が昇格します。

清水社長の退職金については、特に書かれていませんでした。

この点はどうなっているのだろうと思います。


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柳原可奈子さんのお父さん: 母親役も(話の聞き役、料理) 飲むと陽気 飼い犬に「可奈子と口きくなよ」

2011年05月19日 21時55分58秒 | 新聞
今日の朝日新聞に、「おやじのせなか 柳原可奈子さん 一緒に買い物、手作り弁当」という記事がありました。

各界の方に、お父さんのことを語ってもらうコーナーです。

タレントの柳原可奈子さんのお父さんは、亡くなった妻の分の母親役もしてくれ、飼い犬には「可奈子と口きくなよ」と言うような方なのだそうです。

柳原さんが19歳のとき、お母さんが亡くなりました。

それを境に、お父さんといろいろ話すようになったそうです。

柳原さんがお昼に食べた物、その日のできごとの話を、黙って聞いてくれます(アドバイスはしません)。

1年ほど前から一緒に暮らすようになり、ほとんど毎食がお父さんの手作りで、お弁当まで作ってくださいます。

料理好きは昔からで、「現場の弁当は野菜が少ないし、味付けも濃い」と、卵焼きやミニトマト入りのOLのようなお弁当です。

柳原さんが仕事で疲れて不機嫌になると、「自分だけがつらいと思うな」と注意もされます。

それで言い合いになると、飼い犬に「もう、加奈子と口をきくなよ」と話しかけ、本当にヤバイ状況を避けられるということです。
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犬に「口をきくなよ」と言われるユーモアがいいですね。

どんなに頭に血が上っていても、笑ってしまいそうです。


柳原さんは、白くてぽっちゃりして、明るくて、好きなタレントさんです。

朝のニュース番組(日本テレビの「スッキリ!!」)の天の声や、テレビ東京の「空から日本を見てみよう」(くもじいの番組)の「くもみ」の声は、柳原さんですね。

とてもいい声で、柔らかな感じで、聞いていて癒されます。


どんな家庭に育たれたのだろうと思っていました。

お母さんを成人する前に亡くされたのですが、このように慈しみのあるお父さんがいらっしゃったのですね。

記事には、お父さんはお酒が入ると陽気になる(普段は静か)タイプと紹介されています。

父親をこのように語ることができる柳原さんも、大人だと感じました。


上記の声の部分をネットで確認していたら、柳原さんの公式ブログ「泳ぐジッポとルードボーイ - ブログ・ヤプログ!」がありました。
(http://yaplog.jp/yanakana/参照)

最新の書き込みは5月9日でした。
ライブの後で、「にゅうめんを食べて寝ます」と書かれていました。

新聞には、7月17、18日には、初の単独ライブ「見せたがり女」をされるとありました。

これからも成長を見守っていきたいタレントさんです。


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機械受注=「設備投資の先行指標」: 3月も2.9%↑(震災影響なし) 4~6月見通しは、10%↑

2011年05月16日 21時35分41秒 | 新聞
今日の朝日新聞夕刊に、「機械受注2.9%増 3月 4~6月予測も堅調」という記事がありました。

機械受注は、「設備投資の先行指標」ですが、3月は前月比2.9%増で、4月以降も10%が期待できるのだそうです。

内閣府が、5月16日に「3月の機械受注統計」を発表しました。

機械受注(機械メーカーが国内の民間企業から受注した金額(季節調整値))は、7,776億円でした。
(変動が大きい船舶と電力を除く)

これは、前月比2.9%で、3カ月ぶりの増加となりました。

1~3月期も、前年同期比3.5%増でした。
2四半期ぶりのプラスでした。

「機械受注」は、「設備投資の先行指標」とされます。

民間の予測では、東日本大震災の影響で大幅な減少をしたものが多かったのですが、実際には増加しました。

内訳では、製造業が0.4%減でした。
自動車、自動車部品、一般機械、情報通信機械などの業種で減少しました。

非製造業は、7.1%の増加でした。

4~6月の見通しは、前期比10.0%増(変動が大きい船舶、電力を除く)となっています。

これは、1989年10~12月に記録した10.2%(実績)に次ぐ高い伸び ということです。
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震災で何もかもしぼんでしまっただろうと予想していただけに、意外な数字です。

記事には、「機械受注額の推移(船舶、電力を除く民需)」という折れ線グラフが添えられています。

2008年1月に12,000億円あったのが、2008年9月の「リーマン・ショック」を受け、がくっと減っています。

2009年は、6,000億円台で、底を形成しています。

2010年には、7,000億円台を回復し、ジグザクを繰り返しながら、ゆるやかに右肩上がりになっています。

7,776億円の10%増という予測が当たれば、機械受注額(船舶、電力を除く民需)は8,000億円台、9,000億円台になってきそうです。


内閣府の発表を見に行ってみました。

「内閣府のホームページ」のトップ画面に、「新着情報 研究 機械受注統計調査報告(平成23年3月実績および4~6月見通し)」がありました。
(http://www.esri.cao.go.jp/jp/stat/juchu/1103juchu.html参照)

3月に伸びた非製造業は、具体的にどんな分野だろうと見てみました。

  建設業      1.8%↑
  通信業      8.9%↑
  金融・保険業  16.2%↑
  情報サービス業 14.8%↑
  リース業     7.6%↑

金融・保険業が、機械を発注するとは、どういう機械なのでしょうか?


「金融・保険業 機械を発注」で1カ月以内で検索してみると、

「設備投資は先行き減るのか増えるのか、どちらに向かうか? 吉岡家一同」というブログが4番目に出てきました。
(http://pokemon.at.webry.info/201105/article_25.html参照)

その2段落目に、

「金融・保険や通信で、コンピューター関連投資が増えた」とありました。

コンピューターだったのですね。


新聞やテレビのニュースにはならなかったけれど、注文がどっと来て、フル生産をしていた分野や会社が結構あったのだと思いました。



東京電力: 会長と社長の年収は7,200万円 「電源開発促進税」(原発費用)で月300円払っている

2011年05月15日 17時22分49秒 | このブログのこと
今日の朝日新聞に、「東電トップ 報酬7200万円 経産相明かす」という記事がありました。

東京電力の会長と社長の報酬は7200万円で、リストラで50%削減しても年収3600万円なのだそうです。

海江田経済産業相が、4月14日に、テレビ朝日の番組で明らかにしました。

東京電力の勝俣恒久会長と清水正孝社長の役員報酬は、

「驚いたのだが、50%カットして3600万円くらい残る。それはちょっとおかしいということで、もっと努力してくださいと言った」と述べました。

この発言から計算すると、東京電力の会長と社長の報酬は、7200万円程度だったことになるということです。
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え~、そんなにもらっていたの?という感想です。

お手盛り(自分で決められる)だから、いくらでもOKで、しかも公開する必要もなかったのでしょうか?

電気料金を払っている立場からは、いくらなんでも高すぎと感じます。

(同様のことはNHKでも感じました)

電力会社は株式会社になっているとはいえ、独占状態なのですから、役員の報酬は公開して妥当かチェックする機会が必要ではないでしょうか。

東京電力の会長や社長の報酬が高すぎと思っても、他の電力会社を選んだり、電力料金を払いませんという選択肢は我々にはありません。

以前、電力会社に息子さんを就職させた奥さんが、「電力会社はお給料が高くて安定しているし、東京から出る心配もないから就職させた」とおっしゃっていました。

電力会社は、発電にかかったコスト+職員の給料をまず出して、そこから電気料金を決めていくのだそうです。

公務員のように「一律10%カット」等と言われることもないということでした。


電気、水道、ガス、NHKのような企業は、役員報酬も含めて、経営にかかるコストをもっと公開していく必要があるのではと感じました。


公開と言えば、以前の朝日新聞の記事で、電気料金の中に原子力発電所関連の費用が「電源開発促進税」という形で、各家庭で毎月300円程度負担しているという記述を読んだ記憶があります。

「電源開発促進税」で見てみると、

ウィキペディアが最初に出てきて、

電源開発促進税法(昭和49年6月6日法律第79号)に基づくもので、当時のオイルショックにより石油に代わる代替エネルギーを模索し、原子力発電所などの設置を促進するためであった

とあります。

「不思議の国ニッポン: 電源開発促進税」というブログもありました。
(http://blogs.dion.ne.jp/europeus/archives/10079587.html参照)

「電気料金の2%がこの電源開発促進税に当たるそうです。その根拠について確認できませんが、それを事実とするならば、月に一万円の電気を使う人たちなら200円/月、5000円の人たちなら100円/月を「電源開発促進税」として、電力会社を通じて納税していることになります」

と書かれています。



我が家に来ている電気料金等領収書には、「太陽光促進付加金 36円」とは明記されていますが、「電源開発促進税」または「原子力関連費用」300円とは書かれていません。

これは原子力にかかる費用は内緒にして、太陽光ははっきりと書いて「こんなにかかっている」と意識させ、公平ではないのではと思います。


原子力には族議員と学会があり、太陽光など再生可能エネルギーにはまだ後押しをする力が育っていないからだろうかと感じました。


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浜岡原発: なぜ東海地震のまんなかに原発を建設したのか?着工してしまっていたから(昭和46年)

2011年05月10日 21時33分14秒 | 新聞
今日の朝日新聞に、「ニュースがわからん! なぜ浜岡原発だけ止めるんじゃ?」という記事がありました。

ニュースの背景を、分かりやすく解説してくれるコーナーです。

浜岡原発が東海地震の震源域の中央に建設されたのは、すでに着工してしまっていたからなのだそうです。

菅首相が、浜岡原発(中部電力)に、運転中止を要請しました。

浜岡原発は、「東海地震」の想定震源域のほぼ中央に位置しています。

政府の地震調査委員会によると、「東海地震」が今後30年以内に起きる確率は87%で、マグニチュード8クラスを予想しています。

フクロウのホー先生が、「なぜそんな場所に原発を建てたんじゃ?」と聞くと、

東海地震が注目され始めたのは、1976年(昭和51年)で、浜岡原発はすでに着工されていたと説明されています。

その後、他の原発よりも大きな揺れを想定して補強を行い、津波は8.3mの高さを想定し、海側にある砂丘(10~15m)で防げるとしてきた ということです。
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そういう理由だったのですね。

先日、複数の人と浜岡原発のことで話をした際に、「どうして東海地震の真ん中に原発を作ったの? そこが建設してもいいですよと言ったから?」という話があり、その場ではなぜだろうと答えが出ませんでした。

東海地震より先に、原発建設があったのですね。


東海地震が注目された1976年は、どうやって注目されるようになったのでしょう?

「東海地震 1976年」で見てみると、

「【解説2】東海地震と浜岡原発/ストップ浜岡」というサイトがありました。
(http://www.stop-hamaoka.com/kaisetsu-2.html参照)

東海地震のエネルギーの溜まり具合、危険性を解説したサイトです。

そこに「図8と図9は1976年の石橋克彦さんの震源モデルによります。静岡県は、長い間、石橋モデルにより被害想定をおこなってきました」という記述がありました。


「1976年 石橋克彦」さんで検索すると、

「石橋克彦 私の考え -2006年3月27日付静岡新聞1面記事」というサイトが最初に出てきました。
(http://historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/onShizushin060327.html参照)

1976年に東海地震の可能性を指摘された石橋克彦さんの意見を掲載したサイトです。

当時は、「駿河湾大地震」という言葉で危険性を指摘されました。
(石橋克彦:東海地方に予想される大地震の再検討-駿河湾大地震について-,地震学会講演予稿集,1976 No.2,30-34,1976)


では、浜岡原発の着工はいつだったのでしょう?

浜岡原発は、静岡県御前崎市にあります。

中部電力は、1957年に火力部内に原子力課を設け、社として原発の調査研究を始めました。

最初は、三重県の3ヶ所が候補に挙がったのですが、それぞれの理由でダメになり、浜岡が候補になりました。

1970年に浜岡に現地調査事務所を設置し、1971年には建設所を開設しました。

(以上、ウィキペディア「浜岡減発」参照)


やはり、1976年より以前の1971年に、浜岡原発の建設が始まったのでした。

そんなに早い時期(昭和46年)に、原発が始まっていたということは意外でした。


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石塚真一さん: 漫画家 映画「岳」の原作者 無気力→アメリカ大学留学→IT企業→漫画家(28歳で)

2011年05月08日 22時01分55秒 | 新聞
朝日新聞の週末beに、「フロントランナー 漫画家 石塚真一さん(39歳) 『岳』に生死を超えた愛を描く」という記事がありました。

注目されている人に、そうなるようになった過程や、どういう気持ちで行っているかを聞くコーナーです。

映画「岳」の原作漫画『岳』の作者、石塚真一さんは幼い頃から漫画家になりたかったわけではなく、就職したIT企業が経営不振になりハウツー本をたよりに漫画を描くようになったのだそうです。

1971年、茨城県出身。

父親は市場で働き、母親は中学教師の家庭に生まれます。

高校時代は無気力で、浪人の後、アメリカの南イリノイ大学日本分校(現在は廃校)、留学を経て、サンノゼ州立大学に再入学しました。

留学中に、ルームメイトがロッククライミングをしていて「来ないか?」というのでついていったら、氷の岸壁でした。

垂直の世界に必死でピッケルを打ち込んでいるうちに、「きっとこの世界には深いものがある」と希望を感じたそうです。

帰国後、IT企業に就職しますが、1年もたたないうちに経営が傾き、「これはまずい」と漫画のハウツー本(340円)を買ってきました。

英会話学校の講師をしながら、浦沢直樹さんや弘兼憲史さんの漫画を読み、見よう見まねで漫画を描き始めます。

最初の作品は、30ページ描くのに1年かかりました。

『岳』は、小学館の「ビックコミックオリジナル」に連載中で、2003年不定期連載からスタートし、徐々に人気を集め、コミックス14巻、累計380万部を超えたということです。
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漫画家になる人は、皆、子どもの頃からの夢を実現して漫画家になっていらっしゃるのだと思っていました。

こういうこともあるんですね。


実際にどういう漫画か、読んでみたくなりました。

「ビッグコミックオリジナル」のホームページに行ってみたら、最新号の「岳」が試し読みできました。
(http://big-3.jp/bigoriginal/参照)

340円の漫画のハウツー本からスタートしたとは信じられない、プロの絵と作品です。


それができたのはなぜなのでしょう?

記事には、担当編集者さん(小田基行さん)の

「ただ、絵を描くのが好き、漫画が好きということだけで漫画家になった人じゃない。表現したいこと、伝えたいことの手段として、たまたま漫画があったということでしょう」

というコメントが紹介されています。


「岳」は、山岳救助隊が主人公で、どんな遭難者にも「よく頑張った」と声をかけるのは、アメリカ人が成功しようと、ヘマをしようと、ビールを飲もうと、全部「Good Job!(よくやった)」と言う。

あれっていいな、救いがあると感じたから とも書かれていました。


「石塚真一」さんで見ると、「コミック『岳』著者、石塚真一さんインタビュー!」というサイトがありました。
(http://xbrand.yahoo.co.jp/category/entertainment/730/1.html参照)

雑誌「ターザン」のインタビューです。

遭難について、

「日常ではもちろんですが、他のスポーツでも失敗はよくあることですよね。でも、冬山で失敗してしまうと、それがすぐに死に直結してしまう。僅かなミスに対して周囲が厳しい視線を向けるのも事実です」と話され、

「でも、主人公の三歩はそう思っていません。失敗は仕方ない、それよりもよく山に来てくれたな、そう思っているんです」と答えていらっしゃいます。


記事に、本物の山岳救助隊員から「漫画を読み、救助のときにどんな言葉をかけるか、考えるようになった」と言われることもあるとあったのが印象的でした。


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ベーコンエッグ: 森見登美彦さん 「俺は安上がりな男だ。ラム酒とベーコンエッグさえあればいい」

2011年05月07日 18時35分18秒 | 新聞
今日の朝日新聞週末beに、「作家の口福 森見登美彦 ベーコンエッグ 仕上げに秘密の調味料を」という記事がありました。

作家の方たちが、月交代で、食べ物にまつわるエピソードを紹介されるコーナーです。

5月は、森見登美彦(もりみ とみひこ)さんの担当です。
森見さんは、『夜は短し歩けよ乙女』で直木賞候補になられた方です。

森見さんは、料理はほとんど奥さんまかせで、唯一のレパートリーは「ベーコンエッグ」なのだそうです。

小説『宝島』の中で、海賊が宿の亭主に「俺は安上がりな男だ。ラム酒とベーコンエッグさえあればいい」と言う場面があり、「これでこそ海賊だ」さぞかしうまいだろうと思ったからというのが理由です。

ベーコンはしっかりした存在感のある肉であること
(焼かれるなり猛烈に縮んでどこかへ消えちまう「なんちゃってベーコン」ではダメだそうです)

玉子は、白身の上にかっきり黄身が盛り上がる凛々しいやつ

味付けは、塩と胡椒

フライパンに少量の水を注ぎ回して蓋をし、蒸す

うまく焼きあがったら、美しく形を保ったまま皿にのせる

ここで仕上げの調味料を使う

自分が荒くれ野郎だと妄想し、「俺は安上がりな男だ。ラム酒とベーコンエッグさえあればいい」と呟く。
それだけで、ベーコンエッグのうまさが3割増すのだ ということです。
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おもしろいです。

料理の話で、ちゃんと落ちがあるのに驚きました。

それに、さすが作家の方、言葉の選び方がすばらしいです。
(ベーコンの説明は、特に好きだと感じました。まさにその通りなので)


森見登美彦さんは、どういう方だろうと見てみました。

「森見登美彦」さんと入力していると、候補に「森見登美彦 図書館勤務」と候補が出てきて、図書館に勤務されてているようです。

「作家の読書道:第65回 森見 登美彦さん」というサイトがありました。
(http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi65.html参照)

「WEB 本の雑誌」というサイトの中の、作家の方に幼少時からの読書歴を聞くコーナーです。

「生真面目な言葉遣いでアホなことを繰り出し爆笑を誘う。デビュー作『太陽の塔』で一気に人気炸裂、現在も『夜は短し歩けよ乙女』が話題の森見さん」と紹介されています。

意外に萩尾望都さんの『ポーの一族』や『トーマの心臓』を読まれていました。

1979年奈良県生まれ
京都大学農学部卒、同大学院農学研究科修士課程終了、大学院時代に作家デビュー、

自分の作風を「へんにいばって真面目な顔をしてアホなこと言うたりする」百の笑わせるエッセイと似ているところがあると答えられています。


ウィキペディアには、

「マジックリアリズムの手法で巧みにアレンジした独特の世界観と文体をもつ。作品は『ペンギン・ハイウェイ』以外、すべて京都が舞台である」とあります。

公式サイト(ブログ)として、「この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ」(http://d.hatena.ne.jp/Tomio/)が最後に書かれていました。


検索で、最初に出てきていたのですが、あまりにも「公式サイト」とはかけ離れた題名だったので、気がつきませんでした。

クリックしてみると、「写真は氏の近影」として白いクマのぬいぐるみの写真がプロフィール写真になっています。

4月13日のブログとして、『ペンギン・ハイウェイ』が本屋大賞で3位になったことが書かれていて、文体が楽しく癒されます。

森見さんに興味が湧いてきました。


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日産自動車: ニューヨークタクシー「イエローキャブ」を独占契約 2013年から 800億円商談成功

2011年05月05日 13時46分55秒 | 新聞
今日の朝日新聞に、「NYタクシー 日産車に統一」という記事がありました。

ニューヨークの黄色いタクシー「イエローキャブ」を、日産が単独受注することになり、2013年から走り始めるのだそうです。

ニューヨーク市が、4月3日に発表しました。

現在は、9社の16車種が走っています。
その1万3千台のうち、フォード車の大型セダン「クラウン・ビクトリア」が最大の割合を占めています。

「クラウン・ビクトリア」が、今年限りで生産中止になるのを受け、ニューヨーク市は公募をしました。

7件の応募があり、日産、フォード、カルサン(トルコの自動車メーカー)が残りました。

日産のミニバン「NV200」は、将来、電気自動車に衣替えできる点が評価されたとみられ、約8000億円の商談を獲得しました。

2013年から走り始め、5年かけて日産「NV200」の1車種にしていく計画ということです。
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「NV200」の写真が掲載されていました。

前方は丸みをおび、後方は四角いバンの車体です。
黄色い塗装に黒で、「NYC TAXI」と書かれています。

ニューヨーク市タクシーが全部日本車になるとは、誇らしいことです。


ニューヨーク市ではどう伝えているのでしょうか?

ニューヨーク市のホームページに行き、「nissan」でサイト内検索をしてみました。
(http://www.nyc.gov/portal/site/nycgov/?front_door=true参照)

「Taxi of Tomorrow Home」というページが最初に出てきて、「2009年の募集に複数の応募があり、最終的に決定した」という趣旨で日産車の写真が掲載されていました。
(http://www.nyc.gov/html/media/totweb/taxioftomorrow_nissanpublic.html参照)


日産側はどうでしょう。

ホームページのトップに書いてあるだろうと予想して行ったのですが、震災のお見舞いが書かれていて、「企業情報」「ニュースリリース」の中で見つけることができました。

「日産「NV200」がニューヨーク市の次世代タクシーに選定 ニューヨーク市タクシーの全車両を日産が独占供給へ」です。
(http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2011/_STORY/110503-01-j.html参照)

選考は2年以上をかけて行われたそうです。

イエローキャブ用車体は、メキシコの日産自動車クエルナバカ工場で製造され、約29,000ドル(台)の予定です。

新聞の記事にも紹介されていた
天井は大型サンルーフ(ガラスばり)で、摩天楼が楽しめる
コンセント(携帯、パソコン利用可能)     の他に、

乗客用エアバッグ、後部専用エアコン、読書灯や足元灯 なども備えているということです。


このプロジェクトを成功させたのは、ゴーンさんの国際的な視野や人脈もあったのでしょうか。

ニューヨーク市やニューヨーク・タクシーがどんなタクシーを求めていたのか、それに対し、日産はどう答え、開発してきたのか、具体的な過程が知りたいと思いました。


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下水道: 実は発電・バイオガス・冷暖房も 民間参入可能に 東北復興は「循環型」世界モデルで

2011年05月04日 16時58分14秒 | 新聞
今日の朝日新聞に、「3.11 記者有論 下水道インフラ 現場が描く循環型の復興」という記事がありました。

記者の方が、取材で知った話題を紹介するコーナーです。

下水道は、意外と小水力発電やバイオガスが利用でき、安定的なエネルギー源で、東北の復興にはこれを利用した「世界モデル」になる下水道が期待されるのだそうです。

下水は、外部の温度変化の影響を受けにくいため、温度変動が少なく、地域の冷暖房に利用できます。

この国会で法改正され、民間業者も参入できるようになりました。

小水力発電も始まっています。
下水の流れや落差を利用して発電し、すでに国内5カ所の下水道施設で行われています。

バイオガスも利用されています。
汚泥からバイオガスを精製し、神戸市で都市ガスとして提供されています。

日本の上下水道は、改築と修繕を繰り返し、つぎはぎだらけでしたが、東北では「水とエネルギーの循環型システム」を作って、世界のモデルとなれるのではということです。
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なるほど、と思いました。

安定的に供給されるエネルギーで、しかもどこからか原料を持ってこなくてもできるという点が魅力的です。

下水道の材料は、日本全国にあります。

実際に稼働している施設は、どんな様子なのでしょうか。

「下水道 小水力発電」で見てみました。

「甲府市上下水道局  小水力発電が稼働」という日本水道新聞(こういう新聞があるんですね)の記事がありました。
(http://www.suido-gesuido.co.jp/blog/suido/2009/04/post_2975.html参照)

2009年4月27日の記事です。

甲府市上下水道局が、東京発電と共同で整備した「山宮発電所」が完成し、4月1日から運転を開始したのだそうです。

これは上水道を利用した小水力発電で、高低差約57mを活用し、年間約90万㌔㍗時の電力をつくり出します。
使用した水車は、「横軸円筒型フランシス水車」    


「導入事例 - 小水力発電ニュース」というサイトもありました。
(http://j-water.jp/hmc/05%20Reference.html参照)

「全国小水力利用推進協議会」のホームページの一部です。

下水道で使用しているのは、

東京都葛西水再生センター
 2003年7月運転開始 
 落差: 5.05m 
 出力: 37kW 
 横軸プロペラ水車(セミカプラン水車)

東京都下水道局森ケ崎再生センター
 2007年2月運転開始
 落差: 4.218m (1号機)、4.099m (2号機)
 出力: 93kW(1号機)、84kW (2号機)
 横軸プロペラ水車

意外と、落差4~5メートルと小規模でも発電はできるのですね。


神戸市のバイオガスのほうは、どうでしょう。

「大阪ガス」(神戸は大阪ガスの管内のようです)にサイトがありました。
(http://www.osakagas.co.jp/company/press/pr_2010/1191341_2408.html参照)

2010年10月12日に、神戸市東灘処理場内で製造した「こうべバイオガス」を、都市ガス導管への注入を開始しました。

都市ガス仕様に精製した下水汚泥由来のバイオガスを、直接都市ガス導管に供給する試みは日本初ということです。


復興を機に、世界のモデルとなるようなシステムを導入するのも、ひとつの方法かと思いました。


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相馬愛蔵さん: 「新宿中村屋」創業 早稲田卒、本郷前のパン屋を買う 銀行パニックに「お預け!」

2011年05月01日 16時47分25秒 | 新聞
朝日新聞の週末beに、「キミの名は 中村屋 パン屋買い取り、屋号は変えず」という記事がありました。

おもしろい名前の企業に、その由来を聞くコーナーです。

現在は「新宿中村屋」として有名な「中村屋」は、本郷にあったパン屋さんを、新婚の素人夫婦がまるごと買ったのだそうです。

創始者の相馬愛蔵と黒光(こっこう)は、東京の学校を卒業して結婚しました。

素人が商売を始めるには、なじみの薄いものをと、パン(西洋風で、当時はインテリ層に定着しつつあった)に着目しました。

毎日1日2食、3か月間パンを食べて研究しました。

「パン屋譲り受けたし」と新聞広告を出したところ、2人がずっと通っていたパン屋さんが居抜きで譲ってくれました。

東京大学(本郷)前にあったパン屋「中村屋」です。
道具、従業員込みで売ってくれたそうです。

1901年(明治34年)に創業し、
1904年(明治37年)には、日本初の「クリームパン」を発売
1909年(明治42年)には、新宿に本店を移す

など、工夫を重ねてきたということです。
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「新宿中村屋」が、もとは本郷にあったパン屋さんだったとは初めて知りました。

地方にいた頃は、月餅がデパートのお菓子売り場にあり、日本のおまんじゅうとは違う餡や木の実餡が好きでした。

「新宿中村屋」のホームページを見てみると、
(http://www.nakamuraya.co.jp/index.html参照)

水羊羹の写真が最初に出てきて、今は母の日や初夏向けのギフトに力を入れているのが分かります。

「中村屋の歩み」のページをクリックすると、

1915年 日本に亡命したインド独立運動の志士ラス・ビハリ・ボースを匿う
1916年 ロシアの盲目の詩人エロシェンコ、中村屋に身を寄せる

という記述もあり、その後、カレーやロシア菓子、ボルシチも出すようになっています。
日本ではじめて、水羊羹の缶詰化に成功したのも、中村屋だったのですね。

「株主優待」のページには、1000株以上持っていると、自社製品、株主優待券(15%OFF)などもあります。

「採用情報」には、毎年20人前後を、大卒、大学院卒で採用し、初任給は20~22万円と書かれていました。


創業者の「相馬愛蔵」さんは、長野県出身と記事にはありました。

「相馬愛蔵」さんで見てみると、「中村屋」という項目がウィキペディアにあり、ファンの多さが分かります。

寺山修司さんが、自殺志望の青年の葉書に対し、「君は新宿中村屋のカリーを食べたことがあるか?なければ食べてから再度相談しろ」と人生相談で返事したというエピソードも書かれていました。
(ウィキペディア「中村屋」参照)


「相馬愛蔵」によると、早稲田の前身の東京専門学校を卒業後、札幌農学校で養蚕学を学び、養蚕を行っていました。

たまたま訪れた仙台で仙台藩士の娘・星良に出会い、結婚、奥さんの健康のため、東京に行ったとあります。

中村屋を始めてからも、外国人を雇って新しい技術を学んだり、画家を保護したり、社会活動をしている人を援助したり、新しいことに積極的に学ぼうとする方であったようです。

(ウィキペディア「相馬愛蔵」参照)


「中村屋」のホームページの「中村屋サロン」のページには、相馬夫妻には、「己の生業を通じて文化国家に貢献したい」という気持ちがあったとありました。

ウィキペディア「相馬愛蔵」には、昭和金融恐慌で安田銀行に人がつめかけパニックになりそうだったときに、わざと金庫のお金を部下に持って行かせ、「中村屋ですがお預け!」と大声で言わせて、パニックを収めたとあります。


一経営者以上の考えや行動をされた方だったようです。


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