昨日の朝日新聞に、「砲丸女王は男になった 16歳から知らずに筋肉増強剤」という記事がありました。
20年前に砲丸投げで優勝した女性選手(旧東ドイツ)は、現在は男性として生活しているのだそうです。
ハイディ・クリーガーさんは、東ドイツのベルリンで生まれました。
スポーツができる女の子で、スポーツエリート養成校の「SCディエモ・ベルリン」に14歳で入ります。
旧東ドイツは、1970年代から1980年代にかけ、オリンピックでメダルを大量に獲得し、世界新記録を次々に出しました。
「国家計画14.25」と名づけられたドーピングの結果です。
クリーガーさんも、スポーツエリート養成校に入ったときから、薬を毎日飲むようになりました。
最初は単なるビタミン剤でしたが、16歳になったら銀紙に包まれた錠剤になりました。
通称「ブルーピル」と呼ばれる「経口トリナボール」(男性ホルモン系の筋肉増強剤)です。
クリーガーさんは、
「なぜおかしいと思わなかったのか、とよく言われます。でも、信頼しているコーチから成績向上に役立つと言われ、疑いませんでした」
錠剤の量は加速度的に増え、19歳で年間2590ミリグラムを飲んでいました。
ベン・ジョンソン選手が金メダルをドーピングで剥奪されたときの量より、1000ミリグラム以上多い量です。
21歳で欧州選手権の女子砲丸投げで優勝します。
その後は、腱や脊椎の故障が続きます。
原因は、過度の練習でした。
「普通なら体が警告を出すのですが、薬のせいで、疲労を超えて、いくらでも練習できるから」
筋力トレーニングで、多いときには2週間で合計100トンを持ちあげました。
1989年にベルリンの壁か崩壊し、1990年に統一ドイツが誕生します。
旧ドイツの組織的ドーピングの暴露本が出版され、クリーガーさんは1991年に引退していましたが、その本の中に自分の名前があると知らされ、初めて真実を知ります。
それから5年間はうつ病に悩み、風呂で手首を切ろうとしたこともありました。
女性に惹かれるようになり、自分の女性の体を受け入れられなくなりました。
1997年に性転換手術を受け、男性になります。
大学の専門家に聞くと、「10代のステロイド過剰摂取で、心のありかたが男性に傾くことは十分にあり得る」と言われました。
1998年、旧東ドイツの組織的ドーピングの中心的人物、マンフレート・エバルト(旧東ドイツのオリンピック委員会会長)等2人の裁判で、クリーガーさんは証言に立ちました。
公判中、同じように証言に立った元競泳選手のウテ・クラウゼさんに出会い、お互いに一目ぼれで、2002年に結婚しました。
クラウゼさんは、14歳から「経口トリナボール」を与えられていましたが、早い時期に選手を辞め、看護師になっていました。
勤務した病院で、薬がステロイド(男性ホルモン)だったことを知ります。
クリーガーさんは、現在では、名前もアンドレア・クリーガーに変え、各国の軍服や装備の中古品をマニア向けに売るミリタリーショップを経営しています。
男性ホルモンを自分の体では生産できないので、3週間に1度の注射が必要ということです。
--------------
壮絶な人生です。
実名を出し、伴侶も見つけて生活していらっしゃるのは、強い方だと思いました。
20年前に砲丸投げで優勝した女性選手(旧東ドイツ)は、現在は男性として生活しているのだそうです。
ハイディ・クリーガーさんは、東ドイツのベルリンで生まれました。
スポーツができる女の子で、スポーツエリート養成校の「SCディエモ・ベルリン」に14歳で入ります。
旧東ドイツは、1970年代から1980年代にかけ、オリンピックでメダルを大量に獲得し、世界新記録を次々に出しました。
「国家計画14.25」と名づけられたドーピングの結果です。
クリーガーさんも、スポーツエリート養成校に入ったときから、薬を毎日飲むようになりました。
最初は単なるビタミン剤でしたが、16歳になったら銀紙に包まれた錠剤になりました。
通称「ブルーピル」と呼ばれる「経口トリナボール」(男性ホルモン系の筋肉増強剤)です。
クリーガーさんは、
「なぜおかしいと思わなかったのか、とよく言われます。でも、信頼しているコーチから成績向上に役立つと言われ、疑いませんでした」
錠剤の量は加速度的に増え、19歳で年間2590ミリグラムを飲んでいました。
ベン・ジョンソン選手が金メダルをドーピングで剥奪されたときの量より、1000ミリグラム以上多い量です。
21歳で欧州選手権の女子砲丸投げで優勝します。
その後は、腱や脊椎の故障が続きます。
原因は、過度の練習でした。
「普通なら体が警告を出すのですが、薬のせいで、疲労を超えて、いくらでも練習できるから」
筋力トレーニングで、多いときには2週間で合計100トンを持ちあげました。
1989年にベルリンの壁か崩壊し、1990年に統一ドイツが誕生します。
旧ドイツの組織的ドーピングの暴露本が出版され、クリーガーさんは1991年に引退していましたが、その本の中に自分の名前があると知らされ、初めて真実を知ります。
それから5年間はうつ病に悩み、風呂で手首を切ろうとしたこともありました。
女性に惹かれるようになり、自分の女性の体を受け入れられなくなりました。
1997年に性転換手術を受け、男性になります。
大学の専門家に聞くと、「10代のステロイド過剰摂取で、心のありかたが男性に傾くことは十分にあり得る」と言われました。
1998年、旧東ドイツの組織的ドーピングの中心的人物、マンフレート・エバルト(旧東ドイツのオリンピック委員会会長)等2人の裁判で、クリーガーさんは証言に立ちました。
公判中、同じように証言に立った元競泳選手のウテ・クラウゼさんに出会い、お互いに一目ぼれで、2002年に結婚しました。
クラウゼさんは、14歳から「経口トリナボール」を与えられていましたが、早い時期に選手を辞め、看護師になっていました。
勤務した病院で、薬がステロイド(男性ホルモン)だったことを知ります。
クリーガーさんは、現在では、名前もアンドレア・クリーガーに変え、各国の軍服や装備の中古品をマニア向けに売るミリタリーショップを経営しています。
男性ホルモンを自分の体では生産できないので、3週間に1度の注射が必要ということです。
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壮絶な人生です。
実名を出し、伴侶も見つけて生活していらっしゃるのは、強い方だと思いました。