ある40代女性の生活

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マクジルトンさん: 日本初のフードバンクの創設

2009年11月08日 10時40分43秒 | 新聞
昨日の朝日新聞週末beに、「フロントランナー セカンドハーベスト・ジャパン理事長 チャールズ・マクジルトンさん(45歳) 日本初のフードバンク創設」という記事がありました。

各分野で第一線で働く人を紹介するコーナーです。

日本で初めて、フードバンクを作ったのが、マクジルトンさん(45歳)です。

企業で品質に問題はないのに、「販売期限が迫っている」「ラベルの印刷がずれた」「輸送中に段ボールの外箱がつぶれた」という理由で、廃棄される食品を、必要としている人に届ける活動です。

アメリカのモンタナ州で、7人兄弟の3番目として生まれました。

高校時代は落ちこぼれでしたが、卒業後、一念発起して海軍に入ります。
1984年には横須賀基地に赴任しました。

1987年にミネソタ大学に入学し、1991年に「東アジアの安全保障政策」を学ぶため、上智大学に留学します。

東京の山谷で、昼間から路上にうずくまり酒を飲む男性たちを目にします。

「自分もそうなっていたかもしれない」

16歳でアルコール依存症になり、専門の治療施設で断酒していた頃の記憶がよみがえりました。

彼らの中に当時の自分と同じ孤独を見、山谷で暮らしながら、路上生活者に食べ物や毛布を配る活動をし、彼らが自立するための「道具」を考え続けました。

「サンタクロースでいるより、イエスのように、彼らと同じ痛みを感じたかった」

1997年から、隅田川にかかる橋のたもとで15ヵ月間、ブルーシートのテントでホームレス生活を体験します。

ある冬の夜、見知らぬ人から「毛布、要りますか?」と声をかけられ、初めて分かったことがありました。

屈辱とまではいかないが、「手をさしのべられる側」の複雑な心理がありました。

今まで「配る側」だった自分のどこかに、相手を上から見るような気持ちがあったのではないか。

1999年から、小規模ながらフードバンクの活動を始めます。

2003年に、NPO法人の認可を得ます。
この頃は、扱う食品の量は、年間30トンほどでした。

2004年、名称を「セカンドハーベスト・ジャパン」(2HJ)にします。

2008年にセカンドハーベスト・ジャパンが扱った食品量は、約850トンになりました。

「まだまだ満足には遠い」と言います。

日本で無駄に捨てられている食品は、セカンドハーベスト・ジャパンの取扱量の1万倍あります。

農林水産省の推計で、年間500~900万トンになり、1千人の人を1年間養える量です。

現在、定期的に食品を提供してくれる企業は、東京を中心にメーカー、外食チェーン、スーパー等の約60社あります。

単発の寄付を合わせると、延べ500社近い企業が協力してくれました。

中には配達してくれる企業もありますが、多くはセカンドハーベスト・ジャパンが引き取りに行き、いったん浅草橋駅に近い倉庫に集めて、再びスタッフやボランティアが運転するトラックやバンで、児童養護施設、難民・1人暮らしのお年寄り・路上生活者を支援する団体に運びます。

企業に協力してもらうのに、何が必要かも調査してきました。

企業側のメリットは、廃棄にかかるコストの削減、食品廃棄物の排出抑制、食品を捨ててきたことにやり切れなさを感じていた従業員のモチベーションアップ等があります。

一方で、寄付した食品の保管をはじめ、調理法が不適切で食中毒が起こらないのか、よそに転売されないかを心配して、必要性を認めながらも参加に二の足を踏んでいる企業もあります。

そのためにも、フードバンクの正しい定義を打ち出し、社会の信頼を得るため、最低限守られるべき基準を確立しようと、この10月にフードバンク憲章とガイドラインを発表しました。

年内に、ある商品を買えば、売上げの一部がセカンドハーベスト・ジャパンに寄付されるシステムを作る計画で、現在、企業に何度も足を運んでいるところです。

セカンドハーベスト・ジャパンでは、外資系企業等からの寄付金で、フルタイム6人とパートタイム5人のスタッフが報酬を得ています。

寄付された食品を無料で配るフードバンクは、もともと収入を産みづらいものです。

新たな仕組みが加われば、運営も安定するし、企業も「社会貢献をしている」という評価を得られます。

フードバンクの活動は、誰にとっても必要で身近な食べ物という「道具」を、あたかもペンや傘を持ち合わせていない人に「使っていいよ、と言うのと同じ感覚で提供しているだけ」ということです。
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社会貢献は、ボランティアや善意に基づく部分が多く、経営として企業を説得し、安定して運営するのが難しいのが現実です。

マクジルトンさんが、企業にもメリットがある方法を考え、説得している手順がありました。

「食べ物をください」とは言わないそうです。
まず、一緒に何ができるのかを考える信頼関係を築き、そこから具体的な計画が生まれると考えます。

協力するニチレイフーズの長谷川孝行さんによると、「物事を決してしゃくし定規にに見ず、相手や状況に応じて常に最適なバランスをはかる力がある」と評します。

冷凍食品がフードバンクに合うか見当もつかなかったとき、配達にかかる時間を逆算して食品を引き取りに来てくれるなど、「リードしてくれたのは、いつもセカンドハーベスト・ジャパン側でした」。

記事の中では、名称が長いので、略称の2HJが何度も出てきました。
日本人はカタカナの略称が好きなので、「セカハー」等に略しても、より親しみを持ってもらえるかもしれないと思いました。


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退職後のお金: 「イベント型」「浪費型」破綻に注意

2009年11月08日 09時30分20秒 | 新聞
昨日の朝日新聞週末beに、「家計診断 こんなときどうする 退職後の生活セミナーを受講 「イベント型」「浪費型」破綻に注意」という記事がありました。

家計についての相談を、専門家が解説、回答してくれるコーナーです。

58歳の会社員の男性が、あと2年で定年退職するので、夫婦で年2回国内旅行、できればたまには海外旅行もしてみたいという相談です。

ファイナンシャルプランナーの藤川太さんが、ライフプランシートを作ることを薦めていらっしゃいました。

現在から85歳まで(仮に)の一覧表を作り、
  1.西暦年
  2.経過年数(2009年の今年を0にして、2010年は1年後)
  3.夫の年齢
  4.夫がしたいイベント(退職記念旅行、車の買い替え、長男結婚など)
  5.それにかかる予算
  6.妻の年齢
  7.妻がしたいイベント(国内旅行など)
  8.それにかかる予算
  9.イベント代(4と8の合計)
を書きます。

退職時の金融資産予想(退職金を含む)から、全イベントの合計金額(9の25年分の合計)を引くと、普通の生活費に使えるお金が出ます。

それを25年間で割れば、1年間に使えるお金が出ます。

それを12で割れば、1カ月の生活費が出ます。

相談者の退職時の金融資産予想(退職金を含む)を、3000万円とします。

退職記念旅行50万円、車買い替え200万円、長男結婚150万円、国内旅行30万円等を合計すると、全部で1000万円になりました。

残りは2000万です。

年金がフルに出るのは65歳からなので、その間、生活費で500万円を使うとしました。

残りは1500万円です。

これを25年で取り崩すなら、年間60万円、月5万円を取り崩すことができます。

これなら2~3年に1度なら海外旅行に行っても大丈夫でしょうということです。

退職後すぐに60代半ばで退職金を使いきってしまう人が出てくるそうです。
こういう人には2つのパターンがあり、

1.イベント型破綻

60代はまだまだ元気、しかも退職金というまずお目にかかったことがないまとまったお金が口座にあります。

頻繁の旅行に出かけたり、高級車を購入したり、家のリフォーム、子どもの結婚、孫の誕生とイベントも多く、老後の備えがあっという間に底をついてしまうパターンです。

2.浪費型破綻

現役時代の所得が高かった人は、リタイア後も生活レベルが高くなりがちです。
現役の感覚でお金を使っていると、貯金を年々取り崩し、じわじわとお金が尽きてしまうパターンです。

両者とも、ライフプランシートを作ることで防ぐことができるということです。
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相談の男性の会社では、退職2年くらい前になると、だいたいの年金と退職金の額を教え、先輩の事例を示すセミナーを夫婦で受講するようです。

回答の隣に4コマ漫画があり、セミナー会場で、年金と退職金の額を聞いた妻が夫に、「ねえ もう帰りましょう」と言っています。

夫が「これから先輩たちの退職後の事例を紹介するのに・・・」と渋ると
妻は「他人(ひと)は他人(ひと)、それぞれ状況が違うでしょ!」

夫「まあ そうだけど」と会場を後にします。

妻が無表情で、
定年離婚でとれる金額がわかれば それでいい  と考えている様子が怖く、おかしかったです。


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