昨日の朝日新聞週末beに、「フロントランナー セカンドハーベスト・ジャパン理事長 チャールズ・マクジルトンさん(45歳) 日本初のフードバンク創設」という記事がありました。
各分野で第一線で働く人を紹介するコーナーです。
日本で初めて、フードバンクを作ったのが、マクジルトンさん(45歳)です。
企業で品質に問題はないのに、「販売期限が迫っている」「ラベルの印刷がずれた」「輸送中に段ボールの外箱がつぶれた」という理由で、廃棄される食品を、必要としている人に届ける活動です。
アメリカのモンタナ州で、7人兄弟の3番目として生まれました。
高校時代は落ちこぼれでしたが、卒業後、一念発起して海軍に入ります。
1984年には横須賀基地に赴任しました。
1987年にミネソタ大学に入学し、1991年に「東アジアの安全保障政策」を学ぶため、上智大学に留学します。
東京の山谷で、昼間から路上にうずくまり酒を飲む男性たちを目にします。
「自分もそうなっていたかもしれない」
16歳でアルコール依存症になり、専門の治療施設で断酒していた頃の記憶がよみがえりました。
彼らの中に当時の自分と同じ孤独を見、山谷で暮らしながら、路上生活者に食べ物や毛布を配る活動をし、彼らが自立するための「道具」を考え続けました。
「サンタクロースでいるより、イエスのように、彼らと同じ痛みを感じたかった」
1997年から、隅田川にかかる橋のたもとで15ヵ月間、ブルーシートのテントでホームレス生活を体験します。
ある冬の夜、見知らぬ人から「毛布、要りますか?」と声をかけられ、初めて分かったことがありました。
屈辱とまではいかないが、「手をさしのべられる側」の複雑な心理がありました。
今まで「配る側」だった自分のどこかに、相手を上から見るような気持ちがあったのではないか。
1999年から、小規模ながらフードバンクの活動を始めます。
2003年に、NPO法人の認可を得ます。
この頃は、扱う食品の量は、年間30トンほどでした。
2004年、名称を「セカンドハーベスト・ジャパン」(2HJ)にします。
2008年にセカンドハーベスト・ジャパンが扱った食品量は、約850トンになりました。
「まだまだ満足には遠い」と言います。
日本で無駄に捨てられている食品は、セカンドハーベスト・ジャパンの取扱量の1万倍あります。
農林水産省の推計で、年間500~900万トンになり、1千人の人を1年間養える量です。
現在、定期的に食品を提供してくれる企業は、東京を中心にメーカー、外食チェーン、スーパー等の約60社あります。
単発の寄付を合わせると、延べ500社近い企業が協力してくれました。
中には配達してくれる企業もありますが、多くはセカンドハーベスト・ジャパンが引き取りに行き、いったん浅草橋駅に近い倉庫に集めて、再びスタッフやボランティアが運転するトラックやバンで、児童養護施設、難民・1人暮らしのお年寄り・路上生活者を支援する団体に運びます。
企業に協力してもらうのに、何が必要かも調査してきました。
企業側のメリットは、廃棄にかかるコストの削減、食品廃棄物の排出抑制、食品を捨ててきたことにやり切れなさを感じていた従業員のモチベーションアップ等があります。
一方で、寄付した食品の保管をはじめ、調理法が不適切で食中毒が起こらないのか、よそに転売されないかを心配して、必要性を認めながらも参加に二の足を踏んでいる企業もあります。
そのためにも、フードバンクの正しい定義を打ち出し、社会の信頼を得るため、最低限守られるべき基準を確立しようと、この10月にフードバンク憲章とガイドラインを発表しました。
年内に、ある商品を買えば、売上げの一部がセカンドハーベスト・ジャパンに寄付されるシステムを作る計画で、現在、企業に何度も足を運んでいるところです。
セカンドハーベスト・ジャパンでは、外資系企業等からの寄付金で、フルタイム6人とパートタイム5人のスタッフが報酬を得ています。
寄付された食品を無料で配るフードバンクは、もともと収入を産みづらいものです。
新たな仕組みが加われば、運営も安定するし、企業も「社会貢献をしている」という評価を得られます。
フードバンクの活動は、誰にとっても必要で身近な食べ物という「道具」を、あたかもペンや傘を持ち合わせていない人に「使っていいよ、と言うのと同じ感覚で提供しているだけ」ということです。
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社会貢献は、ボランティアや善意に基づく部分が多く、経営として企業を説得し、安定して運営するのが難しいのが現実です。
マクジルトンさんが、企業にもメリットがある方法を考え、説得している手順がありました。
「食べ物をください」とは言わないそうです。
まず、一緒に何ができるのかを考える信頼関係を築き、そこから具体的な計画が生まれると考えます。
協力するニチレイフーズの長谷川孝行さんによると、「物事を決してしゃくし定規にに見ず、相手や状況に応じて常に最適なバランスをはかる力がある」と評します。
冷凍食品がフードバンクに合うか見当もつかなかったとき、配達にかかる時間を逆算して食品を引き取りに来てくれるなど、「リードしてくれたのは、いつもセカンドハーベスト・ジャパン側でした」。
記事の中では、名称が長いので、略称の2HJが何度も出てきました。
日本人はカタカナの略称が好きなので、「セカハー」等に略しても、より親しみを持ってもらえるかもしれないと思いました。
各分野で第一線で働く人を紹介するコーナーです。
日本で初めて、フードバンクを作ったのが、マクジルトンさん(45歳)です。
企業で品質に問題はないのに、「販売期限が迫っている」「ラベルの印刷がずれた」「輸送中に段ボールの外箱がつぶれた」という理由で、廃棄される食品を、必要としている人に届ける活動です。
アメリカのモンタナ州で、7人兄弟の3番目として生まれました。
高校時代は落ちこぼれでしたが、卒業後、一念発起して海軍に入ります。
1984年には横須賀基地に赴任しました。
1987年にミネソタ大学に入学し、1991年に「東アジアの安全保障政策」を学ぶため、上智大学に留学します。
東京の山谷で、昼間から路上にうずくまり酒を飲む男性たちを目にします。
「自分もそうなっていたかもしれない」
16歳でアルコール依存症になり、専門の治療施設で断酒していた頃の記憶がよみがえりました。
彼らの中に当時の自分と同じ孤独を見、山谷で暮らしながら、路上生活者に食べ物や毛布を配る活動をし、彼らが自立するための「道具」を考え続けました。
「サンタクロースでいるより、イエスのように、彼らと同じ痛みを感じたかった」
1997年から、隅田川にかかる橋のたもとで15ヵ月間、ブルーシートのテントでホームレス生活を体験します。
ある冬の夜、見知らぬ人から「毛布、要りますか?」と声をかけられ、初めて分かったことがありました。
屈辱とまではいかないが、「手をさしのべられる側」の複雑な心理がありました。
今まで「配る側」だった自分のどこかに、相手を上から見るような気持ちがあったのではないか。
1999年から、小規模ながらフードバンクの活動を始めます。
2003年に、NPO法人の認可を得ます。
この頃は、扱う食品の量は、年間30トンほどでした。
2004年、名称を「セカンドハーベスト・ジャパン」(2HJ)にします。
2008年にセカンドハーベスト・ジャパンが扱った食品量は、約850トンになりました。
「まだまだ満足には遠い」と言います。
日本で無駄に捨てられている食品は、セカンドハーベスト・ジャパンの取扱量の1万倍あります。
農林水産省の推計で、年間500~900万トンになり、1千人の人を1年間養える量です。
現在、定期的に食品を提供してくれる企業は、東京を中心にメーカー、外食チェーン、スーパー等の約60社あります。
単発の寄付を合わせると、延べ500社近い企業が協力してくれました。
中には配達してくれる企業もありますが、多くはセカンドハーベスト・ジャパンが引き取りに行き、いったん浅草橋駅に近い倉庫に集めて、再びスタッフやボランティアが運転するトラックやバンで、児童養護施設、難民・1人暮らしのお年寄り・路上生活者を支援する団体に運びます。
企業に協力してもらうのに、何が必要かも調査してきました。
企業側のメリットは、廃棄にかかるコストの削減、食品廃棄物の排出抑制、食品を捨ててきたことにやり切れなさを感じていた従業員のモチベーションアップ等があります。
一方で、寄付した食品の保管をはじめ、調理法が不適切で食中毒が起こらないのか、よそに転売されないかを心配して、必要性を認めながらも参加に二の足を踏んでいる企業もあります。
そのためにも、フードバンクの正しい定義を打ち出し、社会の信頼を得るため、最低限守られるべき基準を確立しようと、この10月にフードバンク憲章とガイドラインを発表しました。
年内に、ある商品を買えば、売上げの一部がセカンドハーベスト・ジャパンに寄付されるシステムを作る計画で、現在、企業に何度も足を運んでいるところです。
セカンドハーベスト・ジャパンでは、外資系企業等からの寄付金で、フルタイム6人とパートタイム5人のスタッフが報酬を得ています。
寄付された食品を無料で配るフードバンクは、もともと収入を産みづらいものです。
新たな仕組みが加われば、運営も安定するし、企業も「社会貢献をしている」という評価を得られます。
フードバンクの活動は、誰にとっても必要で身近な食べ物という「道具」を、あたかもペンや傘を持ち合わせていない人に「使っていいよ、と言うのと同じ感覚で提供しているだけ」ということです。
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社会貢献は、ボランティアや善意に基づく部分が多く、経営として企業を説得し、安定して運営するのが難しいのが現実です。
マクジルトンさんが、企業にもメリットがある方法を考え、説得している手順がありました。
「食べ物をください」とは言わないそうです。
まず、一緒に何ができるのかを考える信頼関係を築き、そこから具体的な計画が生まれると考えます。
協力するニチレイフーズの長谷川孝行さんによると、「物事を決してしゃくし定規にに見ず、相手や状況に応じて常に最適なバランスをはかる力がある」と評します。
冷凍食品がフードバンクに合うか見当もつかなかったとき、配達にかかる時間を逆算して食品を引き取りに来てくれるなど、「リードしてくれたのは、いつもセカンドハーベスト・ジャパン側でした」。
記事の中では、名称が長いので、略称の2HJが何度も出てきました。
日本人はカタカナの略称が好きなので、「セカハー」等に略しても、より親しみを持ってもらえるかもしれないと思いました。