「新修倉敷市史・現代(下」)平成13年発行より転記する。
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供出で金属類がなくなる
戦火の拡大とともにさまざまな金属が軍事物資として回収された。
昭和14年4月、味野・琴浦・児島・赤崎・下津井・藤戸の各町役場の鉄門・鉄柵、鉄板などが姿を消した。
昭和16年6月「街の鉱山を掘れ」というポスターが貼られ、町内会・会社・工場が鉄くず・古鉄・銅くずの回収を進めた。9月に鉄と銅の二次回収があり、寺院の梵鐘12個を含む鋼材15トンが回収された。
この回収にそなえて倉敷市役所は同市の構造物内にある鉄と銅の製品を供出台帳に登録したが、中には新渓園の青銅手水鉢釣り灯籠、鶴形山の動物小屋やベンチなど、学校では国旗掲揚台、鉄柵、二宮金次郎や楠木正成の銅像が含まれていた。
やがて郵便ポストも回収され、木製や陶製に変えられた。
昭和18年1月には銅貨や白銅貨をアルミ貨や紙幣と交換。4月からは学童や警察官らの制服のボタン・食器・鉄道の遊休レール、自動車・橋梁・警鐘台・寝台・戸のレール・・・・と、金属類の根こそぎ回収となった。
昭和19年夏から銀が、”航空戦力増強のため”という理由で従来の2倍に値上げして大急ぎで買い上げられた。
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供出で金属類がなくなる
戦火の拡大とともにさまざまな金属が軍事物資として回収された。
昭和14年4月、味野・琴浦・児島・赤崎・下津井・藤戸の各町役場の鉄門・鉄柵、鉄板などが姿を消した。
昭和16年6月「街の鉱山を掘れ」というポスターが貼られ、町内会・会社・工場が鉄くず・古鉄・銅くずの回収を進めた。9月に鉄と銅の二次回収があり、寺院の梵鐘12個を含む鋼材15トンが回収された。
この回収にそなえて倉敷市役所は同市の構造物内にある鉄と銅の製品を供出台帳に登録したが、中には新渓園の青銅手水鉢釣り灯籠、鶴形山の動物小屋やベンチなど、学校では国旗掲揚台、鉄柵、二宮金次郎や楠木正成の銅像が含まれていた。
やがて郵便ポストも回収され、木製や陶製に変えられた。
昭和18年1月には銅貨や白銅貨をアルミ貨や紙幣と交換。4月からは学童や警察官らの制服のボタン・食器・鉄道の遊休レール、自動車・橋梁・警鐘台・寝台・戸のレール・・・・と、金属類の根こそぎ回収となった。
昭和19年夏から銀が、”航空戦力増強のため”という理由で従来の2倍に値上げして大急ぎで買い上げられた。