しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

カストリ雑誌⑤「カストリ雑誌研究」

2020年09月26日 | 昭和21年~25年
「カストリ雑誌研究」 山本明著 出版ニュース社 昭和51年発行  




カストリ雑誌とは



闇市に、
エロ雑誌が、
ゴザの露店で売られていた・・・というのは間違っている。

カストリ雑誌が本屋で売られていたのは1946年9月以降。戦後1年2ヶ月後である。
ゴザで売られたのは1949年から53年あたりまで。

カストリ雑誌が、どのような層に、どのような意識で読まれていたかは不可能だが、
1947年で定価30円、40円というのは高い価格であった。


カストリ雑誌と呼ばれるものは、戦時中は抑圧されていた性をとりあつかっていることが特徴である。
外観は、粗悪なセンカ紙。
見るからに安っぽい表紙と、写真・さし絵ともに、女性の裸体、ぬれ場が大部分。・・・つまり、さし絵をみればわかる。

『りべらる』
カストリ雑誌というと、すぐに『りべらる』を想起する人が多いけれども、『りべらる』は文芸娯楽誌であって類を異にする。
『りべらる』は菊池寛命名で、創刊号には文部大臣はじめ、菊池寛、船橋聖一、武者小路実篤、亀井勝一郎、大仏次郎などが名をつらね、
モーパッサンの小説が掲載され、一種のモダニズムを売り物にした雑誌だ。

『猟奇』
『猟奇』は、性を正面からとりあげた雑誌がでたというだけで、大変なセンセーションを巻き起こした。
「H大佐夫人」は、いまからみると、何の問題もないが、「具体的な描写と淫らな挿絵と相まって猥褻を表現した」ということになる。









キス
カストリ雑誌の読物、エッセイ、小説からいくつかの共通テーマを抽出することができる。
その、もっとも多いのがキスである。
1947年ごろ、キスについて論争が展開されていた。
否定論は、
①日本の伝統にない。
②接吻は非衛生で忌むべき。
③淳風美俗に反する。
これに対する反論がカストリ雑誌をにぎわす。
封建制がキスを薄暗い閨房に押し込めていた。
民主主義ではキスは公然と行われる、というのである。

では、キスはどうしてするのか
『リーベ』の巻頭論文「接吻について」は、
「ただ口と口をつければいいというものではない」と大見得をきる。
カストリ雑誌は地方でも床屋に置かれ、学校にも持ち込まれた。
一冊の雑誌はボロボロになるまで回し読みされた。
キスはこういう風にする、ということがカストリ雑誌にしか掲載されなかった。









処女に性欲はあるか
「処女に性欲はあるか、女性にも性欲はある」というのがカストリ雑誌の狙いである。
当時正統派のジャーナリズムがとりあげなかった性風俗が満載された。
カストリ雑誌は日本人の貧弱なセックス・イメージを広げる役割をはたした。
接吻には舌を使うものだという、今から考えると噴飯ものの記事が、当時では青少年によって、おどろきの中で読まれたのであり、
処女にも性欲があり、オナニーもするという論文が、彼らの女性観を変えていった。
快楽としての性といえば遊郭しか連想できなかった人々が、日常性の中に性をもちこむようになった。

1949年『夫婦生活』が創刊され、性は夫婦という枠の中におしこめられることになった。
『夫婦生活』は性を管理社会にくみこむ役割を果たすことになった。
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