父の話・1999.10.3
復員(軍靴、軍服、自転車を持って帰る)
練兵場の倉庫は焼けたことになっていて帳面には何も残っていない。
無いことになっとる。
軍靴、軍服、毛布、コメ、菓子をトラックに積んで持って帰った。
あっちコッチちいとづつ分けてやった。病院のはえかった。
家に帰って自転車に乗ろうと思ったら(軍人時のと比較できないほどボロで)乗れなんだ。
それで、ふうが悪いがもう一度病院に行って事情を話した。
山口のええ自転車に乗りょうた、班長が探してきてくれた。
戻る時は飯盒へ飯をいっぱい持たせてくれた。
(百姓の家でさえも)米がないときじゃった。
ウチでさえ、コメが少ないから芋や豆を入れて食ようた。
新憲法公布
昭和22年
(市町村長が公職から追放、次いで軍人会や警察署長が追放された。
県下で3200人が追放された。
憲法により地方自治法ができた)
この時に村会議員になった。
農地改革
昭和25年、
小作をしょうた人は、ちゃんと国から決まった相場で(地主に)払うた。
ウチには、とられも、もらいもしなかった。
小作をしょうたもんが大きょうなった。
ひっくりかえった。
漁師は・・・なんも変わらん。
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