しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

戦場の衣食住②現地自活

2020年09月28日 | 盧溝橋事件と歩兵10連隊(台児荘~漢口)
「帝国陸軍 戦場の衣食住」 学習研究社 2002年発行 より転記

現地自活



支那事変では、部隊単位での本格的な「現地自活」が開始される。
戦闘の激化に伴う補給困難から、副食のための各種野菜の畑栽培、
養豚・養鶏、燃料の炭焼き等の本格的な「現地自活」が開始されたのであった。
多くの場合、各師団司令部の経理部の下に「自活隊」を編成して行われた。


野戦献立の一例

野戦での糧食給与は、次のコンセプトで行なわれていた。

・手数がかからず簡単に調理ができるもの。
・分配容易で携行に便利なもの。
・保存性が良いもの。
・追走品および現地で入手容易な材料を使用すること。

これに従い「野戦炊具」で簡単に作られる料理としては、主食では米麦飯以外に五目飯・福神漬飯・缶肉飯・蒸パンなど、
副食では煮豆・佃煮・味噌煮・鉄火味噌・塩昆布・甘露煮・味味噌・唐揚げなど、
漬物としては早漬けなどがある。


背嚢

背嚢に収納する物品は「入組品」と呼ばれ、着替え用の下着、携帯口糧、被服の手入れ具、私物などを入れる。
さらに背嚢の周囲には、飯盒・携帯天幕・毛布・外套(コート)・雨外套(レインコート)・携帯工具等を状況に応じて組み合わせて装着する。
作戦の長期化によって、兵員は携帯口糧を携行することが決められており、それ以外は通常「大行李」より提供を受けるものとされていたが、
実戦では補給困難や強行作戦のために、数日分の糧食を携行することが多くなってきた。

・・・・


陸軍野戦糧食史




昭和13年の「細則中改正」の糧食を品目ごとにみていく。


主食

乾パン
戦闘中の非常食の代表であり、小麦粉を主体として製造されている。
圧搾口糧
圧搾膨張玄米は、玄米と丸麦を圧搾した。

副食

牛肉缶詰
携帯口糧の副食の代名詞。牛肉の大和煮。

兎肉缶詰
兎肉の大和煮。

調味料
・味噌
・粉味噌
・携帯粉味噌
・醤油
・粉醤油
・携帯砂糖
・携帯食塩


加給品
・粉飲料・・粉飲料ラムネほか
・清酒
・関東煮缶詰

祝賀品
・きんとん缶詰
・口取缶詰
・酒

その他
・軍粮精(ぐんりょうせい)・・疲労時の栄養食品。後に「元気食」に改名。
・精力餅・・餅にビタミンやバターを混ぜたもの。


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「満州事変から日中全面戦争へ」 伊香俊哉著 吉川弘文館 2007年発行

戦争栄養失調症

1938年春の徐州会戦に参加した兵士の中から、下痢症状が長くつづいたあげくに死亡するというケースが多発した。
軍医らが死亡原因の特定に努めた。
見解は、アメーバ赤痢が原因とするものと、実質的な餓死であるとするものに分れた。
「戦争栄養失調症」という病名に落ち着いた。
中国戦線においてもかなりの餓死者が出ていたのである。

O軍医は「当時私たちが栄養失調と呼んだ病気のなかのあるものは重症脚気であり、又あるものは全身の機能の衰えであった。
激しい労働と、偏った食糧、その絶対量の不足によったのは言うまでもない」

中国南部ではマラリアに感染する兵士も多かった。
キニーネという特効薬が配られてはいたが十分な量ではなかった。
40度を超す発熱が数日間つづき、治ったと思えば一ヶ月で発作や発熱が起きる。
行軍中であれば、高熱を押してでもついてゆかねば、栄養失調とも重なって命を落とす兵もいた。




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